第40話 内心の声、もう一人の僕の声?
2/15分は後2話投稿します。
平日18時土日祝12時投稿
ミネさんが奥の迎撃の手伝いに行ってから数分が経った。
僕は相変わらず、部屋の中にいた。そして、実は部屋の隅で院長が瞑想をしていたのだった。
「院長は加勢に行かないんですか」
「儂が行くほどのこともあるまい」
「そうなんですか」
「戦士団は優秀じゃよ。たとえテスェドが欠けても、補って余りある戦力はそろっている。世代交代はすぐそこまで迫っていたわけじゃ」
本当は、長老院の世代交代も成されるはずじゃったがの……。と彼はこぼした。
「あれ、テスェドさんに席を譲るつもりだったんですか?」
「馬鹿言え。わしはこのままいるわい。あと三百年は現役よ」
ところで、と彼は前置きした。がしゃり、と大きな腕輪が地面にこすれる音がした。
「おまえさん、村が滅びる、ってえのは、本当に聖樹の声なのかの」
「聖樹の声は聴いておりませんよ」
「ふむ……」
「あれは、ミネさんが勝手に勘違いしただけです」
「じゃあ、どうして、それを言った? 自覚はないだろうが、巫女の言うセリフではあるまいに」
「巫女だろうが、院長だろうが、村の危機を告げるのは、誰だってありうることだと思いますけれどね」
口から言葉がするりと抜ける。僕はどこか浮ついた気持ちでいた。白昼夢が再び引き戻されつつあるのを感じる。
――『記憶にございません』
「院長は、だから、加勢しなくていいのか、と聞いているんですよ。戦士団が優秀なのは、僕はこの町に来てから、たっぷり聞きましたよ。それでも、なぜ、僕がこう伝えていると思いますか?」
「……戦士団のみでは、防ぎきれないと?」
「半分正解です……」
僕はいったい何を……? 口が勝手に動くのを感じる。
――『夢を見るのだ』
「もう半分というのは?」
「あなたが行っても、村が滅びるのは変わらないということですよ」
――『そんなとこ』
僕はまた……夢に落ちる……ここから先の出来事は、僕であって、僕ではないものが、僕に託けて、院長と話し出した記録である。記録者はもちろん僕。まるで車の運転席から助手席に、配置の強制転換がなされたようで、もう僕に自己を操作する権限はなかった。あるのは後方に流れていく空間的な時間とその空間を眺めることのみ。助手席にいるものが運転する実感を持たないのと同じように、どうしてこの道を走っているか、つまりどうして僕がこの会話をしているかの感触と理解は髪の毛の先ほども持っていなかった。
「ふふ……、あなたは、この聖樹の中で安寧に暮らし、瞑想していればいいわ。そうすれば、聖樹とともに果てることができるでしょうし、聖樹が死ぬことを理解できないまま、過去の栄光に浸って今世とお別れできるでしょうからね」
「……貴様、そのサンの質……誰だ、誰だお前は……? 誰かが乗り移った? 馬鹿な、儂が目の前にいて、誰かが巫女にサンの能力を掛ける隙があったはずがない!」
それも精神を乗っ取る開花なぞ聞いたことがねえ、と院長は漏らす。
「……そうね。別に乗り移るのが、今この瞬間であった必要はないでしょう?」
「おめえ、ずっとこの巫女に張り付いていたというわけか……?」
「ふふ……。巫女に張り付いていたなんて、なんと滑稽な表現でしょうか。私はある意味で言ったら、この巫女の子供以上に巫女らしい女であることを自負しているけれど」
だって、ねえ? あなた男の自覚捨てられないでしょう?
そう脳内で僕に直接語り掛けてくる。
「私は、ずっとここにいましたよ。もしかしたらあなたより長く存在していたりしてね」
「馬鹿言ってんじゃねえ、儂より長く生きてるやつは、もういねえ。先代巫女がなくなられた今はな。だから、おめえが幽霊とかでない限り……」
「ふふ」
「なんだあ、本当に幽霊とか」
院長は肩をすくめて見せる。
「幽霊といってもいいわね。精神体といってもいい……」
「ははァーん、おまえさん、どこかでサンの開花をして、この巫女のお嬢さんにのりうつってんじゃァなく、肉体は捨てて、ここに来ちまっているわけ」
「おー鋭いわね。さすが年の功。正解よ」
「はっ。なんだそりゃ、幽霊なんて……ってお前」
「鋭い院長様は、さらに奥まで気づきましたとさ」
「この村で一番、有名な幽霊ってえのは、ガキの頃に親代わりになる『先生』って存在だぞ……ありゃ、儂より相当年長者だな」
「へえ、大分いい線行っていますよ。ただ、先生っていうのは、同一の個体と思われているようだけれど、そこが違う、ってだけでね。前提さえ知っていれば、私のことなんてわかりやすいものよ」
「ふうん。『先生』とほとんど一緒なら、ひと先ずはそれでいいじゃあねえか。じゃあその『先生』さまが一体どうしてこの場に現れたのじゃ?」
「都合がよかったから。具体的に言えば、時が来た。これじゃあかっこつけ過ぎね……」
「かっこつけて何をやろうというかの?」
「私の目的は自由になることなんですよ」
「自由とは……。幽霊が自由になりたいというのはおかしな話じゃな。生のしがらみから抜け出たのだろう」
「生のしがらみなど。あなたもすでに多くの欲求からは解放された身でしょうに」
「それは、人間基準で物事を語っておるな……。小娘が……愚弄してくれるなよ」
「ふふ……。長老院院長まで上り詰めるとプライドも相応ですね」
「おっと、失敬失敬……。思わず『先生』さまともあろうお人に無礼な口をきいてしもうたわ。聞き流してくれるとありがたいのじゃが」
「ええ、別に気にしていないからいいですよ。でも、人間基準で考えて、生のしがらみという表現も同じように聞こえましたからねえ」
「儂が言いたかったのは、幽霊のような精神だけの存在になれるなら、わざわざ瞑想しなくても、聖樹と一体化できて、さぞ崇高な気分に浸れるであろうということよ」
なんとうらやましいことよな……、かっかっか、とおじいさんは年寄りぶって痰を絡めて笑う。
「ふふ……」
彼女もつられたように笑う。ただ、どこかシニカルな響きに聞こえたのは、僕が彼女を特等席で観察していたからかもしれない。
彼女はそうして、すこしだけぼんやりと聖樹から外を眺めていた。
薄く透けて外が見える聖樹。そこから、村の外の森で、鳥が羽ばたき、木々がゆれるさまを観察している。戦いは継続しているはずだ。彼女はうすぼんやりとした目で眺めている。今見ている彼女の目というのは、僕が胸中で描く彼女のイメージだ。だから本当に彼女がぼんやりとした感情を顔に表している、とはわからない。けれど、身体を共有されているせいか、彼女の感情の現れ方は大きく外れているという気がしなかった。
僕のイメージの中での彼女は、腰まである長い黒髪、と不思議なことに褐色ではなく色白だった。病的、とまでは言えないけれど、長らく引き籠っていそうな白さだった。
「そんなに、心配かな」
老人は彼女にからかうように語り掛ける。
彼女は視線を向けることもしない。院長はやれやれという風に、肩をすくめて瞑想に戻っていく。
のどが渇いたわ。あれ出してちょうだい。
え、僕の能力を君は使えないのか?
まあね。
と、急に話しかけられた流れで僕は助手席に座りながら、彼女の操作する肉体に、ルートビアを握らせた。
「ふぅ……。この身体の味覚には、ずいぶんとなじむ味ね」
彼女はぼそりとつぶやくと、エレベーターを降り、聖樹を出て、戦場へ向かう。




