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落とされた翼

遅れて申し訳ありません。


18章……開始です。

「シリウス様。紅茶をどうぞ」

「ああ、ありがとう」


 獣国、アービトレイを出発してから数日……俺たちは街道から少し外れた広場に馬車を停めて休憩していた。

 馬車を引っ張るホクトの体力なら一日中走っても問題はないのだが、急ぐ旅でもないのでのんびりと進んでいる。


 そんな中、俺はエミリアに淹れてもらった紅茶を飲みながら、少し離れた場所で模擬戦をしているホクトとレウスの様子を眺めていた。


「オン!」

「っと……ふっ!」


 反撃はせず、ひたすらホクトの攻撃を捌き続ける防御の訓練なのだが、レウスは何とか反応出来ているようだ。

 凄まじい速度で繰り出されるホクトの前足を、確実に大剣で捌き続けている。


「……オン!」

「この……ぐあっ!?」


 どうやらホクトが強さを一段階上げたようだ。

 尻尾の一撃も加わり始め、遂に反応が間に合わなくなったレウスは腹に一撃もらって吹っ飛ばされていた。


「オン!」

「つぅ……ま、まだやれる!」


 何を言っているかわからないが、おそらくホクトは立てと言っているのだろう。

 レウスはすぐに立ち上がり、乱れた息を整えながら再びホクトとの模擬戦を再開していた。この調子なら、あれが開花するのもそう遠くはあるまい。


 一方……リースとフィアは向かい合って相談しながら魔法の訓練を行っていた。


「これでどうかな?」

「……駄目ね。まだ水が重たくて、風が嫌っているみたいね」


 二人がやろうとしているのは精霊魔法による合体魔法らしいが、やはり精霊の気まぐれによって上手くいっていないようだ。

 しかし簡単に諦めるような二人じゃないし、何事も試行錯誤が大切だ。しばらくは何も言わず見守っているとしよう。


 そんな風に各々が自由にしている中、俺とエミリアはアービトレイで手に入れたヒュプノ大陸の地図を広げて道を確認していた。


「この調子なら……明日には近くの町に到着出来そうだな」

「そしてこの町を通り、こちらの山を大きく迂回する街道を通って……サンドールですね」

 

 サンドール。

 別名、帝国とも呼ばれる国が俺たちの目指している場所だ。

 古くから存在し、歴史あるサンドールはこの世界で一番大きい国らしい。

 ただ……大きい分だけ闇もまた深そうである。特にフィアやホクトといった目立つ存在がいる俺たちの場合は色々とありそうな予感がする。

 そんなわけでサンドールへはしっかりと情報を集めてから最後に向かう予定だったが、俺は少しだけ予定を早めてサンドールへ向かっていた。


 話は数日前に遡る。






「ぐあああぁぁ――っ!?」

「だあああぁぁ――っ!?」


 ベルフォードの事件から一ヶ月後……今日も朝からレウスとキースの叫び声が城中に響き渡る中、俺は一人で獣王の執務室に訪れていた。


「朝早くから申し訳ありません」

「こちらも作業中で悪いな。何かあるならそのまま遠慮なく言ってくれ」

「そろそろここを発とうかと思いまして」

「……そうか」


 俺の言葉に獣王は作業を中断し、使用人に紅茶の用意を頼んでからこちらに顔を向けてきたが、その表情は残念そうにしながらも穏やかなものだった。

 すでに何度も引き止めているので、さすがにもう無理だと理解しているからだろう。


「皆も寂しがるだろうな」

「俺たちもです。ここは居心地は良かったのですが、やはり俺たちは冒険者ですのでいつまでもここに居座るわけにはいきませんので」

「こちらこそ無理を言って長々と滞在させてすまなかったな。出発は何時の予定だ?」

「準備は整えていますので、明日、明後日には旅立とうと思っています」

「わかった。報酬もすぐに用意させよう。お前たちには色々と世話になったからな……これで足りそうか?」


 そこまで急ぐ旅でもないのだが、俺はまだ世界の半分も巡っていないからな。

 しかし出発しようとするとメアが悲しそうな表情で引き止めてくるので、自然と獣王一家全員で引き止めてくるわけだ。

 必死な引き止めを何度も繰り返す内に一ヶ月も経ってしまったが、昨夜ようやくメアが納得してくれたので出発出来そうである。

 そして獣王が俺たちの功績と報酬を纏めた紙を差し出してきてので確認したのだが……。


「……これは少し多過ぎでは? 幾つか頼み事もしましたし、これの半分でも十分ですよ」

「大々的に公表は出来なかったが、お主たちは我が国を救ってくれたのだぞ? それにお主の頼み事は我々にも有意義だったからな」


 ちなみに俺が頼んだ事だが、ガルガン商会に連絡をとって食材や香辛料の補充を頼んだのである。

 国を使って頼む事かと突っ込まれそうだが、以前俺がここには存在しない食材等を使って獣王一家に食べさせてみたら非常に気に入ったらしく、それ等を取り扱っているガルガン商会の存在を教えたらすぐに連絡を取り出したのだ。

 遠く離れた大陸間だというのに、あっさりと貿易を始めようとするその決断の早さには驚いた。どうやらメアが食事嫌いにならないようにと試行錯誤をした結果、気付けば食事に関して並々ならぬ拘りを持つようになったらしい。

 そんなわけで俺もそれに便乗して手紙の配達や食材の補充を頼んだわけである。その輸送費を差し引いたり、現物支給で貰える魔石の分を考えれば報酬の半分が吹っ飛んでもおかしくはないだろう。


「メアリーと妻のわだかまりが解ける切っ掛けに加え、何より娘を身も心も成長させてくれたのだ。私の個人的な報酬も入っているから遠慮はいらんのだぞ? そこまで気になるなら……これでどうだ?」

「……わかりました。ありがたくいただきましょう」


 二割ほど削られても十分過ぎる金額だが、ここまで言われては受け取るのが礼儀であろう。

 アービトレイに訪れた理由は金策が目的の一つでもあったが、何だかんだありつつも達成出来たわけだ。これでしばらくは大丈夫だろう。

 他には何か変な褒美が入っていないか確認していると、獣王は少しだけ真剣な表情で机の書類を探りながら俺に聞いてきた。


「実は私からも聞きたい事があるのだが、お前はサンドールという国を知っているか?」

「噂だけでしたら。確かこの世界で一番大きいと言われる国……ですよね?」

「そうだ。このヒュプノ大陸の最北端……我がアービトレイと反対側に位置する国だ。実は半年後、そこで大陸間会合レジェンディアが行われることになっていてな」


 大陸間会合レジェンディアとは……十年に一度、各国の重鎮や王が前回決めた国に集まり、自国の状況や近況を語り合う世界の会合だ。

 この会合に参加出来るのは大きな国のみで、参加国はそれほど多くはないそうだ。参加表明出来る国もまたこの会合によって選ばれる。この会合に参加出来る時点で大きな国だと認められているので相当名誉ある事らしい。


「前回は二つ隣のフォルテ大陸にある国で行われたな。気にくわん態度をとる国もあったが、中々有意義な会合であった」

「冒険者である私たちからすれば色々と堅苦しそうですね」

「そしてお主があのマントを貰っているエリュシオンも大陸間会合レジェンディアに参加しているのだが、エリュシオンの王について色々と教えてほしいのだよ」

「エリュシオンも? いえ……どうしてそのような事を知りたいのですか?」

「あれ程の実力を持つお前たちが手を貸している国なのだから、エリュシオンの王はさぞ優れた人物なのだろう? 前回は他の国が鬱陶しくて碌に会話も出来ず終わったが、今回は積極的に話しかけて友好を結ぼうと思っているのだ」


 実は獣王だけには俺は従属しているのではなく、縁があってマントを貰っているとだけ説明している。

 ちなみに俺自身の考えだが、エリュシオンには手を貸しているというより、娘であるリースを預かっているので少し贔屓している感覚だな。

 とにかくそんなわけで、獣王はエリュシオンの王……カーディアスの人柄とか趣味について事前に聞いておきたいらしい。


「それにエリュシオンの王から同じ匂いを感じる……というべきなのかな? とにかく惹かれるものを感じてな」

「ああ……何となくわかります」


 親馬鹿……娘を可愛がる点でシンクロしているのだろうか?

 そういう面で気が合いそうな感じもするが、自分の娘の方が可愛い……と、喧嘩になったりしないだろうな?


「とにかく政治的な意味は全くないのだ。彼はまともそうだったし、ただ縁を深めたいだけなのだよ」

「……わかりました。カーディアス様は王として優れた器を持ち厳格な御方でもありますが、実はかなり気さくな御方でー……」


 とりあえずカーディアスの性格といった無難な事や、獣王と同じく娘を可愛がっている点を教えてみた。

 しばらくここで暮らしてみて、俺は獣王の人柄は十分に理解しているつもりだ。彼なら人の弱みを突くような愚かな真似はしないだろう。


「それと俺の仲間であるリースは優れた治療魔法使いなので、エリュシオンでは聖女とも呼ばれていました。カーディアス様はその聖女も娘のように可愛がっていたので、リースの事を話題にして称えてみれば機嫌が良いかもしれません」

「確かに、あの子の水魔法と治療魔法は素晴らしいものだったな。覚えておくとしよう」

「……娘を自慢し合って、喧嘩をしないようにしてくださいね」

「それは理解している。親である以上、自分の娘が可愛いものだろうしな」


 ……なら良いのだが。

 似た者同士で気は合いそうな感じもするが、揃って親馬鹿なので不安に思うのも仕方がないと思う。




 それから獣王からサンドールの情報を幾つか貰い、その日の夜には早速俺に宛がわれた部屋へ全員を集めて情報を共有していた。


大陸間会合レジェンディアですか。国全体が慌ただしくなりそうですね」

「そうなると国の警備が厳しそうだし、本当ならそれが終わってから向かうべきなんだろうけど……シリウスは行くつもりなんでしょ?」

「ああ。カーディアスさんが来るみたいだし、ちょっと会いに行ってみようかと思ってな。リースもお父さんに会いたいだろ?」

「それは……本当にいいの? 前に話し合った時、サンドールには最後に向かう予定だったよね?」

「どちらにしろ行く事に変わりはないんだ。それが少し早まっただけの話だから気にするな」

「ありがとう。ふふ……父様元気にしているかな?」


 エリュシオンを旅立ってから寂しがる様子は見られないが、やはり父親に会えるとなると嬉しいようだ。

 嬉しそうに笑みを浮かべているリースの横で、レウスが珍しく考え込んでいる様子が見られた。


「なあ兄貴。俺の勘だけどリーフェ姉も来そうな気がするぜ?」

「……ありえるな」


 半月前、リースはガルガン商会を通じてリーフェル姫とカーディアスに手紙を出していたからな。

 現在いる大陸も書いていたようだし、次期女王だから勉強の為……とか口にしながらリーフェル姫も来る可能性も高いだろう。


「会えるかどうかわからないが、将来の楽しみに取っておくとしよう」

「リースのお姉さんとお父さんか。私も挨拶しないとね」

「姉様も父様もフィアさんを知ったら驚くだろうなぁ……」


 特に反対意見もないので、こうして俺たちの目的は決まった。




 それから出発の日……俺たちは城の前で獣王一家と別れを済ませていた。

 レウスとキースがお互いの拳をぶつけ合い、女性陣がメアとイザベラと話をしている中、俺は獣王と向かい合って握手を交わしていた。


「お前たちならば心配はないと思うが、道中気をつけるのだぞ」

「お気づかいありがとうございます。では、半年後にまた会いましょう」


 すでに獣王たちには、大陸間会合レジェンディアに合わせてサンドールへ向かうと説明はしている。

 このまましばらくここで過ごし、自分たちと共にサンドールへ向かわないかと提案もされたが、俺は大陸を見回りながら向かいたいので遠慮した。

 そして獣王との握手を終え、続いて女性陣との挨拶を終えたメアが俺に体当たりをする勢いで抱き付いてきたのである。


「お兄さん……私ね、お兄さんと皆と一緒で凄く楽しかった!」

「ああ、俺もメアの先生になれて楽しかったよ」

「お兄さんが教えてくれた事……私、頑張って続けていくから。そして……もっともっと強くなるからね」

「また無理して倒れたりするんじゃないぞ? そして自分一人でー……」

「うん! 皆と一緒に相談しながら……だよね?」


 俺からゆっくりと離れたメアの目には涙が浮かんでいたが、こちらを見上げるその表情は笑顔であった。

 泣き顔ではなく笑顔で見送ってくれるのか。最後にまた心が成長してくれたようだな。

 最後にメアの頭を撫でてから馬車に乗り込み、俺たちは出発しようとしたのだが……。


「整列!」


 突然ホクトを拝んでいた兵士たちが道を作るように整列し、俺たちをパレードのように見送ろうとしているのである。

 そんな状況に俺たちは呆然としていたが、犯人と思われる獣王はただ笑うだけであった。


「ホクト殿への敬意もあり、皆喜んで協力してくれたぞ。さあ、遠慮なく行くといい。お前たちが再びここを訪れてくれた時には盛大に歓迎しようぞ」

「……歓迎なんかより、普通に見送ってくれません?」


 俺たちはただの冒険者だと必死に説得し、何とか普通に見送ってもらえたが……出発する前から何故こんなにも疲れなければならないのやら。


 ちなみに企画の段階では、住民にも協力してもらって町の外まで列を作るもあったそうだが……そちらは中止になったそうだ。

 さすがに国全体となると止める事は不可能だったと思うので、中止になってくれて本当に良かったと思う。






 ……とまあ、色々とありつつもアービトレイを出発した俺たちは、半年後までにサンドールへ到着する予定で旅を続けているわけだ。


 確認が終わって地図を仕舞うと同時にリースとフィアが戻ってきたので、エミリアはすぐに人数分の紅茶を用意していた。


「合体魔法の調子はどうですか?」

「うーん、もうちょっと……かな?」

「もう少しでお披露目出来ると思うわ。ところでシリウスの方は終わったかしら?」

「ああ、皆が紅茶を飲み終わったら出発するとしようか。ホクト、レウス。その辺でー……」


 止めておけと振り向いてみれば、ばつが悪そうに視線を逸らすホクトと、大の字に倒れているレウスの姿があった。


「クゥーン……」

「……手加減に失敗したと仰っていますね」


 通訳がなくてもわかる状況である。

 ホクトは気不味そうにしているが、それも仕方がないと思う。なにせ最近のレウスは様々な行動を試すようになり、時折予想だにしない動きをしてくるからだ。

 成長が嬉しい反面、こちらも色々と大変になってきた。嬉しい悲鳴とはこういう事だろう。


「……休憩は延長だな」

「そうね」






「まだまだホクトさんには敵わねえなぁ……」


 しばらくするとレウスは何事もなかったように目覚めたので、移動を再開した俺たちは森に覆われた街道を進んでいた。

 一応レウスは大事をとって馬車に乗せてはいるが、すでに体を動かしたくてうずうずしているようだ。やられてきた経験は相当あるので回復が早い。


「なあ兄貴。俺はもう大丈夫だから走ってもいいか?」

「駄目、もうしばらく休んでいなさい。暇なら負けた理由をしっかり思い出していろ。イメージトレーニングも大事だぞ」

「うーん……負けた理由か。ホクトさんの動きって早過ぎるから、数手先まで考えるのが間に合わないんだよな……」

「私からすればホクトの攻撃が見えるというか、少しでも先を読んでいる時点で凄いと思うわよ」

「何度も戦っていればフィア姉だってわかるようになるぜ。ちなみに兄貴はグネグネした動きで予想が全く出来なくて、ホクトさんはぱぱっと来るから避け辛いんだよな」

「……よくわからないわね」

「たぶんレウスしかわからないと思いますよ」


 あるいはライオルの爺さんくらいだろうな。

 順調に成長しているのは良いのだが、人に教えるのが苦手なのは相変わらずである。あんな擬音による説明しか出来なくても、本人はしっかりと理解しているのだからわからないものだ。

 そんなレウスを少し呆れながら眺めていると、突然馬車の動きが止まり、ホクトが鼻を動かして周囲を警戒し始めたのである。


「……オン!」

「どうしたホクト、敵襲か?」

「シリウス様。何かがこちらに接近しているとの事です」


 すぐさま『サーチ』を放ってみれば、どうやら俺たちの進行方向から馬車が迫ってきているようだ。

 ここは街道なので冒険者や商人とすれ違う事は珍しくはないが、馬車の速度が明らかにおかしい。

 まるで何かから逃げているようでー……。


「……ホクト。街道から少し逸れて道を譲るんだ。そして俺たちはー……」

「戦闘準備は万全です」

「俺もだ!」

「私も大丈夫だよ」

「精霊も警告してきたわ。相当な数のようね」


 精霊のお墨付きも出たし、やはり向こうの馬車は魔物に追われているようだ。

 この街道は馬車同士でもすれ違える広さはあるが、あの様子だとぶつけられる可能性もあるので、俺たちの馬車を少し離れた位置に移動させておく。

 そして戦闘準備を終えてしばらく待っていると、全力で馬を走らせている馬車と、その背後から迫る多くの魔物を肉眼で捉えた。


「やはり追われているようだな」

「何とか逃げているようですが、あのままですと馬の体力が保ちません。すでに不味い状況ですね」


 馬車の背後に視線を向けてみれば、ホクトを二回り小さくした黒い狼型の魔物、メルキウルフを数十体近く引き連れているだけでなく、その頭上には巨大な蜂の魔物が数十匹もいるのである。


魔花蜂まかばちもいるのか。あれは巣を襲わない限り襲ってくる魔物じゃないんだが……下手を打ったか?」

「あの蜂は森の奥深くに巣を作るからね。そう考えると先に襲われたのは蜂の方かしら?」


 あの魔物の巣から取れる蜂蜜は栄養がある上に美味しいが、確保する為に巣を守る大量の魔花蜂を相手にしなければならない。

 更に蜂一匹の大きさは俺の片腕はあり、そんなのが百近くも同時に襲ってくるのだから堪ったものではあるまい。正に数の暴力であり、狼の方より遥かに厄介な存在だ。

 それ相応の実力か、入念な準備をしていれば巣を狙えなくもないが、蜂だけでなく狼にも追われている時点で何か不慮の事故でもあったのだろう。


「別に助ける義理はないが、一緒に逃げるわけにもいくまい。魔法で援護くらいはしようか」

「わかりました」

「任せなさい」


 見たところ馬車の後部から矢を放ったり、適当な物を投げて魔物が馬車に取りつくのを阻止しているが、それ以上の数が迫ってきているのでキリがなさそうだ。

 俺たちも遠距離から魔法を放って魔物を狙うが、馬車へ当たらないように気をつけなければいけないので、あまり積極的に狙えず効果が薄い。

 そして遂に蜂が群がり出している馬車が俺たちの前を通り抜けようとしたところで、御者台で手綱を握っていた男が俺たちの存在に気付いて大声を上げていた。


「お前たち! 早く逃げろ!」

「何をしている! 奴等をー……」


 しかし馬車内部からこちらを見ていた男が叫ぶ事により、馬車は一切速度を落とす事なく俺たちの前を通り過ぎて行った。

 そして……。


「……見事に団体さんだな」

「ええ、酷い連中ね」


 馬車を追いかけていた魔物の大半が俺たちに襲いかかってきたのである。

 あの状態で馬車を停めるのは無理な話だろうし、こうなる事もある程度予想はしていたが……全体の八割近くも来たのは予想外だった。

 馬車を一心不乱に追いかけていたのに、これ程の数が襲ってくるのはおかしい。


「……この臭いは何だ?」

「あれだよ兄貴。さっき馬車が落としたやつだ」


 すでに見えなくなっているが、俺たちの前を通り過ぎる時に馬車は大きな鉄の箱を落としていたのである。

 頑丈そうな鉄の箱は俺がギリギリ入れそうな大きさで、僅かな隙間しか見られず中身がよくわからないのだが、何か強烈な臭いを発しているのである。


「うう……何だろうこれ? 妙に鼻に刺さるというか、あまり嗅ぎたくない臭いだね」

「どうやら魔物を惹き寄せる実を使ったみたいね。けど、こんなにも強い臭いを撒き散らすなんて正気の沙汰じゃないわ」

「ああ。それに偶然落ちた……ってわけじゃなさそうだしな」

「私たちは囮として利用されたようですね」


 落ちた鉄の箱にはすでに多くの魔物が群がっているが、俺たちを狙っている魔物も多い。

 故意にしろ、成り行き上仕方がなかったとしても、魔物を引き連れて押し付ける行為は犯罪であり、押し付けられた側が証拠を持ってギルドへ訴えれば罰金を払わせる事も出来るそうだ。

 姿を見たのは僅かだが、奴の顔はしっかりと覚えさせてもらったし、身形からしておそらく商人だと思われる。生き残る為に必死なのはわかるが、このまま謝罪に来なければしっかりと次の町で報告させてもらうとしよう。


「ガルルル……」

「……駄目か。やるしかなさそうだな」


 フィアの言う臭いのせいで興奮しているのか、ホクトが威圧を放っても逃げる様子が見られない。

 数えたところ狼と蜂は合わせて六十近くいるが、今の俺たちならば問題はないだろう。


「レウスとホクトは狼を。そして俺たちは蜂をー……」


 狼の唸り声や蜂の羽音で騒がしい中、分担して速やかに全滅させようと思ったその時……俺は落ちている鉄の箱を見てある事に気付いた。


「……作戦変更だ! 全員、魔物を相手にしながら俺についてきてくれ!」


 急な変更でも、弟子たちは素早く判断して俺についてきてくれた。

 そして俺たちは迫る魔物を倒しながら、一塊になって馬車から落とされた鉄の箱へと近づいていく。


「シリウス様、あの箱が何か?」

「不自然に動いたし、微かだが悲鳴が聞こえた気がした。とにかく群がっている魔物を一掃し、箱を中心に円陣を組むぞ!」

「わかった兄貴!」

「箱に近いのは任せて! 水よお願い!」

「私も狙いましょう!」

「なら蜂の方は私が! 皆……やっちゃいなさい!」


 エミリアとリースが鉄の箱に噛みついていた狼を魔法で弾き飛ばし、フィアが大きな竜巻を発生させて周囲を飛び回っていた蜂を一掃していく。

 その間にホクトとレウスが前に飛び出し、再び迫ろうとする蜂や狼の相手をしている間に俺は鉄の箱に取りついていた。


「おい、大丈夫か。返事をしろ!」

「……ひぃ!? あうぅ……」


 目の前まで近づいたところで、魔物の唸り声や羽音で微かにしか聞こえなかった悲鳴がはっきりと聞こえた。

 声質からして女の子だと思われるが、僅かな隙間から覗いても中がよく見えない。だが声は掠れ、それでも必死に叫んでいる様子から、体力的にも精神的にも相当不味い状況なのはわかる。

 近づいてくる蜂を『マグナム』で撃ち抜きながら鉄の箱を調べてみたが、備え付けられた小さな扉には頑丈そうな錠前がくっ付いていた。

 当然ながら都合よく鍵が落ちているわけがないので。


「壊すか。頼んだぞエミリア」

「お任せ下さい!」


 俺の声にエミリアが小さくも鋭い風の刃を放ち、錠前の繋ぎ目を的確に切り裂いていた。

 見事な腕だと感心しながら鍵を外して中を覗いてみれば、内部で砕けて飛び散っている魔物寄せの実と、怯えた表情でこちらを見る少女の姿があった。


「あ……うぅ……」

「大丈夫かい? 俺は君を助けにきたから、こっちへおいで」


 なるべく優しく声をかけながら手を差し出すが、少女は端っこに身を寄せたまま動こうとしない。よく見れば少女の首に隷属の首輪が嵌められているので、人を恐れていてもおかしくはないか。

 ここはリースかフィアに変わってもらい、まずは少女を落ち着かせるべきだろうが……。


「オン!」

「兄貴! 遠くにいる魔物が近づいてきているってホクトさんが!」


 臭いによって周辺の魔物まで集め始めているので、あまり悠長にしている余裕はなさそうだ。

 更に少女の体にも魔物寄せの液体がかかっているので、連れ出せたとしても魔物を集め続けてしまうだろう。

 仕方がない。ここは少し強引に行くとしようか。


「リース。丸洗いで頼む」

「うん! 水よお願い……『水浄化アクアリング』」


 こちらの様子を見ていたリースは俺のやりたい事を察してくれたようだ。

 リースが体を浄化してくれる水の塊を生み出してたのを確認したところで、俺は少女の腕を掴んで強引に引っ張り出していた。


「いやっ!?」

「ごめんな。少しだけ……我慢してくれよ」


 それにしても……細い腕だ。

 碌に食べさせてもらっていなかったのがよくわかる。

 その衰弱した体はかつての姉弟を思い出させるが、俺は心を鬼にして少女を水の塊へ放り込んでいた。

 突然で少々酷だろうが、これで臭いを落とせるだろう。


「すぐに終わらせるからー……あれ? この子……」

「シリウス様。周囲の魔物は全てー……これは?」


 後は魔物が集まる前にここを離れるだけなのだが、俺たちは水に包まれてもがく少女を見て固まっていた。

 箱の中にいた時は薄暗くてよくわからなかったが、日の光の下で少女の全身がよく見えるようになって気付いたのである。

 痩せ細った少女の背には……。


「この子は有翼人……か?」


 天使を彷彿させる、白い翼が生えていたからだ。








 おまけその1

 キースの安らぎ



 シリウスたちが去った後……キースの心は穏やかではなかったが、一つだけ安堵していた事があった。


「これで母上にプロレス技を教える人がいなくなったな」


 すでに覚えている技をかけられるのは変わらないが、動きがわからない技の恐怖に怯える事が無くなったのである。

 今日こそ技をかけられないように張り切って試合場に向かうと、先に来ていたイザベラとメアリーが何か本らしき物を一生懸命読んでいたのである。

 その本のタイトルに注目してみれば……『シリウス著・プロレス技大全』と書かれていた。


「お母さん。私はこの十字固めってのをやってみたい」

「私は……ノーザンライトボムがいいかも……」


 キースの心休まる未来は、まだ遠い……。


「お兄ちゃん。この腕ひしぎ十字固めって技をやってみたいの。お兄ちゃんの腕を私が抱き締めるような感じなんだけどー……」

「喜んで受けてやろう!」


 いや……近くにあった。








 おまけその2

 あくまでネタです。



 馬車がシリウスの前を通り過ぎるシーンにて。



 すぐに『サーチ』を放ってみれば、どうやら俺たちの進行方向から馬車が迫ってきているようだ。

 ここは街道なので冒険者や商人とすれ違う事は珍しくもないのだが……どうも馬車を相当な速度で走らせているので様子が変なのだ。

 まるで何かから逃げているようで、しばらくすると……。


「た、助けてくれえええぇぇぇ――っ!」


「はっはっは! 大人しくわしの金となるがよいわ!」


 全力で馬を走らせている盗賊らしき集団が現れ、その後方には大剣を振り回す妙に張り切った爺が追いかけているのである。


「なあ兄貴。あれー……」

「しっ! 見ちゃいけません。皆も目線を合わせちゃ駄目だぞ!」








 没ネタ

 アービトレイ出発時にて。



 最後にメアの頭を撫でてから馬車に乗り込み、俺たちは出発しようとしたのだが……。


「お兄さーん! 私、大きくなったら良い女になるから! そうしたら……四番目のお嫁ー……」

「ま、待つのだメアリーよ! それ以上は軽々しく言ってはならんぞ!」

「どういう事だ!? いくら先生でも、俺の妹に手を出したなら許さねえぞ!」


「逃げろホクト!」

「オン!」


 メアがうちの女性陣と仲良く話している光景が多いなとは思っていたが……そういう事だったのか。

 見たところ、エミリアは当然だとばかりに笑みを浮かべているし、リースもフィアも可愛い妹が出来たかのように満更でもなさそうである。

 これは……色々と考えなければなるまい。


 ちなみに余談だが、キースは町の外まで追いかけてきたと言っておこう。





※この娘さんの結婚相手がいないのなら、シリウスが貰うしかないんじゃないか? ……とか思って書いていたのですが、ちょっと思うところがあって没になりました。









 さて……本作品の書籍3巻が、5月25日に発売決定しました。

 オーバーラップ様のHPにて3巻の表紙が見られますので、興味がありましたらどうぞ。



 巷では連休となる嬉しい黄金な日々ですが、作者にとっては忙しさが増すだけのデビルウィークとなっております。

 子供の時は楽しみで仕方がなかったのに……思わず溜息が。



 完璧に気が緩んでいて申し訳ないですが、次こそ七日更新を目指して頑張ります。


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