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第39話「見ててくれた」

控え選手のボイコットと、マネージャー二人の初ゲンカ。

めったに来ない一年生の教室。去年まで自分たちがいた場所。廊下を歩く生徒たちは一つしか違わないのに、みんなどこか子供っぽく見えてしまう。


「夏希ちゃん、ここだよ。1-A」

紗良ちゃんが入り口の上にあるプレートを指さす。私はクラスを確認して、もう一人の同行者を振り返った。

「何しぶい顔してんの。行くよ」

キャプテンの未散が、いかにも嫌そうな顔で離れてついてきている。

「広瀬ー。やっぱり俺は行かない方がいいと思うんだ」

「そんなことないって。練習に来ないってことは、きっと何か言いたいことがあるはずなんだから」

「俺がいると逆効果になるぞ、きっと」


国分君が、連絡無しで練習を休んで丸二日がたった。同じクラスの狩井君によると、数日前から何を聞いても「うん」としか言わず、心ここにあらずといった様子で、放課後一緒に練習に行こうかと思った時にはすでに姿を消していたという。


普段から、言っちゃ悪いけど存在感が薄い子だったけれど、いないとなるとやっぱり心配だ。何よりサッカー部は部員が十五人しかいない。もし国分君がいなくなったら控えが三人しかいなくなってしまうのだ。県大会直前で、それはまずいと思う。


私はガラリと1-Aの教室の戸を開けた。

六限目が終わってから、私と紗良ちゃん、そしてしぶる未散と3人で国分君を迎えにきたのだ。ここまで来たらもう逃げられないだろう。

「……」

教室中を見回しても、国分君はどこにもいなかった。

狩井君がこちらに気づいて走ってくる。

「す、すいません!国分、さっきまでいたはずなんですけど、いつのまにかいなくなってて」

「忍者みたいなヤツだな」

未散がのんきな感想をもらす。まったく、このキャプテンは。

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」


こないだの体育祭。結局私も走るハメになった部活対抗リレーで、未散はアンカーを務めた。

負けたらあの暑苦しい陸上部のキャプテンとデートしなければいけないという大ピンチで、未散は私からバトンを受け取り、僅差で勝利をもぎ取ってくれたのだ。部活対抗リレーで陸上部以外が優勝するのは史上初だったらしい。


私には、いわゆる乙女心というものは無いものだと思っていたけれど、少なくとも私にとってのピンチを全力疾走で救ってくれた彼は、私の目にはとても頼もしく映って。

仰向けになって息をはく姿が、ちょっとだけかっこいいなと思った。


それなのに。


「俺は俺で色々考えるから、直接会うのはマネージャーズに任せるよ。こばっち、後でタブレット貸して。今までの練習データ入ってるやつ」

「うん。後で届ける」

それだけ言って、未散は背を向けて帰ってしまった。

せっかく頼もしくてかっこいいと思ったところなのに、人間関係のトラブルから簡単に逃げ出すなんて。ちょっとガッカリだ。


「夏希ちゃん、どうする?探す?」

紗良ちゃんが、私に言った。帰っていく未散の背中をじっと見ていたようだけど、何だろう。

「探すって言っても、手がかりがないと」

私は狩井君に向き直る。

「ねえ、狩井君。国分君て普段どんな子?」

じっと目を見ると、狩井君は少し赤面して、慌てて目をそらした。シャイな子だ。

「そうですね……。僕も、同じクラスですけどあんまり良く知らないです。練習中もしゃべらないヤツですし」

「そうだよねえ」

「自分のこともあまり話さないんです、あいつ」


いつのまにか1-Aの生徒たちが周りに集まってきていた。視線を向けると、女の子たちは「キャー」と言い出し、男の子たちは遠巻きにこちらをチラチラ見ている。だいぶ落ち着いてきたと思ったけど、ポスターの効き目はまだまだ薄れないな。


私は一人の男の子を手招きして呼んだ。

「はいっ!あ、あの、俺、広瀬先輩のファンです!部活対抗リレー、かっこよかったッス!」

短髪で日に焼けた男の子が、顔を真っ赤にして言った。

「そ、そう?ありがとう」

芸能人でもあるまいし、ファンと言われても何て答えればいいのか。

私は話をそらすように、男の子に聞いた。

「国分君て、普段どんな人?」

「え、国分ですか?」

男の子は困ったように、後ろで悔しそうな顔をしている友人たちを振り返った。結局その男子たちも周りに集まってしまう。

暑い。暑苦しい。

「国分の印象って、あんまりないんですよね」

「そうそう。無口だし」

「でもさ、気づいたら近くにいることない?」

「ああ、ある。あれ結構びびるよな」

「たまに話に入ってこようとはするけど、あいつ自分の意見言わないんで、正直つまんないっていうか」

「そりゃ言いすぎだろ。悪いヤツじゃないって」

口々に男子たちが語る。


サッカー部での姿とは少し違う国分君が見えてきた。部活では一切しゃべらず、輪に入ろうともせず、黙々とボールを蹴っているイメージしかない。何度か話しかけてみてもあまり反応が返って来なかったからあきらめていたけど、もう少し時間をかけるべきだったかな。


すると、女子の一人が口をはさんできた。

「私、係の仕事手伝ってもらったことある」

「私もー」

「何か話しかけたそうに見てる時ない?」

「ああ、あるある。あれちょっと怖いよね」

「うん、キモい」

女子の評価は辛いな。でも、確かにそういうところはある。何か言いたくても言えないような、そんな目をしていた時が今思えばあったかもしれない。

「みんな、ありがと。もし国分君に会ったら、サッカー部のみんなが待ってるって伝えてくれる?」

私は1-Aのみんなにお願いして、午後の練習に向かった。


国分君がいなくても、練習はいつもと変わらず行われる。冷たいようだけど、事実だ。

国分君は控え。しかもキーパー以外のポジションならどこでも無難にこなせる究極のユーティリティープレイヤー。

もう一つ未散が言うには、「うちでただ一人、右足と左足を同じように使える器用なヤツ」という特徴もある。スタメンではなくても、何が起こるかわからない県大会に臨むには、必要不可欠な戦力だ。

だと言うのに、未散は来ない国分君と連絡を取ろうとするでもなく、探しに行くでもなく、紗良ちゃんから借りたタブレットをベンチでずっといじっている。

私は未散の隣にドスンと腰を下ろした。タブレットをいじる手が止まり、チラリとこちらを見る。

「何だよ」

「探しに行かないの?」

「アテもなく闇雲に探したって、どうしようもないだろ。もし家に帰ってたとしても、迎えに行って出てこなきゃどうしようもないし」

「未散って、時々冷たいよね」

「どこがだよ!」

未散がムキになって言い返す。

だって、もうちょっと心配そうにしたってバチは当たらないと思うし。


ふと視線を感じて顔を上げると、照井君が私たちを見て立っていた。

「何だよ」

未散が不機嫌に尋ねる。完全に八つ当たりだ。

しかし照井君は気にしたふうもなく、

「いえ、別に。ただ二人の言い合いが、俺のことでケンカするうちの両親に似てたんで」

「なっ」

自然に未散と目が合い、慌ててそらす。耳が赤くなっている。私の顔がどうなってるかは、考えたくもない。

「わざわざそんなこと言いにきたのか、お前は」

未散が一つ咳払いをして言った。照井君は、

「違いますよ!国分がどうなったのか気になって」

とあわてて手を振った。

「まだ捕まらないの。照井君、国分君に何か変わった様子なかった?」

私が聞くと、照井君はしばらく考えこんだ。

「わかんないスね。あいつ、あんまりしゃべらないんで」

「そう」

クラスで聞いた話と同じだ。


「あ、でも」

「何?何でも言って」

照井君の視線がチラチラと未散を気にしている。何だろう。

「あの、別にキャプテンを責めてるわけじゃないんですけど」

未散がピクッと反応する。

「そんなことは気にしなくていいから、何かあるなら言ってくれ」

「はい。えっと、俺、国分の気持ち、ちょっとだけわかるんですよ。がんばってもレギュラーになれない気持ちっていうんスかね」

未散は何も言わない。照井君は続ける。

「特に、俺も国分も、同じポジションに別の運動部から入ってきた先輩が来て、レギュラー取っちゃってるんで。あ、でも俺は別に不満無いスよ。金原先輩の高さも、茂谷先輩の読みも、俺には無いものなんで、納得してますし」

「国分君は、納得してないってこと?」

「そういうわけでもないと思いますけど。俺は、銀次先輩や茂谷先輩とよく話して気をつかってもらってますし。でも国分は、そういう輪にも入って来ないんで、いろんなことが溜まってたのかなと、今は思います」


いろんなこと。


照井君が立ち去って、しばらく沈黙が続く。

未散はタブレットをひざの上に置いて言った。

「あいつ、絶対俺のこと責めてたよな」

「そういうひねくれた受け取り方しないの」

私が言うと、ごまかすように咳払いした。

「今の話はともかく、どういう理由で来ないのかは本人に聞かないとはっきりわからないけど、俺が試合にあまり出してやれてないのが原因の一端なのは、多分間違いない」

「うん」

私はうなずく。

「そんな状況で、お前は必要な戦力だって俺が言ったって、呼び戻すために心にもないこと言ってるだけだって受け取るに決まってる」

「そんなの、言ってみなきゃわからないじゃない」

「俺にはわかる」

「何で言い切れるの」

「昔似たようなことをしたからだ」

未散の声が少し変わる。昔の話をする時は、いつもこんな感じになる。

「いつ?一年の時?」

「いや、もっと前。ユニフォーム注文しにショップ行った時、店長さんが見せてただろ。あの大会」

「ああ」

小学生時代の大会。決勝戦でほぼ勝負が決した後、試合に出てない選手と未散が交代させられた話。

「でも、その後別のチームに移ったんでしょ?」

「結果的にな。でもその前に、しばらく練習を無断で休んだ時期があったんだ」

「へえ」

子供みたい。あ、当時小学生なら子供か。

「その時、監督は迎えに来たの?」

「来たよ。毎日な」

未散は何か思い出すように遠くを見つめ、眉をしかめた。

「その時は顔を見るのもイヤだったし、ずっと避けてた。俺はさ、多分その時、監督に毅然としてほしかったんだ。今思えばだけど。監督として、チーム全体を考えての判断だって言ってほしかった」

「実際は何て言ったの?」

「ずっと機嫌取ってきたよ。わざとらしく。見てて情けなくなるくらい。後から何を言ったって、過去に取った行動は変わらないのに」

そういう未散の顔は、ほんの少し苦しそうに見えて。

「それで、別のチームに移ったの?」

「そうだ」

未散は再びタブレットを触り始めた。

「俺も、国分にはちゃんと戻ってほしいと思ってる。無関心なわけじゃない。絶対必要な戦力だ」

「うん」

「だから広瀬は何とか国分を捕まえて、無理やりでも引っ張ってきてくれ」

「……やってみる」

簡単に言ってくれる。でも、無関心なわけじゃないって言ってくれたし、ちょっとがんばってみるか。


翌日、私は少々荒っぽい手段に出た。

六限目に「女子の事情でお腹が痛いです!」と先生に言って、授業途中に教室を抜け出した。そして一旦保健室へ避難する。


事情を聞いた江波先生は、私に麦茶を出してくれて、一つため息をついた。

「チームのためとはいえ、よくやるね、あなたも。みんなの前で『女子の事情でお腹が痛い』なんて」

言うと、江波先生はクスクスと笑い出した。私は赤面しつつ、

「笑わないでくださいよ。すっごく恥ずかしかったんですから」

と抗議した。

「だろうね」

先生はお茶を一口飲んだ。

「それで、国分君を呼び戻す算段はついてるの?」

「いえ、まったく」

「何それ」

「だって、すぐ逃げちゃうから全然会えてないんです」

だから、先生に嘘をついてまで授業を抜けだしたのだ。廊下で待ち構えて、授業終了と同時に1-Aに突入すれば、さすがに捕まえられるだろう。


「ちなみに聞くけど、広瀬さんは選手時代、試合に出られないことってあった?ケガとか出場停止以外の理由で」

「え」

不意に問われて、私はあごに手を当てた。

「……ないです。レギュラーだったので」

「なるほど。でもそれだと、説得は難しいかもね」

「何でですか?」

「もしも、どんなにがんばってもレギュラーになれない選手の気持ちがわかるのか!って国分君に聞かれたら、何て答えるつもり?」

「それは」

何て答えよう。わからない。

「それは、その時考えます。誰かを説得するなんてこと自体、初めてに近いですから。やる前から考えてても仕方ないです」

「そっか。それもそうだね」

時計を見る。授業終了五分前だ。

「じゃ、私そろそろ行きます。お茶ごちそうさまでした」

「はい、がんばってね。あ、広瀬さん」

立ち上がる私を、江波先生が呼び止める。

「はい」

「男の子はプライドが高くて面倒くさいからね。それは国分君みたいなおとなしいタイプの子でも一緒だよ。口で言ってることと本当に求めてることが違うこともある」

「そうなんですか?」

「そうだよ」

助言に感謝しつつ、私は保健室を出た。


授業終了のチャイムが鳴った。1-A前の廊下でスタンバイしていた私は、先生が教室を出るのと入れ替わるように、スルリと中に入った。そして教室中を見回す。


生徒たちの顔が視界に入る。みんなきょとんとして私を見ている。当たり前か。でもその生徒たちの中に、国分君の顔は無かった。

私は近くにいた男子生徒に聞いた。

「ねえ。今日、国分君は?」

「へ?え、えーと、国分は体調が悪いってことで昼に早退しましたけど」

してやられた!

私は一言お礼を言って、1-Aから足早に立ち去った。ああ、もう、今日は恥ずかしい目にあってばっかりだ。


競技場に行き、いつも通りの練習。私は未散にことの顛末を話し、

「ごめん」

と謝った。おのれの力不足というか、とても情けない気分だ。

「広瀬が謝ることじゃないって。俺も、これにかまけて任せっきりだったし」

言うと未散は、タブレットを私に手渡した。

「何」

「多分、国分が求めてるものがこの中にある。100%の自信は無いけどな」

「見ていい?」

「おう」

私はタブレットを起動して、中身をスライドしていく。未散がキャプテンになってからの練習のレポートだ。

「これ……全部未散が書いたの?」

「ほとんどこばっちのおかげだ。とにかく細かいところまで毎日記録しててくれたから」

「ふーん。すごいね、紗良ちゃんは」

ほんの少し、トゲのある言い方になってしまった。変に思ったかな。

「とにかく、もう時間がない。もうすぐテスト週間になっちゃうから、それまでに呼び戻したい」

「わかった」

明日こそ、絶対に国分君を捕まえる!


練習終わりの更衣室。いつも通り紗良ちゃんとしゃべりながら着替えを済ませる。

国分君のことにかかりっきりだったけど、私の目には、紗良ちゃんの様子も時々おかしく見える時があって。

練習中、何か物思いにふけるような瞬間が増えたように思う。普段からおとなしい子だから、元気が無いというのとは違うんだけど。


ロッカーの扉を閉めて、私は言った。

「そういえばさ、タブレット見たよ。すごいね、紗良ちゃんは」

「え。あ、そ、そうかな」

紗良ちゃんが照れたように答える。

「そうだよ。データに強いし、未散と戦術の話もできるし」

「あ、あはは……」

「私も、パソコンでも覚えようかな」

出口に向かって歩き出す。

でもついてくる気配がなくて、私は足を止めて振り返った。

「紗良ちゃん?どうしたの?」

紗良ちゃんは、じっと下を向いていた。一歩も動かない。

「……どうして、そんなこと言えるの?」

「え」

何。

「紗良ちゃん?」

彼女が顔を上げる。目に涙が浮かんで、唇が震えている。

「パソコンでも?でもって何!?私には、それしか無いのに!」

紗良ちゃんのこんな大きな声、初めて聞いた。

「ご、ごめん。そんなつもりじゃ」

「夏希ちゃんは、私に無いもの全部持ってる。美人だし、スポーツも万能だし、成績だって偏りなくいいし、みんなに好かれてるし。ポスターのモデルにまでなった!私は、私は」

彼女の頬に涙がポロポロとこぼれていく。

私は呆然として、ただそれを見ていることしかできなかった。

「私には、データしかないの。それしか、彼をつなぎ止める方法が無かった。なのに」

「え、彼……って」

「それまで私から奪うの?!夏希ちゃんには、負けた人間の気持ちがわからないんだよ!」

どん!と私を体ごとどけて、紗良ちゃんは更衣室を走って出て行った。

私はバッグを床に落とし、ロッカーにもたれかかる。

そしてそのままズルズルと座り込んだ。


その晩。

秋穂がお風呂に言ったタイミングで、私は電話をかけた。

「よっ。どうした」

変わらない兄さんの声。それが、今は何だか無性にありがたくて。

「ごめんね。今、いい?」

「おいおい何かあったのか?いきなりごめんねから入るなんて、夏希らしくないぞ」

すごく失礼な理由だけど、兄さんは敏感に気づいてくれた。それに期待して電話した自分も、今は嫌いだ。


私は国分君のボイコットをかいつまんで話した。今日の紗良ちゃんとのことは、言わないでおいた。

「女同士のことは光冬に聞け」と言われるのがオチだから。

「そうかあ。ああいうおとなしいタイプは、溜めて溜めて急に爆発することがあるんだよな。しかしタイミングが悪いなあ」

「うん。もう初戦が近いから、焦っちゃって」

「いいか、夏希。気持ちを理解しようとするのも、反省するのも悪くないけどな。あんまりそこにこだわるとバカを見るぞ」

「どういうこと?」

「元気なヤツでもおとなしいヤツでも、選手ってのはワガママで自分勝手なヤツが多いってことだよ。どんなヘボい監督でも、選手は自分をスタメンで使ってくれた監督なら簡単に誉めるしな。言うことに筋が通ってるなんて思わない方がいい」

「……そういうもの?」

「そうだ。だからな、お前も普段通り強気で行け。変に気をつかわれると、今度は彼が戻りづらくなる」

「私、そんなに気が強いかな」

「自覚が無かったのが驚きだ」


それからしばらく、いつも通りのやり取りをして電話を切った。

ちょうど秋穂がお風呂から戻ってくる。

「だーれとラブコールしてたのー?藤谷先輩?」

タオルで髪を拭きながら、妹がニヤッと笑う。私はタオルを取り上げて、髪をクシャクシャにかきまわす。

「やめてー!髪がめちゃくちゃになるー」

どこかで聞いたセリフ。誰だったっけ。

インターホンが鳴った。しばらくして、お母さんが私たちの部屋に顔をのぞかせた。

「夏希。お友達」

「私?」

「そ。可愛らしい女の子」

私はタオルを秋穂に押しつけ、玄関に走りだした。


「ご、ごめんね。急に来ちゃって」

玄関先に立っていたのは、紗良ちゃんだった。私服姿は初めて見る。青いシャツに白いズボン。スッキリしていて、とても彼女らしい。

おどおどして、さっきから一度も目を合わせていない。私だって気まずい。

「う、ううん。それはいいけど。家、よくわかったね」

「うん。住所は分からなかったけど、藤谷君にあそこの公園の場所聞いて、そこから見える白い壁の家を地図ソフトで割り出したの」

「そんなの電話一本くれれば」

言いかけて、ふと気づく。私は紗良ちゃんと連絡先の交換をしていない。もう、出会って何ヶ月も経つのに。

「上がってく?」

紗良ちゃんは首を振った。

「じゃあ、公園に行こう。ここじゃ話しにくいし」

私たちは、あの公園へと歩き出した。

道中はずっと無言で、私は隣を歩く自分より十センチ以上背が低い女の子に、何て声をかけたらいいか分からないでいた。


未散と仲直りした小さな公園。あれはもう、はるか昔の出来事のように感じる。


薄暗い街灯の光を頼りに、古いベンチに二人で座る。

「一言、謝りたくて」

消え入るような小さい声で、彼女は言った。

「そんな。謝らなきゃいけないのは、私だよ。あんな無神経なこと言って」

「ちがうの!」

紗良ちゃんは声を張り上げて、伏していた顔を上げた。泣きそうな目だけど、今度は泣いていない。

「わ、私が、夏希ちゃんに八つ当たりしたの。夏希ちゃんは何も悪くないのに」

「……どういうこと?」

「合宿の時、藤谷君に、その、告白、のようなものをして」

「え」

ギュッ、と心臓の裏側をつかまれたような、息苦しい感覚に襲われる。

「藤谷君は」

紗良ちゃんは私の顔をじっと見た。

「好きな人が、いるからって。つまり、その、振られちゃって」

「……そう、だったんだ」

知らなかった。そんなことがあったなんて。でも思い返してみると、私たちがビーチバレーに熱中していた時、未散と紗良ちゃんは二人で砂のお城を作っていた。その後紗良ちゃんはなぜか海の家から帰ってこなかった。多分あの時だ。


そして未散が私をデートに誘ったのは、合宿の最後の夜。それは、つまり。

首筋が熱くなる。心臓が慌ただしく動き出す。だって、それって、そういうこととしか。

「だから、今日のはどう考えても、私の八つ当たりで、帰ってから、もうどうしようもなく情けなくなって。今日謝らなくちゃ、このままズルズル気まずくなっちゃうって思って、それで、来たの」

「……」

何て言っていいのかわからない。こんな時、口下手な自分の性格が恨めしい。

「夏希ちゃん、ごめんね。本当にごめんね」

今度こそ、泣きながら紗良ちゃんは繰り返した。

「私も、謝らなきゃ」

「そんなことないよ。私が」

「ううん」

私は紗良ちゃんの言葉をさえぎって続けた。

「私も、ちょっと嫉妬してたんだと思う。未散は、難しい戦術の話とか、サッカーに関することはほとんど紗良ちゃんに相談するでしょ?それって、私には言ってもムダだって思ってるのかなって。それが少し悔しかったし、うらやましかった」

「夏希ちゃん……」

手の甲で涙を拭いながら、紗良ちゃんがつぶやく。

「だから、先にイヤなこと言ったのは私」

「……そんなこと」

どちらからともなく、クスリと笑う。十月の夜はTシャツ一枚じゃ少し頼りないけど、友達と一緒なら大丈夫な気がした。


私はおもむろに左足の靴下を脱いだ。きょとんとする紗良ちゃんに、手術の跡を見せる。

「……あ」

「海で見たかもしれないけど、これ、昔のケガのあと」

私は前に未散に話したケガの話を、紗良ちゃんに繰り返した。

紗良ちゃんは表情豊かに聞いてくれて、最後にはもう一度泣き出してしまった。

「そんなに泣かなくても」

「ぐしゅ。壮絶すぎるよ、夏希ちゃんの人生」

「人生って」

私は靴下を履き直しながら、

「だからね。確かに私は、負けた人の気持はわからないかもしれない。でも、打ち込んでたものを失った人の気持ちだけはわかるつもり」

「……夏希ちゃん、そこは根に持ってたんだね」

「ちょっとね」

もう一度、二人で笑った。明日国分君が捕まったら、ちゃんとぶつかってみよう。今日みたいに。

「紗良ちゃん、ありがと」

「え?何が?」

きょとんとする紗良ちゃんと並んで、私は家に戻った。


翌朝。私は自分の席にバッグを置くなり、足早に2-Eの教室に向かった。中に入ると、菊地君と梶野君の姿が見える。

「よお、広瀬。珍しいな」

「広瀬さん、おはよう」

「おはよ。ねえ、古市君は?」

菊地君が黙って背後を指差す。ホワイトボードの前で日直の仕事をしている。私はズンズンと近づいて、声をかけた。


「古市君」


振り返ったのは、フチ無しメガネに温和な笑顔のひょろっとした男子。背番号ドラフトの司会者にして、部活対抗リレーの実況を担当した、放送部の古市君だ。

「広瀬さん!どうしたの?」

目を丸くして驚いている。相変わらず声がいい。

「古市君、お昼の放送やってるよね?」

「うん。放送部だからね」

「お願いがあるんだけど、聞いてくれる?」


四限が終わって、私はお弁当を後回しにして放送部へ向かった。放送室にはすでに古市君をはじめとする放送部の部員たちが集まっている。

「どうも、2-Bの広瀬です。今日は、わがまま聞いてもらってありがとうございます」

ペコリと頭を下げると、なぜか拍手と歓声があがる。

恥ずかしい。

「広瀬さん、初めて生で見ちゃったー。顔ちっちゃーい」

「すんません、写真いいすか?」

「あ、ずるい、私もー」

放送部の人たちが周りに集まってくる。後ろで古市君が「ごめん」のポーズを取っている。頼みごとを聞いてもらうんだから、これくらい何てことない。


放送ブースの壁には、「放送中」と書かれた赤いパネルが付いていて、本番中はこれが光るのだろう。テレビで見たことある。その下には大きな窓があって、手前に長机とイスが二脚。机の上にはマイクスタンドが二本。入るのは初めてだけど、思ったより簡素な作りだ。結構散らかってるし。


「ごめんねー。普段はもうちょっと綺麗なんだけど」

古市君がイスを引いてくれる。私は「どうも」と言って腰を下ろし、せきばらいをした。

隣に古市くんが座り、マイクのスイッチを入れる。大きな耳かきのような棒を持ち、小さな鉄琴を叩き始めた。ピンポンパンポーンという、よく聞くあの音。手動で出してたんだ!いや、驚いてる場合じゃない。古市君が指で私にキューを出す。『放送中』の赤いパネルが点灯する。

私は音を立てないように息を吸い込んだ。


「サッカー部マネージャー、広瀬夏希からの業務連絡です。1年A組、サッカー部の国分涼君。1年A組、サッカー部の国分涼君。六限目終了後、2年B組の教室まで来なさい。繰り返します。六限目終了後、2年B組の教室まで来なさい。もし来なかったら、一生後悔するよ。以上」

古市君が締めの鉄琴を叩いて、マイクのスイッチが切られた。赤いパネルも消灯する。


「ありがとう。助かった」

イスから立ち上がり、大きく伸びをする。たったこれだけの時間でもずいぶん緊張した。放送部の人たちはすごいな。

「いやあ、すごいね、広瀬さんは」

古市君が感心したようにうなずいている。

「何が?」

「初めてにしては落ち着いてたし、声もいい。それに、校内放送で誰かを脅迫するなんて、史上初じゃないかな」

「脅迫なんてしてない」

「少なくとも、その国分君はびびってるだろうね」

楽しそうに古市君が笑う。

先生に怒られるのは構わないけど、国分君はちゃんと聞いてくれたかな。


六限目のチャイムが鳴った。

未散は「頼んだ」と言い残して、先に練習へ向かう。私は教室の入口付近のすみっこに身をひそめた。クラスメイトが不審な目で私を見ながら帰っていくけど、気にしている場合じゃない。


B組の生徒たちが大方帰ってしまい、教室内は一気にガランとして静まり返る。

私は廊下側の窓と入り口を、一度きっちり閉め直した。そして再び、入り口の近くでしゃがみこむ。


しばらくして、カラ、と教室の引き戸が動いた。ゆっくりと、ちょっとずつ。

まるで中をこっそり覗き込むように。


勝負だ!


「国分君!」

私は立ち上がり、一気に引き戸を開けた。

「ひいいいっ!」

悲鳴を上げて廊下に尻もちをついているのは、果たして国分君だった。

「ひ、広瀬先輩。何してるんですか?」

「それ、君が言う?ずっと逃げまわってたくせに。昨日は君のせいで、余計な恥までかいたんだからね!」

「す、すみません」

「お昼の放送、聞いたの?」

「聞きましたよ!あれ完全に脅迫じゃないですか」

よしよし。作戦成功だ。私は今度こそ逃げられないように、国分君を教室の中に引っ張っていく。

幸いB組の生徒は一人もいなくなっていた。


「座って」

私は自分の席に座り、国分君を未散の席に座らせた。そしてバッグから取り出したタブレットを彼に渡す。

国分君は戸惑ったように私を見た。

「今さら、何で来なくなったとか、心配してたとか、説教じみたことは言わない。未散がそれ見ろって」

「キャプテンが……」

国分君がタブレットを立ち上げ、画面に注目する。

「私も見ていい?」

イスを近づけ、画面を覗きこむ。


『今日は初っぱなからミニゲーム。新しく入った狩井、国分という一年が参加。経験者だけにかなり使えそうだ。特に狩井はインサイドキックが正確だ。国分も堅実だが、もう少しスピードとテンポを意識してほしい』


『性格のせいか、国分がなかなか良くなってこない。どうしても確実なトラップをしたいらしい。確かに大事だが、それだと強い相手には簡単につぶされてしまう』


『軽部が入って、左サイドバックにメドがついた。これで国分を中盤に回せる。菊地はスタミナに不安があるし、皆藤も慣れれば読まれやすいタイプだから、国分みたいなタイプが交代で出せると助かる』


『国分の左足は、多分うちの部で一番正確に使える。課題はプレースピード。もう少し、シュートも意識してほしい』


結構厳しい注意が多い。もっと褒めてあげた方がいいんじゃないか、と思うんだけど。


レポートは国分君が入部してから最後に練習に出た日まで、全部の日にプレーの感想が書かれていた。もっともこれにはウラがあって、紗良ちゃんが取っていた記録から、未散が「国分なら、きっとこういうプレーをしていただろう」と創作も含めて大急ぎで書いたレポートだ。


「……ぐすっ」

鼻水をすする音に、私は国分君の顔を見た。口をへの字にして、目から涙が落ちないように上を向いている。もう泣いてるのバレてるのに。

でも、これが男の子なんだな、きっと。

「キャ……キャプテンは、僕のこと、見ててくれた。いても、いなくても、どうでもいい存在じゃなかった」

タブレットの表面にポタポタと涙が落ちる。

「そうだよ。必要なメンバーだよ」

私が差し出したハンカチで、国分君は涙をぬぐった。

「私はね、正直言って、サッカーやってた時も控えになったことは無いし、試合に出られない人の気持は全部はわからないかもしれない。でもね」

国分君黙って聞いている。

「もし国分君が今サッカー部やめちゃったら、一生後悔すると思う。好きなことを好きなまま、あきらめなきゃいけない気持ちだけは、私もわかるから」

「広瀬先輩……」

落ちた涙が、タブレットのページを勝手にめくる。

最後のページには、こう書かれていた。


『国分が練習に来ない。せっかく、そろそろフリーキックのコツを教えてやろうと思っていたのに、残念だ。代わりに皆藤にでも教えてやろう』


ガタン、と国分君が立ち上がる。

「練習、行かなきゃ」

「うん。行って。未散が、学校の方の練習場で待ってるって」

「はい!」

国分君は教室からダッシュで出て行った。

「……やれやれ」

私はスマホを取り出し、未散に「国分君、そっち行ったよ」とLINEで送る。しばらくして返信。


『すべてお前のおかげだ。ありがとう。広瀬がいてくれてよかった』


……私は何度かそのメッセージを読み返し、個別に保存することにした。


遅れて練習場に行くと、未散が国分君と二人だけでボールを蹴っていた。フリーキックの伝授ではなさそうだ。私に気づいて未散が片手を上げる。私も手を上げて応え、ベンチに腰を下ろす。


十月の夕焼けは、ボールと戯れる二人の少年を優しく照らしている。私の苦労なんか無かったかのように、楽しそうにボールを蹴っている二人。腹は立たないけど、ちょっと男の子がうらやましい。


国分君は未散のスピードに必死についていって、未散はそれを優しく見守っている。そんなキャプテンを見て、私は。


昨日の夜、別れ際に紗良ちゃんから聞かれたこと。


『正直に、答えて。夏希ちゃんは、藤谷君のこと、どう思ってるの?』


その時は自信が無かった。答えなきゃと思って、あいまいな気持ちのまま答えた。


でも今は、その答えに間違いは無かったと、自信を持って言える。


つづく

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