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夜明けから降りつづく雨は、日が暮れるにつれて霙となった。濡れそぼった景色は寒さにいっそう肩を丸めて、しんしんと凍てついていく。耳の奥でこだましていた雨音は緩んだ雪片とともに地に吸われ、かわりに夜寒が耳朶を苛む。室内の灯りは暖炉に入った炎のみで、ぱちぱちと薪の爆ぜる音が寒気に赤らんだ耳を慰めた。
愛用の椅子に身を沈め、エセルバードは火先が踊るさまを沈黙とともに見守る。まるで蝶のようにひらひらと踊るさまは美しく、どこか蠱惑的だ。蝶の命は刹那で、こがねの鱗粉を散らして舞ったと思うとすぐに次の蝶に呑みこまれてしまう。それでも蝶は狭い暖炉の内で、はかなく羽ばたきつづけている。
エセルバードは炎を翠緑の瞳に溶かしこみながら、昼間のできごとを浚った。
銀朱が語った、以緒との幼き日々。そしてふたりが抱える因縁。
背に刻まれた鳳鳥は皇帝の紋章と同じだった。以緒と皇帝の並ならぬ関係を示唆しているのは明らかだ。
「――どう思う?」
自分と同じように沈黙を守っていた騎士へ、エセルバードは問いかけた。どちらも表情は石のように硬い。
「とても信じられませんね」
嘲る響きで、アーロンが答えた。そのとおりだとエセルバードも思う。
銀朱と以緒が親しい理由も、未良のふたりに対する態度も、桐の使者との会話の意味も、一本筋が通ったかに見える。
だが問題は〝幣〟という存在だ。神の力を収めた器――人ではないと言うが、エセルバードには人にしか見えない。全身を隈なく調べたわけでも、特殊な能力を目撃したわけでもない。はたして、銀朱の語った内容のどこまでを真実と取ればよいのか。
「カリン、おまえはどう思う」
名指しで問うと、カリンは灰色の瞳をそらして躊躇したのち、重たげに口を開いた。
「私は、信じます」
反応が鈍いわりには、きっぱりとした口調だった。意外な返答に、エセルバードは炎に染まった睫毛を瞬かせる。
「……おまえがお人好しなのは知っていたが、まさかここまでとはな。それとも何か論理的な理由があると?」
「……いえ。申し訳ありません」
どうやら明確な理由もなく、信じると断言しているらしい。公私の区別がつくカリンにしてはめずらしいことだ。
「ですが、信じるべきだと思うのです。むしろ信じなければならない――と」
「……簡潔かつ個人的な感情は除いて説明したまえ」
「私にもわかりません。ですが、そうしなければならない気がするのです」
目を眇め、胡乱げに睨めつけてから、エセルバードは深く息を吐いた。どうにもはっきりしないのが気に入らない。よほど以緒に同情しているのだろうか。
議論に能う意見を引き出すのを諦めていると、女官がひっそりと来客を告げた。おそらく訪ねてくるだろうとエセルバードは予想していたので、入室を許されて姿を現した顔ぶれに、さほど驚きはしなかった。
ひとつにまとめた黒髪に、涼やかな相貌を飾る鮮やかな青眼。以緒と視線が交わると同時にエセルバードは立ち上がり、右手を胸の中央に当てて深く腰を折った。
「――事情を知らぬとは言え、数々の無礼を働きましたこと、深く謝罪申し上げます。まことに申し訳ございませんでした」
「どうか、顔をお上げください。殿下」
以緒が眉尻を下げて遮る。
「すべてこちらの過失です。それに、ここでは私は一介の守人でございます。どうか、今までどおりに扱ってください」
「そう。それはよかった」
エセルバードはにっこりと笑んで、もとの通り椅子に腰を下ろした。同行していた未良が、以緒の背後で苦々しげに顔を歪めている。
桐での『幣』の地位の高さは、ヘリオス人であるエセルバードには量れない。しかし銀朱の話や未良の言動から汲み取れば、『皇女』よりも貴いと想像できる。桐の皇女がヘリオスの王子と同等の位だと考えれば、エセルバードより以緒の方が高位であるとも言えるのだ。
ゆえにエセルバードは礼節を示したが、以緒がそれを拒否した。この段階さえ踏んでおけば、幣の立場を盾に責任を問われる憂慮も払われる。身分を明かしたからには『幣』にふさわしい待遇を求めてくる場合は多いにあったが、以緒は銀朱の守人であることを望むだろうとエセルバードは読んだのだ。
実際、未良は不満を全身で訴えていたが、当の以緒はエセルバードの思惑どおりに振る舞った。彼の横柄とも言える態度にも無頓着である。
「長くなる。かけたまえ」
勧めると、以緒はわずかに悩んでからソファに座った。その背後で、未良が影のように立つ。
以緒は、エセルバードを訪ねる旨を銀朱には伝えていないはずだ。そうでなければ、あれほど憔悴した彼女が大切ないとこを部屋から出すはずがない。そして未良を伴ったからには、銀朱の守人ではなく幣として会話するという意思表示だと察せられた。
桐語で話すと断ったのち、以緒から話の端緒を開いた。
「さきほど、銀朱様がお話ししたとおりです。私は幣と呼ばれる存在で、玄燿の皇宮にてともに育ちました。銀朱様は幼き頃より薄幸な境遇でございましたので、身近にいた私に執着しておられます。幣がいずれ皇帝と国のために消えるさだめであるのを受け入れられず、陛下から私を遠ざけるためにヘリオスまで嫁いでこられたのです」
エセルバードは足を組み直し、蔦のような曲線を描く肘掛けに腕を置いた。
「本人は、女神を捜したいと言っていたけれど?」
「幣の力が女神に由来するため、シェリカ神に縋ればいいと考えておられるのでしょう。ですが、はたしてそれが可能なのか。私にはわかりませんし、当然ですが女神の居場所も存じません。月の女神が太陽の男神のもとを去られて、すでに三千と有余年。その間、皇帝陛下を始め、我々は彼女の消息を辿ることはできませんでした。いまさら追い求めても不可能に近いかと」
以緒の言葉は、流れる水のように滔々と紡がれる。まるで他人事のようだった。痛々しいほどに一心不乱な銀朱に寄り添っていたにもかかわらず、だ。
「……皇太子は、なぜ幣をヘリオスへやることを許した?」
それは、以緒が特別であると知った直後に抱いた疑問だった。
皇太子の宝であり、桐にとっては肯綮ともなる幣が、なぜ武装して異国に赴いたのか。
単なるひとりの娘のわがままを、統治者である皇太子が許すはずがなかった。ましてや、銀朱の目的は桐の国益を充分に損なう虞があり、とても目を瞑って済まされる類ではない。それは以緒も承知しているだろう。
だから直截に問うたのだが、以緒はエセルバードの望む答えをもたらさなかった。
「私には宸襟をお察しすることは敵いません。ですが、守人として銀朱様に同行したいと奏上したところ、すんなりとお許しくださいました。私も驚きました」
「……正直に答えるとは思えないけれど、何か密命を受けているとか?」
「いいえ。陛下は私に何も託されませんでした。未良も、単に私の守人だから同行しているだけです」
一時は疑ったが、今は以緒を信じてもいいと思えた。
もし、銀朱とは別の目的があるのなら、とうに行動を起こしているはずだ。騎士に探らせたかぎりその疑いはなく、協力者となりうる桐の使者へ何かを託した様子もない。
幣である以緒が知らないならば、未見のエセルバードが皇太子の思惑を読むなど雲を掴もうとするようなものだ。諦めるしかなかった。
エセルバードは頬杖を突き、姿勢良く座る以緒を見つめた。背中に一本芯が通り、安定した身体の重心は、やはり武術の教えを受けた者が持つものだ。今まで興味を惹かれなかったので意識しなかったが、なるほど育ちの良さそうな顔をしている。
しかし、目も鼻も口も、眉や顔の輪郭、髪の質さえ、銀朱と似通っている部分は見つけられなかった。父親同士が双子ならばもっと共通点を見いだせそうだが、それも幣の特徴なのだろうか。
すべてに目を瞑れば――隠された事実を知っても忘却に任せてしまえば。幾重もの塀に囲まれた宮の奥で、真綿にくるむように大切にされながら生を全うできただろうに、以緒はあえて別の道を選んだ。真の主である永隆や国を裏切る結末になるかもしれないと、一度も考えないほど愚かかつ純粋ではないだろうに。
「――では、君は何のためにヘリオスまで来たんだい?」
その衝動の正体に、エセルバードはひどく興味を持った。思い返せば、銀朱の事情は聞いたが以緒のそれはまだだ。
透きとおった瞳がふと揺らぐ。その上に、生えそろったまつげが細やかな影を落とした。
何を考えているのか、暖炉の火にうっすらと上気した頬が緊張している。薄いくちびるは色褪めていたが、普段は色の差さない頬が赤らむと、禁欲的な艶めかしさがある。隠されてきた本性が唐突に顔をのぞかせたようで、自然とその様子に目を引かれた。
じっくりと観察していると、やがて固く閉じていた口から細く息が吐き出された。瞳に落ちていた影が消え、青々としたまなざしがエセルバードを捉えた。
「……あの子が、私以外に縋りつける人を。居場所を見つけるのを見届けるために、ここまで来ました」
以緒に依れば、ヘリオスが桐の王女を求めたとき、宗室で外国に嫁いでも〝支障ない〟のは銀朱だけだった。皇太子の異母妹でありながら、銀朱には引き止める両親も後見もいない。幣を守人にした時点で皇太子さえ手を焼く放縦な媛と噂され、くわえて罪人の母を持つゆえに、縁談は年頃になっても上らなかった。銀朱は一生を後宮で終える運命だった。
よって、彼女に白羽の矢が立ったのは当然の流れだった。本人もヘリオスへ救いの糸口を見出していたから、うなずきはすれど拒む理由はない。『王女』から皇帝の近親にしか許されない『皇女』へ身位を改め、わざわざ箔をつけてエセルバードに嫁いできたのだ。
「桐にいては、銀朱様は孤独に人生を終えるだけだったでしょう。だから国を飛び出して、今までの世界とはまったく別の存在と関わりあい、異なる道を知ることが必要でした。たとえ政略であろうと、私のためであっても、ヘリオスへ来ることは彼女にとって転機だった。それが好機となるように、私は見守りたかったのです」
以緒が膝の上で両手を合わせる。絡みあった長い指は剣を握るにしては細いが、女性のようなたおやかさはなく、関節や筋の凹凸が手の甲に黒い陰影を落としていた。
「見知らぬ異国での生活が容易とは思えませんし、銀朱様の性格からしてそう易々と相手と打ち解けられるとも思えません。ですからなるべく私がそばにいて、慰める必要がありました。夫となる王子が信用に値するのかも不安でした。正直、今でも不安でなりません。桐に連れ帰った方がよいのかと悩むほど」
「連れて帰るかい?」
ふ、とエセルバードが笑みを漏らす。以緒は肯定も否定も示さない。
「……銀朱様は、桐では本当におひとりだったのです。私や洋殿、あとは英子様としか関わりあいにならず、ほかの王女方のように美しい衣裳や楽器や物語に興ずるわけでもなく、一日一日を呻吟とともに過ごされて――」
一度泳いだ視線が、ふたたびエセルバードへ向けられた。
「私のためだと仰いますが、殿下に心を開きはじめていた。その事実を無視していいものか」
痛々しいほどまっすぐに貫いてくる青を、エセルバードも正面から受けとめる。
何度となく以緒から向けられた視線だった。その意味するところを汲めずに今まで不快を感じていたが、実はエセルバードは以緒に品定めされていたのだ。そして今も、銀朱を預けていいものか、以緒はとっくりと見定めている。
「もう一度、と昨日言ったね」
「はい」
「一度は信じたと?」
「はい」
「時間がないとも言った。それに今、連れ帰った方が、とも」
「はい」
「君は――おそらく桐を出立する以前から、君は銀朱を置いて帰るつもりだった。銀朱の目的を知りながら、だ」
「はい。私は、幣ですから」
「くせ者だな。それになかなかの役者だ」
果たして、銀朱は以緒の思惑に気づいているだろうか。
物心ついた時からのつきあいである。何かしら勘づいていてもおかしくはないだろう。
「幣は、皇帝のためにあるものです。皇帝のために生まれ、皇帝のために生き、皇帝のために死ぬ。それが最上の喜びです。けっして陛下には叛きません。たとえ四肢をもがれたとしても、恨みを覚えはしないのです」
一度言葉を切ると、以緒は諦めたようにふるりと首を振った。額にこぼれた髪や耳飾りが左右に揺れる。
「……私は近々桐へ戻ります。それまでに、あなたをもう一度信じたい」
昨日も感じたものだと、エセルバードは思い出す。見定めながら、まるで縋られているようだと。
以緒はあまり感情を面に出さない。銀朱や洋以外と会話するときは動く人形のようだし、いつも銀朱を世界の中心に据えて、それ以外にはまったく関心がない。銀朱も頑なだったが、以緒も強固な壁を築いて、なるべく他人と関わらないようにしていた。
その壁の中をのぞき、まとった鎧を脱がそうと、エセルバードは腐心してきたのだが。中身は宝物の扱いに悩んでいる幼子だった。
「では、正直に言おう。僕には、君たちが語ったすべてが事実だとはいまだに信じられない。ヘリオス人からすれば、皇太子に対する畏怖も君の背にある痣の意味も、他人の価値観でしかない。君が桐で敬われる地位であるのはたしかだろう。けれども幣という、現実離れした存在を真っ向から信じろというのは、とても難しい」
以緒は拒絶された子どものような表情を浮かべた。
「当然だと思います。ですが、これ以上提示できる証拠を私は持ち得ません。事実だと主張するしか……」
「必要ない。君がどれほど証拠を並べ立てようと、信じるか否かは、僕の問題だ。これ以上は無意味だ」
一旦間を置いてから、だが、と付加する。
「期待に応えられるよう努力はするよ。僕は銀朱を手放すつもりはない」
放った意思が以緒の中でどう受け止められ、消化されていくのか、彼にはわからない。だが、手放すつもりがないのは本心だった。
厄介な荷物を持ちこんだ手のかかる強情者ではあるものの、銀朱を妃にする利点は何者にも代えがたい。始祖イシュメルの瞳を持つと謳われるエセルバードが、桐の皇太子の異母妹を妻にする――つまり皇太子と姻族になる。これほど衝撃的で革新的な事柄があるだろうか。
もちろん、大国である桐と繋がりを持つことでもたらされる国益は、今後の発展の上で欠かせない。しかし、夫が兄や弟たちでは意味がない。先祖返りと言われるエセルバードだからこそ、銀朱の価値がより一層生きる。
そしてエセルバード個人としても、銀朱という人間に深く興味を持っていた。彼女が胸に抱えた秘密を知った今でも、その興味は薄れることがない。
エセルバードの前では頑なな以緒の感情が、握りつぶした紙のようにぐしゃりと崩れた。苦悶を全身で語り、両手を硬く組む姿は、告解する敬虔な信者を彷彿とさせた。
「……始めから女として振る舞っていれば、このような誤解も招かずに済んだのでしょう。ですが私は女として育ちませんでしたので、守人としての利便性を優先させました。殿下が異国の姫である銀朱様を物珍しがっていた反面、心を配ってくださっていたのも存じています。私はいずれ居なくなる身です。しかし、銀朱様はここで生きていくしかないのです」
どうか、と以緒は唸るように訴える。
「王座を望む者としての立場や企図も承知しています。ですが、どうか、道具ではなくひとりの女性としても、銀朱様を遇してください」
腰を折り、異国の王子であるエセルバードに深く頭を垂れるさまは、献身的と言えた。しかし神の宝と呼ばれる存在でありながら己を粗野に扱う姿勢は、エセルバードには愚かにも映る。あまりにも自分を軽んじすぎだ。
それほどまでに、以緒は銀朱の将来が気がかりでならない。真綿でくるむように大切にしてきた不幸な従妹を、どうにかして幸せにしたいと必死なのだ。ゆえに、本来ならば許されざる職務に就き、危険を顧みずに国を出て、下位の者にまで謙る。その姿はエセルバードだけではなく、おそらく銀朱の癪にも障ったにちがいなかった。
「まるで人非人のような言い方は気に入らない。君に言われずとも、銀朱のことはひとりの人として扱っている」
険を含めて反論すると、以緒は伏せていた顔を上げ、そうですか、と独りごちるかのごとくうなずいた。悄然とした様子からして、いまいち納得していないのが見て取れる。
突然充ちた静寂に、暖炉の中でパチッと薪の弾ける音が呼応する。ひときわ大きな蝶が朱色の羽を広げ、炎に身を焦がした。
曲線に欠いた以緒の頬には煩悶の色が濃い。エセルバードがつけた傷も相まって、この数日で一気に窶れたようだった。ただでさえ肉の薄い身体がいっそう頼りなく映ると、大人びていた印象が途端に幼くなった。十八歳の普通の少年――あるいは少女がそこにいた。
胸中をすべて吐露したのか、以緒がそれ以上言葉を紡ぐ気配はなかった。エセルバードが懐中時計を取り出して時刻を確かめる。夜は思っていたより更けていた。
「部屋へ戻るといい。見張りは外すが、王宮内を歩き回るのは控えたまえ。銀朱の部屋以外へ足を運ぶときは、必ず連絡するように」
「わかりました。ご厚情痛み入ります」
「お茶も出さずに悪かったね。それとも、酒の方がよかった?」
冗談交じりにからかうと、以緒は困ったように首を傾げた。
「酒は、弱いのです。お気遣いありがとうございます」
夜分の訪問を丁寧に詫びて、以緒と未良は自室へ戻っていった。
エセルバードは強ばった足を組み直し、庇うように腕を組むと、ため息を吐きながら椅子に背を沈めた。今日一日で新たに得た情報の量と性質に、身体は思った以上に疲弊しているようだった。
傍らの円卓に置かれた杯はずいぶんと前に空いていて、ガラスの底にぶどう酒の渋が溜まっている。エセルバードは新しい杯と酒を騎士に用意させた。一気に呷れば渇いた舌を刺す酸味と鼻を抜ける酒精が快く、重苦しかった全身が少しだけ軽くなる。これに砂糖菓子があれば最高なのだが、部屋に用意はなかった。
「どうしますか」
カリンの問いに、エセルバードは応えない。人差し指の先で杯の縁をなぞりながら、無言で暖炉の火を眺めるだけだ。そう易々と結論が出る問題だとカリンも捉えてはいないので、それ以上の追窮はなかった。
やがてエセルバードの爪が、ガラスを短く弾いた。下がれ、と一言命じて場の終結を告げる。騎士は礼をした後、二人そろって静かに退室した。
居間にひとりになれば夜闇は凝るように濃くなり、比例して暖炉の灯りがよりいっそうまばゆくなる。人も少なくなれば室温もぐっと下がり、足元から冷気が溜まりはじめる。
しばらくは目を細めて観察していたが、やがてエセルバードはもう一杯ぶどう酒を呷ると、ガラスの杯を激しく踊る炎へ投げ入れた。朱の蝶がすぐに杯に集ってきて羽の下に呑みこんでいく。カシャン、と耳を突く高い音だけが聞こえた。しかしエセルバードは眉根をぴくりともさせず、硬い表情のまま寝室へ身を滑りこませた。