第二話:離脱
※本日更新二回目です。
家に帰ってから随分と呆けてしまっていた。大きな決断をしたから仕方ないと思いつつも、夕食の準備をしないといけない。
億劫な身体を起こして、夕食の準備に手をつける。もう少しで夕食が完成するといった所で玄関の扉が開く音が聞こえた。入って来たのは姉さんだった。
「ただいま、アネモネ」
「おかえり、姉さん」
全体的に色合いが暗くて地味な私に対して、姉のカトレアは煌びやかな金髪に清らかな青色の瞳と、とても明るい色合いで纏まっている。
誰もが羨む、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるスタイルの良さ。小柄でやや発育不良気味の私から見ると眩しいぐらいだ。
自慢の姉であると同時に、自分が出来損ないだと感じてしまう立派な姉。それでも大好きな、ただ一人残された家族だ。
「夕食、もう少しで出来るよ。今日の本巡りはどうだった?」
「えぇ、楽しかったわ」
休日の姉さんの予定は、もっぱら読書だ。魔法師である姉さんにとって知識は力になる。今日も新しい魔法や、精霊以外に契約できそうな存在を探していたんだろう。
前向きで、努力したことを見せびらかさない。優しく、穏やかで、芯も通っていて一途。本当に素敵な人だと思う。
「夕食、出来たよ。召し上がれ」
「えぇ、いただきます」
『黄金の鷹』の稼ぎは良い。両親が亡くなった直後は食べるものにも困っていたけれど、幸いなことに姉さんには魔法があった。そのお陰で冒険者として姉さんは大成することが出来た。
元々、エルフの先祖返りとして生まれた私のために両親が買い漁った魔法書だけど、私ではなくて姉のほうが才能を見せてしまったのだから、両親は不思議そうな顔をしていたのを覚えている。
決して蔑ろにされていたとは思わないけれど、一緒にいた記憶が少なくて親という感覚は薄い。むしろ親代わりになって育ててくれたのは姉さんだ。
まだ若いのに出来損ないの妹を抱えて必死に生きている姉さん。……なんとなく、美味しそうに食事を進めている姉さんの顔を眺めてしまう。
(……置いていかれたくないのは、私の我が儘。そうだね)
もう潮時なんだ。いい加減、諦めも覚悟もついた。
そのまま食事を終えて、食器を洗うために下げながら私は姉さんを見ずに声をかけた。
「姉さん」
「なに? アネモネ」
「――私、『黄金の鷹』を抜けるよ」
姉さんが息を呑んだのが顔を見なくてもわかった。食器を洗い終えるまで、姉さんは固まっていたようだった。
私が食器を洗い終えると、見計らったように姉さんが私の手を掴んだ。姉さんは焦燥が入り交じった必死な表情で私を見つめている。
そのまま痛いぐらいの力で掴まれながら椅子に座らされた。肩を掴んで目線を合わせてくる姉さんの瞳には、怖いぐらいの激情が揺らめいていた。
「……何を、言ってるの? アネモネ、『黄金の鷹』を抜けるって、どういう事!?」
「ガレットからちゃんと説明があると思うけど、話し合って決めたことだから」
「話し合いって……私は何も聞いてないじゃない!? ガレットがアネモネに抜けろって言ったの!?」
「……私が足を引っ張ってたからね」
私の言葉に姉さんの表情が歪んだ。姉さんが意を決したように飛び出そうとしたので、今度は私が姉さんの腕を掴んだ。
「アネモネ、離して! ガレットに話があるわ!」
「姉さん」
「勝手にそんなことを決めて……! アネモネが抜けるなんて、そんなの!」
「姉さん!」
興奮する姉さんに私も声を大きくする。私に大きな声で呼びかけられた姉さんは、まだ興奮しているようだったけれど私の方を見てくれた。
真っ直ぐ目を見つめる。私を見つめる姉さんの瞳には様々な感情が入り乱れていて、ぐちゃぐちゃになっているのが手に取るようにわかった。
「……今まで、ガレットも、私も、他の皆も。それに、一番姉さんが目を逸らしてたことだよ。私が皆に比べて何も出来てないってことは」
「そんなことないっ!」
「あるよ。同じ位置で、いつも私に気を使って、必要以上に疲れてるのは姉さんだ。私が自分の身を守るので精一杯だから。私に何かあるんじゃないかって心配されてるのはわかるよ」
「だって、家族じゃない! 貴方は私の妹なのよ!? 心配するなって言うの!?」
眉間に皺を寄せて、歯を剥きだしにするように怒りの表情を浮かべる姉さん。そんな姉さんに私は首を左右に振った。
「心配するぐらいなら、私を冒険に連れて行くのは止めれば良い。『黄金の鷹』はもっと上に行ける実力がある。ガレットも、もっと遠征も増やして活躍したい筈。それが出来ないのは私のせいだ」
「どうしてそうやってアネモネを悪者にするの!? アネモネは皆を支えるために頑張ってくれたじゃない! 野営の準備も、装備の手入れも、値段交渉から事前調査まで! 貴方は前線では活躍出来なくても、それでもパーティーに貢献してきた!」
「でも、それは必ず前線にまで同行しなければならないの? 野営の準備だって、私が率先してやってただけで皆が出来ない訳じゃない。装備の手入れだって頻繁にやらなくて良い。値段交渉も、事前調査も、皆がやろうと思えばできる事だ。私だけなんだよ、戦いになったら出来ることがないのは」
私を連れて行くメリットよりも、私を連れて行くことで生まれるデメリットの方が大きくなった。結局の所、ただそれだけの話なんだ。
私がどれだけ努力をしているだとか、本当は『黄金の鷹』から抜けたくないという気持ちも、そんなのパーティーの足を引っ張ることにしかなってない。
「パーティーを抜けてもガレットがギルドの口利きをしてくれるから、仕事がなくなる訳じゃないと思う。私が付いていくことで、誰かの負担になるのはもう疲れたの」
「……そんなの、負担なんて思ってない」
「姉さんはそう思っても、他の皆は違う。……ガレットがちゃんと話し合う場を用意してくれるよ。そこでちゃんと意見を出して、皆で話し合おう。それで決めたことには文句を言わない。それでいいでしょう? 姉さん」
私の言葉に姉さんが何か言いかけて、でも結局姉さんは何も言うことはなかった。
そして、それから姉さんは私と一言も言葉を交わそうとしなかった。
* * *
「アネモネには『黄金の鷹』を抜けて貰う。これはリーダーとしての判断だ。……意見があるものは言ってくれ」
次の日、ガレットの一声で『黄金の鷹』のメンバーが集まっていた。
私、姉さん、ガレット。それに加えて二人。ドワーフの男性と、ワーウルフの女の子。
ドワーフの男性の名前はダグリアスさん。赤茶の毛質が固そうな髪に豊かな髭、私の手足三つ分はあるんじゃないかと思う手足の太さ。鋼のような灰色の瞳が眠たげなのがどこか愛嬌がある。
彼はガレットの師匠とも言える人だ。年長者として助言することが多く、一歩退いた所で私達を見守り、戦いになれば率先してメンバーの盾として活躍してくれる。
ワーウルフの女の子の名前はミルーニ。灰色の髪色に、同色の狼の耳。黄金色の瞳を持つ彼女は愛くるしいという表現が似合う容姿をしている。
彼女は『黄金の鷹』として活動し始めてすぐにガレットによって偶然助けられた。それからガレットをご主人様と慕ってパーティーに加わった。手先が器用で、索敵や罠の解除はミルーニの仕事だった。
「アタシはご主人様の意見に賛成します」
ガレットに真っ先に同意を示したのはミルーニだった。ミルーニが私を見る瞳は、少しだけ棘があるものだった。
ミルーニはガレットが大好きだからね。恋愛という意味ではなくて、本当にご主人様として。そんな彼女からしてみれば、ご主人様の足を引っ張ってる私は目障りだったんだと思う。
「っ、ガレット! ミルーニ!」
身を乗り出して、今にも机を叩くのではないかと言う形相で姉さんが二人を睨む。
姉さんに睨まれたミルーニは一瞬だけ狼の耳を伏せてしまったけれど、すぐにピンと立てて強い視線で姉さんを見た。
ガレットは腕を組んで平然としている。その視線は姉さんに真っ直ぐ向けられている。
「カトレア、落ち着け」
「ダグさん……」
怒りを露わにしている姉さんを落ち着かせたのは、ダグリアスさんだった。
「これは感情で語ってはいけない話だ。まず、落ち着いて一呼吸置け」
「……でも」
「この問題は少なからず、誰もが感じていた事だろう。アネモネには前線で貢献できる力がない。アネモネが活躍出来るのは後方支援。無理に前線まで付いてくれば、それが皆の負担になっていた。それは依頼の難易度が上がれば顕著に表れていただろう」
冷静に、そして淡々と話すダグリアスさんに姉さんは唇を噛んでしまう。
こればかりは皆の総意だと思うしね、私も含めて。実際、最近は『黄金の鷹』に舞い込んで来る依頼で相手にする魔物は、私の手には負えないものが増えてきた。
「今、『黄金の鷹』には勢いがある。この勢いに乗りたいというガレットの気持ちも、その勢いに乗るために長年組んできた相手を追い出すようなことが本当に正しいのか、と思うカトレアの気持ちもわかるつもりだ」
「……ダグさんは、どうなの?」
「俺は、アネモネには一度パーティーを離れてもらった方が良いと思っている」
私を除いた四人中、三人が私の離脱に賛成しているという状況を知って姉さんが唇を噛みしめる。私は、どこか他人事のようにこの話を聞いていた。
「まぁ、落ち着け。それはあくまで俺やガレット、ミルーニの意見だ。多数決だからとカトレアの気持ちまで無下にするのも良くないと思っている。だからこそ折衝案を考えてきた」
「折衝案?」
「アネモネには『黄金の鷹』を抜けて貰う。だが、戻って来る分には問題ないと俺は考えている」
「おい、ダグ……」
ダグリアスさんの言葉に眉を寄せたのはガレットだった。その顔には、何を言い出すんだという表情が浮かんでいた。
「今のアネモネが俺達についてくるのは無理だと言うのは同意する。だが、一年後のアネモネだったらもしかしたら追いつけるかもしれない。こいつに俺達と同じ場所で、同じだけの成果を求めるのが間違いかもしれない」
「ダグリアスさん……」
私は思わずダグリアスさんの名前を呼んでしまった。それに反応したのか、ダグリアスさんは私を見る。
「例えば魔術師として勉強をするとか道は幾らでもある。学院に通うのもありだ。学費なら、今までの自分の蓄えとギルドから受けられる細々とした仕事、それにカトレアが仕送りでもしてやれば出せない事もないだろう?」
「それは……」
「或いはパーティーに戻ることを考えず、地に根を下ろした生活に切り替えたって構わない。魔術で作った品を販売するとかな。それなら俺達が贔屓してやれるし、素材に必要なら俺達が元メンバーのよしみで格安で受けてやるという事も出来るだろう」
ダグリアスさんの声は淡々としているけれど、まるで言い聞かせるかのような温かさも感じる。
それが心地良くて、自然とダグリアスさんの言葉に耳を傾けてしまっていた。
「結局の所、心配なんだよ。皆、お前が嫌いになったとかじゃねぇ。むしろお前を嫌うのは筋が違うだろ」
ちらり、とダグリアスさんがミルーニへと視線を向けた。ミルーニはダグリアスさんの言葉に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてそっぽを向いた。
「だが、これ以上自分の為にならない努力をさせるのもどうかとは俺も思う。魔術師ってのはあまり前に出て戦うような技能じゃねぇだろ?」
「……はい」
「俺がギルドの仕事を斡旋したら良いんじゃないかと助言したのは、選択肢を残すためだ。ただ選ばせるためじゃねぇぞ? ガレット」
「…………別に、わかってなかった訳じゃない」
ダグリアスさんの指摘にガレットは渋い表情を浮かべながら呻くように言った。
「……だが、半端な希望を持たせた所で良いとも思えなかった」
「どう考えるかは個人次第で、それをどう取り持つかはお前の仕事だ。俺は助言するが、このパーティーが空中分解するなら故郷に帰るぜ。俺はガレットを見込んで冒険者をやってるんだ。お前が見込み外れなら、冒険者をやってても死ぬだろうしな」
キッパリと言い切るダグリアスさんにガレットの表情が歪む。あぁ、また考えすぎた顔になってる。
姉さんも姉さんで、何か言おうとして言えてないし。……結局の所、私がパーティーにいると心配なのは皆一緒らしい。ミルーニはちょっとわからないけど。
「私はもう決めてる。だから、良いよ」
「良いって……アネモネ」
悲しそうな声を出して、姉さんが私を見る。何も意見を言えなかったんだから、姉さんにはもうこの流れを覆せない。
それに選択肢を残す、と言われて気が楽になったのも事実だった。ガレットは私がパーティーには戻って来るのは反対みたいだけど、もしかしたらという可能性があるだけで私には十分だ。
「――今まで、お世話になりました」
決別の言葉は、自分で思っていたよりもあっさりと出てきた。