第三話:覚悟
「この腕飾り……例の妹さんのかしら?」
「だと思う。魔術で魔力の痕跡を辿ってみる」
腕飾りを慎重に拾い上げて、腕飾りに残った魔力の痕跡を辿る。
魔力は人それぞれで固有のものだ。それは色であったり、音であったりと、その分野で判別する方法は違うけれど。
つまり腕飾りにこびり付いた魔力の痕跡がまだ残っているなら、その持ち主の居場所を探ることが出来る。
但し、それには身につけている時間が長かったり、手放してからの時間が短かったりする必要がある。なので調査するにはかなり制約が厳しい。
それでも有用なこの技術を私は取得していた。『黄金の鷹』にいた時期、自分にしか出来ないことを探して磨いた技術だから。
「……まだ痕跡は辿れる。手放してから恐らく一日。多分、例の妹さんのものだと思う」
「それは良かったわね。まだ生きてるとは限らないけど」
そうだ。妹さんの痕跡を辿ることが出来ても、まだ安心することは出来ない。
不自然に消されたような痕跡、争ったような跡、そして落ちていた腕飾り。想像出来る状況は全然喜べるものじゃない。
深呼吸をして息を整える。腕飾りをそっと包むようにポーチにしまいながら、私は立ち上がった。
「急ごう」
魔術の痕跡を辿るのは時間が経つにつれて難しくなる。なるべく早く、けれど警戒を強めて森の奥へ、奧へと進んで行く。
森が続いていた山だったけれども、登っていくにつれて岩肌が増えて来る。自然と出来た洞窟もあって、動物が住めそうなものも幾つか存在した。
動物が住めるということは人間だって利用することが出来る。……妹さんを連れ去ったような人たちが隠れ家や拠点に使っていてもおかしくない。
慎重に物音を立てず、魔術で周囲の魔力の動きを探り、身体強化で視力や聴力を強化しながら進んでいく。
段々と日も傾いてきて、空が夕陽の色に染まりつつある中――私は息を殺しながらも、緊張に喉を鳴らせていた。
『……いたわね』
隠密行動をするようになってから霊体化していたルクスリアが呟く。
私と彼女の視線の先、そこには洞窟の前に見張りと思わしき男が座っているのが見えた。
身なりはかなり薄汚れていて、どう見ても真っ当な人とは思えない。
私が辿っていた魔力の痕跡も、洞窟の奧へと続いている。やはりというか、ここを根城にしている野盗に拐かされてしまったようだ。
『……見張りが一人、中の気配は……ダメ、探りきれない』
流石に距離がありすぎる。魔力で判別するには時間がかかりそうだ。
見張りの男に見つからないように距離を取りながら周囲を探る。その周囲を探って、足跡を見つける。靴の形や大きさ、それを計って人数を絞り込む。
(……少なくとも四人、か)
囚われている女の子が一人、そして拐かしたと思われる山賊が最低でも四人。
その事実に私は唇を噛みしめる。流石に四人を相手にして、拐かされた女の子を助けられるとは思えない。
助けに来たと思われて、女の子を人質にされる場合も考えるとまず勝てない。私一人で解決出来る範囲を大きく超えている。
(せめてもう一人いれば、村に報せを……でも、報せた所でどうにかなる? ……駄目、なりそうにない)
あの村はそんな大きくもないし、私のような冒険者が常駐しているとは思えない。
仮に運良く冒険者がいたとして、手を貸して貰えるかどうかわからない。冒険者は慈善事業じゃない。
あの村には自警団のような組織は存在する? 仮に協力出来たとして相手の実力が読めない。逆に返り討ちに遭ってしまうかもしれないし、それこそ人質なんて使われたらどうしようもない。
(こんな時……姉さんや、ガレットだったら――)
思わず脳裏に過った二人の顔に、私は噛み切らん勢いで唇を噛んだ。ここにいない人たちを思い浮かべてもどうしようもない。
そもそも私だってあの人たちには助けられてないんだから、あの二人だったら助けられるかもしれないって考えることが間違ってる。
考えるべきは、今の自分に何が出来るかだ。……その上で、何も出来ないと突きつけられているのだけども。
『何を悩んでいるの?』
「……っ、ぁ」
思考に溺れそうになった私の意識を逸らしたのはルクスリアの声だった。
そうだ、今の私にはルクスリアがいる。ルクスリアは神も恐れた悪魔、その力がある。ダメ元でも、ここは彼女に意見を伺うべきだった。
『……ルクスリア、この状況はルクスリアの力だったらどうにか出来る?』
『まず状況を確認しましょうか。アーネの目的は?』
『攫われたと思わしき女の子の安否の確認、安全確保。その為の野盗の無力化』
『敵の数は?』
『最低でも四人。人質に使われるかもしれないし、数の暴力で来られたら真正面だったら私じゃ勝てない可能性が高い』
『見張りが一人だとすると、中にいるのは最低でも三人。一人に抑えられている内に人質に女の子が取られれば貴方は抵抗出来なくなる』
『……そう、だね』
淡々とルクスリアが告げていく状況は、本当に嫌になるほど最悪だ。
『そうねぇ……出来なくはないわよ』
『本当に?』
『これでも世界を滅ぼせると言われた悪魔よ? それぐらい出来なくてどうするのよ』
どこか呆れたようにルクスリアは言う。じゃあ、実際にどうすれば良いのか聞こうとする前にルクスリアが私の言葉を遮るように問いかけてきた。
『――覚悟はあるの?』
ルクスリアの問いかけに、私は息を止めてしまった。ルクスリアは無表情で私をジッとと見つめている。止めていた息を思い出すように、私は喉を鳴らす。
汗が頬を伝って落ちていく。今、私がルクスリアに感じているのは――恐怖だった。
『ぶっつけ本番、ろくに力の制御も学んでない。ただ与えられただけの力で蹂躙する覚悟はある?』
『じゅ、蹂躙って……!』
『私の力は加減なんて出来るものじゃないわよ。特に使い慣れてないド素人には特にね。それに手加減なんかしようものなら自分に災いを招きかねない、そんな力よ? 私は別にいいのよ? アーネがそれで良いと思える相手なら幾ら壊しても気にしないわ』
壊す、とルクスリアが言う。それは事実だ、ルクスリアの力を使えば人を壊すことはそんなに難しくない。加減もなく、躊躇いもなく、ルクスリアの力を振るえばそうなる。
だけど、ルクスリアはあくまで力を貸すだけ。その力を振るうと選択するのは――他でもない私だ。
『それで貴方は満足出来る?』
「…………私、は」
葛藤が口からこぼれ落ちた事にも気付かず、私は固く目を閉じて思考に沈む。
ルクスリアの力は危険だと、私はわかってる。わかっていた筈だ。でも、今、その力に頼ろうとしている。
そこまでする程、私は踏み込むべきなんだろうか? 行方不明になった女の子を探そうと思ったのは何故?
そう、自己満足だ。ただ、私が納得できないから探しに来てしまった。そして、私にはその子を救えるかもしれない力がある。
でも、その力は世界を滅ぼしかねない力を秘めている。それを本当に振るって良いのか? その覚悟が私にある?
「……わからない。それでも――見なかった事には、出来ない」
覚悟と言われても、正直出来ないかもしれない。
でも、ここまで来てしまった以上、見捨てることも出来ない。
見捨ててしまう自分を認める事の方が、私にはどうしても耐えられない事だから。
そんな思いから私はルクスリアを見上げる。ルクスリアは私を見つめて、静かに佇むだけ。
『そう、ならどうすれば良いかレクチャーしましょうか』
「……そ、それで良いんですか?」
すると、ルクスリアはさっきまでの威圧感はどこへ行ったのかと言うようにあっさり言った。
思わず拍子抜けしたように私はルクスリアに問いかけてしまう。すると今度はルクスリアが不思議そうな顔を浮かべる。
『良いも何も、それを決めるのはアーネの意思よ。それが正しいとか、間違いだとか、そんなのはどうでも良いわ。それで貴方が満足出来るなら、殺しても良いような人が死ぬのは仕方ないじゃない?』
「……そういうもの、ですか?」
『悪魔に目をつけられたのが悪いのよ。悪いことをしなければ目をつけられなくて済んだのにね? だからどう死んでも自己責任でしょ?』
……それはそれで飲み込めないけれど、だからといって被害にあった女の子がこのままにされて良いとも思えない。
この一件が終わったら、私はもっとルクスリアと、悪魔の力と向き合わなきゃいけない。それが彼女と契約した私のやらなきゃいけない事だと、この瞬間にそう思えた。
『それじゃあ、〝色欲〟の悪魔の力、その使い方を教えてあげるわ――』
* * *
「……あー、見張りの交代の時間まだかね」
その男は、落ちぶれていた。
真っ当に手に職をつけて生きることが出来なかった、社会から弾き出されたならず者だ。
落ちぶれた彼が、同じように落ちぶれた男達と縁を結んだのは当然の成り行きと言える。そうして徒党を組んだ彼等は野盗となり、他者から奪うことで生きてきた。
人から奪いながら生きていれば当然のことながら疎まれる。一箇所に留まることも難しく、そうして彼等が辿り着いたのはとある山中の洞窟だった。
そんな彼等が拠点を置いた山に若い少女が来れば、手を出さない理由がない。とはいえ、自分たちが楽しむよりも生娘の方が高く売れるというリーダーの言には不満を抱きながらも納得した。
彼等は所詮、落ちぶれた野盗だ。戦う心得がないとは言わないが、本職の兵士や冒険者と戦うのは避けたい。
彼等が奪うのは生きる為であり、殺しや戦いを楽しみたい訳ではない。避けられるなら戦いは避けるのが、彼等の生き方だった。
たまたま自分たちが捕まえた女を楽しむより、生娘のまま商品として高く売った方が良い。金が入り、自分達の懐は潤う。
「……あー、でも、ちょっと残念だな」
まだ若いが、遊ぶには十分な女だった。自分達に怯え、絶望した表情で震える少女には支配欲と嗜虐心がそそられた。
今頃、中では酌でもさせながら酒盛りを楽しんでいることだろう。少女を売れば入るだろうお金を当てにしたどんちゃん騒ぎ、けれど見張りを立てない訳にもいかず、貧乏くじを引いていた。
チッ、と舌打ちが零れる。交代したら自分もあの少女に酌をさせるのだと、そう誓う。
「――……ぁ? なんだ、この……甘い……香り……?」
ふと、男の鼻をくすぐったのは甘ったるい香りだった。その香りを吸うと、なんだか心地良くなってくる。
ふわふわと緩んでくる意識の中、香りの方へと惹かれるように視線を向けると――そこには可愛らしいエルフの少女がいた。
「……ぁ」
胸が高鳴る。目の前に現れた少女に警戒すべきだと思うのに、思考がどんどん蕩けていく。
あの少女に触れたい。柔らかそうな頬に、吸い付きたくなる唇に、あの肢体を組み敷いてしまいたいと、そんな欲が腹の底から膨れあがる。
そんな中で、少女がゆっくりと顔を上げた。その瞳は蠱惑的な金色に染め上げられていて、妖しい光が灯っている。
「――どうぞ、こちらへ」
耳から入って来た声に痺れて、男はふらふらと立ち上がった。今すぐ駆けだして腕にあの少女を掻き抱きたい。まるで男を誘うような、そんな響きの声に男は一歩、また一歩を近づいて行く。
「お、女……女だぁ……!」
もう我慢出来ない、と。夢心地のまま、思考に追いつかない体に苛つきながらも少女に飛びつかんばかりの勢いで地を蹴った。
少女は柔らかく微笑みながら男に手を伸ばす。
「私のこと、好き?」
「ぁ……あぁ……! すき、すきだ……! おま、お前が……お前を……!」
「そう、なら」
少女の手が、男の頬に触れる。
「――私が好きなら、抵抗しないで」
はい。わかりました。抵抗しません。
そして、男の思考は少女の手から走った雷によって焼き払われて、闇に閉ざされていった。




