第一話『神は共にいる』
あたし鈴木由佳は——気がついたら、真っ白な空間の真ん中にぽつんと立っていた。
上下左右、どこを見渡しても見渡す限りの純白。壁も床も天井もなく、境界線すら存在しない。影すら落ちていない異次元みたいな場所だ。足元を踏みしめてみると一応固い感触はあるのだが、まるで空間そのものを歩いているような、浮世離れした感覚が足裏から伝わってくる。
さっきまであたしは、クソ暑くて湿気の蒸せ返る体育館で全校集会に参加していたはずだった。
季節は初夏。クーラーの効きが劣悪な体育館の床に正座させられ、ステージの上でマイクを握るバーコードハゲ《コーチョーセンセー》のありがた~い(嘘)お話を聞き流していたはずなのだ。
「~〜えー、生徒諸君の主体的な行動と、夏休みに向けた規律ある生活意識が~〜」
そんな抑揚のない子守唄みたいな校長のスピーチを聞きながら、あたしは隣に座るミリと「今日の放課後タピる?」「マジ行こ、駅前の新しくできた店ヤバいらしいよ」「えー超たのしみ」なんて、スカートの影に隠したスマホでコソコソLINEを打ち合っていたはずなのだ。
なのに、次の瞬間にはこれである。
パチッとまばたきを一つした瞬間に、世界が切り替わっていた。
「えっ……あたし、もしかして知らん間に事故って転生すんの?」
トラックに跳ねられた記憶もないし、階段から落ちた覚えもない。持病の心臓病で倒れたとかそういうドラマチックな前触れだって一切なかった。けれど、このシチュエーションは完全にアレだ。ネット小説やラノベで100万回くらい読んだ『神様に会ってチート能力もらって異世界に行くやつ』のオープニングそのものである。
「てか、肝心の神様はどこよ?」
キョロキョロと首を巡らせて周囲を見回してみるが、白い空間が無限に広がっているだけ。人影どころか、神様っぽいキラキラした祭壇や、神秘的な光の柱みたいなものすら見当たらない。
「なんだよ、誰もいないじゃん……呼んどいて放置とかマジありえないんだけど。運営の対応悪すぎでしょ」
あたしはガッツリと膝上まで着崩した制服の短すぎるスカートを気にすることもなく、その場にぺたんとあぐらをかいて座り込んだ。
体育館の冷たい床と校長の長話から解放されたのはぶっちゃけめちゃくちゃありがたいけれど、ここはここで何もなさすぎて秒で退屈になる。スマホを取り出そうとポケットに手を突っ込んでみたが、制服のポケットは綺麗さっぱり空っぽだった。通信も圏外以前の問題だ。
ぽかーんと口を開けて、どこまでも続く真っ白な天井(らしき場所)を見上げていると、不意にあたしの頭上に大きな影が差した。
「……ん?」
見上げると、そこには一人の男が立っていた。
真っ白な一枚布のような着物を羽織ったおっさんだ。
無駄に彫りが深くて整った顔立ちをしたイケオジなのだが、髪はぼさぼさのオールバックで、着物の胸元もだらしなくはだけて胸毛が見えかけている。そのおっさんが、底意地の悪そうな、どこかニヤついた目で上からあたしの顔を見下ろしていた。
(……なんだコイツ。新手の不審者?)
あたしが不機嫌そうに眉をひそめた、その直後だった。
『チンポがない!』
突然、目の前のおっさん(CV杉田〇和)が腹の底から叫んだ。
超重厚で、超いい声。アニメの主人公のライバルとか、歴史ドラマの渋いナレーションとかをやっていそうな無駄に神々しい低音ボイスが、純白の空間にビリビリと響き渡る。音圧で空気すら揺れている気がした。
「……いやチン……て、第一声がそれなの? ほら、もっとあるじゃん!『よくぞまいった人間よ』とか『汝の願いを叶えてやろう』とか、そういうそれっぽい奴!」
あたしはあぐらを崩して勢いよく立ち上がりざまに突っ込んだ。
初対面の女子高生に向かって放つ第一声として、これ以上なく最低で下品なワードである。だがおっさんはあたしのキレッキレのツッコミなんて一切耳に入っていないご様子で、自分の股間を両手でわしづかみ(?)にしながら、髪をガシガシとかきむしった。
『チンポがないんだよ! 分かるか!? 竿、イチモツ、男根、肉棒、ペニス、御神体、マグナム、マスターソード……ッ!』
「わかった! 分かったから一旦落ち着けバカ!!」
無駄に語彙力豊富な類語辞典を展開するおっさんを、あたしは両手を広げて必死になだめた。最後の方にゲームの武器名みたいなやつが混ざっていた気がするがスルーだ。これ以上この空間でその手の単語を連呼されたら、あたしのピュアな(ギャルだけど)耳が汚れて腐ってしまう。
『落ち着いていられるか! チンポが無くなったんだぞ! 俺様の、全知全能の象徴が! 男としての尊厳が! ほら、見ろ! 証拠を見せてやる!』
そう叫ぶやいなや、おっさんは着物の裾を両手でがっつりと持ち上げて広げた。
そしてあろうことか、そのままあたしの顔面めがけて股間をぐいっと勢いよく近づけてきたのだ。
「いや近い近い近い!! モノが無いのは分かったから近づけんなし!!」
視界いっぱいに迫ってくる、つるんとした、まるでマスコットキャラクターの股間のような平坦で滑らかな皮膚。毛すら生えていない。完璧なまでに平坦な無の世界だ。あたしは悲鳴を上げながら全力で後退りした。
露出狂だ! 異世界転生どころの騒ぎじゃない。あたしはただの変質者(自称・神)の被害者に選ばれただけだ。
『いゃ〜悪い悪い。年頃の女の子を目の前にしたら、つい魔が刺してな』
着物の裾をパッパッと払って整え、おっさんは「ふぅ」と爽やかな溜め息をついた。魔が刺すレベルの行動じゃないだろうが。警察がいたら一発で現行犯逮捕である。
『と、言うわけでお前さんには、俺様のチンポを探してもらう』
「はぁ? なんだコイツ……いや魔が刺したとかマジで露出狂のジジイじゃん! 誰がそんなもん探すか! さっさとココから出してよ! 警察呼ぶよ!? 110番するよ!?」
あたしが激怒して指を指しながら突っかかると、おっさんは「やれやれ」と呆れたように肩をすくめた。
『ほう、断るか。まあいい、下界へ戻ってじっくり考えるといい』
「は? 考えるも何も絶対探さな——」
『では、行ってらっしゃい』
おっさんが適当な動作でパチンと指を鳴らした。
「あ、ちょっと待っ——」
次の瞬間、視界がぐにゃりと渦を巻くように歪み、強烈な立ちくらみがあたしを襲った。
ジェットコースターで急降下するときのような浮遊感のあと、ドスンと嫌な重力が全身に戻ってくる。
気がつくと、あたしは体育館の冷たい床の上に正座していた。
太ももの裏にじっとりと嫌な汗をかいている。目の前のステージでは、相変わらずバーコードハゲ《コーチョーセンセー》がマイクに向かってブツブツと抑揚のない声を響かせていた。
「〜〜ゆえに、諸君らの自覚ある行動が求められるのであります……」
(……ゆ、夢……?)
あたしは荒い息を吐き出しながら、胸に手を当てた。心臓がバクバクとうるさい音を立てている。
あんな胸くそ悪い露出狂ジジイの悪夢を見るなんて、昨日観たB級海外ホラー映画のせいかもしれない。あーびっくりした。マジで心臓に悪いわ。
あたしはホッと安堵の溜め息をつき、汗ばんだ額を袖でぬぐった。痺れきった足を崩そうとして——スカートの裾に、強烈な「違和感」を覚えた。
(……え?)
布越しに感じる、謎の圧迫感。
ズシリとした重み。
本来、女子であるあたしの身体には絶対に存在するはずのない、どっしりとした『硬い塊』の気配。
恐る恐る手を進め、スクールバッグで周囲の生徒たちの視線を隠しながら、スカートの上からそっと触れてみる。
ムニュウッ♡。
(……嘘でしょ? なにこれ、硬い。ていうか……温かい……!?)
手触りは、まるで太い木の棒か、あるいは張り詰めた筋肉の塊だ。それがあたしの股間の真ん中から、ドーンと前方に向かって伸びている。
『ふははは! どうだ鈴木由佳、俺様の御神体の居心地は!』
「ひゃいっ!?」
脳内に直接響き渡る、あの重厚で無駄にいい声。
あたしは思わず素っ狂った情けない声を上げて飛び上がりそうになった。隣に正座していたミリが「ちょっと由佳、静かにしなよ。ハゲに見られたら集会後に残されて説教コースだよ」と低音で肘でつついてくる。あたしは必死で口を押さえて首を振った。
(な、なんでジジイの声がアタシの頭の中に直接響いてんのよ!? てかこれ何!? 股間のコレなんなの!! マジで何が起きてんの!!)
頭の中でパニックを起こしながら叫ぶと、脳内の神様は至極当然といった口調でフッと鼻で笑った。あたしの脳内で尊大な笑みを浮かべているおっさんの顔が目に見えるようだ。
『何を驚いている。聖書にも書いてあるだろう? 【神は共にいる】とな!』
(物理で股間に居ていい理由になるかバカ!!! 聖書をそんな最悪な文脈で使うな!!)
あたしの必死の心の中のツッコミを完全にスルーして、神様は脳内で朗々と、誇らしげに語り続ける。
『良いか。下界に落ちた俺様のパーツ——残り『二つの宝玉』と『聖水』を回収せぬ限り、俺様はお前の股間と一体化したままだ。離れようにも離れられんぞ。感謝するがいい、これでお前も神の威光をその身に宿したわけだ』
(誰が感謝するか!! ありがた迷惑どころの騒ぎじゃないし!! 脱げないしズボン履けないし、これから着替えどうすんのよ!!)
『安心しろ、小便の邪魔はせん。排泄機能は通常通り機能するように調整してある』
(そういう問題じゃないんよ!! 女子高生の股間に棒が生えてることが大問題なの!!)
体育館の天井を見上げながら、あたしは絶望に目を見開いた。
ステージ上の校長のお話なんて、もう一ミリも頭に入ってこない。
こうして、あたしの股間に神様(の男根)が居座るという、人類史上最悪にして最も下品な高校生活が幕を開けたのだった。




