自分の意思で
――― レウス ―――
その魔物の腕は六本もあった。
足は四本、尻尾は二本……だけど頭は一つという、どうしてこんな体になっているんだと思わせる、異様な魔物がそこにいた。
「レウス! 一体何がー……なっ!?」
「何よ……これ?」
追いついたアルとマリーナも驚いているし、実はこの辺りには普通にいる魔物ってわけじゃなさそうだ。
俺も兄貴と一緒に色んな魔物を見てきたけど、こんなにも変な魔物を見るのは初めてだな。
そんな魔物……いや、化物は六本の腕にそれぞれ握っている丸太を振り回しながら暴れている。
どう攻めるか考えていると、パメラさんの兄であるウェインさんが俺たちの前にやってきた。
「無事だったかアルベルト! って、マリーナと……何だお前は!?」
「ウェインさんも無事だったのですね。こっちはレウスで、二人は手伝いに来てくれたのです。ところで、あれは一体?」
「あ、ああ……色々と気にはなるが今は置いておくか。それとあれは俺もよくわからん。突然ここに現れて暴れてたんだよ」
ウェインさんは右翼にいた魔物を片付けた後、俺たちと同じように他の人たちを助けながら移動していたそうだ。
そして中央まできたところで、目の前の化物が暴れていたので援護に入ったんだけど……。
「見ての通り、大鬼みたいな腕を滅茶苦茶に振るうから、近づけなくて困ってるところだ。おまけに矢を弾くし、中級魔法があまり効いている気がしない」
「上級魔法はどうですか? 使える人がいる筈では?」
「疲れを知らないで走り回るから、詠唱途中に襲われちまったよ。命は助かったから、今は後方に下げてある」
「腕の速さは大鬼より上ですね。一つなら受け流せそうですが、さすがに六つは……」
「おまけに俺たちだけじゃなく、味方である筈の魔物でさえ手当たり次第に攻撃していやがる。もうわけがわからん奴だ」
ここへ来た時に、アルへ魔物が飛んできたのはこいつが原因みたいだな。
「幸いとは言えないが、周辺の相手を倒すのに夢中だから、町へ近づくのが遅いって事だが……」
「はい。私たちは壊滅近い打撃を受けるだけでなく、いずれ町に足を踏み入れるでしょう。何とか阻止しないと」
こんなのが町に入ったら、どれ程の犠牲が出るかわかったものじゃない。
だから周囲の人たちは土魔法で壁を作ったり地面に穴を作って落としたりするけど、壁は丸太で砕いているし、穴は普通によじ登っている。
「今はとにかく周囲に残っている魔物を囮にしながら、下手に近づかないように被害を抑えている。ちょいと手詰まりに近い状態だな」
「それでも町に向かわせるわけにはー……レウス?」
二人が状況を確認している間、俺は目の前の化物をひたすら観察し続けていた。
大鬼の名前を出した時に確信したけど、化物の上半身と下半身が全く違うものだというのはわかった。
上半身は俺が何度も斬った大鬼のもの。ただし腕だけは六本ある。
下半身は強靭な四本の足を持つ、馬みたいな魔物そのままだ。
尻尾と言っていいのかわからないけど、蛇の魔物が尻に無理矢理くっ付いてる感じ。
どれもこれも、俺がアルを助けに来てから斬ってきた魔物ばかりだ。
「あまり言いたくない言葉だけど……酷い外見ね。他の魔物を無理矢理くっ付けていて、何だか哀れに見えるわ」
マリーナが呟いたように、魔物同士を無理矢理くっ付けたと言うのが一番わかりやすいと思う。
あいつから感じる匂いはぐちゃぐちゃに混ざり合ってわかりにくいけど、ほんの僅かだけど元の魔物の匂いを感じる。
魔物を軽々と吹っ飛ばしている様子から凄い力を持っているようだけど、動きが明らかにおかしいんだ。
ありえない方向に曲がっている腕もあるのに、関係ないといった感じに丸太を振り回している。
それに何だか目に光を感じないし、生きてる感じがしない。まるで死体が動いている感じだ。
兄貴ならもっと詳しく判断できるだろうけど、俺の観察ではこの辺りが限界だな。
「よくわからねえ相手だけど……斬るのには変わらないよな!」
「レウス!?」
攻撃は速いけど、何とか見る事はできる。後は直接ぶつかって確かめよう。
俺には兄貴を追い掛ける予定があるんだから、さっさとお前を斬って戦いを終わらせるんだ。
アルの制止を振り切り、俺は周りの冒険者たちの視線を集めながら、化物の前に飛び出して相棒を振るった。
「どらっしゃあああぁぁっ!」
化物が持っている丸太は丈夫な木だろうけど、俺の相棒なら問題なく斬れた。
だけどそれを気にせず再び腕を振るってくるので、丸太が拳に変わっただけだ。おまけに他の腕も同時に振るってくるから、さすがに対処できなかった俺は大きく後方に飛びながら避けた。
やろうと思えば『散破』で同時に六回は振れるけど、あれは一撃が弱くなるから押し負けそうな気がする。
「つまり一撃だけなら俺が上か」
一度打ち合ってわかったけど、やっぱりあの化物は全力で丸太を振るっているだけだ。
ただ俺を潰そうと振り降ろす攻撃は剛破一刀流に似ている気もするけど、技術も意志も込められていない攻撃と一緒にしてもらっては困る。
なら攻撃を逸らす事も難しくない筈だ。
次こそ体に叩き込んでやろうと相棒を構えていると、急に化物が大きく吠えていた。
「何だ!?」
「ウェインさん! 魔物が急に強くー……」
「くそ、また凶暴になったぞこいつ等!」
思わず耳を塞ぎたくなる咆哮だけど、ホクトさんに比べれば大したものではない。
だけど何か嫌な予感がする咆哮だ。そう思った瞬間、周囲に散らばっている魔物が一斉に吠え出していた。
「騒ぎの元凶はこいつか! どうなってやがる」
「魔物だけに通じる何かがあるのでしょう。あれを確実に倒さなければ、同じ事がまた起こるでしょう」
こいつの咆哮は魔物を凶暴化させる効果があるわけだ。
もはや迷っている暇はない。俺は再び突撃して化物へと斬りかかった。
兄貴とアルの動きを思い出せ。無駄なく、最低限の力で攻撃を……逸らせ!
「な、何だあいつ!? 全部逸らしていやがるぞ!」
「レウス……お前はどこまで」
落ち着け……俺の覚えているライオルの爺ちゃんに比べれば遥かに遅いし、兄貴みたいなフェイントもないんだ。
真っ直ぐ振るう丸太の軌道を逸らすだけなら、十の力に対して半分程度で済む。
「はぁ……くそ!」
何とか全部逸らす事はできているけど、そこが限界だった。
おまけに俺は息を吸う暇もなく振るっているから、一旦息を吸う為に離れる他はなかった。
「はぁ……はぁ……もうちょっと……なんだ」
攻撃を逸らすってのはあまり慣れていないから凄く疲れる。
だけど化物は疲れを感じていないようで、ずっと全力で攻撃してくる。戦いが長引くほど俺が不利になる。
けど、もう少しなんだ。もう少しで……届く。
「まだ……だああぁぁ――っ!」
疲れて動けなくなる前に仕留めてー……。
「私も混ぜてもらおう!」
「アル!?」
「悔しいが……今の私では腕の一本が限界だ。だが左腕の一本は確実に止めてみせる! 信じろ!」
ああ……言われなくたって信じてるよ!
「頼んだぜ!」
「任せてくれ!」
そして俺とアルが化物の正面に飛び出したところで、ウェインさんは化物の後方へと回り込んでいた。
「お前等ぼけっとすんな! 二人がこいつを押さえている内に、さっさと周辺の魔物を倒して援護しろ!」
「「「お、おう!」」」
尻尾と化している蛇を相手にしながら叫び、周辺の魔物と戦っている冒険者たちの士気を高めていた。
そして俺とアルは化物と向かい合い、放たれる攻撃を捌きながら思い出していたことがあった。
「勝手が違うけど、師匠との模擬戦を思い出すな」
「兄貴と違って弱いけどな!」
「ああ、だから勝機はある! 一気に攻めるぞ!」
「おう!」
兄貴との模擬戦のように、俺はとにかく剣を振るうだけだ。
アルに任せた腕は一切見ないし、気にかけない。
その僅かに出来た余裕により、俺の相棒は遂に化物の体に届き、腰の部分を大きく斬って傷を負わせた。
「いいぞ、もう一度だ!」
勢いのまま押し込み、続いて左腕の一本を斬り飛ばす。
そして背後ではウェインさんが尻尾の蛇を斬ってから、化物の背中を蹴って飛び上がっていた。
「首を狙う! 合わせろ!」
「今だレウス!」
「どらっしゃああああぁぁ――っ!」
アルが残った二本の左腕を一瞬だけ抑えている内に、俺は右腕を纏めて斬り落とし、ウェインさんが背後から首を斬り飛ばした。
「よし! 仕留めた」
「後は魔物たちですね!」
そしてアルとウェインさんが勝利を報告しようと背中を向けた時……化物の残った腕が動きだしていた。
「なっ!?」
「しまっ!?」
生き物が首を斬られて生きてるとは思わないけど、それは生きていたらの話だ。
だから……。
「そこだああぁぁぁっ!」
まだ動くと思っていた俺は、二人を襲うよりも速く相棒を化物へと突き出していた。
こいつの胸からずっと違和感を感じていたけど、目の前まで近づいてわかった。これはただの模様じゃなくて魔法陣か何かだ。
本能のまま突き出した相棒が化物の胸に刺さった瞬間、化物の体が大きく跳ねると同時に動きが止まった。
だけど油断は禁物だ。
俺は剣を突き立てたまま化物を持ち上げ、人がいない場所へ放り投げてから叫んだ。
「燃やせマリーナ!」
「は、はい!」
つい怒鳴ってしまったけど、マリーナは俺の言う通りに火の魔法を放ってくれたので、少し遅れて他の人たちも魔法を放ち始めていた。
化物の体が大きな炎に包まれ、しばらくして火が消えた頃には、化物の体は完全に燃え尽きて小さな黒い固まりが残るだけだった。
「……終わったのか?」
「ああ……」
アルの呟きに、俺は呼吸を整えながら頷くのが精一杯だった。
だって……今の俺は立っているだけでも辛かったからだ。
考えてみれば、今までこんなにも長く変身していた事はなかった。そのせいなのか、徐々に変身が解け始めると同時に凄い疲労感が襲ってくる。
興奮していて、後先考えず動き回っていたから……その反動かな?
でも周辺の魔物も残り少ないし、もう俺が戦わなくても大丈夫だろう。
「ふう……助かったぜレウス。完全に油断してた」
「また命を救われてしまったー……レウス? どうした!?」
「ちょっと、あんた大丈夫!?」
何だか……皆の声が遠くに感じる。
いや、これは俺が……だけど今は……。
「兄貴を……追わねえと……」
「そんな状態で何を言っているのよ! しっかりしなさい!」
「どこか傷があるのか!? くそ、返り血でわからん。水魔法で一度洗い流すんだ」
「治療魔法も使える奴を呼んで来い! 早くしろ!」
大丈夫だ。これはきっといつもの事で……疲れて動けないだけだ。
そう伝えたくても、俺はもう声を出す事さえできず、意識が遠ざかっていく。
兄貴……すぐに……追いついて……。
「……う……あ?」
「っ!? 目が醒めたのね!」
「……マリーナか?」
目覚めた時、俺はとある部屋のベッドに寝かされていた。
すでに外は薄暗くて、室内には明かりが付けられている。
そして聞こえた声へと顔を向けてみれば、マリーナが安心したような笑みを浮かべて俺を見ていた。
「あれ……俺は?」
「覚えていないの? あの魔物を倒した後に倒れたのよ」
ぼんやりとした状態で上半身を起こせば、俺の変身が解けて元の姿に戻っているのに気づく。
「魔物……ああ、そうだったな。えーと……あれからどうなったんだ?」
「あの魔物がいなくなったら、他の魔物が戸惑い始めて退治が楽になったのよ。今は全て倒されたから、ロマニオの町は守られたから安心して」
大丈夫だと思っていたけど、マリーナの説明を聞いて俺は安堵の息を吐いていた。
それから自分の手を握ったりして体を確認してみれば、多少の疲労感が残っている以外に異常は感じられなかった。
「はい、飲める?」
「ああ、すまねえ」
マリーナが水を入れたコップを差し出してくれたので、それを受け取って飲んでいると、部屋の扉が開かれてアルが現れた。
「レウス!」
「おう、アルか。無事だったんだな」
「お前の御蔭でな。そっちこそ体の調子はどうだ?」
「ああ、調べたところ問題はー……」
あれ?
俺は何かやらなきゃいけない事があったような気がする?
アルはもう無事だから、パラードへ戻ってー……。
「っ!? 俺が倒れてどれくらいだ!?」
「落ち着け。レウスが倒れてまだ半日しか経っていないよ」
「落ち着いていられるか! パラードへの船を出してくれ! すぐに兄貴を追いかけるんだ!」
俺はベッドから飛び下りてアルに詰め寄っていた。
半日……戦っていた時間と船の移動時間を考えると、兄貴とは一日以上の差が出来てしまう。
兄貴の痕跡が少しでも残っている内に追いかけたいと思っている俺を、アルは肩を軽く叩いて落ち着かせようとしていた。
「すまない。もう夜だから船は出せないんだ。それにお前が追う必要はー……」
「起きたのね、レウス」
なら小船を借りて俺一人でも戻ってやると思ったところで、聞き慣れた声に俺は思わず動きを止めていた。
「全く。シリウス様に反抗したからって無茶し過ぎですよ」
「まあまあ。レウスにはそれだけ衝撃だったんだよ。それに疲労だけだし、後遺症もないから良かったじゃない」
また部屋の扉が開かれて現れたのは、姉ちゃんとリース姉だった。
あれ……何で二人がここに?
「ふふ、英雄さんのお目覚めかしら?」
それに……フィア姉?
英雄って……え、何がどうなって……。
「起きたようだな、レウス」
……兄貴。
「何……で?」
「体の調子はどうだ?」
何故か頬に叩かれた跡や首元に大きな噛み傷があるけど、この匂いと優しげな笑み……間違いなく兄貴だ。
「うん……平気だ。それより兄貴はフィア姉の故郷へ行った筈じゃ……」
「ああ、その件だが……」
そして俺の質問に、兄貴は言い辛そうに頭を掻いてから……。
「フィアの故郷が襲われていたのは……嘘だ」
そう、口にしていた。
最初は意味がわからず呆然としていたけど、嘘だと聞いて少し安心もしていた。
「じゃあフィア姉の故郷は無事なんだな?」
「私の故郷は魔物でも迷わせる広い森が広がっているから、襲われるなんて滅多にないわよ。それに故郷までは遠いから、いくら風でも状況を知る事はできないわね」
「そ……そっか。じゃあ、何であんな……」
あんな……アルを見捨てるような事を言ったり、嘘をついてまで俺に銀月の誓いを破らせるような事を言ったんだ。
「銀月の誓いは……そんなに軽いものじゃないんだぞ兄貴!」
「わかっている。だがお前は俺との誓いに拘る必要はないんだ。状況に合わせ、最適な選択を選べるようになってほしいんだよ」
「俺が……俺がどんな思いで……誓いを破ったと思っているんだ!」
兄貴は俺を救ってくれたどころか、育ててくれた恩人だ。兄貴の命令は絶対だと思っている。
だから俺は銀月の誓いまでして、兄貴の為に生きて行こうって姉ちゃんと誓ったのに……何でこんな事をさせたんだよ!
それに選べるようにって……。
「アルの命を賭けてまで選ばせる事じゃねえっ!」
気付けば……俺は兄貴へ拳を振るっていた。
「ぐっ!」
そして兄貴は俺の拳を顔面に受けて飛ばされ、背後の壁に激突していた。
「……え?」
「シリウス様!」
あ……れ?
何で……何で避けないんだよ兄貴?
「っ……大丈夫だ。手加減無しだな」
「ご、ごめ……俺は兄貴を殴りたかったわけじゃ……」
これは訓練じゃないのに、俺は兄貴を殴って……。
「ごめん!」
その事実に耐え切れず、俺は窓から飛び出して逃げていた。
「……はぁ」
俺が寝ていたのは、パメラさんの父ちゃん……ロマニオ当主の屋敷だったらしい。
その屋敷から飛び出した俺は勢いのまま町を走り回り、今は港の桟橋に座って湖をぼんやりと眺めていた。
「……最悪だ」
誓いを破っただけじゃなく、兄貴を殴っちまった。
姉ちゃんに怒られるだろうけど、何より自分が許せない。
俺は世話になっている人を、訓練でもないのに手を出しちまったんだから。
でも……兄貴だって酷いじゃないか。
俺を成長の為だからって、アルが危険だってわかっているのに……何もあんな状況で嘘を吐かなくてもいいだろ。
俺たちを頼ってきたマリーナをがっかりさせたり、最初からアルを助けに行ってこいって俺に命令すればこんな事にはならなかった。
あんな決断を迫っていないで、さっさとホクトさんと俺だけ送れば良かったじゃないか。
「でも……俺の為なんだよな……」
兄貴は意味もなくあんな事はしない。
これはきっと俺に必要なことなんだろう。
せめて詳しい説明を聞いてから文句を言えば良かったのに……今は兄貴に合わせる顔がない。
「何で俺は……兄貴を殴っちまったんだ」
「……私の為なのだろう?」
「アル?」
頭を抱えていると、アルが俺の横に立っていた。
やばいな、ここまで接近されるまで気付かないなんて……本当に情けない。
思わず苦笑していると、アルは湖を眺めながら続きを口にしてきた。
「お前は私の命を賭けてまで……と言って手を出していた。自惚れでなければ、私を思っての事なのだろう?」
「……ああ。アルの命はどうでも良いのかって思っちゃって、気付いたら……さ」
「ありがとう。確かに酷い話だし、私もレウスの立場なら手を出していたかもしれないな。けど、少し違う点がある」
そう言いながら、アルは戦場だった方角へ顔を向けながら笑みを浮かべていた。
「お前が寝ている時に説明してくれたのだが、師匠は私を……いや、レウスの身も案じていたよ」
「……本当か?」
「私たちが魔物たちと戦っている最中、ホクトさんは師匠の下へ帰らずに高台でずっと見守っててくれたそうだ。師匠の命令でね」
「…………」
「他にも、襲ってきた魔物の頭に突然穴が空いて絶命し、助かったという件が幾つも報告された。真相は不明だが、これは師匠がやったんじゃないかと私は思っている」
ああ……そうだな。
兄貴なら遠くの相手を魔法で撃ち抜くなんて簡単だ。
それに兄貴と姉ちゃんたちの精霊魔法があれば、パラード側の魔物なんてあっさり片付けられるだろう。
俺が走り去った後、兄貴は後で追いかけてきてずっと俺たちを見ていたのかもしれない。
そんな兄貴を俺は……。
「くそ……ますます顔を合わせ辛いじゃないか」
「気休めかもしれないが、師匠は怒っていなかったぞ。それに師匠なら、あのくらいの拳なんて避けれた筈なのにあえて受けていた」
「それがわからねえんだ。何で避けなかったんだよ……」
「それは本人に聞いてくれ。なあレウス。こんな状況で言うのも卑怯だと思うが、お前に伝えておきたい事があるんだ」
アルは何か申し訳なさそうな表情をしていたから、俺は静かに頷いて耳を傾けた。
「師匠に負い目を感じるなら……ここに残るのはどうだ? お前さえ良ければマリーナと婚約して、私と家族になって一緒に町を守っていくのも悪くないと思わないか?」
マリーナとの結婚はわからねえけど……一瞬だけアルと一緒にこの町で守っていく俺の姿を想像した。
それも……悪くないかもな。
けどやっぱりさ……。
「……ごめん。俺は兄貴に付いて行くよ」
「そうか……やはり無駄な質問だったか。だが言わないと気が済まなくてな。すまない」
「謝る必要はねえ。色々やらかしちゃったけど、やっぱり俺は兄貴の背中を守れるようになりたいんだ。これだけは……絶対変えられねえ」
「はは、それでこそレウスだな」
満足気に笑ったアルは俺に背中を向け、少し歩いてから顔だけ振り返ってきた。
「エミリアさんたちには、レウスは大丈夫だと伝えておくよ。起きたばかりなんだから、体調を崩さない内に帰ってこいよ」
「……おう」
そしてゆっくりと歩き去って行った。
残された俺はもう一度だけ湖を眺め、気合いを入れ直すように頬を叩いた。
「……落ち込んでいてもしょうがねえ。どうせやる事は変わらねえし、早く謝って許してもらおう」
それに腹が減ってきたから何か食べたい。
腹が減ったと鳴く腹を撫でた俺が立ち上がったところで、美味そうな匂いを感じて振り向いてみれば……。
「……食うか?」
「兄貴……」
弁当箱を持った兄貴が立っていた。
――― シリウス ―――
俺を殴ったレウスは、罪悪感に耐え切れず屋敷を飛び出してしまった。
すぐに追いかけたいところだが、ここは少し時間を置いて冷静になってから話をするべきだろう。
なので簡単な弁当を作ってから追い掛けるから、しばらく放っておいてほしいと皆に伝えたのだが、アルベルトだけは首を横に振っていた。
『師匠。落ち着かせるなら私に任せてもらってもよろしいですか? 個人的に話したい事もありますので』
そうだな。ここはアルベルトが適任だろう。
なのでアルベルトに任せた俺は弁当を作ってからレウスの後を追った。
二人を見つけた時には会話はもう終わっていたが、レウスの表情からして大分落ち着いたようだな。
そしてアルベルトが離れたのを見届けてから、弁当を片手にレウスへと話しかければ、レウスは多少ぎこちなくも頷いてくれた。
「……やっぱり兄貴の飯は美味いな」
「そうか。俺の分は気にせず食べるといい」
それから桟橋へ一緒に座り、レウスは失った体力を補給するように弁当を食らっている。
目覚めてから何も食べていないから、後でもっと食わせてやらないとな。
「ほら、お茶だ」
「うん、ありがとう」
およそ二人分であったが、レウスはあっという間に弁当を食べ終えた。
そして用意した茶を飲んだ後……レウスは俺に向かって大きく頭を下げてきた。
「兄貴……殴ってごめんなさい」
「……お前が謝る必要はない。当然の報いってやつだ」
過去にレウスが変身を恐れて逃げ出した時、自分に嘘を吐いた戒めとして俺は殴った傷を治療しなかった。
だから俺も……。
「お前に嘘を吐いたのは事実だからな。この痛みは自然に治るのを待つさ」
「じゃあ、その頬と首のって……」
「ああ。エミリアとリースからだ」
あの時、レウスが誓いを破って去った後、真相を教えたエミリアとリースから貰ったのだ。
『理由はわかりますが、レウスだけでなく私たちを騙したー……ばちゅでひゅ!』
『そうですよ! 私たちにもちゃんと説明しておいてください!』
そう言いながらエミリアは俺の首に噛みつき、甘噛みを徐々に強くしながらしばらく離れなかった。途中からただ甘えていた気もするけどな。
リースからは頬に平手打ちだ。あまり痛くはなかったが、非常に心へと染みた。
そしてフィアだけは事前に説明して一緒に騙すのを手伝ってもらったと言う事で、エミリアとリースからの罰で二日ほど飲酒禁止を言い渡された。
「なあ兄貴。何で……こんな事をしたんだ?」
「さっき説明しただろう。誓いに縛られず、最適な判断を出せるようにする為だ」
「うん……それはわかった。だからもう少し詳しく教えてくれよ」
ふむ……そこまで聞かれては答えてやるべきか。
「アルベルトが危険だとマリーナから知らされた時、お前は助けに行こうと決めた筈だ。しかしフィアの件もあるだろうが、俺がアルベルトは大丈夫だと言った時……お前は何て言ったか覚えているよな?」
「……兄貴が言う通り大丈夫だと思った。けどさ……」
「ああ、最終的にはアルベルトを助けに行ったから良いんだ。問題は俺が大丈夫だと言った時に、アルベルトは大丈夫だと決めつけたかって事だな」
鍛えたとはいえ、アルベルトの訓練期間は半月も満たない。
今まで鍛えてきたレウスなら大丈夫だとはっきり言えるが、アルベルトの場合は陰謀も重なった状態もあって確実に危ないと俺は判断していた。
それから本当にフィアの故郷が襲われていたのなら、俺とフィアが空を飛んでフィアの故郷へ向かい、エミリアとリースがパラード、そしてレウスとマリーナがホクトに乗ってロマニオへ向かえば良かったのである。
そんな最適な判断がすぐにできるようになってもらいたいのが……理由の一つ。
「そして俺が言ったからと、安易に流されるのを止めてほしいって事だ」
俺だって間違えるし、今日みたいにレウスが納得できない答えを出す時もあるのだ。
だから後に後悔しようとも、自分の意志で選択できるようになってほしい……というのがもう一つの理由だ。
前世の俺が戦争に慣れた頃、師匠は言った。
『生きる為に人を殺すのは構わないが、他人のせいにしながら殺すな。状況とか切っ掛けなんか関係ない。自分の意志で殺すのが礼義ってもんだ。そうすれば、他人のせいだとか言う格好悪い存在にならないからね』
……まあ、これは極端な例だけどな。
「しかしこれは、お前が子供の頃に決めた決意を踏み躙る行為でもある。酷い事だと自覚しながら、俺はお前に強いているんだ。文句があるなら遠慮なく言っても構わないぞ」
「ないよ。今ので納得しちゃったし、やっぱり兄貴は先を考えているんだなって……思った」
「それと、お前は俺の背中を目指しているんだろう? だからこそ一歩引いて、全体を見て冷静な判断が出来るような男に成長してほしいわけだ」
「……わかった、頑張るよ! 俺は絶対兄貴に追いついてみせるよ!」
「ああ、待っているぞ。それとお前は凄く嫌な思いをしただろうが、今日の選択は間違っていなかったぞ」
色々と迷っただろうが、お前がアルベルトを助けに行ったのは間違いじゃない。
俺たちの方はどうとでもなっただろうし、何より友を大切にしない奴は碌な者にならん。
もし俺に付いてくると言いだしたら、思いっきり殴り飛ばしてやろうと思っていたが、その考えも無駄に終わった。
顔と首が多少痛いが、満足できる結果だ。
「考えてみれば、初めてお前に殴られたんだな。腰の入った良いパンチだったぞ」
「う……姉ちゃんに怒られそう。と、とにかくあんな状況じゃなくて、いつか模擬戦で当ててみせるから待ってろよ兄貴!」
「ははは、楽しみにしているぞ」
そうして軽く頭を撫でてやれば、レウスはいつもの笑みを浮かべてくれた。
おまけ1
今まで俺は兄貴と一緒に色んな魔物を見てきたけど、こんなにも変な魔物を見るのは初めてだな。
『はっはっは! かかってこぬか小僧! というか、わしから行くぞ!』
「……こんなにも変な魔物を見るのは……二回目かな?」
「え……あんたはこういうのを他に見たことがあるの?」
「うん。こんなのとはレベルが違う奴を……」
ホクトの精神的外傷
『レウスを送った後は、隠れて見守っていてほしい。頼んだぞ』※1
そうご主人様に命令されたホクト君は、レウス君を戦場に送り届けた後、少し離れた小高い丘でレウス君を見守っていました。
レウスや他の人の試練にならないからと、こっちではなるべく魔物を倒さないようにと言われていますが、レウス君を降ろしてから立ち塞がったのは魔物じゃなくて壁です。
なので壁を吹き飛ばしたついでに魔物が三割以上減った気もしますが、命令には背いていません。あれは壁ですので。
閑話休題。
それからしばらく気配を殺しながらレウス君を見守っていましたが、レウス君は問題なく戦い続けています。
強敵が一匹いるようですが、ぶつかるまで時間がかかりそうですし、ホクト君が出張る必要もなさそうです。
なので少しだけ視線をずらし、戦場のあちこちを見渡している内に思いました。
「……オン」
この空気……懐かしい。
ホクト君は、前世のご主人様と共に戦場を駆け抜けた頃を思い出していました。
飛び交う銃弾と、鳴り止まぬ銃声の記憶。
ご主人様に救われ、または罠を察知してご主人様を救った相棒としての記憶。
そしてその戦場に送り込んだ、師匠と呼ばれるー……。※2
「……オン!?」
それを思い出した瞬間、ホクト君の体が急に震え始めました。
自分はもうあの頃の犬ではない。
なのに……何で勝てないと思うのか?
顔は思い出せませんが、美味しそうだと笑いながら包丁を片手にしたあの姿を思い出し……。
「ク……クゥーン……」
「ふう……待たせたなホクト。レウスの様子はー……」
「オン!」
「おわっ!? 急に飛びついてどうしたホクト!?」
そのまましばらく、ホクト君はご主人様の胸に縋ったままでしたとさ。
※1 『初めてのおつかい』のメインで流れる音楽を脳内再生してください。
※2 軍用ヘリが登場時に流れる『ワルキュー○の騎行』を脳内再生してください。ダース○ーダーでも可。
ようやく章の終わりが見えてきました。
章での長さは過去最大でしょうね。
シリウスが語った成長の話ですが、勢いで書いた部分ですし、あくまでシリウスの理論ですので、上手く伝わっているか少し心配です。
本当なら一日放置し、頭をリセットしてから見直したいところですが、それやってると何時まで経っても挙がらないので勢いのままいきました。
そしてシリウスたち側の戦いですが、それは次回で語りたいと思います。
まあ予想通りな展開ですし、あまり細かく書かずさっくりと行く予定……ですね。
次回の更新は一週間後になるかもしれません。
あと、ちょっとした報告があるので、今日中に活動報告も挙げたいと思います。