第四話:誘惑
また日が空いてしまいましたが、なるべく更新を継続していきます。
どさり、と倒れた男を見届けて私は深く息を吐き出した。倒れた男の表情は鼻の下が伸びていて、けれど目の焦点があってないまま倒れているのでゾッとしてしまう。
(改めてルクスリアの〝魅了〟を使ったけど……やっぱり怖い力ね)
ルクスリアが齎す恩恵の魔法、その基本系である〝魅了〟。対象の好意や愛情といった感情を増幅させ、意のままに操ったり、感情を暴走させたりすることが出来る力。
基本の力だからこそ応用の幅も広く、視線を合わせたり、香りを漂わせて理性を低下させたり、直接触れたりと、使い方は様々だ。
しっかりと時間をかけて魅了をすれば、耐性のない相手だと簡単に無力化できてしまう。あっさりと私に接近を許したこの男が良い例だ。
(……バレたら本当に危ない力)
だから万が一にでもバレる訳にはいかない。倒れた男を拘束してから、私は息を潜めながら洞窟の中の様子を窺う。
入り口まで近づくと、中からの声も聞こえるようになった。声は複数人いて、どうやら陽気に食事と酒を楽しんでいるようだった。
『あらあら、暢気なものね』
『……ルクスリア、洞窟の中でも〝香り〟は飛ばせますか?』
『えぇ、勿論。すぐに仕掛けるかしら?』
『いつ交代とかで外に出てくるかわからないし、妹さんの安否が心配』
私は霊体化しているルクスリアに目配せした後、そっと洞窟の内部に息を吹きかけるように吐き出す。
〝香り〟と言っても、本当に香りがする訳じゃない。ある意味、魔術の呪いにも似たような使い方だ。対象をしっかりと認識して使わないと効き目が薄いという点も似てると思う。
今回の香りは洞窟内部に充満するように設定したので、効き目が出るのに時間がかかる。それでも一度香りを嗅いでしまえば効力は発揮し始める。
あとは、ルクスリアの力に耐性がある人がいない事を祈るばかりだけども……。
「……ッ、なんだ! 甘ったるい香りがしやがる!」
洞窟の中がにわかに騒がしくなる。警戒するような鋭い声が聞こえてきて、私は思わず舌打ちをする。香りだけでは効き目が薄い人がいるみたいだ。
魔術によって洞窟内部の気配を探る。動きを止めたのか、気配は探りやすい。数は……合計で四人。その中で動いているのは一人だけだ。
(……大丈夫。私はやる。やれるんだ、もう無力の私じゃない……!)
呼吸を整えて、私は警棒を手に構えながら洞窟の中へと足を踏み入れた。
中には四人の人がいるけれど、その内の三人は呆けたように虚空を見つめている。男が二人、そして少女が一人という内訳だ。
男二人は外にいた見張りと同じような風体で、少女はまだ年若く、服も汚れているけれど落ちぶれたという感じはしない。恐らく、この少女が村で叫んでいた男の妹。
そして、洞窟の中に入って来た私に向けて驚きの視線を向けて来たのはこの中で一番巨躯の男だった。見るからに力自慢だと言うような風貌で、厳つい顔は如何にも凶悪そうだ。
「なんだぁ、テメェは……!」
驚きと警戒が半々に入り交じった怒声を叩き付けながら、頭目と思わしき男は剣を抜いた。
私を見ても顔を顰めるだけで、魅了されてくれそうにはない。まったく効いてない訳じゃないけれど、香りを嗅いで姿を見せても私に対する警戒を解こうとはしない。
『簡単に魅了されてないってことは、たまたま耐性があるか、それとも強い心を持っているかね。この様子を見る限り、前者だと思うけれど』
観察するようにルクスリアがそう言う。その間にも頭目の男は私を警戒しながら、呆けている男たちに怒声を浴びせている。
「おい、何やってんだお前等! 侵入者だぞ! 呆けてるな!」
「……」
「おい! どうしたんだよ、くそ……!」
頭目の声に反応せず、香りに囚われている男たちは動こうとはしない。私は意を決して、勢い良く地を蹴って頭目の男との距離を詰める。
私の接近に気付いた男の剣が、私の振るった警棒を受け止める。甲高い金属音が響き渡るけれど、明らかに私の方が力負けしてしまっている。
「ちくしょう、テメェの仕業かぁ!」
たった一合で、力で押し切れると判断した男が私を押し返そうと剣に力を力を込める。警棒を飛ばされないようにしっかり握り締めながら、私は警棒に秘められた機能を使用する。
ぱち、と空気を焼くような音が走り、青い稲妻が警棒から溢れ出して剣を通して頭目の男の身体に叩き込まれる。びくん、と頭目の男の身体が跳ねて、私に向けられていた視線がブレた。
「――はぁッ!!」
雷撃を叩き込まれて身が竦んだ隙に、私は力を抜いてすり抜けるようにして鍔迫り合いをしていた刀身を外す。
自由になった身体を頭目の男の横に滑らせるように身を低くしながらすり抜ける。そして、頭目の男の腹に手を当てて、今度は腕輪から雷撃を叩き込む。
「がぁぁあああああッ!?」
二度目の雷撃を受けた頭目の男は断末魔のような叫びを上げながら身体を震わせた。そして、ぐるりとその目が白目を剥いて、前のめりに崩れ落ちた。
何度もびくびく震えていたが、意識は落ちたようだった。その光景を見届けて、相手から抵抗がなくなったのを確認して息を吐く。
「……やった」
達成感よりも先に安堵が出てきてしまった。そのまま座り込んでしまいそうな程、緊張していたけれどまだ終わりじゃない。
ぼんやりと虚空を眺めていた男二人と少女が私に視線を向けていた。ようやく私を認識した、と言った所だった。
「あ……」
「……なんて、綺麗な……」
男二人が夢現のまま、よろよろと立ち上がって私の方へと寄ってこようとする。まるで私を舐め回すように見るその視線にゾッと鳥肌が立ってしまう。
「――動かないでください」
咄嗟に声が出てしまう。すると、男二人はぴったりと動きを止めて、私を食い入るように見つめている。
私の指示がなければ、そのまま私に抱きついてきそうな程だった。それは……ちょっと、遠慮したい。
少女はどうだろうか、と視線を向けてみると、口元に手を当てて潤んだ目で私を見てしまっている。赤らんだ頬が尋常じゃない様子を私に伝えてくる。思わず冷や汗が背中に流れてしまった。
『……ルクスリア、これちゃんと元に戻りますよね?』
『そうねぇ。……多分?』
『多分ッ!?』
『だって、何かされたって違和感は残るだろうけど、魅了された時の気持ちは本物よ? その気持ちは作り物でもないのだから。あくまでそういう形に仕立てられた感情そのもの。もしかしたら、それに執着してしまう人もいるかもしれないわねぇ?』
『……えぇ?』
私が思ってた以上にルクスリアの力は危険で、面倒なものかもしれない。解除すれば私は普通に振る舞えていたと思うんだけど、もしかして他の人はそうじゃないのかもしれない。
……もしかして、これが私がルクスリアの力を使えると判断された理由? 頭目の男も力が効いてない訳じゃなかったけれど、正気を失ったようには見えなかった。個人差があるようには言ってたけれど、今後詳しくルクスリアに問い詰めた方が良いかもしれない。
「……さて、と」
制圧は出来た。それはまず良しとしようと思う。
けれど、この後をどうしよう? と思い、頭が痛くなってしまった。つい衝動的になって自己満足のために妹さんを助け出したけど、助けた後のことをまったく考えていなかった。
(まず、妹さんは魅了を解除して村に戻るように言えば良いとして……野盗の人たちはどうするべきかな?)
野盗というのは面倒なものだ。暴れて人を傷つけることに抵抗はないけれど、その粗暴さが人に迷惑をかけるだけで冒険者としてやっていけるような実力でもない。
だから野盗は大半がその場で殺されてしまう。勿論、生きたまま突き出される事もあるけれど、問題はこの捕らえた野盗を留めておけるだけの設備や人がいるかどうかという問題がある。
一心不乱に離れることだけを考えて移動してきたから、ここが詳しくどこなのか私にはわかってない。私が立ち寄った村も小さく、四人と言えども野盗を拘束しておく施設も村にはないかもしれない。
罪人を更生させられる余裕がある地なら、捕らえて突き出せばお金にもなったりする。そうじゃないのならば、殺してしまっても後腐れはない。野盗に身をやつしてしまった者の末路は、そういった悲惨なものだ。
(……ガレットだったら、捕らえたまま突き出しに行くかな)
そこまで考えて、思わず苦笑してしまう。だって、それは本当に無意味な仮定だから。
ガレットだったら『黄金の鷹』を率いているのだから、見張りを交代しながら男を見張ることも出来る。姉さんも、ダグリアスさんも、ミルーニもガレットの決定だったら反対しないと思う。
私とガレットだったら土台が違い過ぎる。彼は清く正しく生きている人間だ。余裕があるならば野盗にだって罪を償う機会を与えるべきだって言うと思う。
じゃあ、私は――?
「――……」
心が冷えていく。冷静に考えようとすればするほど、私の心は同時に凍てついていくようだった。
ただ合理的に、何をするべきか必要な事柄を判断して、それを遂行する。衝動的に妹さんを助けようと思って事を起こした私が言うのもおかしな話だけど、この時の私はどうしようもなく――冷酷になれたと思う。
「……どうせ、抵抗しないなら」
私が倒した二人は意識がなくて、残った二人は私の言うことに抵抗はしない。
ふと考えてしまう。彼等がどうして野盗になんかなってしまったのか? なんて。
理由はわからない。もしかしたら同情すべき事情があるかもしれない。誰でも罪を償う機会は与えられるべきなのかもしれない。
――でも、それは施せるだけの余裕や強さがある人間がやって許される事だ。
考える。私が今、思っていることを。
考える。私が今、何をすべきなのかを。
考える。私が今、しようとしている事の是非を。
考える、考える。考えて、考えて。そして、決めた。
「殺すの?」
いつの間にか実体化していたルクスリアが、私の後ろから声をかけてくる。
ルクスリアがどんな表情を浮かべているのか、私には確認することが出来なかった。
確認することが、怖かったのかもしれない。だから私は決して振り向かず、答えた。
「――私じゃ、助けてあげられないから」
私は何も救えない。あぁ、結局これも自己満足。
それで良いの? と問う弱い自分は、今だけはねじ伏せる。
私は秘密を抱えてしまっているし、この秘密を出来ることなら隠し通したい。
魅了を上手く使えば暗示のように使えるかもしれない。でも、私は自分の力が及ぼせる範囲を知らない。
ルクスリアに聞けば答えてくれるかもしれない。でも、その力を自分のものにするだけの時間があるのかもわからない。
だから、決断は今すべきだ。決断を迷ってしまえば、必要以上に自分が傷ついてしまうかもしれないから。
その決断だって、秘密を隠すのなら少女の方だってどうにかした方が良い。でも、そこまで徹底するぐらいなら最初からこんな寄り道をしなければ良かった。
何もかもが中途半端で、でも、そうしなきゃ息をするのが苦しくて。でも、選ぶことだって苦しくて。だけど、それでも足を止めたくない。
それは死を受け入れる事にも似ていたから。私は、もう私の意志を何一つだって譲りたくない。それが半端で、非難されるような事でも、もう失いたくないから。
「……ルクスリアは、軽蔑する?」
それでも、弱い私は聞いてしまう。自分だけで選ぶべき事が、本当にそれで良いのか自信がなくて。
「いいえ。――いいのよ、アーネ。貴方はまず、自分を愛するべきだわ。それがどんな回り道だとしても、人は己を知って、自分を愛さなければ生きてはいけないもの」
私の耳に両手を添えて、ルクスリア以外の声が聞こえなくなっていく。
「時には己に失望してしまうでしょう。けれど、それでもいつか人は自分を愛さないといけないのよ。死にたくないと望んだ貴方は間違ってない。生きたいと願う貴方は間違っていない。それがどんなに不器用な回り道でも、賢しく生きる事が義務ではないの」
耳を塞いで、髪を撫でる指先の感覚以外の熱が感じられなくなっていく。
「愛は深く、溺れるもの。例え私の力に溺れても、私は貴方を軽蔑することなんかないわ。世界が許さずとも、私が貴方を許しましょう。自分を愛して、誰かを愛して、そうして愛に溺れていいの。それが――私の存在証明だもの」
* * *
――昔、天使様に助けてもらったの。
それは、少し先の未来の話である。
とある村の、とある少女はそう嘯いた。
頬を赤らめて、とても夢見心地で。
「その日はね、私は山菜を摘みに山に入ったの。でも近くの洞窟に野盗が住み着いてて、私は捕まって売り飛ばされそうになってたの」
でも、と。悲惨な体験を語るにしては少女の口調はとても滑らかだ。
「そこを天使様が助けてくれたの」
優しく包み込む夜のような黒髪、瞳はまん丸なお月様のように輝いていた。
天使様が微笑むだけで、野盗たちは身動きを忘れてしまったかのように呆けてしまっていた。
「私も天使様に目を奪われて、心臓が高鳴って、本当に綺麗でビックリしたの」
少女の初恋は、天使様だった。
けれど天使様は夢幻のように消えてしまっていた。記憶が途切れて、気が付いたら村で兄が心配そうに自分を覗き込んでいたからだ。
どうやら村の傍で倒れている所が発見されて、保護されたらしい。良いだけ泣きじゃくった兄から後で聞かされた話である。けれど、私をそこまで運んだと思わしき人はいなかったらしい。
まるで存在していなかったように天使様は消えてしまった。それも仕方ないかもしれない。あんな綺麗で、心を奪われてしまう人はいない。耳が尖っていたからエルフかもしれないけれど、エルフとも思えない。
きっと神話に語られるような天使というものなのだろう、と少女は結論づけた。それから少女はずっと、彼女のことを天使様と呼んでいる。
「もう一度会えるなら、ちゃんとお礼が言いたい」
あぁ、そういえば。少女はふと、疑問を口にする。
「――天使様に見惚れていた野盗は、どうしたんだろう?」
少女は知らない。彼女が住まう村の近くの山、その山にあるかつて野盗が住み着いた洞窟。
そこから少し離れた地にある、四つの名もなき墓標の事を。きっと、これからも彼女が知ることはないのだ。
気に入って頂けたらブックマークや評価ポイントを入れて頂けると嬉しいです。
あと、作者が他に投稿している作品である『転生王女と天才令嬢の魔法革命』の第二巻の発売が5/20日に決まりましたので、よろしければそちらもよろしくお願い致します!