第1話 読書部でいいや
『次は、門陽学園です。お客様にお願いいたします、車内では携帯電話をマナーモードに──』
入学式の翌日。
教科書とカバンを持って、一人で電車登校。今日からが、ようやく高校一年生って感じだ。
『まもなく門陽学園、門陽学園。お出口は左側です。門陽学園の次は──』
電車が停まってドアが開くと、車両のほとんどを占めていた生徒たちが続々と降りた。広大な駅舎を抜け、目の前には、門陽湾を埋め立てて作られた巨大な人工島が浮かぶ。
──私立門陽学園。
校舎に繋がる大きな橋を、集団に紛れて歩く。一年生でも堂々としているのは、中等部からのエスカレーター組だろう。俺みたいな高校編入組は、周りをキョロキョロしながら付いていく。時おり、バイクや自転車通学している生徒が追い越していった。
「テニス部どうですかー?」
「バスケ部でーす! 初心者歓迎!」
「野球部女子マネ募集中~!」
すごい、朝っぱらから部活勧誘だ。
正門に近づくにつれ活気は増した。立て看板もあって、『ボルダリング部』、『アマチュア無線部』とニッチな部活から、『未確認生物調査会』、『迷路同好会』、『終末世界研究会』という、よく分からんものまで……。
この学園では、すべての生徒が何かしら部活に入らなきゃいけないと聞いた。掛け持ちもOKらしいが、俺の入りたい部活はたった一つ、もう決まっている。
「きゃっ──」
「うおっ!?」
看板を見ていると、肩に衝撃が走ってよろめいた。
ひんやりした感触の足元に視線を移すと、ズボンにはべっとりとコーヒーが。オロオロしている女子生徒の手には、スターボックスのカップが握られている。
制服のリボンが赤色……三年生だ!
「ご、ごめん!」
「いえいえ大丈夫、ッス……!」
しかもこの三年生、スクールバッグにストラップじゃらじゃらだし、ネイルまでしてる!
やばい、今まで決して関わることのなかった属性の女性だ。別に何かされたわけじゃないが、シマウマの子どもは本能でライオンから逃げる。そういう話だ。
「美沙~、何してんの~」
遠くから手を振るのは、同じくらい派手な先輩女子軍団。
「お、俺なら大丈夫なんで、ほんと……!」
「で、でも──」
俺は、逃げるようにその場を去った。スタボなんか持って登校するなよ! と心の中で叫びながら。
大丈夫、ベージュのズボンだからそこまで目立たないだろう。帰ったら洗濯だ……。
初日は軽い自己紹介やオリエンテーション、学園での過ごし方のビデオなんか見て一日が終わった。何しろこの学園は空港並みにデカく、校内を走るシャトルバスなんかもあり、俺みたいな外部生はその乗り方から覚えなきゃならんのだ。
教室では「なんかコーヒー臭くね?」という声が常に飛び交っていた。初日が大事だと思ったが、こんなんじゃ誰にも話しかけられず、放課後に一人でトボトボと部活棟に来た。
そこまで人気のない部活は、教室からも遠くにあり、近所のコンビニくらい歩くことになった。
俺が入りたい部活。
ドアには『ただいま読書中!お静かに』と書いたプレートがかかっている。
入っちゃ駄目……ということだろうか。小一時間迷っていると、いきなりガラガラと扉が開いて、思わず「おおっ……」と後ずさる。
「入部希望?」
「は、はいっ」
赤色のリボン、三年生のちっこい女子生徒が出てきた。
「部長の美阿よ」
「1年7組の風見です。よろしくお願いします!」
「よろしく」
ミア先輩がふっと笑うと、深海のように青い髪が一緒に揺れた。
「今日は部活は休みなの」
「えっ、すみません……!」
「いいのよ」
部室は、部長のミア先輩以外誰もいない。
「なんかコーヒー臭いわね」
「はは、俺です……」
「……」
ミア先輩はこちらをじっと見たまま、指を一振りした。
「どうぞ」と言われても何のこっちゃと、しばらく立ち尽くしてようやく気が付いた。なんと……ズボンのシミが綺麗さっぱりなくなっているではないか。
「お……おお!? ありがとうございます?」
「どういたしまして」
一体何が起きたんだ。
ズボンを引っ張ったり、足を上げて臭いを嗅いだりする俺が面白かったのか、ミア先輩は小さく笑った後「私、魔法使いなの」と一言。
「はえ~、そうなんすか」
「お礼はいらないわ。代わりに、ひとつ頼みごとを聞いてくれないかしら」
「はぁ、いっすよ」
「じゃあ、早速”現地”に行ってもらうわね」
うーん。
変なことを聞いた気がするが、俺、部活入るの初めてだしな。中学の時は帰宅部だったし。部活ってこんなもんなのかも。
「で、頼みごとって一体──」
顔を上げるとそこには、のどかな草原と風車、ガラスみたいに透き通った青空が広がる。身体を包んだ風は花の香りがした。
遠くから、モォ~と聞こえてきたのは牛だろうか。牛だろうな。牛がいる、ということは分かった。
《カザミ》
なんだ、頭の中に声が?
《どう?》
「どう……とは?」
《どんな景色が見える?》
「外国ですかねぇ、綺麗な場所ですねぇ……」
俺は普通に会話しているが、いまだに牛がいる以外のことは理解していない。
《じゃあ、いったん戻ってもらうわ》
「戻るって──」
次に目を開けると、さっきの部室に戻っていた。
「!?」
俺は腰が抜けて尻もちをつき、勢いよく後ずさって壁にぶつかった。ミア先輩は大きなビー玉……水晶、ってやつかな。それを撫でながら「体は適合したわね」と、勝手に何かを納得している。
「私も”向こうの世界”に帰りたいのよ。でも、あなたたちのような人間の移動は簡単でも、私のような”異界の者”の移動には莫大なエネルギーが必要でね。部員たちには、そのエネルギーを集めてもらっているわ」
「へえ……?」
「私が魔法使い、ということは信じてもらえたかしら。正確には”魔導士”だけど」
俺には魔法使いと魔導士の違いは分からんし、そもそもここ、本を読む場所じゃないのか?
俺がおかしいか?
口をあんぐり開けたまま辺りを見回す。読書部といっても普通の部屋だ。本がびっしりと詰められた本棚を想像したが、別にそんなものはない。
「あ、『グレイトハンター』!」
唯一の本棚の中に、見覚えのある背表紙を見つけた。
グレイトハンター。
世界中を旅して、お宝を集めるバトル漫画だ。この作者はこだわりが強く、よく取材旅行のため休載するのは有名な話だが、最新話からもう三年がたつ。
頼むから、描いてください。
いや、もう展開がどうなるかだけ教えてほしい。じゃないと俺は死ねない。それくらい大好きな漫画だ。
「ミア先輩も読んでるんですか!」
「ええ。面白いわよね」
「ですよね~! いやぁなんか初めて話が通じて泣きそうっす」
「作者の爆裂修一郎は、今異世界にいるわ」
……なんだって!?
「私が送ってあげたの。向こうの方が居心地がいいみたいで、もう長いこと帰ってこないわね」
ミア先輩が、爆裂先生を? なんで!?
「早く続きを描くようお願いしたの。魔法でテレパシーを使って」
「ほう……?」
「そしたら、もう描くのは疲れた、しばらく異世界みたいな場所で休みたいって言い出して。だから異世界に転送してあげたわ」
マジかよ。
そんなことが許されるのか。
「ど、どうにかならないんですか。このままだと続きが読めないってことですよね!?」
「そうは言っても、向こうにいるのは本人の意思だもの」
「うぐ……」
「でも、そうねぇ。一つだけ強制的に呼び戻す方法があるわ」
呼び戻す方法!
ごくり、と唾を飲み込む。
「私が、異世界に帰ること」
「……それだけ?」
「ええ。まあ私にとってはここが”異世界”で、向こうが”現実世界”なんだけどね。もう十年もいると、こっちが現実のように感じてしまうわ」
「じゅ、十年」
呆気に取られたままの俺を、ミア先輩は「で、どうする?」と急かしてくる。
さっき言われた通り、エネルギーを集めればいいのか。そしたら爆裂先生がこっちの世界に戻って、続きを描いてくれるのか?
「もし、無理だと言ったら、俺は魔法で消されたり……?」
「ぷぷ、そんなことしないわよ。記憶を書き換えるだけ」
「記憶を!?」
「……過去に読書部にいた部員たちも、卒業と同時に記憶を書き換えているわ。私のために三年間頑張ってくれたのに、全部忘れさせなきゃいけないのは、毎年辛いものよ」
ミア先輩はしんみりしている。俺は心臓バクバクだが、これは決して感動ではない。
新しい学園生活。
部活は面倒くさいから、たまたま目にとまった『読書部』で、だらだら漫画でも読んでようかと思ったのに。
「じゃ、次は本番ね」
「ほ、いやいや、え!?」
「行ってらっしゃい気をつけて」
もう、何をされるかは想像がつく。人間の適応能力は恐ろしい。
またあんな大自然に放り込まれるなら、せめて──。
「ジャージ! 体操服! 着替えさせてください!」
「心配性ね」
ミア先輩はくすりと笑い、開いた両手を水晶にかかげた。




