第143話 動き出した時
すでに夜の帳が下りた星空の元、私は治療院の一室でティナにずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「ねえ、お母様」
「なーに?」
「お母様は……私が怖くないの?」
「…………」
私の問いにティナは複雑な表情を浮かべ、そして……
「実の娘を怖がる母親がどこにいるっていうのよ」
にっこりと優しげな笑みを浮かべるのだった。
「……そっか」
「そうそう。そんなことより久しぶりに髪を梳かしてあげるわね。ルナったら昔からそういうとこ無頓着なんだから。折角綺麗な髪をしているのに」
「い、いや、いいよ。今日はまだ湯浴みしてないし……」
「そう? ふふ……遠慮なんてしなくていいんだからね」
「……うん」
何だろう。久しぶりに会うからかな、ちょっと距離感が分からないや。
でも……ティナは本当に私のことについてなんとも思っていないみたいだ。いや、思うところはあるんだろうけどそれについて踏み込むことをしてこない。お互いに流した方が良いということなんだろう。私もそれには賛成だ。
何を言ったところで私が吸血鬼であることに変わりはないのだから。
「ねえ、お母様はずっと治療院にいたの?」
「え? ああ。今日は週に一度の検査入院の日なのよ。普段はこの近くにある借家で生活しているわ。ルナも明日来てね。会わせたい子がいるから」
会わせたい子?
一体誰のことだろう。王都での知り合いなんて師匠とアリスくらいしかいなかったはずだけど……まあ、いいか。明日行けば分かることだ。今はそれより、
「検査入院って……まだ怪我は良くなってないの?」
「そんなことないわよ。アンデルさんが念には念をって押し込まれただけだから。仕事だって再開したし、なんの後遺症も残ってはいないわ」
そう言ってぽんぽんと私の頭を撫でるティナ。
そうか……後遺症はなかったのか。それは良かった。こんなところにいるから心配してしまったよ。
「仕事って今は何してるの? またお父様と一緒に定食屋?」
「…………」
「? お母様?」
なぜか黙り込んでしまったティナを見る。
すると、寂しそうな、悲しそうな顔を浮かべたティナは、「ルナには言っておかないとね……」と前置きをすると、
「お父さんはね……一年前に出て行ったの」
「……え?」
私にとって予想外の言葉を告げるのだった。
「出て行ったって……え? ど、どこに?」
「それが分からないの。一応書置きもあったんだけど……ただ『探すな』とだけ。失踪届けも出したんだけど、未だ情報は入ってきてないし……」
手を止め、ぽつりぽつりと漏らすティナは失意の中にいるようだった。
それはそうだ。いきなり夫が黙っていなくなれば誰だってそうなる。
というか……お父様が失踪していただって?
「それってもしかして……私を探してくれていたのかな?」
「その可能性は高いと思うわ。ダレンは昔、冒険者だったみたいだし旅も慣れているんでしょうね。逆に私はアインズを出たこともない村娘だったから、足手まといに思ったのかも……」
「お父様がお母様を足手まといに思ったりなんかしないよ! だって……だってお父様だもん!」
「ふふ……そうよね。きっとあの人はあの人で思うところがあったのだと思うわ。今の私に出来ることはないけど……ルナも一緒にあの人の帰りを待っていてくれる?」
「うん、分かった」
「……ルナは良い子ね」
ぎゅっと私の体を抱きしめるティナ。
きっとずっと一人で寂しかったのだろう。これまでのティアの生活を思うと、申し訳なくなってくる。
だけど……一体お父様は何を考えているんだ? ティナを一人にしてまで探してくれていたことは嬉しいけど、それにしたってもう少しやり方があったでしょうに。
「私からのお話はそれくらいかな。次はルナのこと、聞かせてくれる?」
「あー……うん。そうだね。あんまり楽しい話じゃないかもだけど……」
「そんなこと気にしなくてもいいわよ。他でもないルナのことだからね。何でも知りたいのよ、私」
「……分かったよ。それならちょっと長くなるかもしれないけど……」
それから私はティナと別れてから何があったのかを話した。
勿論、ティナが心配になりそうな部分は省いて。具体的には奴隷にされたあたりとか、迷宮に取り残されたあたりとか。
だから私から話せたのはリンやアリス、そしてシアのこと。
一歩間違えば犯罪者になってしまっていたかもしれないことまで全て。
「それで、そこからは王都を目指して一緒に……って、お母様?」
「る、ルナがそんな危ないことしてたなんて……あ、あわっ、あわわわっ!」
私の話を聞いたティナは真っ青な顔でぐるぐると目を回していた。
「ルナっ! これからはそんなことしちゃ駄目だからね! 絶対よ! お母様との約束っ!」
「えっ、あ……うん」
「絶対よ!? 絶対だからねっ!?」
まるで子供の我侭のようにバタバタと暴れるティナ。
それだけ心配だってことなんだろう。うん。
「分かった。これからはティナに隠れてすることにするね」
「そうじゃないでしょぉぉぉっ!」
私の冗談にティナは面白いくらいに慌てふためいた。
そんな様子に私は久しぶりに声に出して笑うのだった。
あの日、あの時に止まってしまった時間。
それが再び動き出したのを私は感じていた。
 




