第六話:悪魔
――夢を見ている。
私はいつだって姉さんの後ろを歩いていた。両親がいなくなってから、姉さんが親代わりだった。姉さんもそう思っていただろうし、私もそう思っていた。
何をするのも姉さんと一緒だった。姉さんと一緒にいなきゃいけないと思ってた。優秀になっていく姉さんに置いていかれないようにと頑張らなきゃいけなかった。
でも、『黄金の鷹』を抜けて、一歩距離を取れば私の世界は酷く狭いのだと知った。同時に、この世界は酷く冷たくて、優しくないことも知った。
一人じゃ生きていくのは難しい。けれど、それなら、そうだと知っていたのなら――。
――どうして、私を置いていったの?
距離を取ったのは私が決めたから。/本当に大事なら連れてってよ。
だから誰かを責めるのは違うんだ。/もういらないから捨てたんだ。
こんな目に遭うのは私が悪いんだ。/どうして私だけこんな目に遭うの。
誰か、助けてよ。/皆、許せない。
「――ッ、はぁ……はぁ……っ、……はぁっ、……はぁぁ……」
不意に夢が途切れた。ぐるぐると感情がごちゃ混ぜになって、心がバラバラになってぐちゃぐちゃになる。そんな夢を見ていた気がする。
それは悪夢と呼ぶべきものだ。本当に酷い、心が壊れてしまいそうな悪夢だ。その悪夢から覚めることが出来て、安堵の息を零してしまう。
「……ここは?」
一息を吐くと周囲に意識を向ける余裕が出来た。そこで私は広がった光景に何度も目を瞬きさせてしまう。
そこには未知のものしかなかった。定期的に音を鳴らしている、何かのカラクリのような箱。それは古代遺跡で発見される〝魔導機〟と呼ばれるものだった。
神様が古代文明の人に与えた叡智、その叡智を〝魔導〟と人々は呼んでいる。古代文明はこの魔導によって豊かな生活を送っていたそうなのだけど、長く続いた人の歴史の中でこの文明は一度失われてしまった。
現存する魔導機は、見つかれば国が保管するような大変貴重なもの。その魔導機が実際に動いているのを見ると、ちょっと挙動不審になってしまう。
私はベッドで寝かされていたようで、衣服も白いワンピースのような服に着替えさせられていた。ゆったりとした服は着心地も良くて、とても楽だ。
「……そうだ。確か、ルクスリア」
意識を失う直前に私に呼びかけた、あの魂すら魅入られてしまいそうな少女。恐らく傷の手当てや着替えをしてくれたのは彼女の筈。
「! そうだ、傷は!」
服を捲って、傷を負った筈の腹を見てみる。けれど、そこには傷一つなかった。
その代わり、奇妙なものがあった。臍から少し下あたりにタトゥーのように刻み込まれた刻印があったからだ。
「……なに、これ」
刻印をなぞるように触れてみるけれど、何かわからない。一体どうしてこんなものがあるのか、そんな事を考えていると空気の抜けるような音が聞こえた。
扉と思わしき壁の一部が横に吸い込まれるようにして消えていき、その向こうから薄桃色の髪を揺らした角ありの少女――ルクスリアが立っていた。
「おはよう。今日は意識しっかりしてる? アネモネ」
「……ルクスリア、ですよね?」
「えぇ、貴方の僕のルクスリアよ?」
クスクス、と上品そうに笑うルクスリア。その顔を見ていると、頬が熱くなって視線がそらせなくなってしまいそうになる。
でも、顔を凝視しているのも失礼かと思って誘惑を振り切るように首を左右に振る。息を整えてから、改めてルクスリアへと視線を向ける。
「えっと、まずは助けてくれてありがとう……かな?」
「ふふ、それはお互い様ね。気にしないで、貴方に奉仕できることが私にはとても喜ばしいことなの」
「……それは、どういう意味……?」
「そうね。相互理解のために改めてしっかりと自己紹介しましょうか」
ベッドの傍にあった椅子を引いて、ルクスリアは腰を下ろす。
彼女の妖しい雰囲気が込められた金色の瞳に見つめられると、背筋がぞくりとする。そんな感覚を誤魔化しつつ、ルクスリアの言葉を待つ。
「私はルクスリア。神によって封じられた災厄、〝悪魔〟と呼ばれるものよ」
「……神によって封じられた災厄? 悪魔……?」
「あら、知らないのね。誰か伝承でも残してると思ってたのだけど」
突然、剣呑な言葉が飛び出てきて私は眉を寄せてしまう。でも、悪魔なんて聞いたことがない。
「んー……どこから説明したものかしらね? そうだ。アネモネからわからない事を質問してみて頂戴。それに私が答えるわ」
「えっと……神に封じられたとは……?」
「そこからね。私たち、悪魔は神によって生み出されながらも、特に危険とされて封じられたもの。ただ、その大元は精霊と同じよ。精霊の亜種と考えて貰えれば良いかしら?」
「精霊!?」
思わず驚きに声を大きくして貰う。精霊と言えば、魔法使いが契約することが多い力ある者だ。姉さんも実際に契約を結んでいたから、精霊と言われれば馴染みがある。
「貴方が知ってそうな精霊といえば……サラマンドラ、ウィンディーネ、シルフ、ノームあたりかしら?」
「四大精霊ですね……」
サラマンドラは火、ウィンディーネは水、シルフは風、ノームは土を司る精霊だ。世界を構成するのに基本とされる精霊で、特に慕われている精霊とも言える。
「そう、まぁ知ってるとは思ったわ。私と違って人と共存出来る精霊だしね」
「……精霊の亜種と言っていましたけど、その、仲が悪いとかなんでしょうか?」
「んー? 悪くはないと思うわよ。そうねぇ、私は手の掛かる妹のようなものね、彼等から見ると」
「……妹?」
精霊同士に兄弟姉妹という概念があるんだろうか? そんな疑問に首を傾げていると、ルクスリアがクスクスと笑う。
「同じ神によって作られたのだから、兄弟姉妹と呼ぶのがわかりやすいし、貴方は遠い親戚とも言えるわね。ヒューマン以外の種族は、神の手によって生み出された種族だもの」
「はぁ……え、というか、ヒューマン以外の種族ってどういう事ですか?」
「言葉通りの意味よ? 私が神と呼ぶ、父なるあの方が降臨するまでこの世界にはヒューマン……人間しか存在していなかったし、魔術も魔法も存在しなかったのだから」
「えぇっ!?」
神の創世は御伽話や伝承で語られているけれど、詳細を語っているものは恐ろしく少ない。
言ってしまえば、この世界を作り出し、数多の種族や魔法の叡智を授けたのが神とされている程度の事しかわからない。
なのに、ルクスリアはまるで見て来たように神の創造について語っている。とてもじゃないけど、すぐには信じられそうにもない。
「本当に私たちの事、伝わってないのね……てっきり貴方も血族かと思ったのだけど」
「血族?」
「そう。貴方、神の血筋でしょ? トゥナカって名乗ってるんだもの」
「え?」
「え?」
ルクスリアと揃って呆気にとられた表情で顔を見合わせてしまう。
「……トゥナカって、そう珍しい姓じゃないと思ってたんですけど」
「んー? それもそうなのかしら。かなり時間が経ってたみたいだし、ちゃんと伝わってないみたいね。でも、その黒髪は神と同じ色なのよ?」
「神は黒髪だったんですか!?」
「えぇ。それにトゥナカも、本来はもうちょっと違う呼び方が正確なのよ。正確には〝タナカ〟ね」
「……タナカ……トゥナカ……あぁ、どんどん訛っていったんでしょうか?」
「ふふ、そうね。もしかしたら神がそうしたのかもね、あの人、タナカって呼ぶと微妙そうな顔をしたのよね」
本当に神と面識があるように喋るルクスリアに、思わず唾を呑み込んでしまう。嘘は吐いているようには思えない。
じゃあ、ルクスリアは本当に神と面識があって、その神によって危険だからと封じられた悪魔なる存在だと言うことになる。
「……ルクスリア、悪魔ってなんですか? それにどうして貴方は封じられることに?」
「それにはまず、神が何故精霊を生み出したか? という話をしなければならないわね」
私の質問にルクスリアは居住まいを正して、指を一本だけ立てながら説明を始めた。
「神がこの世界に降臨した時、この世界にはまだヒューマンしかいなかった。魔術も魔法なんかもない、とても原始的な生活をしていたと聞くわ。そんなヒューマンに神は自らが持つ叡智を惜しみなく与えた。これが魔術の始まりよ」
「……魔術の始まり」
「そう。魔術によって人は世界に存在する超常なる力を扱う術を手に入れた。次に神が手をつけたのは、その魔術を下敷きとして新たな概念を生み出すこと。それが魔法よ」
もう一本の指が立てられ、ルクスリアは二本の指を得意げに振る。
「魔法は魔術のように元々ある力を利用するのではなく、世界に生み出した新たな概念の力を利用するのよ。神によって規定された概念を管理し、その概念の力を与えて広める者。それが精霊や、精霊と同じように世界に概念を与える為に生み出された魔獣たちとかね」
「概念を、与える……」
「神はそうして多くの概念を生み出した。そして世界を豊かにしていったわ。その果てに生み出されたのが、後に悪魔と呼ばれる私たち」
ルクスリアは手を広げ、その手を胸元に置く。豊かな彼女の胸が少し揺れた。
「最初は悪魔とは呼ばれてなかったのだけど、私たちは世界に対しての悪影響が強すぎて、神によって封印されたの」
「……精霊は概念を与える存在だと言うなら、悪魔もまた何か概念を与える存在ということですか?」
「私たちは与えるっていうより、元からある概念を強くするといった方が正しいわね。だからこそ、私たちは封じられたんだけど」
「強くする?」
「私たちが司る概念はね、感情なの」
ルクスリアがそう言ってから、私に手を伸ばしてきた。私の胸を押すように指が触れてくる。
「神が世界の仕組みを整えて一段落した頃、今度は精神的な充足を求めて私たちを生み出したの。人の感情、それを信仰の対象と出来るように、元から存在する感情に見立ててね。けれど、膨れあがった感情は暴走を始めてしまった」
「暴走……?」
「体感してみた方がいいわね」
妖しく笑いながらルクスリアが私の目を覗き込む。その金色の瞳の奥で、揺らめくように光が蠢いた気がした。
目が離せなくなる。その瞳の奥の光を覗き込もうとすると、鼓動が早くなっていく。
なんだか甘い香りがしてきた。その香りを嗅いでいると、どうしようもなくルクスリアに触れたくなる。
ルクスリアは綺麗だ。綺麗で、可愛くて、美しくて、触れたいって思ってしまう。触れて欲しいと思ってしまう。
すると、今度はお腹の奥が優しく、けれど締め付けられるような感覚に襲われた。呼吸が乱れて、身体に力が入らなくなっていく。
「――アネモネ」
いつの間にか耳元に口を寄せていたルクスリアが囁く。その囁きを聞いた瞬間、私の中で何かが千切れ、解き放たれてしまったような感覚が全身を駆け巡った。
甘く、痺れて、自分がわからなくなってしまうような、真っ白に意識が染まってしまう。それが心地良い程までに気持ちよくて、このまま身を委ねてしまいたいとさえ思ってしまう。
「ルク、スリア……」
自分の声とは思えぬ声が漏れた。まるで甘えるような、幼子のような声。全身が蕩けて力が入らなくなりそうだ。なのに、身体は、心は、どうしようもなくルクスリアを求めていて――。
「――はい、ここまで」
ぴん、とルクスリアのデコピンが私の額を打った。すると、蕩けていた私の意識が正常に戻っていく。
余韻こそ身体に残っているものの、蕩けて消えてしまいそうだった自分の意識が戻ってくる。ゾッと寒気が襲って、自分の身体を抱き締めてしまう。
「……な、何を……したの……?」
「貴方の中の感情を増幅したの。そうね、それは誰かを愛そうとする気持ち、かしら。愛と呼ぶと、少し恥ずかしいのだけど」
クスクスとルクスリアは笑う。けれど、その美しい笑顔が少しだけ怖くて、喉の奧から小さな悲鳴が零れた。
「過ぎた愛は、愛を持つ者を堕落させた。堕落した愛は快楽ばかりを求めて、均衡を失った。故に私に与えられた罪なる名はルクスリア、〝色欲〟を司る悪魔という訳よ。ご理解頂けたかしら?」
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