第435話 竜人と人狼
黒狼族。
それは獣人種の中でも特異な能力を持つ種族として知られている。
月が満ちる日に、身体能力を大きく強化するその特性。
どうしてそのような進化を遂げたのかは謎に包まれている。
体内の魔力蓄積によって起きる周期的発作のようなものとする説。
黒狼族の起源となった原種が持っていたそもそもの特性である説。
少数民族である黒狼族が他種族に対し抵抗するための突然変異説。
どの説が正しいのかを証明する方法は現在見つかっていない。
ただ一つ、言えることがあるとすれば……
──その能力は戦うことに特化している、ということだけだ。
◇ ◇ ◇
「黒狼族……貴様、人狼か!」
蹴り飛ばされた腹部を抑えながらアドラスが喝采を挙げる。
それに対し、二階から見下ろすリンの瞳は冷えたものだった。
「……その呼ばれ方はあまり好きじゃない」
「あァ? そりゃ悪かったな。つい珍しい種族を見ちまったもんで」
「……獣人種でもないのに詳しいんだね」
「まあな。希少種族に関してオレ様ほど詳しい奴はそうもいないだろうぜ。なにせ……」
語るアドラスの背後に土煙が舞う。
瞬間、空気を裂いて迫る白刃を堂々と手の甲で受け止めるアドラス。
「ちゃんと聞けよ。オレ様が話している途中だろうが」
「……聞かない」
一瞬でアドラスの背後を取ったリンが再び刃を振るう。
狙いは変わらず関節部、アドラスの持つ竜燐の薄い部分を狙っての攻撃だ。それはアドラスも理解しているのか、冷静に防御を固める。
「戦うことでしか語れませんってタイプか? オレ様、そういうの嫌いだぜ。人間ならコミュニケーションってやつを大切にするべきだろ?」
「……殺し合いの最中に何を言ってるの」
「殺し合ってるからって別に語れない訳じゃないだろ。この時、この瞬間にしか語れない言葉もある。例えば……どうして二人で協力して戦わないのか、とかな」
「…………」
「おおっと!」
首元を狙ったリンの一撃をアドラスはおどけた調子で体を起こしてかわす。
「なんだ? 話したくないことだったか?」
「……お前に語ることなんて、何一つない」
「ふん。口下手め、つまらんやつだ」
リンの猛攻を防ぎきったアドラスには余裕が見える。
先ほどの攻撃も、完全に見切られた上での回避だった。
高い攻撃力と、固い防御力だけではない。
明らかにアドラスは戦場慣れしていた。
「…………」
スーフェンが真っ先に警戒していたのも頷ける。
この男、ただの議傑ではない。
そう思わされる何かがあった。
「攻め筋を見失ったか? 手が止まってるぜ」
「…………ッ」
アドラスの正拳が空気を震わせる。
びりびりとした衝撃をまき散らしながら放たれた攻撃を、リンは持ち前の敏捷性で回避していく。
攻撃防御共にアドラスに軍配が上がるが、速度だけはリンの圧勝だった。
逃げようと思えば簡単に逃げられるだろう。だが……
(今日、この日を逃したら……二度とこの男には太刀打ちできない)
黒狼族がそのポテンシャルを最大限に発揮できるのは満月の夜だ。
ここで逃げているようでは一生この男には勝てない。
「ふっ……!」
そう判断したリンは再び疾走する。
アドラスの周囲をぐるぐると回るように加速を続けるリン。
「まともに付き合ってたら目が回るなこりゃ」
途中まで目で追っていたアドラスが立ち止まり、瞳を閉じる。
視力ではなく、聴力でリンを捉えようという魂胆なのだろう。
(舐めるな……ッ!)
付け焼刃としか思えない対処法に、十全に速度を乗せたリンが迫る。
アドラスの硬い鱗を突き破るには斬撃よりも打撃。
それも衝撃に近い攻撃が有効と見たリンは全力の体当たりを敢行する。
手や肘などの末端部ではなく、肩から背中にかけて体幹部分を使った攻撃だ。
八極拳では鉄の山の如きと称される爆発的な破壊力を持つ技、即ち……
「はァッ!」
──『鉄山靠』。
リンの身体がアドラスにぶつかった瞬間……
────バアアアアアアアアアンンンッ!!!
まるでトラックでもぶつかったのかという強烈な衝撃音が周囲に響く。
そして……
「ごぼっ……!」
まともに衝撃を食らったアドラスが口から大量の血を吐きだす。
ひび割れた腹部の鱗もそうだが、何より内臓へのダメージが深刻だった。
予想外の展開に、驚きの表情を浮かべてしまう。
「ははっ……正面からってのは……嫌いじゃない、な」
「……どうして」
不敵に笑うアドラスを、驚きの表情を浮かべたリンが見る。
「どうして今の攻撃で……吹き飛んでいない!?」
「あァ? そんなの……」
しゅるり、とアドラスの尻尾がリンの胴体に巻き付く。
強く、しっかりと、この場からもう逃がさないと言わんばかりに。
「──てめェに一撃、ブチ込むために決まってんだろ」
「…………っ!」
見るとアドラスの足もと、地面が四本の筋を描くように大きくえぐれていた。
(こいつ、足の指の力だけで……!)
それはリンにとっては知る由もないことだった。
アドラスの持つ強靭な筋力は何も腕力だけを指すものではない。
彼はその指先の力で大地を掴み、リンの一撃を受け止めていた。
すべてはこの瞬間に、この獲物を捕まえるために。
「竜と狼、どっちが強いか……決着だな」
「くっ……!」
その場から離脱しようとするリンだが、アドラスの尻尾がそれを許さない。
リンの全身全霊の膂力よりも、アドラスの尻尾一本の方が力で優っていた。
「まァ、それなりに楽しめたぜ……あばよ」
その剛腕がリンに向けて振るわれる……その直前、
「……あ?」
振り上げたアドラスの拳が虚空で停止する。
違和感を覚えたアドラスが自らの腕を見ると、そこには虚空から伸びた漆黒の糸が幾重にも自らの腕を絡めとっているのが見えた。
そして……
「ごめん、リン」
その少女が、アドラスの前に現れる。
「リンの気持ちを台無しにしちゃうけど……やっぱり私は見ているだけなんてできないよ」
美しい少女だった。
子供から大人になる途中の、美しさと可愛らしさを兼ね添えた姿。
夜風に靡く白髪。澄んだ碧眼には確かな意思がこめられていた。
「君を守るって、約束したからね」
吸血鬼としてではなく、ただ一人の少女として。
ルナ・レストンは静かにその戦場に足を踏み入れた。




