009 冒険者の素質
スーザンさんの訃報がもたらされてから一夜が明けた。
今日は平常どおりに営業することになったわけだが、客足は目に見えて減っていた。その僅かな客たちはみんな鬱々とした面持ちで、ホールにはいつもとはほど遠い、絡みつくような空気が充満していた。
「リーベちゃんも危ないところだったんでしょ?」
常連の婦人が言うと同時に、方々から視線が集まるのをわたしは感じた。
「あの――」
「運が良かったわね? あの坊やと一緒じゃなかったら、今頃――」
「おい」
お父さんの険しい声が婦人を黙らせた。同時に、わたしに向けられていた視線の数々が散っていく。客を脅すなど言語道断だが、わたしは救われた気がした。
しかし脅された側はそうはいかない。お父さんを――街の英雄を怒らせてしまった恐怖と動揺、そして羞恥とに縮こまっている姿は見るに堪えず、わたしは何事も無かった風に尋ねる。
「ご注文をお伺いします」
「そ、そうね。じゃあこれと、これで」
わたしがオーダーを取る一方、お父さんは厨房から様子を見ていたお母さんに呼ばれた。向かった先に叱責が待っていることを、わたしはよく知っていた。
あの婦人の後にも好奇心に任せてものを言うお客さんが何人も現われ、その度にわたしは不快な思いにさせられた。それでも看板娘としての笑顔を忘れず、ランチタイムを凌ぎきった。そんなわたしの肩には日頃とは性質を異にする疲労感がのし掛かっていた。
世間的には遅めの昼食を摂っても気分は相変わらずだった。
それは一緒にホールで働いていたお父さんも同様で……いや、口止めの為に脅すことを禁じられたことで、わたし以上に不満をため込んでいる様子だった。
カツカツと乱暴に食器を扱いながら食事をする様子に、わたしはお父さんがこんなに怒ったのはいつ以来だろうかと、記憶を探っていた。
その一方、当人は憤然と鼻を鳴らす。
「まったく、不謹慎な連中ばっかりだな」
「気持ちは分かりますが、お客さんを威圧するなんて言語道断ですよ?」
亭主であるお母さんの理性的な言葉にお父さんは眉を顰めて答える。
「ああ……悪かったよ」
しかし食器の扱いは相変わらずだった。
剣呑な空気が変わることなく、息苦しいままに昼食を終えた。普段であれば憩いのひとときとなっていたのだが、今日に限ってはそうもいかず、わたしは胸をモヤモヤさせたまま仕事に戻ることになった。
お母さんと共にディナーの仕込みをしていると、ホールの方からカウベルの音が聞こえて来た。続いてお父さんの若干機嫌の良い声が厨房に響いてくる。
「お、ディアンじゃねえか」
ホールの掃除をしていたお父さんが来訪者の名を呼ぶと、わたしたちは目を見合わせた。
今は準備中というのもあるが、なにより昼夜逆転の生活を送っているディアンさんが昼間に訪ねてくるのが珍しかったのだ。不思議に思っていると、お父さんも同様の疑問を口にした。
「商談を終えたばかりなんだよ。それより、妙な噂を聞いてな。リーベはいるか?」
「ああ――リーベ。ちょっと来い」
わたしはお母さんに目配せをするとホールに出た。
そこには確かにディアンさんがいた。
背が低く皺の目立つ顔立ち、何より高い鷲鼻のせいで魔女のような怪しい雰囲気を醸していた。それに加え、頬には深い裂傷痕が、そして右腕が欠落していることがその印象を助長している。しかしわたしを一目見た途端、表情を弛緩させ、優しい笑みを浮かべる。
「お前が魔物に襲われたと聞いてな。無事なら結構だ」
「心配してくれて、ありがとうございます。でも、もう1週間くらい前のことですよ?」
「ワシは引きこもりだからな。情報が古いんだよ」
「威張って言うことか」
お父さんがツッコむとわたしは笑った。そうする間にディアンさんは曰くありげな目でわたしを見ていた。
「それとだ。お前が冒険者になるって噂も聞いたが、それはどうなんだ?」
お母さんを気遣ってか、ディアンさんは声を潜めて問い掛けてくる。
その言葉を聞いた途端、わたしはスーザンさんが生前に発した言葉が思い出した。
『リーベちゃんも冒険者になるんかい?』
わたしが冒険者になる?
『私たちの英雄の娘なんだ。アンタにも才能があるはずだよ』
そんなの……あるはずがない。
わたしがヘラクレーエと対峙したとき、わたしは高揚をしていた。
それは英雄の血が騒ぐだとか、そんな大それたものではなく、未知との遭遇を無警戒に楽しんでいただけなのだ。未知の事柄に対し、真っ先に警戒を抱けない。そんな人間が冒険者の素質を持っているなど、天地がひっくり返ってもあり得ない。
酷く内省的な気分になりながらも答える。
「……なれません」
するとわたしの目を見据えていた瞳が、不健康に白いまぶたによって隠される。
「そうか」
「ディアン、お前……」
「邪魔したな」
そう言い残して彼は去って行った。
カウベルの残響が耳鳴りのようにわたしの頭に響く。胸の内からこみ上げてくる煩雑な感情から逃れるべく、厨房へ足を向ける。スイングドアに手を掛けたとき、お父さんがいつまでも友人が去っていったドアを見つめているのに気付いた。
「お父さん?」
「ん、ああ。わりい、ボーッとしてた」
「そう? 何でもないならいいや」
そう言い残してわたしは仕事に戻った。




