第27話 ヤな奴の死
2/9分はあとここまで。
クレーマーに再度話しかけられたのは、4日目の朝のことだった。
僕はユージェに起こされて、部屋を出て、本日一件目の依頼人を探しに行くときに、ユージェが忘れ物をしたというので、彼女の家に向かった。
ユージェが一人家に入り、僕は玄関先の路地で立ち往生していた。
忘れ物は、昨日最後の依頼人だった人に、今日、とある人物に渡してほしいといわれた品だ。なぜか昨日の内ではダメで、今日渡してほしいとのことだった。今日渡す、と承諾しただけで仕事は完了し、聖樹に祈りがささげられた。前払いだった。
だからか、ユージェは忘れ物といったときに少し焦った表情を見せた。前払いまでされて、仕事をすっぽかすわけにはいかないという倫理が働いていたのだろう。
そこでふと思う。すっぽかしたら聖樹にささげられた祈りはどうなるのだろう? クーリングオフという制度はないだろう。仕事を安請け合いして、ダメでした、というのでは祈り損だ。もしかすると、祈って、祈りに見合わない働きの時に文句が付くと、何かで代償を支払わなければいけないのかもしれない。 ユージェに確認しようと思う。
そのような考え事をしている時に、僕は後頭部に衝撃が走った。意識を混濁させるほどの威力はなかったものの、言葉が出ないほどに驚いた。
後ろを振り向くと、人がうつぶせに地面に倒れている。つまり僕に向けて倒れこんできた人がいたのだとわかった。殴りかかられて勢いで倒れたのか、倒れた拍子に伸ばした腕が後頭部にあたったのかはわからない。
「……な、なんですか」
唐突な出来事にうまく口が回らなかった。小声は相手に届いていないようだった。
僕はその人に小さく声を掛けたが、聞こえていないようだった。
「どうかしたんですか」
二度目は大きく。でも反応はない。
僕は、思い切って、地面に膝をついて、顔を確認しようとする。
顔を覗き込む……。
「――ひっ」
そこにはじろり、と僕をにらみつける男の目があった。僕は立ち上がって、後ずさりをした。
「やめろ」
その男は、しゃがれた声を発した。
「巫女を、やめろ」
僕は思わず目を見開く。そのセリフに、男が、数日前にみた初老の男性の面影と一致したのだ。
しかし、明らかにこの男性は、年嵩が増え過ぎていた。
頭は、髪の毛が抜け落ち、わずかに残った髪も白く色が抜けていた。ひげは不精にも散らかっている。鼻頭やこめかみには斑点がおち、僕をにらむ目は、白目の部分が黄色く濁り、黒目は僅かに瞳孔が開いて、目の前にいる僕に焦点が合わさっていないかのような印象だった。
「巫女を、やめろ」
男は、甲高く、神経に障る怒鳴りをあげる。
僕は、身をすくめて、どうすることも出来なかった。
怒鳴り声を聞いて、思わず、目を瞑る。
まずい、と思い、薄ら薄ら目を開けようとすると、そこには男が、僕につかみかかろうと迫ってくる様子が見えた。
「ひっ」
伸ばされた手を思わず叩き落とすと、
「うぐっ――」
男は急に胸を押さえて、うずくまり、そのまま頭から地面に転がった。
「え?――え?」
僕は彼の苦しみだす姿に、困惑しきりだった。思わぬ状況。僕は彼の生死の状況を確認することも出来なかった。
あたふた、して周囲を見回して、ようやく。ユージェが扉から出てくるところが見える。
「ゆ、ユージェ、助けて」
情けない僕の声を聴いた彼女は、荷物を投げ出して、男のもとに駆け寄った。胸に耳をやったり、喉に手を当て呼吸を確認したり、てきぱきとした動作を見せた。
「ユキ、一体どういうこと」
「わからない……。急にこの男の人が文句をつけて、襲い掛かってきたんだけど、突然胸を押さえて転がったんだ」
「文句って、巫女がどうとかって?」
「見てたの?」
「声が聞こえた」
「多分この人、前に僕に文句を言ってきた人だよ。あの時より年を取ってしまっているけど」
「そうか……」
ユージェは目を伏せ、考え込む。気づけば、ちらほらと騒ぎを聞きつけた民が何人か怪訝そうに見ていた。
事故かい、医者は呼んだかい、と乾燥係のおばちゃんが話しかけてきた。偶然ここに通りがかったという。
「まだです……、おばちゃん、医者を呼んでもらっていい?」
「わかった」
「ユージェ、僕は何をすればいい」
情けなくも、彼女の判断を仰ぐほかないと思ってしまった。僕はこの時ひどく取り乱していたと思う。
「ユキは……、とりあえず、ここで待っていて。できればテスェドさんが来てくれると嬉しいんだけど、このおじいさんが一体、森の中でどこの担当になっていたかわからないと……」
森? 担当? テスェドさんと関係があるのか。……僕は少しずつ思い出してくる。テスェドさんが長老院に怒った、流行り病にかかった民たちの扱いを。
そして僕は、テスェドさんの顔を思い出した。彼の怒りを。やり場のない憤りを、彼は僕の前で見せていた。雨の降る夜。それは、僕に何をもたらしたのか。少なくとも、この場で僕にもたれてきた男に対して恐怖を感じている暇はない、という心構えがその一つだと思う。この老化してしまった男性は被害者だ。何を僕は恐れていたのだろうか。
と、頭では理解している。けれど、僕は何もできない。
「おそらく、病が深刻な状況だわ……」
ユージェが一人、患者の様子を見ている。
僕は傍らに突っ立っている。昨日までの日常がウソのように、空気が刺々しい。僕は努めて冷静になれるように、考えを巡らせるけれど、自身の体はまるで、糸の切れた操り人形のように、自由に動けない。
数日前、テスェドさんの怒り。目の前に倒れたクレーマー。流行り病の患者。僕をにらむ濁った眼。そして臨機応変なユージェと動けない僕の対比。
思考はそのモチーフをグルグルと繰り返す。それによって僕が無感動で、無関心、そしていざという時には気が動転するだけの無能だと、思い知らせているかのようだった。
嫌な汗がでる。僕は何もできない情けない野郎だ。でも、そのことについて焦っているわけでもない。奇妙な感覚だった。妙に冷めているというか。
いうなれば、動けないことをあきらめていた。
「――き、ユキ!」
呆然としていたら、ユージェの声が聞こえた。
うつむいた顔をあげ、彼女の顔を見ると、そこには眉をひそめて、目を細める表情があった。
失望……?
「……何?」
思ったより低い声が出た。
「ほら、医者がきたわ。状況を説明してちょうだい。早かったわね」
「このひとも近くまで来ていてねえ、偶然会えたんだよ」
乾燥係のおばちゃんが医者の背後から歩いてくる。
当の医者はすでに横たわる男を調べていた。
「……これはひどいですね」
彼は深く息を吐く。
「全く、サンが残っていないようだ。完全に枯れている。サンを活性化させて身体を回復させるのが、基本的な治癒術なんですけど、それは無理そうですね」
医者は立ち上がって、こちらを向いた。
「この方とはどういうご関係で?」
「その人とは……、僕が巫女となることに異議を唱えたのが、その人です」
「ふむ」
「数日前にそういう話をされていたんですけど、その時はテスェドさんがうまくとりなしてくれました。今回はこの路地にいたときに、急に話しかけられまして。掴みかかられると思ったら、急に胸を押さえてうずくまったんです」
「ほお。あの英雄のテスェドさんが気に懸ける次代の巫女様とはあなたのことでしたか。この方もテスェドさんとは懇意だったはずなんですが……なにか隔意があったんですね」
「この方個人の事情があるので……簡単な説明をすれば、先代巫女様に僕が見劣りするから、巫女にふさわしくないということでした」
「なるほど……」
医者は何かを考えこんでした。僕とこのクレーマーの関係性か、治療の手段か。
「あの、サンは分け与えられるんじゃなかったんでしたっけ。サンが枯れて治療に使えなかったなら、分けてあげるのはどうですか」
「まあ、基本的な話だよね。でもそれも無理そうなんですよ。どうやら、流行り病は深刻になると、サンを枯渇させ、その上でサンを操る根幹となる部位に支障がきたしてしまい、サンを保持することすらできなくなってしまうみたいなんです」
もっと正確に調べる必要はありますが、と彼は補足する。彼は頭を指さしながら、説明した。頭にサンを維持する根幹の部位があるのだろうか。
「では……」
「うん。残念だが、もうこのかたは助からない」
助からない……。死ぬということ。いままで、話でしか聞いたことのなかった概念が目の前に現れる。
僕はじっと、横たわったクレーマーの顔を見やる。うつぶせにされ、目は閉じられていた。その顔は怒りが滲んでいるような気がした。僕への不満か、巫女の交代するシステム、聖樹への怒りか、はたまた……先代を殺した病への恨みか。
彼は最後に、僕に不満をぶつけ、あわよくば殺して、不満を解消しようとしたのだろうか。僕という汚点を消すことで、死後に携える記憶に、巫女の素晴らしさは先代だけのものだと認識して安らかに逝けるということか。
「そう……なんですか」
感情がぐちゃぐちゃになっていると自覚する。この男の死に対する同情と悲しみ……というわけではなかった。
僕のなかに立ち現れてくるのは、内臓が底冷えする不快感だった。
睨まれた恐怖と動けないことへの不甲斐なさ、そして最後まで文句を言ってきた男への怒り。
ああ、僕は文句を言われて怒っていたのか。頼りないと思われたことに心外だったのか。そしてそれが事実だったことに腹を立てている。
僕は、巫女にふさわしくないことはわかっている。しかし、巫女になるのも、僕が決めたことではない。またテスェドさんが決めたことでもない。
というより、生まれ変わって、聖樹とのパスがつながっていた時点で決まっていた事柄だ。この現実に、僕は理不尽なものを感じていたのか。そうして、その現状を受け入れる覚悟もないままに、男が文句を言ってきた。そこに、ちょっとまってくれよ、という思いが、僕の中にあったことは確かだと思い起こしていた。
これらが、亡くなった人へ向ける思いではないと自覚する。感情はとめどなくあふれてくる。その一面のある一方で、僕は自分がこれほど感情を高ぶらせる人間だったかな、と無感情に思っている部分もあった。
「助からないか」
僕はひどく平坦な声でつぶやいた。こういう時はどうふるまえばいいのだろう。
誰も僕に教えてはくれないだろう。
――自分でみつけなきゃ。
そんな良心の声が聞こえるのだった。




