第36話:再生の月曜日、サード・プレイスの鼓動
数ヶ月後、月曜日。午前八時四十五分。
駅前にそびえ立つ、ガラス張りの最新鋭オフィスビル。そのグランドオープンの朝、俺——佐藤誠は、新品のスーツに身を包み、かつて古い駅のトイレがあった「その場所」の真上に立っていました。
「……いよいよだな」
自動ドアを抜け、最新のセキュリティゲートをパスする。
向かうのは、オフィスエリアの一角に設けられた、全社員注目のリラクゼーションスペース。その名は、俺たちが名付けた『サード・プレイス』。
入り口のサインは、一ノ瀬さんがデザインした「3」をモチーフにした抽象画。中へ入ると、柔らかな間接照明が、かつての駅のタイルを再生した壁を照らしていました。
俺は、迷わず一番奥の扉を開けました。
「ガチャン」
【三番個室:Sanctuary 3】
そこは、最新の全自動トイレが鎮座する、ホテルのような空間でした。
けれど、座ってみると不思議な感覚に襲われます。
目線の高さには、あの時親方が丁寧に剥がしてくれた真鍮の「3」のプレート。そしてその横には、三十年前の清掃員が残した「小さな花瓶」が、一ノ瀬さんの設計した防振ケースの中で静かに一輪の青い花を支えていました。
「……おはようございます。……聞こえますか?」
俺が小声で囁くと、すぐさま左隣から、あの地鳴りのような深く重厚な声が響きました。
「……ああ、聞こえているよ。三番個室さん。……いや、佐藤君。……素晴らしい『座り心地』だ」
左隣、二番個室。師匠(徳川社長)の声だ。
最新の防音壁が導入されたはずなのに、なぜか師匠の声は、あの古い壁越しのように鮮明に、けれど優しく届きます。
「アニキ! ここのトイレ、Wi-Fi爆速っす! でも、スマホを見るのがもったいないくらい落ち着くっすわ!」
右隣、一番個室。若(山崎)の元気な声が、空間を明るく彩る。
「……山崎、ここで仕事をサボるのは禁止よ。……でも、佐藤。この空気感……あんたが言っていた『溜息を希望に変える場所』、合格ね」
女子エリアの壁を越え、女王(二階堂)の声が凛と響く。
そして、一番端の個室から、無機質ながらもどこか満足げな声が加わりました。
「……私の音響設計に抜かりはない。佐藤君、壁の横にある隠しスイッチに触れてみろ」
一ノ瀬さんの言葉通り、プレートの横にある小さなセンサーに指を触れる。
すると、スピーカーから微かな音が流れ始めました。
それは、一ノ瀬さんがサンプリングし、デジタルリマスタリングした、あの「旧・三番個室の洗浄音」をベースにした環境音。1/fゆらぎが、俺たちの心を深い安らぎへと誘います。
「……皆さん。形は変わりましたけど、ここはやっぱり、俺たちの聖域ですね」
俺がそう言うと、師匠が静かに、けれど力強く宣言しました。
「……ああ。場所は変わった。だが、ここで交わされる『本音』と、未来への『覚悟』は変わらない。……さあ、諸君! 新しい時代の、新しい聖域。その産声を上げようじゃないか!」
師匠の合図。
俺たちは、最新のセンサーに手をかざしました。
「「「「「せーの……」」」」」
ゴォォォォォォォォッ!!
最新鋭のトルネード洗浄が、かつての重厚な響きと共鳴し、ビルの深層へと流れ落ちていく。
それは、これまでの苦労をすべて「過去」へと流し、新しい「未来」を汲み上げる、最高のファンファーレでした。
個室を出ると、洗面台の鏡の前で五人が初めて「対面」しました。
これまでは壁越しにしか知らなかった、互いの表情。
けれど、初対面の照れ臭さなんて微塵もありませんでした。
鏡越しに目が合うと、みんなが自然と、悪戯が成功した子供のような顔で微笑み合ったのです。
「……さて。仕事に戻るわよ。世界一のトイレを作った会社が、どんな仕事をするのか見せてあげなきゃね」
二階堂課長が先頭を切って歩き出す。
俺たちは、誇らしげに胸を張り、それぞれのデスクへと向かいました。
解体完了から、再生へ。
俺たちの三番個室は、もう誰にも壊されることはありません。
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