エピローグ:未来へ響く、あの音
三年後。火曜日、午前八時四十五分。
「サード・プレイス」と名付けられたその場所は、今や会社の伝説となっていました。
オフィスビル最上階。
かつて「万年平社員」と呼ばれていた佐藤誠は、今ではプロジェクトマネージャーとして、多くの部下を抱える立場になっていた。
「……佐藤課長、次の会議の資料、確認お願いします」
「ああ、デスクに置いといて。五分だけ、『リセット』してくるから」
佐藤はそう言って、慣れた足取りで『サード・プレイス』へと向かう。
そこは、新入社員から役員までが、肩書きを脱ぎ捨てて「ただの人間」に戻れる、このビルで最も神聖で、最も温かい場所だ。
「ガチャン」
三番個室。
佐藤が腰を下ろすと、目の前の真鍮プレート「3」が、三年前よりも少しだけ深い輝きを放っていた。横の一輪挿しには、今日も瑞々しい花が生けられている。
すると、隣の個室から、聞き覚えのある「溜息」が聞こえてきた。
若くて、未熟で、けれど一生懸命な、かつての自分によく似た溜息だ。
「……はぁ。俺、向いてないのかな……」
壁越しに漏れる、新入社員の独り言。
佐藤は、かつて師匠が自分にしてくれたように、優しく、けれど力強く声をかけた。
「……隣の君。そこは出口じゃないぞ。戦場へ戻るための『補給基地』だ。……大丈夫だ、君の溜息は、俺たちが全部流してやる」
「……えっ? 誰ですか?」
その時、左隣の二番個室から、地鳴りのような笑い声が響いた。
「……ふふ。気にするな、若者よ。ここには、君の味方が『四人』もついているからな」
左隣、師匠(徳川会長)。社長を退き、会長となった今でも、この時間だけは必ずここに現れる。
「アニキ! 会長! 僕、その新入社員の教育係、引き受けるっすわ!」
右隣、四番個室から山崎。今や営業のエースとなった彼も、初心を忘れないためにここへ通っている。
「……山崎、あんたの教育は暑苦しいのよ。……佐藤、その子のメンタルケアは私の部署で預かるわ」
女子エリアの壁越しに、女王(二階堂部長)の凛とした声。
そして、一番端の個室から、電子音のような正確なノック音が響く。
「……私の計算によれば、その新入社員が立ち直るまでの時間は、あと45秒。……佐藤、洗浄の準備をしろ。一ノ瀬データによれば、今が最高のタイミングだ」
外部コンサルとして独立しながらも、週に一度は「メンテナンス」と称して訪れる一ノ瀬。
「……皆さん。相変わらずですね」
佐藤は微笑み、レバーを握りしめた。
壁があっても、姿が見えなくても、俺たちはこの「音」で繋がっている。
このビルが建ち、時代が変わっても、この聖域から生まれる勇気は、決して枯れることはない。
「「「「「せーの……」」」」」
ゴォォォォォォォォッ!!
五つの洗浄音が、一つに重なり、ビルの芯まで響き渡る。
それは、迷える若者の背中を押し、戦う大人たちの魂を浄化する、最高の応援歌。
佐藤誠は、個室を出て、洗面台で鏡を見た。
そこには、かつての弱虫ではなく、仲間と共に未来を創る一人の男の顔があった。
「……よし、行くか」
彼はネクタイを締め直し、軽やかな足取りで戦場へと戻っていった。
背後からは、再び誰かがレバーを引く、力強い水流の音が聞こえていた。
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