本、或いは暇潰し
そうして、1月の月日が流れた。
「アイリス、授業には出るべきだと思う」
今日も今日とて、おれはベッドの上で、それが定位置だとばかりにおれの頭の上で丸くなる妹のゴーレムにそう諭していた。
この1ヶ月、ずっとこんな感じである。毎日起きてすることもなく、昼間で授業中だというのにサボっておれの頭の上ですやすやと寝息を立てる(ゴーレムなのに寝るとはこれ如何に)妹に苦笑し、昼過ぎから薬湯に入って一日を終えるといった形。
せめてもの抵抗として刀を振るったりはしているのだが、技のキレが足りなくなっているのを感じる。
情けない。今のおれなら、アイアンゴーレムにすら万全の状態で勝てないかもしれない。
そして何より……まだ怪我は治りきっていない。左腕はまだかなり平べったいが右手の五本の指は一度無理矢理に皮膚を切り離した事でまた分割された。足もまあそれなりに治ってきたのは良いが、デュランダルを手に最後にユーゴのEX-Sカリバーだか何だかと撃ち合った時に、衝撃に耐えきれずに擂り潰された骨の破片が悪さをしているのかまだ痛む。
ニホンって世界なら外科手術で取り出すとかあったんだろうけど、残念ながらこの世界に外科という概念がない。そもそも、医療の概念が違う。
この世界の医者とは、どんな薬草、或いはどんな魔法が持ち込まれた傷や毒、病に対応しているかを判断出来る魔術師の事だ。七天の息吹ですと言えば正しいので貴族の医者は素人でも出来ると嘲りの対象だったりもする。
民間だとそんなにお金がないから割とピンポイントにこれが効きますとか分からないといけないんだが、金があればあるほど上位の大雑把な魔法が使えてしまうので医者が要らない。
そんななので、医者は外科手術をしないからお手上げだ。
いや、体内の異物を取り出す魔法はあるんだが、魔法なのでおれに使うと……何が起きるんだろうな。体内の異物を取り出すどころか血管に近くのゴミでも詰められるのだろうか。実験したくないなそれ。
そんなこんなでやることも無いので、おれは一人静かに……であれば良かったのだがおれが連れていかないと授業サボり魔なアイリスと共に、アルヴィナから借りたりした本を読んで日中を過ごしていた。
歴史の本に、神話時代、聖女について面白おかしく書いた小説までジャンルはさまざま。この世界にかつて他の転生者が居た証拠のような幸福な王子の絵本まであったな。
というか、日本人のおれが小学校の図書室で読んだ記憶あるぞこの絵本。それをそのままコピーしたような本売るとか昔の転生者は賢いのかセコいのか……
しかも、朗読会をしたところアナは皇子さまが幸福な王子ならわたしは燕になりたいと言い出すし、アルヴィナはボクが燕ならボク自身が両の目を南の国に持っていって終わりにすると言うし、何というか、感想に困ったな。
そもそもおれ、幸福な王子ってほど立派じゃないと思うし、そんなおれのワガママのせいで死ぬ燕になりたいとか駄目だろう。
少しだけ心は痛いが、アナと距離取るべきかもしれない。
いつかあの子が、おれへの命の恩人というバイアスによる幼い憧れから抜け出して、本当におれより素敵な誰かと恋を出来るように。
そんな事を考えたりしつつも、今日おれが開くのは……珍しく父がこの部屋(因みにアイリスの部屋の2階下だった)に最近少年の中で流行っているらしいのでな、読むか?と持ってきた本。
星野井上緒という変な南方っぽいペンネームで書かれた、赤い表紙に金の刺繍の白い紙がまぶしい本の表題は……『魔神剣帝スカーレットゼノン』
……特撮ヒーローか何かか、これ?
「……何これ」
思わずおれはぽつりと呟く。
そんなおれを、膝の上に降りてきた仔猫のゴーレムが、その水晶のような……ではなく水晶製の瞳で早く読んでとばかりに見上げ、混沌とした名状しがたい色の瞳のカラスがおれの左手の代わりに嘴で本を持ち上げ、足で支えた。
「ああ、有り難うなシロノワール」
八咫烏のシロノワールは頭を撫でても喜ばないので声だけかけて、おれは本を開く。
この1ヶ月、この八咫烏は一度たりとも何処かへ行こうとはしなかった。ずっとおれの側に居て、さりげなくこうして手伝ってくれる。これが魔神王だったら……もう諦めるわおれ。
そんな形で割と警戒も解き、実は喋るとアルヴィナがいうくらいに賢く人の言葉も理解しているので、こうして本をおれは朗読するわけだ。
お陰で1冊の本が1日2日かかって漸く読める感じなんだけどな、そこは良いか別に。
「『燃えていく村、荒らされる畑。
ゼノンの心に、激しい怒りの炎が灯りました。そして、思ったのです。
おれに良くしてくれたこの村を、魔神の力を持つと知りながらも、優しくしてくれた人々を、守らなければならない』」
「にゃぁ」
翼を広げて八咫烏が、軽く尻尾を振って白猫が、それぞれ相づちを打つ。
「『ゼノンさんっ!逃げて……
と、村娘のステラに、巨大なオーガの腕が延ばされました。
その瞬間、覚悟を決めてゼノンは腕を高く掲げ、叫びます』」
カラスの羽が、ページを器用に浮かせてくれる
おれはそれを受けてページの端を巡り……内心でげっ、と呟いた。
そこに書かれていた内容に。
これ、朗読するのか……?
だが、迷いは一瞬。期待を込めた様子の妹に見上げられ、こうなりゃ自棄だ!とおれは腕をかかげて叫ぶ。
「『ブレイヴ!トイフェル!イグニションッ!
スペードレベル、オーバーロォォドッ!!』」
ガチャリ、と音を立てて部屋の扉が開かれる。
「『魔神剣帝スカーレットゼノン!地獄より還りて、剣を取るッ!』」
は、恥ずかしくないか、これ!?
「『そう、彼は魔神の力を解放し、魔神剣帝スカーレットゼノンへと変身したのです』」
「……お邪魔しました」
「待て、待ってくれエッケハルト!」
そそくさと扉を閉めて帰ろうとする焔の髪の辺境伯子に、おれは必死に呼び掛けた。
「……成程、アイリスちゃんに読んであげてたのか。
てっきり一人でごっこ遊びかと……」
「ちょっと待ってくれエッケハルト。子供はごっこ遊びをするものじゃないのか?」
「……あ、それもそうだ」
さては転生者としての意識が強すぎたな?高校にもなって特撮とか馬鹿らしいぜーってあれ。
でも、おれに良くしてくれた高校生のお姉さんは普通に日曜朝の女児向けアニメの変身アイテムとか、遥かなる蒼炎の紋章関係のフィギュアとは別の棚に飾ってたような……
まあ良いかその辺は個人の自由だろう。おれはヒーローのベルトとか高くて買えなかった気がするけど、買えてたら多分普通になりきりとかしたろうし。
それに、あの棚思い出すとゼノフィギュアとかあったなーって事になって気恥ずかしいしな。あのお姉さんは頼勇推し?って言ってて2万もする竪神 頼勇のフィギュアを真ん中に飾ってたけど、あれが万一おれのフィギュアだったら恥ずかしくてのたうち回るところだ。
「ゼノ?」
「いや、ごめん。気にしないでくれ」
そういえばエッケハルトフィギュアとかもあったなって、おれは思わず変な眼であいつを見てしまっていたらしい。
「それで、どうしたんだエッケハルト」
「いや、ちょっとそろそろ話がしたかったってのもあるけど……」
オレンジの髪の少年は、周囲を見て猫の姿に気がつき、肩を竦める。
「それはちょっと無理そうだな」
「ああ……あとでな」
多分だが、おれがデュランダルを使った事に関してだろう。原作ではバグでしか使えなかった(寧ろバグで装備できるのが可笑しい)からな。色々と話せることもあるかもしれない。
「あとは……」
「皇子さま!どうしましょう」
「アナ!?」
困った表情で飛び込んでくる銀髪の少女。
今日は久し振りに孤児院に帰ってる筈では?とおれは面食らい……
「あっ」
おれの手の本を見て、少女は眼を輝かせた。
「皇子さま!良かった!」
「……えっと、何が?」
「その本です!」
付いていけず、おれは首を傾げた。




