師匠と弟子(愛犬)の戦い方
試合が始まる前に、相手の情報を目視で少しでも集めておく。
相手チームはアルストロをリーダーとした貴族チームで、従者である三人は重たそうな鉄の鎧を装備している。確かに防具について何も書いてなかったけど、武器は木製しか使えないのに鉄の防具はないだろう。
一人知らない男が混じっているが、彼は驚くことに全身鎧であった。木製の槍とアルストロ家の家紋が彫られた鉄の盾を持ち、フルフェイスヘルムで顔はわからないが、どこか貴族とは違う威圧感を感じる。とても貴族とは思えないし……もしかして傭兵か?
背丈は俺達と変わらないが、肩幅は妙にあるので、ドワーフという種族が当てはまりそう。傭兵がグレゴリの組に居るとは思えないので、わざわざこの試合の為に雇ったのだろうか? これもまたルールに書かれていないが……ここまでくるといっそ清々しいな。
その中でアルストロだけ軽装だが、彼は魔法を使うのでそれで問題ないだろう。
前衛が四に、後方支援が一か。
重装備な彼等に対し、俺達はとにかく軽装だった。防御力はあるが動きにくい学校指定のローブは脱ぎ、レウスは皮で編んだ軽鎧に木剣を腰と手に一本ずつ用意し、俺に至っては動きやすい普段着に手ぶらだ。戦いを舐めているのかと思われてもおかしくない。
装備も人数も差があるのに、俺とレウスは微塵も負ける気がしない。たとえ相手が鉄の防具であっても、対処法なんて幾らでもあるからだ。
俺は前もって決めていた作戦をハンドシグナルでレウスに伝えた。
「入替戦……始め!」
審判役となっていたヴィル先生の声で試合が始まった瞬間、俺とレウスは左右に分かれて走り出した。開始早々からあらぬ方向へのダッシュに、対戦相手であるアルストロチームは目に見えて動揺していた。
「慌てるなお前達! 所詮は二人、私達に勝てる筈がないのだ!」
従者達はうろたえているが、リーダーであるアルストロは冷静なようだ。ただのボンボンではないらしい。
俺達はそのまま走り続けて試合場の端と端へ向かい、相手チームを挟む形をとっていた。
「何を考えているか知らないが、別れてくれたならちょうど良い。まずはあの獣人を優先に狙え。無能なんて後にしろ」
レウスに従者三人、俺に傭兵らしき全身鎧を向かわせてアルストロは魔法の詠唱を始める。読唇術で読み取ればおそらく中級魔法で詠唱が長いやつだ。彼は少しだけ放置だな。
「アルストロ様の魔法で焼かれるか、我々に殴られるか好きに選ぶが良い!」
「どっちもごめんだね。ほら、こっちだよ」
「くっ、待て亜人が!」
従者三人が迫るが、レウスは試合場の端に沿って走り俺の方へ向かってくる。そして俺もまたレウスと合流するように試合場の端に沿って走った。互いの相手を引き連れるよう速度を調整しながらだ。
「待てい!」
「……絶対子供じゃないよな、あれ」
全身鎧から漏れる声は野太く、とても声変わりが始まる前か変わる直前の子供の声とは思えなかった。どう聞いてもおっさんです。とはいえ、全身鎧を着こんでも俺に付いてこれる速度を出せる人物だ。対戦チームで一番手強い相手なのは間違いない。
互いを目指して走り、従者共を引き連れたレウスはもう目の前だ。あと数歩で交差する瞬間……アイコンタクト。
「『ライト!』」
「はぁ!」
俺は背後を見ないまま後方に『ライト』を発動させつつ駆け抜け、同時にレウスは俺を飛び越えるように高く跳躍した。
後方に放った『ライト』は通常より強めに光らせたので、相手を眩ますには十分だ。丈夫なフルフェイスヘルムだろうと目がある以上避けられない閃光に、全身鎧は目を押さえて立ち止まっていた。そして『ライト』が消えたその上空には……。
「剛破一刀流、衝破!」
隙だらけとなった全身鎧の脳天にレウスの一撃が決まった。
木剣で鎧は斬れないが、レウスが放ったのは叩きつけた剣から広範囲の衝撃を放つ斬撃だ。その強大な衝撃はヘルムを通して体全体へと広がり、全身鎧の足元の地面が罅割れる程である。いくら鋼鉄の全身鎧だろうと衝撃までは防ぎきれないので、全身鎧は膝から崩れ落ち地に伏した。手加減は覚えたって言っていたし、死んではないと思う。
一方、俺の目前にはレウスを追っていた従者達が迫っているが、俺は走る勢いそのままに『ブースト』で補助しつつ従者達を飛び越えた。これで従者達が槍を持っていれば叩き落されたかもしれないが、あいにく奴らは全員リーチの短い木剣だ。俺は悠々と従者達の上空を飛びつつ、水の魔法陣を刻んだ左手をアルストロに向ける。
「『アクア!』」
「――炎の槍が怨敵を貫かんー……ぶわっ!?」
「「「アルストロ様!」」」
左手から放たれた水の玉は詠唱途中だったアルストロの顔面に直撃し、強引に詠唱を中断させた。濡れ鼠と化したアルストロを心配した従者達は俺達を放置して主人の元へ向かい、俺もまた弟子と合流する為にレウスの元へ走った。
「ぬ、ぬぐ……おのれ! この選ばれた私になんて事を!」
「アルストロ様、濡れたままでは体に障ります。すぐに中断してお着替えを!」
「ふざけるな! ここまで馬鹿にされて黙っていられるか! おい、あいつはどうした? 早く呼び戻せよ!」
「そ、それが……」
倒れた全身鎧はマグナ先生と医療班に囲まれ様子を見られていたが、やがてマグナ先生が手で大きくバツを描いて続行不可能と判断された。
「兄貴!」
「ああ、やったな」
合流した俺とレウスは拳をぶつけ合い喜んだ。まず一人。
すぐさま次の手を考えるが、その前に片目を閉じているレウスの状態を確認しておいた。
「レウス、目はどうだ?」
「うん……もう大丈夫。いつも通りだよ」
全身鎧の目を眩ました『ライト』は当然レウスも襲った。だが彼は事前に知っていたので、飛ぶ前から片目を閉じて閃光から防御していたのだ。片方が見えなくなれば防御しておいた目を開いて視界を確保し、相手に確実な一撃を食らわせる。俺の教えた内容をしっかり生かしているようでなによりだ。
「あと兄貴。あいつらの武器、何か変じゃないか?」
「気付いたか? ただの木剣じゃあなさそうだな」
従者達の上空を飛んだ時、苦し紛れに振られた木剣の素振り音が耳に残っている。あれはただの木剣が出せる音じゃない。おそらく……。
「木剣より重い物……おそらく中に鉄が埋め込まれているんだろうな。困ったものだが、当たらなければ意味がないな」
「さっきから本当にずるいな。貴族ってのはあんなのばかりなんだな」
「こうも巻き込まれているとそう思うのもわかりはするが、良い奴だっているのは知っているだろう? ほら、マークとかさ」
マークは家名に拘り過ぎているが、基本的に礼節と礼儀を持つ良い奴だ。あれこそ模範的な貴族なんだろうが、残念ながらこの世界には権力に溺れる貴族が多すぎる。このままアホ貴族が量産されれば、しまいには世界を巻き込む革命とか起こりかねないぞ。
関係の無い未来を危惧していると、ようやく立ち直ったアルストロ達がこちらへと向かって攻めてきた。
「さあ続きだ、あいつらを無力化するぞ。ただし、今度は技は使わず純粋な剣技でな」
「了解だ兄貴!」
三人同時に攻めてくるのを正面から受け止めた。レウスは一人突出してきた従者の剣を受け止めるが鉄入りの木剣には分が悪く、レウスの木剣は嫌な音を立て始めていた。だが構わず強引に振りぬいて従者を剣ごと吹っ飛ばすと、右側から遅れてきた二人目の従者が木剣で突いてくる。
「この亜人め!」
「見え見えだよ!」
繰り出された突きは体を反らす事により回避し、無理な体勢であるがレウスは返す刀で剣を振って二人目の従者の腹に木剣を打ち込んだ。そこで木剣は限界を迎えて折れてしまう。
「もらった!」
「レウス、伏せ!」
「わん!」
その隙を狙って三人目が迫るが、俺がいるのを忘れては困る。俺の号令にレウスは身を屈め、その隙間を縫って放たれた蹴りは三人目の腹に直撃した。
従者三人は順番に吹っ飛ばされても、鉄の鎧もあってダメージは少ないようだ。再び立ち上がり俺達へと迫ってくる。
その隙を突いて再びアルストロに『アクア』を放つが、流石に警戒されてたらしく今度は避けられてしまった。しかし詠唱を中断させるのが目的なのでこれでいい。アルストロは悔しげにしているが、前衛に過信せず詠唱を短縮させるか、移動しながら詠唱する技術を身に着けるべきだったな。
レウスは予備の木剣を取り出し、再び攻めてくる従者を迎え撃つ。
「今度は同時に攻めるんだ!」
「お手!」
「わん!」
「ぐあっ!」
「くっ! もう一度だ!」
「おかわり!」
「わんわん!」
「うぐっ!」
何故俺は不利な条件で試合を受けたのか?
それは学校長に焚きつけられたのもあるが、一番の理由はレウスとの連携を確認しておきたかったからだ。
『お手』はレウスから見て右側に注意を向けろという意味で、『おかわり』はその逆だ。ちなみに『伏せ』は本来腹ばいになる号令だが、姉弟に関しては身を屈めるようにと躾……もとい教育している。視界の隅で、エミリアの体が何度も動いているけど気にしない。
号令によってレウスは的確に動き、俺がその隙を埋めるように動けば相手が三人だろうと問題はないわけだ。声だけ聞くと連携とはとても思えないけどな。
「これでどうだぁ!」
今度は攻撃すらせず、ただの壁となってアルストロの詠唱時間を稼ぐ作戦に出てきた。何度やられようがこの身を挺してまで戦う忠誠心、もっと別なところで生かせばいいのに。
俺が横に動けば他の人間が補助をし、『アクア』の射線が確保できない。だがまだ時間はー……いや、魔法の詠唱が完了している? 中級ではなく初級魔法に切り替えたか!
「――風の衝撃にて砕かん! 良くやったぞお前ら『風玉!』」
従者達は急いで横へ飛び、露となったレウス目掛けて『風玉』が放たれた。風の玉は不可視な上に、銃弾程ではないが速度はかなり速い。俺は『サーチ』で捉える事が出来るが、普通は従者達のように大きく横へ跳んで避けるのが一番だろう。
だがレウスは木剣を上段に構え集中する。
「そこだぁぁぁ――っ!」
剛破一刀流、一ノ剣・剛天。
単純な振り下ろしであるその一撃で、レウスは鍛えた動体視力と勘を持って『風玉』を的確に斬り裂いた。瞬間、レウスを起点に強風が背後へと駆け抜け、後に残ったのは木剣を振り下ろしたレウスと周辺に舞う砂埃だけだった。
「ば……馬鹿な!?」
それは誰の言葉だったか、あまりの出来事に闘技場に集まった人々は我を忘れて見入るだけだった。
魔法を斬る。
それはかつて剛剣と呼ばれたライオルが初めて使い、世界から見ても使用者が少ない技の一つだ。
本人の腕が如実に現れ、魔法を斬り裂ける剣速と技術が必要なのは当然だが、少しでも怯えて躊躇すれば切っ先が鈍るので、魔法を被弾する覚悟も必要である。
背後に守る人がいるなら別だろうが、魔法を打ち消すだけなので回避した方が手っ取り早いのが現実だ。世間的には魅せ技に近いが、それだけの技術を持つというステータスにもなるので、呆気に取られた人々の光景が凄さをよく表している。
特に風属性は不可視な魔法が多いので難易度が高い。だがレウスは優れた動体視力と獣に匹敵する勘を持ち、初級魔法ならば今のレウスでも十分可能だ。今回の場合、風の玉によって巻き起こった砂埃を目印に、勘を持って振り下ろした……といったところか?
ちなみに発祥であるライオルは『火槍』くらいなら鼻歌交じりに斬れると言っていた。何度も言った気がするが、あの爺さんは本当に化物である。
「へへ、姉ちゃんの凶暴っぷりに比べたら大した事ないぜ!」
「何ですって!」
「ひいっ!? ごめん姉ちゃん!」
レウスの妙技に試合場が静かになったせいか、彼の台詞は彼女の耳に届いてしまったようだ。凶暴とはあくまでエミリアが放つ『風玉』の事で、本人の性格では決してありません。
相手を馬鹿にした行動に加え、試合中だと言うのに外野と喧嘩し始める光景に、アルストロの大人っぽかった口調も年齢に合った口調へと変わり始め、彼の怒りは限界へと達しかけていた。
「ぐっ! この……亜人がぁ! 馬鹿にして絶対に許さないぞ。我は請う、我が炎の魔力を贄に大いなる火の化身を――……」
「アルストロ様の『火槍』だ! 時間を稼げ!」
「「おお!」」
主人の為に時間を稼ごうとするが、すでに彼等は重たい鎧によって体力が尽きかけている。反面、レウスはまだまだ元気な上に従者達の動きを見切り始めていた。もはやレウス一人でも対処可能だろう。
「レウス、時間稼ぎを頼む」
「わかった!」
俺が膝を突いて作業に専念すれば当然狙われるだろう。だが、従者達が振るう力の入っていない剣など軽いもので、全てレウスの剣によって防がれる。防御をレウスに任せ、俺の作業は一切邪魔されることなく進んでいく。
「――炎の槍が怨敵を貫かん……『火槍!』」
そしてアルストロの『火槍』が発動した。しかし本人の魔力が過剰に込められた『火槍』は、通常より数倍の大きさであるものの制御が上手く出来ておらず、槍の形が維持できず今にも爆発しそうだった。当然爆発すれば身近にいるアルストロも無事には済むまい。
「いけません! 魔法が暴走しかけています。すぐに止めないと!」
「必要ない! やれアルストロ! あの無能を倒してみせよ!」
「ふむ……どうしますかな?」
こんな事態でもヴィル先生は傍観に徹するようで、ただ一人止めようとするマグナ先生はグレゴリに邪魔されて身動きが取れなかった。
その間もアルストロは魔力を注ぎ続け、大量の汗を流しながら顔を青白く染めていた。あれは俺が何度も経験している、魔力が枯渇する一歩手前ってところだな。このままでは数秒も経たないうちに気絶し、魔法の制御が途絶えて爆発するぞ。
「ああ……あああぁぁぁぁ―――っ!」
それでも怒りか貴族の誇りゆえなのか、彼は不完全の『火槍』を放った。己の仲間である従者がいるのにも関わらずにだ。
「あ、アルストロ様!? 何故!?」
「やめてくれっ! 助けて!」
「ひっ!? 嫌だ!」
巨大な『火槍』が直撃すれば広範囲で爆発し、俺達どころか従者すら確実に巻き込んでしまうだろう。俺とレウスは避けられる自信はあるが、疲労困憊である従者三人は満足に動けないので逃げることも出来ない。
「早く逃げよう兄貴!」
「まあ待ちなさい。よし、出来たっと」
俺がわざわざ膝をついて作業してたのは、ちょっと複雑な魔法陣を地面に描く為だ。つい先日図書館で見つけた魔法陣だが、今の状況に合っている筈。完成した魔法陣に魔力を流しつつ魔法名を唱えた。
「『岩盾!』」
少し前方に、地面が盛り上がり俺達を守る大きな土壁が生まれた。形はしっかりとイメージしたので、丸みが一切無い立派な壁である。
「壁が薄いよ兄貴!」
「わかっているさ」
レウスの指摘通り、土壁は一般家庭の塀で使われる厚みしかない。炎が大きいので広めに壁を作ったせいでもあるが、これでは間違いなく防ぎきれないだろう。だがまだ終わりじゃない。もう一度魔力を流し、三十センチ程の隙間を空けてもう一枚同じ土壁を作る。
「仕上げだ!」
土壁の隙間に最後の処置を施した瞬間、『火槍』は防壁へと到達し、大きな音を響かせて爆発した。地を揺るがすほどの衝撃が走り、膨大な土埃が周囲を舞い視界を塞ぐ。
「風よ! 『風斬舞』」
ヴィル先生が中級魔法を発動させると、周囲に突風が巻き起こり土埃を一気に吹き飛ばしていた。かなり威力を抑えているが、あの詠唱の短さでこれ程の魔法を放てるとは、さすがは魔法を極めし者である。
「……どうやら、決まったようですね」
視界が良好となった試合場では、すでに勝敗がついていた。
アルストロは魔力枯渇で倒れ、従者達は直撃では無いが爆発の余波で戦闘不能状態。そして俺とレウスは無事に立っているこの光景を勝利と言わずして何と言うのか。
「グレゴリ先生。決まりでよろしいですかな?」
「……ふん!」
「学校長には書類で報告しますからね。変な事を考えない方がよろしいですよ」
「やかましい! もう好きにしろ、私は帰らせてもらう!」
ヴィル先生が問いかけても、彼は不機嫌そうに鼻を鳴らしながら背を向けて去った。好きにしろって事は認めてもいいんだな?
「勝者、カラリス組!」
「シリウス様ーっ!」
勝利が宣言され、余韻に浸る間もなく観客席からエミリアが文字通り飛んできた。正確に言えば、魔法で自身に追い風を当てながらジャンプしただけである。魔法の力があるとはいえ、その人間離れした飛び方にクラス全員は一瞬だけ勝利を忘れた。
ついでにローブは膝から上に捲くれる事は無い。これも従者の技術らしい。
「ご無事ですか!? お怪我はなされてませんか!? 勝利を信じておりました!」
「はいはい、心配させて悪かったね。とにかく落ち着きなさい」
「姉ちゃん、俺も頑張ったよ!」
「貴方には後で話があります」
「ひいっ!?」
エミリアの頭を撫でて一旦落ち着かせていると、笑みを浮かべたヴィル先生がやってきた。ちなみにマグナ先生は医療班と共に、倒れたアルストロと従者の介抱に当たっている。
「お見事でしたよシリウス君。まさかあんな防壁で『火槍』を止められるとは思いませんでした」
「いえいえ、あれが不完全だからこそ防げたんですよ」
今回使われた『火槍』は、魔力を過剰に込めすぎて槍の形に成っていなかった。どちらかと言うと球状に近く、本来の特徴である貫通力が全く生かされていなかったのである。
「あの状態では衝撃が問題でしたので、その衝撃を受け止める必要があったんです。散らばっている防壁の欠片をご覧ください」
もはや砕けて原型が残っていない防壁に目を向ける。広範囲に散った防壁の欠片が『火槍』の威力を物語るが、注意深く観察すればすぐにわかる。
「……妙に壁の破片が少ないですね。これが秘密だと?」
「その通りです。薄いですが硬い土壁を隙間を空けて二枚作り、その隙間に砂利を敷き詰めたんです。そうする事により、衝撃が分散して二枚の壁で全て受け止めきれた……そういうわけです」
前世でゲリラ活動参加時に使ったバリケードの要領だ。あの時の壁はもっと厚めだったが、クレーンで振り下ろされた鉄球を何発か防いだ優れものである
「あれが完全な『火槍』でしたら、威力を減退させる程度で突破されたでしょうね」
「このような防壁があるとは、実に素晴らしい。いやぁ……勉強になりますね」
実は『岩盾』はアルストロをドーム状に囲って行動を邪魔する為に使おうと思っていたのだが、あんな状況になったので本来の使い方をしたわけだ。
ヴィル先生が満足気に頷いていると、アイオーン組の観客席側からリースが青い髪を靡かせながら走ってきた。
「シリウス君! エミリア! レウス君!」
運動があまり得意ではないのに、彼女は必死にこちらへと走ってくる。
「はぁはぁ……二人とも……怪我とか……はぁ……無いよね?」
「ああ、俺もレウスも怪我一つしていないよ。だから息を整えなさい」
こちらに到着する頃には息が絶え絶えとなっており、エミリアと同様にリースも落ち着くのを待った。しばらくしてようやく落ち着いたリースは、俺達が無事だと確認し安心したように息を吐いた。
「本当に無事で良かった。私のせいで二人が怪我しちゃったらどうしようかと……」
「だから言っただろ? 兄貴と俺に任せれば大丈夫だって!」
「うん、そうだよね。たった二人で五人を倒しちゃうなんて、本当に凄いよ」
実際に俺達が倒したのは全身鎧の一人だけなんだが……まあそんな野暮な事は言うまい。
「何にしろ、これでリースも俺達の仲間だな」
「え? 私、仲間……なの?」
「何を言うのリース? 貴方は私の友達で、同じご飯を食べた仲間じゃない」
「今日から俺達のクラスに入るしな。間違っていないだろ?」
その言葉にリースの目から涙が溢れた。嬉しくて泣きじゃくる彼女を、エミリアは泣き顔を隠すように抱きしめていた。
「ありがとうエミリア。だけどちょっと待ってほしいの。私まだ肝心な事を伝えてないから」
彼女はエミリアの胸から顔を上げ、俺達に満面の笑顔を向けながら言った。
「シリウス君、レウス君。本当にありがとう!」
その嬉しそうな顔が見れただけでも、頑張った甲斐があったと思えた。
その後、ようやくいつもの調子を取り戻したリースと話していると、怪我人の処置を済ませたマグナ先生が現れた。
「良かったですねリース君。一応確認の為に聞いておきますが、カラリス組に入る事に異議はありませんね?」
「は、はい! 私はカラリス組に入りたいです。それで……私はこれからどうすれば?」
「そうですね。書類作成やら色々とやらないといけない事がありますが、まずは最初のお仕事がありますね」
マグナ先生が視線を横へ向けると、カラリス組全員が観客席から降りてきて騒いでいた。
「流石はシリウス君だ。従者を上手く使い、あの強大な『火槍』を防ぎ切った見事な防壁。実に勉強になる戦いだった」
「あの戦力差で勝っちゃうなんて思わなかったよ!」
「「「流石兄貴と親分です!」」」
クラスメイトが次々と称賛してくるが、マグナ先生は手を叩いて一度注目を集めた。
「さて皆さん、今日から新しく我がカラリス組に入る生徒を紹介します。さあリース君、最初のお仕事ですよ」
マグナ先生に優しく背中を押され、彼女はクラスメイト達の前に立たされた。突然の自己紹介に困惑して俺達を見てくるが、問題無いと頷いてあげると、彼女は意を決して息を吸った。
「み、皆さん初めまして。入替戦によってこちらの組に入ることになったリースと言います。適性属性は水属性で回復魔法が得意です。その……よろしくお願いします!」
その後クラスメイトの拍手によって歓迎され、俺達の組に新たな生徒が増えた。
放課後になって、俺はヴィル先生に呼ばれて一人マグナ先生の職員室を訪れていた。
ちなみに姉弟とリースは打ち上げ用の買い物へ向かわせており、終ったら直接ダイア荘へ向かうように指示している。
「来ましたか。どうぞ遠慮なく座ってください」
僅か数日で俺は何度ここへ訪れたのやらと思いつつソファーに座ると、マグナ先生は淀みない動作で紅茶を淹れてくれた。前々から思ってたが、マグナ先生って結構従者力が高いよな。
「それで私に何の用でしょうか? やはり貴族に勝ったのは問題がありましたか?」
「それも含めて、今回の入替戦の結果を話しておこうと思いましてね」
「たかが一生徒である私に話しても問題ないので?」
「私は貴方をただの生徒と思っていません。君の発想力や行動が素晴らしい……いや、この際はっきり言いましょう。シリウス君を見ていると面白いのですよ。だから私は貴方の味方でいたいと思っていますので情報を話す。それだけでは不服ですか?」
「いえ、下手に飾らず面白いというのはわかりやすくて結構です。情報を下さるならこちらも助かるので、是非お願いします」
四百年以上も生きている人の気持ちなんてわからないが、この人は未だ自身への努力を怠らず、更に学校の生徒を育てようと頑張る真面目なエルフだ。無茶振りされるのは困るが、情報を得る相手としてこれ以上の人はいまい。最初は警戒していたがリースの件でお世話になったし、今は少しだけ信頼している。
「わかりました。まずリース君ですが、彼女のカラリス組への移動は滞りなく終了しました。書類上でも確定したので、グレゴリ先生はこれ以上何も言えないでしょう」
流石にあの結果で文句を言われちゃ困る。最悪、俺が裏で動こうとも考えたが、リースの件は問題ないようだ。
「さて……問題は貴方が倒してしまった貴族、アルストロ君の話です。私は彼が生まれて間もない頃から知っていますが、彼はとにかく弱い者苛めが好きなんですよ」
「はた迷惑な貴族ですね」
「全くです。適性属性が二重で、自分は特別な存在だと教えられながら育ったせいもあります。傲慢な態度が目立ちますが、流石に父親には頭が上がらないのですよ」
彼の父親はエリュシオン有数の貴族で、バリバリの軍人気質らしい。息子には甘かったようだが、今日の話を聞けば烈火の如く怒るに違いないそうだ。
「木剣相手に鉄装備で身を包み、木剣自体にも鉄を混ぜる細工。そして人数差があっても、負けた上に自身は魔力の枯渇で戦闘不能。無色の貴方を蹂躙して悦に入りたかったのでしょうが、逆にやられるとは夢にも思わなかったでしょうね」
彼を一言に纏めれば、とんでもないアホだったわけだ。
「貴族として今回の不正は逸脱し過ぎています。あくまで学校内の出来事でしたので、本家に影響を及ぼす程ではありませんが、もはやこの学校で大きな顔は出来ないでしょうね」
「何か処罰は無いのですか?」
「被害を受けた貴方が言うなら何か与えますが、必要ですか?」
「いえ、面倒なので結構です。俺達に絡んでこなければそれで良いです」
「そう言うと思いました。ですから私の方でアルストロ君には釘を刺しておきましたよ」
アルストロが昼過ぎに目覚めると、すぐさま学校長室に呼び出して尋問をしたそうだ。疲れもあってその場では静かだったそうだが、内心では俺に対して相当怒りを覚えていたらしい。
だが学校長が、今後カラリス組に手を出したら今日の不正を含め、学校で起こした様々な案件を父親に報告すると言ったら大人しくなったそうだ。
「長生きしていると様々な伝がありましてね。彼の父親くらいなら直接物申す事も出来るのですよ。ほら、誓約書にサインまで頂いてます」
ヴィル先生から羊皮紙らしき物を渡されたので読んでみると、そこには長ったらしい文面とアルストロのサインが入っていたが、サインは書き殴ったようで文字に彼の悔しさがよく表れていた。ちなみに文面をわかりやすく纏めるとこうだ。
私、アルストロ・エルメロイは、今後カラリス組に不正に関与しないと誓います。
なお、破った場合は、父親であるロード・エルメロイに全て告白し、たとえ学校を退学させられようとも下された処罰を甘んじて受け入れます。
アルストロ・エルメロイ。
「……誓約書を作るほどですか?」
「彼の場合これくらいしないと仕返しを考えそうですからね。自業自得ですし、今回の事は良い薬になったでしょう」
まあ学校長が言う事も一理あるし、俺より彼の事を知っている人が言う事だ。こちらに関わってこないと約束させたんだから、むしろ助かったと言えよう。
「彼の処罰はそれで終りですが、実は根本的な問題がありましてね」
「まだあるんですか?」
「今回アルストロ君が行った不正の数々、実はとある者の仕業なんです」
「……グレゴリ先生ですか?」
「流石ですね、その通りです」
アルストロが意識を失いながらも放った『火槍』の時、グレゴリは生徒の危険を顧みず俺達を倒せとはっきり言っていた。無属性と判明してから俺を見る目が妙に怪しかったし、俺を嵌めようとしてもおかしくない。
「彼はまず貴族が有利になるルールを作り、当日になってアルストロ君は人数の差に気付きました。最初は貴族の誇りがあって人数を合わせようとしたそうですが、グレゴリに唆されてそのまま受けてしまったそうです」
弱い者苛めが好きだと言っていたし、大方圧倒的な暴力で蹂躙すれば気持ちが良いとか囁いたんだろうな。
「更にシリウス君達は強力な防具を持っていると嘘を教え、彼等の木剣を用意したのも、あの全身鎧の傭兵を雇ったのもグレゴリです」
あいつらが装備していた鉄の鎧は、俺達が良い防具を持っていると聞いて合わせてただけか。こう聞くと全てグレゴリが黒幕であり、アルストロはそこまで悪かったとは思えないが……。
「ですが、それらを全て受け入れ、入替戦を始めてしまったアルストロ君も同罪ですね。ここまで聞けば、彼の誓約書も当然の処置でしょう」
結局、彼はやはりアホだったわけだ。
「非常に納得出来ました。それで……グレゴリ先生は?」
「……申し訳ない。彼は証拠を隠すのが上手い男でして、重要な証拠を見つけられず罰する事が出来ないのですよ」
話によればルールの違いは書類不備で通し、木剣は倉庫に在ったのを取ってきただけだと言う。そして傭兵だが、大切な貴族の息子を守ってほしいと冒険者ギルドを通して雇ったそうだ。俺の想像通りドワーフだった傭兵は、非常に真面目な人で真相を知ったら謝りたいと反省していたらしい。
最後にアルストロに話した嘘や唆しはただの言葉であり、証拠にすらならない。以上が彼を罰せない理由だそうだ。
「……あの人はどうして私を敵視するのでしょう?」
「わかりません。獣人嫌いは貴族特有ですが、無色については話した事がないので何とも。それに、彼と積極的に話したいと思いますか?」
「思いません」
「でしょう?」
顔を見合わせたまま、俺とヴィル先生は思わず笑い合ってしまった。いやまて、つい同調して笑ってしまったが、学校の最高責任者がそれでどうする?
「今回の出来事により、我々も本腰を入れることにしました。今度から彼を監視する人を付けようと思いますので、何かあればすぐに報告しますし、シリウス君の邪魔をするなら妨害させましょう」
「よろしくお願いします」
「それでも何かしてきたのなら……遠慮なくやってもよろしいです。私が許可します」
「遠慮なく……ですね?」
「はい、遠慮なく」
再び俺達は笑い合った。今度は悪い笑みで。
「……恐ろしい人を敵に回した気がしますね」
一人呟いたマグナ先生の質問に返す者は誰もいなかった。
「それでは、リースのカラリス組への移動を記念して……」
「「「乾杯っ!」」」
夜になり、場所は変わってダイア荘。
俺達は入替戦の勝利を祝してちょっとした宴を催していた。メンバーは俺と姉弟とリースの四人で、机に置かれた様々な料理を堪能している。
「兄貴、この肉まだ生だよ?」
「ローストビーフって言う料理だ。生っぽい色合いだが、蒸しているから火は通っているんだぞ」
「美味いっ! もっと食べていい?」
「遠慮せず食べなさい。今回の功労賞は間違いなくレウスだからな。よく頑張ったぞ!」
「やったーっ! 兄貴に褒められた!」
レウスのテンションは最高潮である。それに反して、エミリアの表情は優れなかった。
「私も……戦いたかったです」
そう、従者なら参加人数にカウントされないと判明したのに、結局エミリアを呼ばずに戦闘が終ってしまった。それを知ったのは乾杯の後で、彼女は珍しく拗ねた。今はローストビーフを黙々と食べながら不満気に頬を膨らませている。
「悪かったってエミリア。お前は俺達の隠し玉でいてほしいからさ、魔法以外の行動を見られたくなかったんだよ」
「それでも……一緒に居たかったです」
エミリアを呼ばなかったのはこちらの手の内を少しでも隠す為だったのだが、高い観客席から俺達の前までジャンプできる身体能力を見られた以上、もはや意味がない気がしてきた。まあいい、知られても何とでもなるか。変に絡まれても学校長から撃退の許可は貰っているし、適当にやっていけばいい。
しかしさっきからずっと頭を撫でているのに、彼女の機嫌は中々直らない。仕方ない、切り札を出すとしますか。
「エミリア、これは何だと思う?」
「櫛……ですね。もしや!?」
「そういう事。はい、尻尾を出して」
「はい!」
先程のまでの不満げな顔は無かったように消え、彼女は嬉しそうに俺の前へ尻尾を伸ばした。手入れのされたふさふさな尻尾を自分の太ももに乗せて櫛で優しく梳いてあげた。
「ふふ……うふふ……うふふふ……」
獣人にとって尻尾は大切なもので、それを触らせるのは心を許した者だけだ。俺がやっているのは親愛表現の一種であり、言うなれば家族や恋人がやる行為である。グルーミングという行為だが、エミリアの機嫌もこれで元通りになるだろう。
食事中にするべき事ではないが、無礼講って事で勘弁してほしい。
「いいなぁ……姉ちゃん」
「お前はまた今度な」
僅か数分であったが尻尾の毛繕いを終えると、エミリアは幸せそうに尻尾を撫でていた。
「幸せですぅ……」
そのまま昇天しかねない彼女を見ていると、隣にいるリースとふと目が合った。さっきまで笑っていたのだが、今は妙に固い表情だ。何かを決めたような……決意の眼差しだな。
「あの……シリウス君」
「どうした? 難しい顔だが食事が合わなかったか?」
「そんな事ありません! ろーすとびーふ凄く美味しいです」
俺の指摘に彼女は慌てて肉を食べたが、すぐに違うと呟きながら首を振った。
「あの、お肉はとっても美味しいんですけど、それじゃないんです。実は……お願いがありまして」
「何だ畏まって?」
リースが居住まいを正していると、何事かと姉弟の注目も集まった。エミリアと一度アイコンタクトを取ると、彼女は意を決して口を開いた。
「私を……貴方の弟子にしてください!」
「は?」
いきなり何を言い出すのやら。周囲を見れば姉弟は満足気に頷いている。何だ? すでに知っていたのかお前達?
「理由を聞こうか」
「はい。私は父様に言われて学校に入ったのですが、何も目標が無かったんです。淡々と魔法を鍛えて精霊が見えるのを隠して過ごしていくと……そう思っていたんです。ですが、今日のシリウス君とレウス君を見て決心したんです。皆が私を助けてくれたみたいに、私も誰かを助けたいって……そう思ったんです」
まるで英雄譚を語るように、憧れの視線が俺に向けられていた。
「でも私は弱いです。精霊に好かれても扱い方が全然わかりませんし、自信がある魔法は回復だけ。だから強くなりたいんです。皆さんの後ろに居るんじゃなくて、肩を並べる為に」
そこまで言い切り、彼女は祈るようなポーズで俺を真っ直ぐ見つめた。しばらく見つめ合うが、目線は逸らされる事無く真剣に見つめ続けていた。冗談ではない……か。
「俺の課す訓練は辛い。あのレウスだって最初は泣き言ばかりだったぞ」
「止めてくれよ兄貴!」
「訓練の厳しさはエミリアから聞いています。皆さんに付いて行けるのがいつになるかわかりませんが、一生懸命頑張ります。だから、お願いします!」
机に頭を打つんじゃないかと思う勢いで頭を下げるリースを姉弟達は心配そうに見つめ、続いて俺に向けられた。何だその捨てられた子犬のような目は? そこまで心配するとは……彼女と本当に仲良くなったんだな。
「精霊に好かれるって事を利用するかもしれないぞ?」
「シリウス君なら大丈夫です。たとえ利用されても、それは悪い事ではないと確信してます」
悪い事ね。させるつもりはないが、彼女は何が出来るのだろう? 水の精霊だから水が増幅されるわけで、津波を起こすなんてありきたりだしー……って、駄目だ。もう完璧に受け入れる思考になっている。
「わかった。俺の弟子になることを許可しよう」
「本当ですか!」
「ああ、ただ本当に厳しいぞ。覚悟しておけよ」
「頑張ります! これからよろしくお願いします、シリウスさん!」
シリウス……さん?
「何で、さん呼ばわり?」
「弟子になるのですから目上の方ですし、先生は学校の先生がいらっしゃいますし、様と呼ぶのも違う気がしますから」
「いや、俺年下だし、君は九歳だよね?」
「その通りですけど、私は教わる立場ですから。お気になさらずどんと構えていてください、シリウスさん!」
うーん……わからなくも無いが、いいのかそれで?
少し疑問は残ったが、こうして俺の弟子が一人増えた。
名前はリース。
水の精霊に好かれた、心優しい女の子だ。
精霊が見えると知られても、最悪自分の身が守れるくらいには強くしてあげようと思う。
姉弟達と抱き合って喜ぶ彼女を見ながら、俺は彼女の訓練プランを考えていた。
彼女は体力より魔法が得意だから、彼女用の専用プランを練らなければなるまい。大変だが、それを考えるだけでもワクワクしてくる。
外の世界に出てまだ半月程度だが、俺達の生活は順調だ。
余談だが、その日エミリアは学生寮に帰る直前まで尻尾を抱いたまま放さなかった。私はもうこの尻尾は洗いませんと言いたげな雰囲気の中、彼女は嬉しそうに俺に話してきた。
「あの、シリウス様。もう一度だけ、私の尻尾を梳いてくれませんか?」
「いいけど、後でちゃんとお風呂に入って洗うんだぞ」
「そんな!」
「当たり前の話だ!」
エミリアよ……お前はどこへ向かっている?
少し短いですが、これで五章が終わりです。
次の更新も三日目になるかもしれません。