第13話:月曜日の赤紙と、揺れる聖域
月曜日、午前八時四十分。
佐藤誠は、かつてないほど前向きな気持ちで駅の階段を降りていた。
先週の抜擢を受け、今週からは新しいプロジェクトのリーダーとしての仕事が始まる。
「……よし、まずはデトックスだ」
ルーティン通り、公衆トイレの入り口へ向かう。
しかし、そこで佐藤の足が止まった。
「……え?」
視線の先、入り口の壁に貼られた鮮やかな赤色のポスター。そこには無機質なフォントでこう書かれていた。
【お知らせ:駅構内再開発に伴う公衆トイレ閉鎖および解体撤去について】
「……閉鎖? ……撤去?」
頭が真っ白になった。
佐藤にとって、ここは単なるトイレではない。社会という荒波の中で、唯一「個」に戻れるシェルターであり、顔も知らない戦友たちが集う作戦会議室なのだ。
「ガチャン」
震える手で三番個室の鍵を閉める。
中に入れば、いつも通りの静寂がある。だが、入り口で見た「赤紙」の残像が、網膜に焼き付いて離れない。
「……師匠……いますか?」
「……ああ。……見てしまったようだな、三番個室さん」
左隣、二番個室。
師匠の声は、いつもよりずっと低く、どこか重苦しかった。
「師匠……これ、本当なんですか? 来月末には、ここ、なくなっちゃうんですか?」
「……開発計画は以前からあったようだが、このタイミングとはな。……行政と鉄道会社の決定だ。一介の利用者が覆せるものではない」
「そんな……。嘘っしょ!? 僕、今日ここに来て初めて知ったっすよ!」
右隣、四番個室。若の声が裏返っている。
「ようやく、ここが僕の『ホーム』っぽくなってきたのに……。なくなるなんて、聞いてないっすよ!」
「……うるさいわよ、四番個室」
壁の向こう側、女王の声。だが、その声からはいつもの威圧感が消え、隠しきれない動揺が漏れていた。
「……形あるものは、いつかなくなる。それは分かっているわ。でも、……少し早すぎるじゃない。まだ、私たち……お互いの『本当の顔』さえ知らないのに」
四人の間に、重苦しい沈黙が流れる。
これまでは「また明日」と言えば、当然のようにこの場所で会えた。
けれど、砂時計の砂は、音も立てずに落ち始めていたのだ。
「……三番個室さん」
師匠が、静かに名前を呼んだ。
「……はい」
「……聖域がなくなるのなら、我々は新しい場所を探さねばならん。だが、その前に……この『最後のひと月』を、どう過ごすべきか。……諸君、これは我々に与えられた最後のミッションだと思わんかね?」
「ミッション……ですか?」
「そうだ。……この場所がなくなるその日まで、我々はここで、今まで以上に最高の言葉を出し切る。……そして、後悔なくこの扉を開けるようにするんだ」
師匠の言葉に、俺は拳を握りしめた。
なくなってしまうのは悲しい。けれど、悲しんで何もしないのは、俺たちのスタイルじゃない。
「……わかりました。師匠。……最後まで、全力で流します」
「……っすね。僕も、最後までアニキたちについていくっすわ!」
「……ふん。湿っぽいのは嫌いよ。最後の日まで、あんたたちを叩き直してあげるわ」
女王の強気な言葉に、少しだけ救われた。
俺たちは、消えゆく聖域の中で、今までで一番力強く、レバーに手をかけた。
「「「「せーの……」」」」
ゴォォォォォォォォッ!!
洗浄音はいつもと同じだ。
けれど、今日のその音は、どこか切なく、そして決意に満ちた調べに聞こえた。
個室を出て、手を洗う。
鏡の中の四人は、入り口の「赤紙」を見ることなく、それぞれの戦場へと歩き出した。
閉鎖まで、あと三十日。
佐藤誠の、本当の戦いがここから始まろうとしていた。
更新通知を受け取りたい方は、ぜひブックマークをお願いします!
「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、執筆の大きな励みになります!




