第七話:逃避
「……これが、ルクスリアの……神が災厄として封じた悪魔の力……」
心臓はまだ恐怖に竦んだように鼓動を速めている。さっきまで自分をおかしくしていた感覚を思えば、身体から熱が失ってしまいそうなほどの寒気に襲われる。
そんな私の様子を見ていたルクスリアは、少しだけ困ったように笑いながら私と距離を取る。
「体感して貰った通り、悪魔はそれぞれが司る感情を象徴する力を扱えるの。私であれば、好意や愛情といった感情を狂わせて自分の思い通りに魅了してしまう、とかね」
「……恐ろしい力ですね」
「えぇ。結局、神もそれで扱いかねて私たちを封印したって訳よ。……にしても、私の存在を知ってここまで来た訳ではないのよね。運が良いのか、悪いのか」
「……そもそも、ここは?」
「ここは私の封印されていた施設……今風に言えば遺跡の居住スペースよ。私が産まれ育った場所でもあり、かつて私を含めた悪魔が育った始まりの場所」
「ここが……」
私は思わず部屋を見渡してしまう。確かに部屋の作りや外観は古代遺跡と同じものだ。
ルクスリアがいつから存在して、この遺跡に封じられていたかはわからないけれど、伝承が失われてしまう程に時間が経過しているのは間違いない。
それなのに劣化した様子は見られない。本当に古代遺跡の、そして恐らくこの遺跡を生み出したであろう神の凄さを感じさせる。
「さて、私の質問にも答えて貰ったんだから、アネモネも私の質問に答えてくれるわよね?」
「え? あ、はい。そうですね」
「アネモネはどうしてここに? 自殺しに来たって訳ではないでしょうし、私が目当てでもなかったのでしょう?」
「……それは」
私は重たくなる口を開きながらルクスリアに経緯を語ることになった。
私がヒューマンの両親から産まれた、先祖返りのデミ・エルフであること。
両親が亡くなり、ヒューマンの姉と一緒に冒険者として生計を立てていたこと。
けれど実力の差は開く一方で、だんだん仲間から見放されていったこと。
最終的には仲間から抜けたけど、仲間に恨みがある人たちによって売り飛ばされそうになったこと。
それを少しずつ、ゆっくりと私はルクスリアに聞かせていく。その間、ルクスリアはずっと静かにして聞いていてくれた。
「それで大穴に落っこちて、その先で倒れて私の傍まで来た、と」
「はい……」
「ん。大変だったわね」
いつの時代も大変だ、と呟きながらルクスリアは私の頭を撫でてくれた。その手の温かさに私の涙腺が緩んでしまいそうになる。
けれど、だからこそ温もりが怖かった。押しのけるようにルクスリアの手を押し返す。私の抵抗にルクスリアはあっさりと手を離す。
「それで? これから貴方はどうしたい? アネモネ」
「……どうしたい、とは?」
「貴方は私と出会って助かったけれど、ずっとここにいたら流石に死んじゃうわよ?」
ルクスリアの言葉に私は息を呑んだ。そうだ、私はまだ生きている。でも、ここは既に人が訪れなくなって久しい古代遺跡の奧だ。
死にたくないとは思う。……けど、生きたいと思うには色々ありすぎた。心が疲弊しているのを嫌でも感じてしまう。
「ある意味、貴方の願いは叶ってるとも言えるのだけど」
「私の願い……?」
「魔法が使えるようになりたかったのでしょう? アネモネは私と契約したのだから、私の力を魔法として使えるわよ?」
「ルクスリアの力を? ……それって、凄く危険なんじゃ……?」
「えぇ。でも、落ちこぼれなんてもう言わせないようにも出来るわよ? 馬鹿にしてくるような人たちを支配下に置くことだって、ね?」
ぞくり、とするような声で囁かれた。それは、どうしようもなく恐ろしく、それでいて甘い囁きだった。
ルクスリアの力は私もさっき体感した。あの力があれば、他人を私に夢中になるように魅了してしまうことだって可能だ。
「……やらないですよ、そんな事」
「あら、良いの? 世界を支配出来ちゃうかもしれないのに?」
「だから封じられたんですよね?」
「そうよ?」
「……私を助けようとしてるのか、陥れようとしているのかどっちなんです?」
「だって仕様がないじゃない? 私って、そういうものだもの」
ぺろり、と舌を出して妖艶に微笑むルクスリアに私は眉が寄った。思わず頭が痛くなって溜息を吐いてしまった。
視線を俯かせると、自分のお腹を見てしまう。そういえば傷が消えていた代わりに浮かび上がっていた紋様は、もしかして。
「……このお腹の紋様も貴方の仕業ですか?」
「あぁ、それは私と契約した証よ。可愛いでしょ?」
「……これが、可愛い……?」
……悪魔の美的感覚はよくわからない。掴み所がない相手に気を揉んでしまう。
「とにかく、私はアネモネの味方よ? 貴方がしたいと思うことに力を貸してあげる」
「……やりたいと思うことがないから困ってますし、貴方の存在を知られるのは危険です」
他者の心を操るほどの力を持つ悪魔、神に封じられた災厄、ルクスリアの存在がバレてしまうのは避けないといけない。
「……それなら、このまま死んだ事にした方が都合が良いかな」
ギルドに戻って、今回のことを訴えるというのも考えた。けれど、どうしようもなく虚しくなったのも事実だった。
ルクスリアの力は隠さないといけないし、このまま人知れず死んだことにして消えてしまう方が良いような気がしてきた。
「お姉さんはいいの?」
「……」
ルクスリアに姉さんのことを問われると、複雑な感情が入り交じってしまう。
入り交じって、色々と感じて……それで、どうしようもなく疲れてしまった。
「……もう、良いんです」
――期待するのも、執着するのも、愛するのも、疲れてしまった。
姉さんにはもうガレットがいるし、ダグリアスさんもミルーニもいる。『黄金の鷹』として活躍していけば、いずれ出来損ないの妹がいなくなったことなんて忘れてくれる。
というより、もう忘れて欲しい。今回の一件は姉さんとガレットに恨みがある人の当て付けに巻き込まれただけだ。私自身、誰からも恨みを買ってないとは言えないけど、これ以上巻き込まれるのはごめんだった。
(別に私を守ってくれる訳でもないんだから……)
あの人たちにはあの人たちの人生がある。私の人生とはもう重ならない。
それでいいと今なら思える。そんな私をルクスリアはジッと見つめていた。
「そう。なら、私だけがアネモネの味方ね?」
「……貴方が?」
「だって私を受け入れてくれる人は貴方だけだもの。このまま寝てても退屈なだけだし。だから貴方が何をしても、私だけは裏切らないで味方をしてあげる。例え、貴方が私の力に溺れて道を踏み外してもね?」
ルクスリアの手が私の頬へと伸びる。両頬を包み込むように触れてくるルクスリアは、そのまま距離を詰めて私の顔を覗き込む。
「死が分かつその時まで、ずっと一緒よ。貴方だけのために、ここにいてあげる。それが――悪魔だもの」
そうしてルクスリアは私にキスをする。鼻に、額に、頬に。そして、最後に唇に。
振り払おうと思えば出来た。別にルクスリアは自分の力を使っていなかったから。それでも、私には振り払えなかった。
死の間際に感じた冷たさが身体から消えていかない。絶望を感じた心はもう、以前のようには戻れない。だから、この温もりを手放せそうにはなかった。
* * *
「遠くへ行きたい。誰も私を知らないような場所に」
ルクスリアに落ち着くまで抱き締めて貰った後、私は自分の願いを口にした。
これからどうするかは決めてないけど、ここにはいたくないとは思った。だから自分も知らない、誰も私がわからない場所にいきたいという漠然とした願いだった。
「良いんじゃないかしら、理由がない旅でも。旅の中で目的を見つければ良いしね。それなら支度をしましょうか」
「支度……」
そういえば大穴から落ちてきて、ポーションなど入れたポーチを落としてしまった。今着ている服もルクスリアに着替えさせられてもらったもので、旅に出るどころか、外に出るような格好ではない。
「神……あぁ、もう十分説明はしたから良いわよね。マスターが作った魔術道具も残ってるから、使えそうなものを持っていっていいわよ」
「待って」
思わず、感情が凍えたような声が出てしまった。私の声にルクスリアが不思議そうに首を傾げる。
「どうかしたのかしら?」
「……神様が直々に作った魔術道具?」
「えぇ、私たちってマスターにとっては子供みたいなものだから、防犯グッズとか色々と作ってたのよ。見てみる?」
「……そんなあっさり見せられて良いものじゃない気がするんですけど」
それってつまり古代文明の遺産って事だよね。しかもちゃんと直々に作ったという証言の墨付きで。
戦々恐々としている私を気にした様子もなく、ルクスリアは私を連れて部屋を後にした。私が探索していた古代遺跡とは違って、通路はランプとも松明とも異なる光に照らされている。
つい興味深くて足を止めようとすると、ルクスリアが私の手を引いて先に進んで行く。そしてある部屋の扉の前で足を止める。
扉は何もせずとも壁に吸い込まれるように消えて、入り口が開く。手を引かれるまま、仲に入って私は思わず息を呑んでしまった。
「ここに入るのも懐かしいわね」
「……ここは?」
「私の着替えとか、マスターが置いていった魔術道具が置いてある場所。マスターは女の子が大好きで、着飾らせるのも好きだったから服はいっぱいあるのよ。私を封印した後も処分とかしてなくて助かったわ。まぁ、いつか目が覚める時が来るかもしれないって言ってたし」
「……ここにある衣装、一着一着になんだか凄い魔術が込められているのが一目でわかるのですが……」
手に取ってしまうのも畏れ多いと思ってしまう程に見事な魔術が込められた衣装の数々に私は目眩がした。
現世でお目にかかろうと思えば、超一級の職人達が手の届かないような桁の金額を積み上げて初めてお目にかかれるような一品。それがクローゼットに無造作に並べられている光景に私は口の端が引き攣った。
「……耐久性や耐刃性の向上、それに簡易障壁を展開出来るの? それに空気中の魔力を回収して保管して……凄い、どう機能するのかはわかっても、私じゃどう描けばこれが出来るのかわからない……絶対、国に献上するレベル……」
「マスターは過保護だったからねぇ。好きなのを持っていていいわよ? 性能はどれも似たようなものだから」
「凄まじく受け入れがたい現実なんですけど、というか無料で貰って良いものじゃない……」
「これは私のものだもの。私のものをどうしようが勝手でしょう?」
いや、それはそうなんだけど、あまりの凄さに腰が引けると言いますか……!
「ほらほら、似合う服を探しましょう。アネモネにはどんな服が良いかしらね? 背丈的にはイーラとグーラに近いかしら? 二人の服も残ってれば良いのだけど」
「ちょ、ちょっとルクスリア!? ま、待ってください!」
私の制止も虚しく、超がつくほどの高級品の衣装を手に取りながらルクスリアが私の手を引く。そんな似合う、似合わないで選んで良いものじゃないんですけど!?
そんな私の訴えも虚しく、私はルクスリアに為すがままにされて着せ替え人形になるしかなかった。




