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少女の旅立ち





 カレンが旅に同行する事が決まったので、俺たちは集落を旅立つ準備を始めた。

 食糧といった物資を馬車に詰め込むだけなのですぐに終わるだろうが、カレンが一緒ならそうもいかない。

 俺たちが守るとはいえ、さすがに村で過ごすような服で旅は心許ないので、現在エミリアが新しい服を縫っている最中だ。

 エリュシオンの学校で着ていた制服と同じ材質である魔法糸を使い、フレンダとデボラでデザインを話し合いながら進めている。

 その間に俺は洞窟の奥にいるアスラードの下へ向かい、カレンを連れて行く事について報告したのだが、それを聞くなりアスラードは真剣な表情で頼んできた。


『そうか……フレンダとカレンが自ら選んだというのなら、私は止めはせぬ。だが、急ぎでなければ出発は二日程待ってもらえぬか?』


 どちらにしろカレンの装備が完成していないので待つのは一向に構わなかった。

 探せばやる事なんて幾らでもあるので、カレンを鍛えたり、竹を使った細工を広めたりしていればあっという間に二日が経ったので、俺たちは再びアスラードの下を訪れた。

 カレンも連れて来いと言われたから全員でやってきたのだが、洞窟の広間には竜の姿をしたアスラードだけでなくゼノドラとメジアの姿もあった。

 しかし一番気になったのは、アスラードが妙に疲れている点だろう。ここ二日間、彼は洞窟からほとんど出ていなかったらしいが、何かあったのだろうか?

 思わず首を傾げる俺を余所に、アスラードはカレンに近づきながら質問をしていた。


『カレンよ。改めて聞くが、本当に彼等と一緒に行くのだな?』

「うん! おとーさんと一緒に、外で色んなものを見てくるね。帰ったら、アス爺にも話をしてあげる」

『ああ……楽しみにしていよう。だが外へ出るならば魔法だけでは心許ないだろう。シリウスよ、この子への武器はもう用意したのか?』

「まだですね。近くの町に着いたら、この子に合った武器を探そうと思っています」

『それならば必要はない。カレンよ、これを持って行くといい』


 そう口にしたアスラードは一本のナイフをカレンに渡していた。

 黒曜石の如く黒色に輝くナイフは、刃と柄が一体化している様子からおそらく一つの塊を削って作られたものだと思われる。

 とにかく見た目は黒い武骨なナイフにしか見えないが、それは膨大な魔力を秘めていた。

 黒い鉱石を削った武骨なナイフにしか見えないのだが、これは一体?


『それは私の角を削って作ったものだ。まだ幼いお前には少し重たいかもしれんが、直に馴染むであろう』


 言われて視線を向けてみれば、アスラードの頭部に生えた角が少し短くなっているのに気づいた。

 全体からすれば大した損失ではないだろうが、竜族は自らの角を削ったり切り取ったりすると相当痛い上に、恐ろしく硬いせいか削るのも一苦労らしい。つまりアスラードが疲れていたのは、これをずっと削っていたせいのようだ。


「ありがとう、アス爺!」

『人だろうと魔物だろうと簡単に刺さるナイフだからな。使い方には気をつけるのだぞ』

「アス爺でも?」

『ふむ……どうだろうな? この頑丈な鱗ならば通さぬと思うが、私の魔力が長年籠った角でもあるしー……ぬぐっ!?』

「刺さったよ?」


 己の頑丈さを偉そうに語るアスラードの腕を、カレンは貰ったナイフで刺していた。

 軽く突いた程度なので僅かに血が滲んだだけだが、とにかくあのナイフは竜の鱗でさえ貫く鋭さを持っているようだ。

 中々やんちゃなカレンであるが、竜族であるアスラードの頑丈さを理解した上での行動なので手当たり次第やる事はあるまい。

 まあ、今回のは調子に乗った爺さんへのお灸だな。


「カレン。そういう時はきちんと相手に断りを入れてからやるものだ。自分だって急にやられたら嫌だろう?」

「ごめんなさい。でもアス爺なら平気だと思っていたし、アス爺も不思議そうだったから……」

『ははは、この程度なら掠り傷だから心配はいらんぞ。ほれ、もう傷は塞がり始めているだろう?』

「良かった。じゃあ、どこなら刺さらないのかな? アス爺の鱗は堅いもんね」

『刺すのはもう勘弁してくれ』


 見た目も大きさも全く違うが、見ていて飽きない二人である。

 竜族の長も子供には敵わないのだと思いながら眺めていると、ようやくカレンを止める事が出来たアスラードが俺に手を伸ばしてきた。 

 そして目の前で広げられたその掌には、カレンのより一回り大きいナイフが乗せられていた。


『そしてお主たちには、カレンの事と今までの礼を含めてこれをやろう。こっちは私の牙を研いで作ったナイフだ』


 アスラードの話によると、以前からフレンダに俺たちへのお礼について相談されていたそうだ。

 自分だけでなくカレンを救ってくれた恩を碌に返せていないのに、カレンを預かってもらう事になったので申し訳ないと思っているが、何も返せる物がないと悩んでいたらしい。

 俺たちが好きでやってきた事だから気にする必要はないと伝えても、あの人が良いフレンダが納得する筈もないか。

 そんなわけで、親子を見守りつづけてきたアスラードが代わりに何か用意する話となったそうだ。


「そういう事でしたら、遠慮なくいただきます」

『うむ、あの子の養育費も兼ねているから、困ったら売って金にでもするといい』

「金なら魔石や宝石を貰っていますから当分困りませんよ」


 竜族の……それも長となる程に成長した竜の牙で作られているのなら頼りになりそうだ。

 しかし俺はディーから貰った剣に、フィアや師匠から貰ったナイフもあるので武器は十分足りている。

 扱いに少し悩みながらナイフを受け取り、巻かれていた布を外せば、全体が黒く染まった見事な刀身が現れた。


「おお……何か凄いな」

「うん、カレンちゃんのナイフとは違った凄さを感じるね」

「見ているだけで吸い込まれそうな刀身ね。私が持っていたナイフより良いものだわ」

「専門外ですが、とても良い武器です。これなら鉄ですら簡単に切れそうですね」

「なら、エミリアが使ってみるか?」

「よろしいのですか?」


 不足しているわけではないが、俺たちの中で一番攻撃力が低いのはエミリアだからだ。

 それにナイフはレウスには合わないし、リースやフィアには強力な精霊魔法がある。俺の次にナイフの扱いが上手いのはエミリアだからな。


『それはもうお主たちの物だから好きにするといい。私はお主たちの戦力が上がればそれでいいからな』


 全体の戦力が上がれば、それだけカレンを守れるわけだからな。

 しかし当のエミリアが少し困った表情をしていた。


「私に使わせていただけるのは嬉しいのですが、これ程のナイフとなればシリウス様の方が使いこなせると思うのですが……」

「じゃあ、兄貴が持ってるミスリルのナイフは姉ちゃんが使えばいいんじゃないか?」

「良い案かもしれないが、止めておこう。こいつは今まで使ってきた相棒みたいなものだしな」


 手に馴染んでいるし、大切な思い出の品でもあるのだ。限界までは自分が使い続けたい。

 ちなみに師匠から貰ったナイフも他の人には使わせたくない。実は平然と喋れる仕様で、俺の陰で変な事をエミリアに吹き込んでも不思議じゃないし。


「ふふ。そこまで大事に扱ってくれるなら、私もあげた甲斐があるわね」

「こいつには何度も助けられているからな。そういうわけだから、こいつは遠慮なくエミリアが使ってくれ」

「……わかりました。大切に使わせていただきます」


 俺から手渡されたナイフを大事そうに受け取ったエミリアは誇らし気に笑っていた。おそらく従者が主から物を賜るのは信頼の証でもあるからだろう。

 喜びでエミリアの尻尾がパタパタと振られる中、ナイフを眺めていたフィアが何かを思い出したかのように頷いていた。


「そういえば……どこかの風習で、男が女へのプロポーズとしてナイフを送るって話を聞いた事があるわね」

「何だそれ? 武器を貰って嬉しいものなのか?」

「夫以外との操を守る為の自決用らしいわ。別に本気でしろってわけじゃなくて、自分だけの女でいてほしいって意味で送るのよ」

「うふふ。私の全ては、もうシリウス様のものです」


 尻尾を振る速度が止まる所を知らないので、その辺にしてほしいものである。

 他にもゼノドラやメジアからも牙や鱗を分けてくれたので、上手く使えば色んな物が作れそうだ。




 それから明日には出発すると告げて家へと戻った俺たちだが、その中にカレンの姿はなかった。

 またアスラードと話し込んでいるのだと、フレンダとデボラは特に気にしていなかったが、俺はそんな二人を連れて外に出ていた。


「こんな所に連れて来て、一体どうしたんだい?」

「そうよ。まだカレンのお洋服が決まっていないのに」

「実はお二人に見てもらいたいものがありまして」


 いきなり連れ出されて首を傾げる二人と一緒に、俺たちはアスラードが住む洞窟が見える場所へとやってきた。

 見上げる程に高い位置にある洞窟の入口は、空を飛べなければ入る事も出来ないが、現在その大きく開いた入口の前には有翼人の少女が一人佇んでいた。


「あれは……カレン? またアスラード様に遊んでもらっていたんだね」

「今日はアスラード様に送ってもらえなかったのかしら? すぐに行くからね」

「待って下さい。あそこにカレンがいるのは、あの子が二人にどうしても見せたいものがあるからです」


 万が一に備えてホクトを近くに待機させているから、最悪の展開だけは起きないだろう。

 理由がわからない二人を余所に深呼吸を済ませたカレンは、突然その場から空へ向かって飛び出したのである。

 有翼人ならば翼で飛べばいいので焦る必要はないが、片方の翼が歪なカレンでは満足に飛べる筈がないので、自殺行為に等しい事でもあった。

 落下するカレンを助けようとフレンダとデボラが慌てて翼を広げて飛ぼうとするが、その行動は途中で止まっていた。


「え……カレン?」

「どういう事だい? あんなにもゆっくりと……」

「カレンが二人に内緒で行っていた訓練の成果ですよ」


 何故なら、カレンの落下速度が非常に緩やかだったからだ。

 翼を広げて鳥のように滑空し、弧を描きながらゆっくりと下りて来るカレンの姿を二人は呆然と見上げていた。


「その場から飛び上がるのはまだ出来ませんが、高い位置から飛び降りるくらいならもう平気ですよ」

「母さん、カレンが……」

「ああ。多少ふらついてはいるけど見事なものだね。同年代の子でも、あそこまで怖がらずに出来ないと思うよ」

「でも……どうして? カレンの翼だと、あんな風には……」

「カレンの翼をよく見てください」


 疑問を浮かべていた二人だが、俺の言葉でカレンの短い方の翼がぼんやりと光っているのに気づいたようだ。


「魔力というのは圧縮すれば質量を持つものです。カレンは魔力を上手く操って、左右の翼を同じ大きさにしているのですよ」


 そもそも有翼人は、ただ翼を羽ばたかせているだけでは飛ぶ事は出来ない。

 翼に魔力を込める事によって浮力が得られ、翼でバランスを取りながら飛ぶ仕組みらしい。これは俺なりの考察だが、長年の進化によって得た遺伝子的なものだと思われる。


 そしてカレンの場合は翼が歪な為に真っ直ぐ進むどころか、そもそも飛ぶ事さえ不可能だった。

 しかし魔力をコントロールする技術を学んだカレンは、魔力で翼を覆って一時的に大きくしているのである。

 もちろんそれ相応に魔力を消耗するし、更に精密な魔力操作をしなければならないので、現在は滑空しか出来ない上に長くは保たない。他の有翼人が空を飛ぶのに一の魔力を使うとすれば、カレンの場合は四の魔力を必要とする感じだろう。

 それでも……カレンは確かに飛ぶ為の一歩を踏み出したのだ。


「はぁ……はぁ……おかーさん! お婆ちゃん! 見てた?」


 途中で危なげな場面も見られたが、息を乱しながらもフレンダの前で着地に成功したカレンは誇らしげに笑っていた。

 娘に抱きついて喜びを露わにするフレンダだが、気になる事があるのか不思議そうにもしていた。


「本当に凄かったわよ、カレン。でも、どうして飛ぼうとしたの?」

「そうだね。他の子だってまだだというのに……」


 カレンの年齢で空を飛ぶ練習はまだ早いらしい。危険が伴うし、まだ体と翼が成熟していないからだ。

 それゆえに空を自在に飛べるようになれば、有翼人として一人前と言われるらしい。

 カレンはそれを知っている筈なのに、何故俺に頼んでまで訓練して親に見せたがったのか?


「だって、私が大きくなったらおかーさんもお婆ちゃんも平気でしょ?」


 それは……少しでも親を安心させる為だった。

 今まで見た事のない真剣な表情で、飛べるようになりたいとカレンが頼んできた時は不思議に思ったが、その時に見せてもらった本を見て納得は出来た。

 ちなみにその本は旅に出ると決まった後でフレンダから渡された本で、ビートが残した最後の分だそうだ。

 本には旅に必要な知識や技術が書かれていたが、カレンが成長して強くなればフレンダも安心だとも書かれていたので、この子はそれを実践したわけだ。


「そう……ね。もっともっと大きくなって、母さんを安心させてね」

「うん!」


 娘の想いを理解したフレンダは、複雑な感情を必死に抑えながらも、カレンの頭を慈しむように撫でていた。





 次の日……俺たちが旅立つという事で、多くの有翼人と竜族が見送りに来てくれた。

 最初は忌避されていたものだが、カレンやフレンダを救った事や料理を教えた御蔭だろう。

 俺たちは集落の人たちから別れの言葉を掛けてもらいながら、最後の準備と親子だけの別れをしているカレンが家から出てくるのを待っていた。


「……遅いね、カレンちゃん」

「しばらく母親と会えなくなるんだ。焦らずに待つとしよう」

「ま、まだかカレン? 俺はそろそろ限界だぞ!」


 背後から妙に情けない声が聞こえたかと思えば、集落に住む子供たちがレウスに群がって大変な事になっていた。

 裏表のない性格に加え、訓練の合間によく遊んであげていたので懐かれてしまったらしい。


「レウスお兄ちゃん! 行かないで!」

「そうだよ! もっと遊んでくれよ」

「だから駄目だって。俺は兄貴と行かなくちゃいけないんだよ」

「嫌だー!」


 腕や足にしがみつく子供たちを力尽くで引き剥がすわけにもいかず、親たちが必死に宥めている中、ようやくカレンがフレンダと一緒に家から出て来た。

 個人的な物を持って来なさいとは伝えていたので、カレンは革製の袋を重そうに抱えているのだが……。


「パンパンに詰まっているよな……あれ」

「着替えや日用品はもう馬車に積んでありますし、何が入っているのでしょうか?」

「おとーさん、準備出来たよ!」

「あはは……」


 首を傾げる俺たちを見てフレンダが苦笑しているので、どうも嫌な予感がするな。


「カレン。そんなにも何を持って行くつもりだ? 必要な物だけだと言った筈だろう」

「そうだよ?」

「じゃあ、何が入っているか見せてくれないか?」

「……必要な物なの!」


 質問を拒否するように袋を体で隠そうとするが、その反動で袋から何かが落ちて地面を転がった。

 それを確認した俺たちは一斉に頷き、無言でカレンを取り囲んでいた。


「……強制捜査を実行する」

「だ、駄目なの! これはカレンのー……あーっ!」

「…………蜂蜜だな」

「蜂蜜ばかりね」


 袋には容器に入れた蜂蜜がぎっしりと詰まっていた。

 何度かカレンに強請られて蜂蜜を採取しに行ったが、どうやら俺の知らないところでこっそりと自分用に確保していたらしい。まさかこんなにも隠し持っているとは思わなかったな。

 結果……中身の八割近くが蜂蜜だった。

 保存食と考えるにしても明らかに過剰なので、必要な分を除いて残りは全て家へ置いて行く事に決まった。


「カレンの蜂蜜……」

「そんなに持ち歩かなくても、旅の途中で採取すればいいじゃない」

「フィアの言う通りだな。現地調達は旅の基本だぞ?」

「うん。でも……」


 まだ未練が残っているので、早く出発した方が良いかもしれない。放っておくと、隙を見て取りに戻りそうだし。

 そしてレウスの方も落ち着いたところで、フレンダが俺たちの前に立って深々と頭を下げてきた。


「皆さん。こんな食いしん坊な娘ですが、どうかよろしくお願いします」

「こういうのは慣れていますから、お任せ下さい」


 うちにはもっと食いしん坊な二人がいるからな。それに食いしん坊でも、蜂蜜限定なら可愛いものである。

 偶にはこの集落へ帰ってくると伝えてはいるが、やはり不安は拭えないと思うので、俺は改めて宣言するようにフレンダへ告げた。


「フレンダさん。貴方の娘さんは責任を持って預かります。ですから、俺との約束も守ってくださいね」

「……ええ。貴方に負けないよう、精一杯頑張るわ」


 フレンダの目が赤いのは、きっと家の中で娘を抱き締めながら泣いたからだろう。

 それでも、目標を見据えた活力の溢れる目で彼女は頷いてくれたので、俺も安心して旅に出られそうだ。


 そして俺たちの馬車を抱えたゼノドラと三竜たちの背中に乗り、集落を出発しようとしたところで、カレンはフレンダに向かって叫んだ。


「おかーさん! カレン、頑張るからね!」

「カレン、こういう場合は違うと思うぞ。それと……あれを忘れていないか?」

「あ、そうだった。じゃあ……行ってきます。お母さん!」


 最後に、舌足らずだった母親の呼び方をしっかりと口にしたカレンにフレンダは呆然としていたが、すぐに大きく手を振って娘と俺たちを見送ってくれるのだった。




『では、達者でな。今度訪れる時は空に何か合図を出すといい。すぐに迎えを寄越そう』

『色々と勉強になりました』

『困った事があれば、いつでも呼んでください』

『ホクトさんとレウスもお元気で!』


 竜の巣の入口である森の前に下ろしてもらい、ゼノドラたちと別れを済ませた俺たちは、次の目的地であるサンドールを目指して馬車を進めていた。

 近くの街道へ向かって道なき道を進む中、俺たちは遠くなっていく竜の巣を馬車の中から眺めながら語り合っていた。


「ちょっと遠い場所にあるけど、居心地の良い集落だったね」

「はい。違う種族でもお互いを尊重していますし、穏やかで過ごし易かったです」

「俺たちや爺ちゃんが住んでいた集落に似た感じだったよな」

「そうだな。落ち着いたら、ああいう所に住みたいものだな」


 俺は永久に旅を続ける予定はないので、いつかは終わりを迎えて腰を落ち着ける時が来るだろう。

 三人も妻を娶れば子供も多いだろうし、ゆっくりと自分の子や教え子たちを育ててみたいものだな。

 まあ、未来の話は置いといて今はカレンだ。


「集落を出る前はあんなにも元気だったのに。やっぱり寂しいのね」


 あんなにも旅を楽しみにしていたカレンだが、馬車の後部に座って流れる景色をぼんやりと眺めていた。

 今までは外への憧れや好奇心もあって気にならなかったのかもしれないが、実際に故郷から離れる事によって実感し、寂しさが一気に押し寄せてきたのだろう。

 幼い子供は本能的な行動が多くなるものだし、これも仕方がない事かもしれない。


 そんな哀愁を漂わせるカレンの背中だが……どこか様子が変だ。

 すると俺と同じ疑問を抱いていたエミリアが鼻を動かすなり、旅の物資を仕舞っている箱を突然漁り出した。


「……シリウス様。蜂蜜が一つ減っています」

「お、俺じゃないぞ!?」

「私もだよ! あ、そういえば、さっきカレンちゃんがそこにいたような気が……」

「俺たちの目を欺く見事な腕だな。蜂蜜限定かもしれないが」

「どちらにしろ旅の備蓄を勝手に食べるなんていけない子ね。叱りたいところだけど、今のカレンには厳しいかしら?」

「まあ、今回だけは特別だ。すまないが、後は俺に任せてくれないか?」


 頷いて静かに見守ってくれる妻たちに見守られながら、俺は蜂蜜を指で掬って食べているカレンの横に座った。

 いつもなら満面の笑みで食べている蜂蜜なのに、今のカレンは無表情で食べ続けている。


「美味いか?」

「っ!? カ、カレンは何も食べてないよ?」


 俺の言葉に慌てて蜂蜜を背中に隠したが、それだとエミリアたちに丸見えだ。

 とりあえず気付かない振りをしておいたが、これは俺が隣に座るまで気付かないくらい上の空だったという事でもある。

 好物を食べて誤魔化しているのだろうが、ここははっきりと伝えておかねばなるまい


「カレン。今ならまだ、母さんの所へ帰れるぞ? 恥ずかしいかもしれないが、お前の年齢なら家に帰りたいって思うのは当然の事だからな」

「……ううん。パパの本に……泣き虫になっちゃ駄目だって書いてあったから」

「そうか」


 俺をお父さんと呼ぶようになったので、ビートの事はパパと呼ぶようになったらしい。

 そんなビートが最後に残した本には、旅に必要な技術や知識だけでなく心構えも書かれていた。


 旅とは、新しき出会いや不思議なものを見つける楽しさだけじゃなく、酷い現実や親しき者との別れといった恐怖や悲しみもある。

 そういう負の感情に押し潰されないように、我慢と忍耐を磨くように……とも書かれていたのである。


 おそらく十分に成長した子の為に残したものなので、幼いカレンには難しい内容ばかりだったが、簡単に泣いたり諦めては駄目だというのは理解したようだ。

 それは間違ってはいないのだが……。


「でも、泣き虫が駄目っていうけど、泣いたら駄目ってわけじゃないだろ?」

「泣いたのに、泣き虫じゃないの?」

「ああ。故郷や母親を思って泣くのは悪い事じゃない。大切なのはいつまでも泣いているんじゃなくて、また会える事を楽しみにする事なんだよ」

「また……会えるんだよね?」

「いつになるかはわからないけど、必ずカレンの家に帰ってくるよ。それまでに泣き虫じゃなくなればいいのさ。我慢もいずれ覚えればいいし、今は……な?」

「……うん……うぅ……」


 こういう時は我慢せずに泣くのが一番だろう。

 特に幼い子の場合、色々と溜め込んでしまうと情緒不安定になりそうだからな。

 それにあの本に書かれた心構えはカレンが十分に成長した場合の話だし、今は一緒にいられるようになったんだから俺がゆっくりと教えていけばいい。


 義理ではあるが、娘の頭を撫でてからゆっくりと胸元へ引き寄せてやれば、カレンは嗚咽を堪えるように泣き出した。


 カレン……泣き虫が駄目とは言うが、母親や故郷が恋しくても帰りたいと叫ばないお前は本当に強い子だ。

 だから、そんなお前の成長を隣で見届けさせてくれ。

 お前の師として、父親として、俺が精一杯見守っていくからな。


 この日……別れを経て少しだけ成長した少女は、外の世界へと歩み出したのだった。






 ――― フレンダ ―――






「本当に、これで良かったのかい?」

「……当たり前じゃない。カレンには、ビートも認めてくれそうな先生が一緒なんだから」

「違う、カレンじゃなくてフレンダの事だよ。あの子がいない生活に、あんたは本当に耐えられるのかい?」


 母さんが心配するのも無理はないと思う。

 過去にビートを亡くし、何をするにも塞ぎ込みがちだった私を見てきたからだ。

 更に夫を失った悲しみを、娘であるカレンに依存していた姿も知っているから尚更だと思う。


「正直……わからないわ」


 考えれば考える程、嫌な考えばかり浮かぶ。

 最後に私の事をお母さんと呼んでくれた姿を最後に、もう二度とカレンと会えなくなるかもしれないから。


「けどね、このままカレンと一緒にいても、私も駄目だって事に気付かされたから」


 彼等と出会った事により、カレンだけじゃなく私も成長しなければならないんだと教えられた。

 お互いに足を引っ張り合うなんてしたくないもの。


「それにシリウス君と約束したわ。頑張って上達して、あの子に美味しい料理を食べさせてあげないとね」


 カレンを預ける条件としてシリウス君が父親代わりになったけど、彼は他にもこんな事を言ってきた。



『もう一つの条件ですが、こちらに書いてある食材を作る事と、料理を作れるようになる事です。カレンに必要な事なので』


 渡されたのは小さな本で、中にはシリウス君が書いた料理のレシピや、食材の作り手順が事細かく書き込まれていた。


『俺が旅の間に書き溜めた料理のレシピと、その料理に必要な食材の作り方です。長時間の熟成や発酵が必要なものばかりですから、旅の間では難しくて』

『これが条件なの? カレンとそこまで関係がなさそうだけど……』

『俺たちがまた戻って来た時、これに書かれた料理をカレンに作ってあげてください』



 初めて聞いた時はちょっと耳を疑ってしまった。

 別に料理を作るのは嫌いじゃないけど、シリウス君たちが作る料理の味を知っている以上、かなり厳しいと思ったから。

 将来、カレンに食べてもらって、シリウス君の方が美味しいって言われたら……中々酷かもしれない。


「でも、難しいからこそ……よね?」


 これはきっと、娘だけしかなかった私に新たな目標を持てという事だと思う。

 だって本には色んな料理があって、読んでいる内にあの子へ美味しいものを食べさせてあげたいって思えるようになってきた。

 それに必要な食材調達はゼノドラ様たちも手伝ってくれるそうだし、やれるだけやってみようと思う。


 そうだ、私たちの代わりにアスラード様がお礼の品を用意してくれたから、恩返しも含めて新作料理を沢山ご馳走しよう。

 早くても熟成に一ヶ月は必要なものが多いし、取りかかるなら早くした方が良さそうね。

 私はあの子が飛び去った方角を眺めながら、誓うように呟いていた。


「行ってらっしゃい、カレン。お母さんも……頑張るからね」













 ――― 残されし本の一節 ―――







 僕の子へ。

 君はどんな子なんだろう?

 男の子かな?

 女の子かな?

 いや、どちらでも構わない。だって僕は君が無事に生まれた事が何よりも嬉しいから。


 そしてこれを読んでいるという事は、君が旅に出ると決めたからだろう。

 母さんと、故郷から離れるのは凄く寂しいと思うけど、簡単に泣いちゃ駄目だ。

 旅というのは寂しい事や悲しい事が沢山あって、我慢が必要な時が多いからね。

 仲間が見つかれば頼ればいい。

 常に冷静で、自分の能力を把握して困難を切り抜けるんだよ。


 でも、もしこれを読んで旅が怖くなったり、母さんと別れるのが寂しいのなら、止めても構わないんだよ?

 だって君がやりたい事は君が決める事なんだからね。

 僕はただ、君の好きなように生きてほしいと願っている。


 けど一つだけ言えるとしたら……体だけじゃなく心も強くなりなさい。

 人や魔物に襲われても大丈夫なくらい強くなって、母さんを安心させてほしいんだ。


 君を抱きしめる事も、名前を呼んであげる事すら出来ない父親だけど、僕は君を愛している。

 やりたい事を見つけたら、精一杯やりなさい。

 君が自由に生きて、元気に育ってくれる事が、僕にとって何よりの幸せなのだから。











 おまけ その1


 その頃のG



 ヒュプノ大陸にある港町の一つに、巨大な剣を背負った爺さんと、二本の剣を携えた青年が船から降り立った。


「ここがヒュプノ大陸ですか。僕は来るのは初めてですが、結構寒いですね」

「うーむ……この寒さ、久しぶりじゃな」

「久しぶりって、この大陸の出身だったんですか?」

「そうではないが、隠居する前に一番長くいた大陸じゃな。中々切り応えのある魔物がいるんじゃが、久しぶりに行ってみるかのう」

「止めてください」


 確実に魔物に囲まれ、また自分が死にそうな目に遭うと予想がつく。

 とにかく話を変えようと、青年は船に乗っている間に聞いた話題へと変えた。


「そういえば、この大陸のどこかに竜族が住む山があると聞いたのですが、挑んだ事があるのですか?」

「あるにはあるが、何度行っても道に迷うから諦めたわい。わしより数倍でかい程度の蜥蜴や、弱っちい竜しか出て来んかったのう」

「迷って……」

「そうじゃ! 今は小僧がおるから道に迷う事もあるまい。どれ、ちょっと行ってー……」

「止めてください」


 青年が新たな地獄を体験するまで、あと……。









 おまけ その2


 リベンジバレンタイン(一日過ぎていますが、気にしないでください)

 ※詳細は過去の活動記録をご覧ください。



 去年……バレンタインの企画を知った女性陣とレウス。

 シリウスの為に色々と作った女性陣だが、一番豪華なチョコを作ったのがレウスだった。

 そんなわけで今年は……。


「今年はレウスより良い物を作りましょう」

「そうだね。大切なのは気持ちだけど、去年の悔しさはごめんだもの」

「レウスに負けるのは女として情けないものね。頑張るわよ」


 今年に至っては秘策があったので、彼女たちは自信満々であった。

 師匠から幾つか情報を教えてもらえたので、新しいチョコを作る事が出来たからである。

 ガトーオペラに、ナッツや果物等を使った様々なチョコを作った女性陣は、途中で見つけたレウスに報告をしていた。


「チョコ? 作ろうかなと思ったけど、去年の兄貴が微妙な顔をしていたから、今年や止めておこうかなー……って、どうしたんだ姉ちゃん? 笑ってるけど、何か怖いー……ああーっ!?」




 その頃……。


「……今年はお前か」

「オン!」


 ほとんど意味がなさそうな三角巾とエプロンを付けたホクトが、肉球の形をしたチョコレートをシリウスに持ってきたのである。


「いや、嬉しいし見事だと思うが……どうやって作ったんだ?」

「……オン」


 訳……企業秘密です。








 次回予告


 ミート・ライオルで調子に乗った作者がまた暴走する事にしました。

 シリアス展開を考え、その話を書いている最中に浮かんだ小ネタたちを披露したいと思います。



 次回……ミート・ホクト



 更新は未定ですが、お楽しみに。


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