160 再訪の約束
お城の客室で二人きりになってから、「何が気に入らないんです?」とヘンリーさんに聞いてみた。
「気に入らないんじゃありませんが。マイさんはこの国を自由に動き回りたいんでしょう? 陛下のお名前が入った身元保証書なんて見せたら、土地土地の偉い人間が出てきて面倒なことになるなあとは思いました」
「そうなの!?」
「そうです。マイさんはだいぶこの世界に馴染んでいますが、身分に関してはいまひとつ、というところでしょうか。陛下のご署名を頂ける立場の人だと知られたら、大騒ぎになりますね」
「うわぁ。どうしましょう」
「まあ、大げさなことになりそうだったら俺が収めます」
ううっ。またヘンリーさんに手間をかけさせることになってしまった。申し訳ない。そう反省していたら、慰めてくれた。
「マイさんのせいではありませんよ。保証者は宰相様で十分だったのに、陛下が自ら申し出てくださったのですから」
「そう言ってくれてありがとうございます。私ね、こういうことがあるたびに、本当にヘンリーさんの奥さんになれてよかったと思ってます」
「ふふ。それは俺のセリフです。マイさんは自分がどれほどすごい魔法使いか自覚がないから。もっと威張っていいんですよ」
そんなことない。私が実生活で知らないことがあって困っていると、助けてくれるのはいつだってヘンリーさんだもの。ヘンリーさんがいてくれるから、私の平穏が守られているようなものだ。
「明日、母に会ってから、マイさんが行きたい場所に行きましょう」
「カルロッタさんと過ごさなくてもいいんですか?」
「いいんです。母は仕事を休みたがらないでしょう。俺と生き別れてからの母にとって、仕事は心の拠り所だったはずです。母は俺を産んでからずっとそうして生きてきたんです。だから俺が来ても、いつもと同じように働きたがる。俺は母のその気持ちを大切にしたいんです。マイさんに出会う前の俺にとっての仕事も、同じでした」
そうか……。そうだよね。カルロッタさんと陛下が悩み抜いて決めた養子縁組だったろうけど、心はそんなきれいに割り切れるわけがない。産んだばかりの我が子を手放して、カルロッタさんはどんな気持ちだったか。
悲しさ、つらさ、寂しさを、カルロッタさんは働くことで忘れようとしてきたんだ。そしてそれはヘンリーさんも同じで……。
「ヘンリーさん、陛下にサインいただいた身元保証書は、次の訪問でも有効かしら」
「おそらく生涯有効です」
「だったら、明日カルロッタさんに会ったら帰りましょうか」
「お店が心配になりましたか?」
「それもあります。それと、働きたくなりました。この国にはまた来月来ましょうよ。観光はそのときにします」
ヘンリーさんがニコッと笑った。
「そうですね。来月また来ましょう。でも、食いしん坊のマイさんは、この国の美味を味わいたいのでは?」
「あっ! それは確かにそう!」
「では、明日は母に会って、庶民の美味を味わったら帰りましょうか」
「はい!」
◇
翌朝早く、カルロッタさんに会いに行った。もう帰る旨を告げると、カルロッタさんはヘンリーさんを抱きしめた。
「また来月会えるのね?」
「うん、会えるよ。マイさんが連れてきてくれる」
「マイさん。私があなたにどれだけ感謝しているか、言葉では伝えられないくらいよ。心から感謝しているの」
カルロッタさんが今度は私を抱きしめた。
「カルロッタさん、これからはお母さんと呼んでもいいですか?」
「もちろんよ! ヘンリー、あなたのお嫁さんはなんて可愛い人なの?」
「可愛いでしょう? 自慢の奥さんなんだ。母さん、そろそろ仕事に行く時間なんじゃないの?」
「そうね。名残惜しいけれど、仕事に行かなくちゃ」
カルロッタさんは私の頬にチュッとキスをしてくれた。続いてヘンリーさんにも。そして私たちが角を曲がるまで、ずっと手を振ってくれた。
私にもう一人お母さんができた。ハウラー家のお母さん、養子にしてくださったお母さんに続いてカルロッタさんも。
お空のお母さんに心の中で語り掛けた。
(ねえお母さん、おばあちゃんのおかげで三人も新しいお母さんができたの。毎日がすごく楽しい。だから私のことは心配しないでね。安心してこの先も見守っていてよ)
こんなふうにお母さんに話しかけたの、初めてかも。お母さんのことを思い出すと悲しくなるから、ずっと話しかけるのを避けていた。でも、もう大丈夫。これからはお母さんにいっぱい話しかけるんだ。
カルロッタさんと別れてからヴェルトラムさんに帰国する旨を告げた。ヴェルトラムさんは「もうお帰りになるのですか」と残念そうだ。
「陛下に身元保証書をいただいたばかりなのに申し訳ないのですが、仕事が気になって。また来月お邪魔したいと思っていますので、身元保証書は次回に使わせていただきます」
「承知しました。お会いできる日を楽しみにしています。陛下には私からお伝えします」
「お願いします。では、繁華街に向かいたいので、護衛をお願いします」
「お任せください」と張り切っているヴェルトラムさんに案内されて、私とヘンリーさんは王都の街の中を歩き回った。そして選んだお店は、ウェルノス王国では見たことがない果物料理専門の店だ。
店内には四十歳ぐらいの女性と同年代の男性。お客さんが三人。ヴェルトラムさんは今回も店の外で待つと言ったけど、「この食事で最後だから一緒に」とお願いして同席してもらった。
メニューは壁に張られていて、全部で四種類しかない。でも、果物の種類を選べるらしい。
『新鮮な果物のジュース各種』『果物のシロップ煮各種』『果物の盛り合わせ』『果物のグラタン各種』
果物の絵がメニューの下に貼られていて、名前こそ違うけど、どれも見たことがある果物の絵だ。
私はマンゴーのジュースと果物の盛り合わせ。ヘンリーさんは三種のベリーのジュースと果物のグラタン、ヴェルトラムさんはジュースだけ。
「美味しいな。果物のグラタンは、思っていたよりもずっとコクがあるよ。だけどアツアツだ」
「だってグラタンですから。火傷しないでね。私のジュースは今まで飲んだ中でも最高の味と香りです。濃厚で美味しい!」
マンゴーのジュースは東京でも飲んだことがあるけど、目の前で絞ったジュースは香りが素晴らしい。
「この店は以前から知っていましたが、入るのは初めてです。今度、妻を連れてきます。果物のジュースはどこで飲んでも同じかと思っていましたが、ここのはとても美味しいです」
ふと他のお客さんは何型獣人なのか気になった。獣の姿になっている人はいない。
感知魔法を放ったけれど、見たことのない色ばかり。(ここで種族の話題は出さないほうがいいのかな? 獣人王国だからいいのかな?)と迷ったので、言葉に出すのは控えた。
チーターのヴェルトラムさんがオレンジ色でライオンの陛下が朱色なことを、帰国したらキアーラさんに教えてあげよう。
満足して果物専門店を出てお城に戻った。ヘンリーさんが宰相様に明日帰ることを報告しに行ったが、すぐに戻ってきた。
「陛下が俺たちの帰国を見送るとおっしゃっているそうです。他国の文官とその妻を国王が見送るなんて、普通はしないんですけど」
「姿を消すところを見たいのかしら」
「いや、リーズリー氏に聞いたら、陛下は魔導具で帰る様子を一度見ていると言っていました。別の意図があるんじゃないかな。なんだろう」
「王子様を助けた私たちに悪意を向けるはずがないから、大丈夫ですよ」
ヘンリーさんは「そうですね」と言いつつも心配そうだ。
「いざとなったら私の魔法でなんとかします」
「奥さんが魔法使いだと、こういう場合に心強い。まあ、国同士の争いになるようなことはなさらないとは思います」
私たちは少々の心配を抱えて謁見室に出向いた。リーズリーさんも一緒だ。魔導具の瞬間移動装置を抱えているから、ウェルノス王国に持って帰るらしい。
謁見室の床に魔法陣の拡大コピーを広げ、その上に三人で立って陛下がいらっしゃるのを待った。リーズリーさんが私に小声で話しかけてきた。
「陛下がわざわざお見送りしてくださるとは、殿下を助けたお礼だろうか。それにしても護衛騎士の他は誰もいない。なぜだ?」
「さあ。どういうことでしょうね」
私がそう言ったところで前方のドアが開いた。入ってきた陛下のお姿を見て「あっ!」と思わず声を出してしまった。だって、陛下と王妃様がライオンの姿なんだもの。
すごい、本当にライオンだ。なんて迫力があるんだろう。かっこいいよぉ!
お二人の後ろには人の姿の王子様。その後ろから入ってきたオル・ナハル宰相様はキアーラさんと似たタイプの陸亀で、その宰相様に続いてほっそりしたチーターが優雅に歩いてくる。ヴェルトラムさんだ! おでこから口の脇に走る黒いラインが素敵だ! 体の模様が素晴らしく美しい。
「ウェルノス王国の君たちをこの姿で見送ったら喜ばれるだろうと思ったのだが、マイよ、驚いたかな?」
「美しくて優雅な皆さまのお姿を拝見できて、こんなに嬉しいことはありませんっ!」
鼻息荒く答えてから左右のヘンリーさんとリーズリーさんを見たら、はっきりと驚いた顔をしている。
近くで見るライオンのかっこよさったら。堂々たる体格、顔を囲んでいるたてがみの迫力と優雅さ、めっちゃ太い手足。王妃様も美しくて強そう。すんごい強そうなんですけど! はああ、眼福!
宰相様が「ずいぶん驚いているようですな。陛下の思いつきは大成功ですよ」と笑う。
陛下と王妃様が並んで伏せた姿勢になり、チーターがゆっくり近寄ってきた。ヴェルトラムさんだとわかっていても、ちょっとドキドキする。チーター姿のヴェルトラムさんが、広げた魔法陣の際まで来た。手を伸ばせば触れられる距離だ。
「ヴェルトラムさんですよね? 私が触っても許されますか?」
「問題ありません。お好きなだけどうぞ」
そう言ってヴェルトラムさんが首を伸ばした。そっと頭に触れてみた。うわぁ、手触りが柔らかくてフカフカだ。
「いかがです?」
「最高の手触りです!」
「そうでしょう。毛の手入れには力を入れていますからね」
うわーうわー、最高アンド最高! 嬉しさのあまり手が止まらなくて、そっと撫でていた手の動きが速くなってしまう。わしゃわしゃと撫でまくっていたら、リーズリーさんに止められた。
「店主殿、そのくらいで」
ハッと我に返ったら、ヴェルトラムさんの毛並みが乱れてモサモサになってる。
「うわわ、すみません、すみません。つい夢中になってしまって。ありがとうございました、ヴェルトラムさん。最高の手触りでした」
「喜んでいただけたようで何よりです」
ヴェルトラムさんが魔法陣から離れ、ヘンリーさんが恭しくお別れの言葉を述べた。
「個人的な訪問にもかかわらず温かく迎えていただき、心のこもったおもてなしをしていただきました。深く感謝しております。来月、またお邪魔することもお許しいただき、ありがとうございます。では、美しい皆様のお姿を心に刻んで、失礼いたします」
「王子がそなたたちとまた会いたいと繰り返しておる。再訪を心待ちにしているぞ」
「僕、また魔法を見たいです!」
「はい、また来月、殿下にお見せしますね」
「ではそろそろ失礼します。お世話になりました」
ヘンリーさんがそう言って私を見た。始めてくださいという合図だ。
床の魔法陣に魔力を注ぐ。紙に描かれている黒い魔法陣が白く眩しく光って、私たちはウェルノス王国へと出発した。





