「最悪なんて言葉、やすやすと使うもんじゃない」
今日は珍しく吹雪いていない。ぱらぱらと柔らかく、まるでクリスマスに恋人たちを祝福しているような雪を眺める。とは言ってもクリスマスどころか冬期講習さえ終わっていたのだが。
藤島ははあ、と白い息を吐きながら冷たくなった指先をフレンチコートの裾の先に忍ばせる。あまり雪が降っていなかったから油断していた。藤島はマフラーをたぐり寄せてどうにか暖を取ろうと首を引っ込める。
「めずらし、藤島さんが手袋してないなんて」
「今日は雪がそんなに降ってなかったから油断したの」
彼はかじかんですっかり赤みを帯びた鼻先を気にもしないように笑った。そして「お嬢さん、お手をどうぞ」とおどけて自らの手を差し出す。
藤島が訝しげに眉を顰めながら、そろりと手を差し出
す。すると彼はその冷たさにびくりと身を震わせた後、迷いもなく彼自身のコートのポケットの中に入れた。
「あれだね、クリスマスに駅前歩いてる恋人の八割ぐらいしてるやつ」
「ポケットの中に飴のカラっぽいものが入ってなければ及第点だったのに」
「……あ、バレた?」
「ここらへん詰めが甘いよね、イナバって」
藤島は大きくため息を一つ吐くと、「もう一年だよ」とカウントダウンを始める。このまま、何をするわけでもなくただ毎日が矢のような速さで過ぎていく。そんな一年になることを藤島は予期した。
このまま春が始まり、学年が一つ上がる。そこからは一年はあっという間に過ぎていくのだろう。何事も無ければ卒業式を迎え、その次か次の日には国公立前期の合格発表が行われるのだ。そこで肩を落とす者は何名居るのだろうか。自分もその中に入ることになるのだろうか。そこから後期の試験を受け、春までに自分はあてがうるのだろうか。それがたまらなく憂鬱なのだ。
「もう最悪」
ぽつりと呟いた。
「最悪なんて言葉、やすやすと使うもんじゃない」
その藤島の些細な一言に、彼が返した。まさか返答されると思わなかったのだろう。藤島は少し驚いたように彼の顔を見る。真っ直ぐにこちらを見る彼はいつになく真面目で、藤島は思わず拍子抜けした。まさか彼からこんな説教じみた言葉を聞くことになるとは思わなかったのである。
「──っていうのもじいちゃんの受け売りなんだけど。最悪だと思うから最悪なんだって。今一番に嫌なことでも、人生長いんだから後で思い返してみれば七番目ぐらいだなって笑える日が来る。だから希望持って臨めって」
「……希望って勝算が限りなく低い時に使う言葉だよね」
「うわ、今超良いこと言ったのにもう突っ込みされた……」
まあそんだけ返せるんだから、藤島さんなら大丈夫だよ。と彼は笑った。藤島はどうだかね、と頬を僅かに緩める。そして決心が固まったように小さく息を吸い込んだ。
「私、夜に出歩くの止める。受験終わるまで。イナバの勉強の邪魔したくないし、私も第一志望、絶対受かりたいから」
藤島は言い終えるとぎゅっと唇を引き結んで、彼の目を見据える。了解、と彼は返答をした。
何だかんだ言っていたが、楽しかったと藤島は思い返す。邪険にしたこともあったし、彼の話を無視して歩いた日もあった。雨で今日は居ないだろうと思っていたのに、予想に反してきっちり付き合ってくれた日もあった。体育祭の前には本当に二人三脚の練習もしたし、そのお陰と言ってはなんだがぶっちぎり一位でゴール出来たのも記憶にこびりついている。
「何だかんだ言って楽しかったよ。ありがとうイナバ」
「……藤島さんからお礼言われるの初めてかも」
「失礼な。私だってお礼ぐらい言うんだけど」
藤島は彼を睨みつけながら彼の手を力一杯握ってやると、「痛い! さすが握力29の、っていてえ!」いらぬ軽口を叩くので片足で蹴ってやった。
「じゃあまた会うのは、一年と三、四ヶ月後?」
「私は推薦取るつもりだから、イナバより絶対早いと思う」
「うわ、セコい」
互いに笑い合いながら、決意を新たにした。そんな約束をした夜のこと。




