001 日常に迫る魔影
パタパタと雨が街路を叩く。その虚しい響きは、今のわたしをいっそう惨めな思いにさせた。
あの日の夕方――わたしのせいで、大事な人が取り返しのつかない目に遭った。
ほんの小さな、それでも精一杯の勇気と正義を振り絞った選択が、ひとつの命を奪うことになるなんて思いもしなかった。
昨夜から続く自責は、過去の罪を呼び起こす――
――☆――☆――
今日は食堂エーアステは休業日だ。
とは言え仕事がないわけではない。休業日とは謂わば次の営業日の準備期間なのだ。というわけでわたし――リーベ・エーアステは両親とミーティング……というほどではないが、今日の仕事の割り振りをしていた。
「リーベはホールの清掃。お父さんは2階の掃除をお願いね」
緋色の髪に緑の瞳を持つわたしそっくりなお母さんの言葉に頷く。
「わかったよ」
「いつもの割り振りだな」
そう答えたのはお父さんだ。元冒険者で、高い上背に精悍な顔つきの偉丈夫だ。しかしエプロンを纏ってチグハグな印象を受けるが一方でよく似合ってもいた。3ヶ月前に冒険者引退してからすっかり目に馴染んだのだろう。
家族3人で食堂を営めるなんて幸せなものだと、わたしが深い感慨に浸っているとお母さんは続ける。
「今日は午後にヴァールさんたちが来るから、それまでに終わらせちゃいましょ」
今日はお父さんの弟子のヴァールおじさんと、その相棒の魔法使いフェアさんが弟子を連れてやって来るのだという。わたしはそれが楽しみだった為に調子を上げて「うん」と答えた。
それからホールの清掃を終え、お母さんの手伝いをしているとカウベルが鳴った。こんな時間に訪れるのはおじさんたちしかいない。わたしとお母さんは笑みを交わすとホールに出た。するとそこには1人の姿があった。
身長210センチのヒグマのような巨体にライオンのような彫りの深い顔を乗せているのがヴァールおじさんで、中性的な顔立ちに月光を編んだような儚くも美しい長髪を持つのがフェアさんだ。2人とも宿を経由してきたようで武装はしていなかった。
2人はわたしたちを見ると穏やかな笑みを浮かべる。
「ようリーベ、シェーン。久しぶりだな」
「ご無沙汰しております」
「おじさん! フェアさん! 待ってたよ!」
わたしが駆け寄るとおじさんはわたしの頭をわしゃわしゃと撫でた。大きくて温かくて、マメが潰れて堅くなった手指の感触は昔から大好きなものだった。
くすぐったい思いで愛撫を受けているとフェアさんが問う。
「エルガーさんはご不在ですか?」
「いえ。今2階の掃除をしてもらってるところで――」
お母さんが言い掛けたところでお父さんがやって来る。そして弟子の姿を認めると破顔した。
「よう、元気そうだな」
「師匠こそ」
お父さんとおじさんが拳をぶつける。お父さんは身長193センチの巨漢だが、おじさんを前にしては一回りも二回りも小さく見えた。錯覚の力を実感しているとお父さんが2人に問う。
「で? お前らの弟子は何処にいるんだ?」
その言葉にわたしは深い興味を喚起されて目を見張る中、2人の冒険者は脇に退く。そして現れたその人にわたしは思わず息を呑んだ。
東洋人を想起させる黄色い肌に真っ黒でさらさらの短髪。それにあどけない丸い輪郭の顔。首には赤いスカーフを巻いていて、まるで黒猫のようだ。彼はくりくりと愛らしい瞳でお父さんを見つめていたが、お母さんに「初めまして」と声を掛けられ、目線を移す。
するとその美貌に見蕩れたのか、恍惚と目を潤ませる。そしてその笑みに照れくさくなったようで前髪とスカーフを掴んで俯く。そのあどけない仕草にわたしは思わずきゅんとしてしまった。
一方、お父さんは呆れとも驚愕ともつかない間の抜けた声を漏らす。
「……弟子って、コイツがか?」
「ああ……フロイデっつうんだが、人見知りが激しいんだ。まったく、ガキっぽくて仕方ねえ」
「ガキじゃない……!」
フロイデさんが控えめに反論する。その言葉に説得力は微塵もなかった。
「はあ……俺はエルガー。ヴァールとフェアの師匠だ。そんでこっちが嫁のシェーンと、娘のリーベだ」
「よろしくお願いしますね。フロイデさん?」
「う、うん……よろしく」
と、挨拶を済ませた時おじさんとフロイデさんが盛大にお腹を鳴らした。するとお母さんがくすりと笑う。
「ふふ。これから昼食にするところでしたので、是非食べていってください」
「ご飯……!」
フロイデさんが目を輝かせる中、おじさんが「へへ、ツいてるぜ」と不敵に笑む。一方でフェアさんは礼儀良く「そういうことならぜひ、ご相伴に預からせていただきます」と言う。
今日の昼食はシュニッェルにフレアシードのサラダだ。
「いただきます!」
言うが早いか、おじさんとフロイデさんがシュニッツェルに飛びつく。
ナイフで切り分ける事なく、ソースにべったり付けて、そのまま齧りつく。品は無いが、それだけ素直に食事を楽しんでいると言う事で、その様子にわたしは得意な気持ちになった。
「かーっ! うめえ……!」
「どーお? わたしだって成長してんだから!」
「ああ、見直したぜ」
おじさんは食事に夢中で、その口振りはまるで寝言のようだった。
だが、それだけに素直な賞賛であり、わたしの自尊心は大いに満たされたのだった。
「そういえば、リーベさんは油を使えるようになったのですね」
フェアさんが言うように、わたしは以前まで油を使わせて貰えなかった。理由はもちろん、危ないからだ。
食堂において大事なのは1に安全、2に衛生で、味や収益はその次に位置する。だから油を使うことが認められるということは、それだけわたしが信頼されていると言うことであり、些細なことではあるが、わたしにとっては油を使えることは誇りなのだ。
「ええ。リーベも大分成長しましたからね」
お母さんは誇らしげに言った。身内に褒められるというのは何となく気恥ずかしいもので、わたしは羞恥を誤魔化すべく、主菜を頬張った。
シュニッツェルは叩いて広げた肉を揚げる料理だが、肉々しさを損ねない程度に叩いているため満足感は高かった。それに加え、トマト、キノコ、レモンの3種類のソースも奥深い味わいに仕上がっていて、揚げた肉によくマッチしていた。
自分の料理に満足していると、お父さんが訝しい顔でフェアさんに尋ねる。
「……ちゃんとしたもん食わせてんだろうな?」
「もちろんです。リーベさんほどではありませんが、多少、腕に覚えがありますので」
その言葉とは裏腹に、お父さんは心配そうにおじさんとフロイデさんを見やる。
先ほどまで必死に肉を頬張っていた彼らだが、共に食べる手を止め、蒼い顔をしていた。
「……そうか」
フェアさんは大抵の事は人並み以上に熟せる天才だけど、こと料理においては壊滅的な腕前をしているようで。そんな事情を以前に聞いていた為、わたしは内心2人を哀れんだ。
一方、2人は目に見えて咀嚼回数が増えたのだった。
食事と片付けを終えると、わたしはおじさんにねだる。
「ねえ、おじさん。また、冒険の話を聞かせてよ」
「それよかリーベ。暇ならコイツの案内をしてやってくんないか?」
そう言って弟子の背中を叩く。するとフロイデさんは動揺して、あたふたと視線を彷徨わせる。
「……え? なんで?」
「なんでも何も、これからしばらくテルドルにいるんだ。それなのに不案内じゃいられねえだろ?」
「それは……」
フロイデさんは救いを求めるようにフェアさんを見やるも、彼もまた、同意見だった。
「街を知り、地域の人と交流を図るのも大事な事ですよ?」
そう言われては返す言葉もなく、彼は俯いた。
一方でわたしは嫌がっているのに連れ回すのはどうかと思ったが、フェアさんに一言「お願い出来ますか?」と言われると、つい了承してしまった。
「それじゃ、行きましょうか」
「……うん」
彼はぎこちない動作で立ち上がると、壁に立て掛けていた長剣を背中に掛けた。
……そういえば、なんでフロイデさんだけ武器を持っているのだろうか?
不思議に思っていると「馬車には気を付けるのよ」とお母さんに言われ、疑問は霧消した。
「うん。行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
わたしたち親子が挨拶を交わす中、フロイデさんはまるで何かに怯えるように鞘の帯をギュッと握り締めた。
食堂を出て数歩のところでウワサ好きのサラさんに呼び止められた。
「あらリーベちゃん。いつの間にボーイフレンドなんて作ったんだい?」
その言葉を聞いた途端、隣にいたフロイデさんはボッと音が出そうなほど一気に赤面した。
「ボーイっ……⁉」
「はは……この人はフロイデさんと言って、ヴァールおじさんのお弟子さんです。今は街の案内をしてる――」
「まあ、ヴァールさんが弟子を取ったのね! それにこんな可愛い冒険者がいるなんてねえ!」
サラさんは爛々と輝く瞳をフロイデに近づけた。
「う、うう……」
彼が表情を引き攣らせつつ仰け反ると、彼女は大声で笑った。
「もう、そんなにビクビクしないでちょうだい! まるであたしが虐めてるみたいじゃない!」
言いながら、ガサゴソと腕に掛けたバスケットを漁る。
「脅かして悪かったね、ほら、飴ちゃんあげるから機嫌直してね」
完全に子供扱いであるが、フロイデさんは至って嬉しそうに飴玉を受け取った。
「ありがと、おばちゃん……!」
「まあ!」
その無邪気な姿ににサラさんはすっかり機嫌を良くして、おまけで数個手渡した。
「ふふ、仲良くお食べ。デートの邪魔して悪かったね。それじゃ!」
結局彼女は勘違いしたまま去ってしまった。
まあ、後で訂正すればいっか。
わたしがそう考えていると、フロイデさんが飴玉を2つ、差し出してきた。
「ん」
飴玉に頬をぽっこりさせる彼の瞳に緊張の色はなかった。甘いものを摂ることで緊張がほぐれたのだろう。そのお陰で小さな顔には清々しい笑みが浮かんでいる。
「ああ、ありがとうございます」
受け取り、包みを取り除く。すると薄いピンク色をした飴玉が表れる。内部には種子が閉じ込められていて、イチゴ味であることがわかった。
わたしは女の子の例に漏れずイチゴが好きだった。自然と心が弾んでくる。
「いただきます……ん! 甘い!」
「……おいしいね」
「はい!」
何気ないやり取りの中で目が合った。真っ黒く大きな瞳は無邪気に煌めいていたが、次第に羞恥が滲み、背けられてしまう。わたしはそんな彼の様子を微笑ましく思っていると、彼は不機嫌そうに言う。
「……リーベ、ちゃん?」
「あ、すみません。それで、何処から行きましょうか?」
「ぼくに聞かれても……」
全く以てその通りだ。
「ふふ、そうでしたね。ギルドにはもう行きましたか?」
「うん」
「そうですか。じゃあ……」
中空を見上げ、フロイデが行きそうな場所を思い描く。
あそことあそこと……
「うん。それじゃ、ご案内しますね?」
診療所や服屋や床屋など。必要と思われる施設はあらかた紹介し終えた。
あとは……
わたしたちの向かう先にはテルドルにしては珍しい赤い屋根をもつ建物があった。その入り口の斜め上には看板が吊られており、剣と斧が交差したシンボルが描かれている。
「見ての通り、ここは武器屋です。武器屋ですが、キッチンナイフも売って――」
「入っていい……?」
フロイデさんは期待を満面に浮かべていた。
「ふふ! はい。もちろんです」
すると彼は放たれた猟犬の如く店内に飛び込んでいった。後をおって入店するとわたしたち一家にとっては特に馴染みのあるご婦人が出迎えてくれる。
「おや、リーベちゃん。こんにちは」
「こんにちは、スーザンさん」
スーザンさんはここの店主で、西にある工房で夫のダルさんが作った武器を販売しているのだ。そんな婦人はフロイデさんを見つめながら、溜め息交じりに問い掛けてくる。
「その子は?」
「こちらはフロイデさんといって、ヴァールおじさんたちの弟子です」
「へえ、とても冒険者には見えないねえ」
その言葉に爛々と目を輝かせて武器を見ていたフロイデさんがキッと視線を返す。
「チビじゃない……!」
誰もそうは言っていないけど……まあ言ったようなものか。
「ははは! こりゃ失礼! 詫びの品はないが、ゆっくり見て言ってよ。うちは冷やかし大歓迎だからねえ!」
スーザンさんは裏表のない人で、故に言葉を選ぶこともしないのだ。
それはそうと、わたしはフロイデさんと一緒に武器屋を見学させてもらう事にした。
天井にクモの巣が張られている店内には、多種多様な武器が置かれている。
剣は剣でも、ダガー、短剣、長剣、大剣とあり、この4カテゴリーの中でさらに形状が違っている。わたしは今までじっくり見たことはなかったが、剣にも個性があって見ていて楽しくなってくる。その感覚は服を選んでいる時に似ていた。
「いろいろありますね」
「うん……!」
フロイデさんは純粋な眼差しを剣に向けたまま言った。
一緒になって観察していると、スーザンさんが冗談半分に言う。
「なんだい? リーベちゃんも冒険者になるんかい?」
驚くべき発言に振り向くと、その瞳が期待に煌めいているのに気付く。
「まさか! だってわたし、女の子ですよ?」
「女の冒険者がいたって良いじゃないか。それになにより、私たちの英雄の娘なんだ。アンタにも才能があるはずだよ」
お父さんは20年前、このテルドルの街をスタンピード(魔物の大群が押し寄せてくる現象)から救った英雄なのだ。その様子を描いた名画【断罪の時】になぞらえて【断罪】のエルガーと呼ばれていたりもする。
それはともあれ、わたしは自分が冒険者になる様を想像してみた。
『てやー!』
『ぐおーっ!』
ぺち!
『きゃー!』
きらーん☆
「…………わたしにはムリですよ、はは……」
「そうかい? やってみなきゃ分からないよ?」
「それはそうですけど……」
「……あ、背中にクモが」
「え、うそ!」
「うそじゃないよ。ほら」
そうして見せつけられたのは脚の長いクモだった。
「きゃああああ! あああ、あっちにやってください~!」
必死に顔を背けていると、スーザンが溜め息をついた。
「はあ……こら、ホントにダメかもねぇ」
「はあ……」
武器屋を見物していただけなのに、随分疲れてしまったわたしは深いため息をついた。
「……ごめんね?」
「いえ。フロイデさんは悪くありません……むしろ、助かりました」
答えつつ、空を見る。赤く焼けた空には金色の雲が漂っている。その雄大な景色に見蕩れていると、何処からかカラスの声が聞こえてきくる。
「かーかー」
今日のは大家族だな……
和んでいると、フロイデさんが言う。
「そろそろ、帰ろ……?」
キラキラした瞳には夕食を期待する気持ちが表れていた。
「ふふ! そうですね――と、その前に少しだけ、付き合ってくれますか?」
「つ、付き合う……!」
彼は夕日に負けないくらい真っ赤になった。
「そういう意味じゃありません! ……もう、寄り道ですよ」
「……って、どこに?」
「それは着いてからのお楽しみです!」
わたしたちは街の北端にやって来た。
ここら一帯は草地がこんもりと盛り上がっていて、ちょっとした丘になっている。丘の北側に隔壁が聳えているほかは何もなく、その景勝っぷりから誰が決めたか、展望台と呼ばれていた。
「ふう……ついた…………」
丘を登り切ったわたしが深い溜め息をつく一方、フロイデさんは事も無げな様子。だがひとたび振り返ると、その美しい景色の虜になった。
「わあ……」
その様子にわたしはちょっぴり得意になりつつ、自らもまた展望した。
眼下にはテルドルの石造りで灰色の街並が見えた。薄闇が垂れ込めつつある屋内にはポツポツとランプが点り始めていた。そんな街並の向こうには、西日によって赤と黒に塗り分けられた高原が広がっている。そのさらに向こうにはグラ・ジオール山が厳然と佇んでいて、まるで自分こそが世界の中心であると主張しているかのようだ。
「きれい、だね……」
「はい……この景色はテルドルの宝なんです」
「そう、なんだ」
それからしばらく、2人は夕焼けを眺めていたが、いい加減、帰らないと両親が心配するだろう。
「そろそろ帰りましょうか」
「……うん」
そうして丘を下り始めたが、フロイデさんが付いてこないことに気付く。不思議に思って振り向く。
「フロイデさ――」
「リーベちゃんっ!」
振り向いた瞬間、彼が飛びついてきて――
バサッ!
彼の背後――直前までわたしがいたところに大きな陰が過る。
「……え――ごふうっ!」
背中に衝撃を受けたのも束の間。フロイデさんは立ち上がり、背中の長剣を引き抜く。
「ぼくが引き付けてるから、ヴァールたちを呼んできて……!」
「いてて……え?」
一体何が起きてるの?
身を起こすと、すぐそこに体高2メートルほどの大きなカラスがいた。
「ま、魔物っ⁉」
「早く!」
フロイデさんが叫ぶとカラスは彼へとくちばしを伸ばす。わたしは恐ろしくなって目を背け、そのまま丘を駆け下り始める。
ごめんなさい、ごめんなさい……!
何も出来ないばかりか、彼に危険を押しつけてしまう事実に心の内で謝りつつ、わたしはお父さんたちを呼ぼうと脚を速めた。




