確かな変化
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啓二さんは誰にも話したくない過去のなにかを隠している。昔のやんちゃが招いたなにかが、今になってあの人を苦しめている。そこまでは分かった。けれど、それ以上は分からない。
「ここで大樹さんに泣き付くのも有りだけど、あの人はそんな簡単に話してくれるわけないよな。そもそも、啓二さんの昔話を聞いているかどうかも怪しいし」
情報にはそれに見合う対価が必要となる。啓二さんがもしも大樹さんを信用して昔の話をしたのなら、大樹さんはそれを秘匿する義務がある。信じてもらって話してもらったことは、口外するべきことじゃないからだ。僕なんかはたまに口から零れ出てしまうけれど、大樹さんは堅いに違いない。
じゃぁ、見合う対価とはなにか。これが難しい。信用に同等の、同価値の代物がこの世界に幾つぐらい存在するのか。金が信用の数字だと啓二さんは言ったが、あれは仕事上での付き合いにおける話だ。プライベートにおける信用とはまた違う。
僕は、大樹さんになにを示せば良い?
「どれもこれも、啓二さんが喋っていたらの話だけど」
覚悟なんて言葉を大樹さんはすぐには信じないし認めない。あの人は形や態度で見せなければ、納得しない。だからいつも辛辣で、心を抉って来る。しかもそれが天然の毒舌なのだからたまったものではない。
それでも、自身を踏み台にして、自らを犠牲にしてでも誰かを高みへと登らせる。そういうことを好む。そういう生き方をしている。敵を沢山作る生き方ではあるけれど、同時にいつか感謝される生き方だ。僕には真似できないし、大抵の人だって真似したくないだろうそんな生き方を、そんな人生を、大樹さんは歩んでいる。だから、なにか……あの人の生き方を刺激するような、形や態度を示すことが出来たなら、口を割ってはくれそうではある。
「そんなことをするよりも、啓二さんの口を割らせた方が、手っ取り早い気もするけれど」
頑固さで言えば、大樹さんの方が強いので啓二さんに集中的に答えを求め続ければ、いずれなにかを話すのではないか。そんな、起こるのか起こらないのかも分からないもしものことに賭けなければならないのだろうか。
もしものことなんて、たとえばの話なんて、“たられば”なんかに賭けられない。だって、人の感情や心、生き様や人生は、取り返しがつかないから。取り返せる賭け事ならば幾らでも乗る。でもこれは、一つ間違えれば僕から啓二さんは遠ざかり、大樹さんの僕への信用度も下がりかねない。それはとても、怖いことだ。
「取り敢えず、大樹さんに啓二さんの昔のことについて探りを入れるのは確定として……」
事情を載せたメールを送信し、それから深い溜め息をついたのちトークアプリを起動させる。今日も倉敷さんからの返事は無い。理沙や奈緒からは来ているので、そこには当たり障りのない返事をしておく。望月の家庭の事情は、同年代のみんなには、本人が語るまでは隠しておく。ただ、大樹さんにだけは、ひょっとしたら知っているかもという可能性が捨て切れないので、先走ってメールを送信してしまった。事後確認になってしまうが、望月へもその旨をトークとして残しておく。それでも、大樹さんが望月家の事情を他の誰かに意味も無く話すようなことはしないと思うけれど。
あーでも、姉さんからなら、行けるのか? いやそれだと、姉さんに望月の事情を説明することになるし……多分、そういうやり方は姉さん側からストップが掛かる。努力もせずに情報を集める僕の態度に、きっと怒るか呆れるかするだろうから。
どう努力すれば良い? どう、頑張れば良い? やれることはあるはずだ。それを見つけ出さなきゃならない。
「大樹さんが通っていた中学と、高校か? でも、学校が外部の人に個人情報を晒すわけないし、あとはOBとかOGか? でも、それだってどうやって調べれば良いのか……啓二さんの卒業アルバムから探る? それは望月と啓二さんの築かれつつある兄妹仲を壊すかも知れない。それは駄目だ。だったら他になにか……なにか、あるか?」
こうなるんだったら、もっと推理物のゲームをやっておくべきだった。論理的思考やらなんやらと細かい言葉ばかりは知っているクセに、啓二さんが零した言葉から推理もなにも立てられやしない。だって僕がやっているのは推理ではなく、“もしかしたら”という希望的観測である。確実性が無い。情報と証拠を掻き集めて推理しているわけではなく、雲や霞のようなものに勝手に“こうだったら良いな”と思い描いているだけだ。
「漫画やアニメ、ゲームの探偵は結局、二次元にしか居ないってことだな」
考え過ぎて、疲れた。これは少し休憩が必要だ。頭の中がよく分からなくなって来た。昔から物事について深く考え過ぎて、単純なことさえ曲解してしまう節があるから、この辺りで切り上げないとドンドンと妄想で話を膨らませてしまいそうだ。
「げっ」
なにやら聞き慣れた声がしたので顔を上げてみると、そこには気まずそうに倉敷さんが立っていた。
「『げっ』って言った?」
「言ってない」
倉敷さんは丁度、曲がり角から出て来たのだが、僕は気付いていなかったので、気まずいなら気まずいで声を押し殺すなりして僕が通り過ぎるのを待てば良いのに、声を出して自己を主張する意味が分からない。それとも唐突に出会ってしまったから、思わず声が出てしまったのだろうか。
「あのね、倉敷さん」
「な……なに?」
「既読スルーしたら怒るクセに、僕のトークに対して既読スルーするのは酷いと思うんだ」
「え、や、だって、どう返事をしたら良いのか分からなかったのよ」
醜態を晒してしまったという点が、倉敷さんにとっては許されないことだったのだろう。結構、頑張ってフォローしたのにな。
「栄養ドリンクに精力増進の効能が少し含まれていたことに気付いたくらいで、テンパるなんて倉敷さんらしくもない」
「だって、あの時は……二人切り、だったし」
倉敷さんは綺麗な長髪を指先でクルクルと弄びながら、恥ずかしそうに言う。
「それに、差し入れをしたのは私の方で……それだと、そうなるかもって、なるでしょ?」
「旅行で散々、僕の性欲を『お爺ちゃん』呼ばわりしたクセに、身の危険を感じるとか……」
「お爺ちゃんでも性欲が旺盛な人は居るわ」
それじゃ旅行で僕を罵った言葉に齟齬が生じるじゃないか。
「なんなの? なにがそんなに恥ずかしいの? ちょっと間違ったぐらいだし、二人切りだって言ったって僕たち、そんな関係でも無かったと思うけど」
今日、望月に雰囲気に流されながら迫られたことで、少しだがそういった話題にも攻勢に出る。別に悶々としているわけではなく、なんかこう望月の迫り方を見たら、倉敷さんの失敗は小さなもののように思えてしまう。
「立花君は、女性に変な妄想をしていないわよね?」
「姉と妹に挟まれているから、そんなものは無いよ。無いからこうして、君に文句を言えるんだよ」
ゲームでも耐性を付けているし、滅多なことじゃ女の子に幻想を抱かない。話し掛けられて好きにはならないし、頼みごとにも裏があると思うし、迫られても若干、雰囲気にやられ気味だったけど望月よりは冷静でいられたし、『好き』という言葉一つ取ったって、ライクとラブのどっちなのかが分かるまでその言葉に深読みをしないし、女の子同士の会話は甘いものだけでなく、毒だらけであったりもすると間近で見て来た。
それを今更、訊いて来るのはなんなんだろうか。そういや倉敷さんと初めて会った時も、言葉にされたかどうかは分からないけど、こんな感じで様子を窺って来ていた気もする。でも、慎重なのは良いことだ。僕も慎重で居られるから、互いに距離感を詰めずに済む。信頼関係のその先に踏み込まずに済む。
色々と考えた結果、友人の垣根や信頼関係の境界線、幼馴染みのその先、どれもこれも踏み越えるのは嫌だ。恋愛シミュレーションゲームみたいに選択肢を絞られていたって、そこから正解を導き出すのはやっていられなかったし、恋愛パートよりもそこに入るまでの期間の方が、プレイしていて気楽だった。個別パートに入った瞬間、そのヒロインのことを調べて、買い物をして、プレゼントして、好感度を上げてって……そんなの疲れるだけじゃないか。
現実とゲームは一緒じゃないけれど、現実だって女の子に声を掛けて、怒らせないように気を遣って、相手のことを考えて言葉を選んで、それで大切な日にはプレゼントを渡して。
どれもこれもが、煩わしい。だから僕は女の子と仲良くしていても、その先の一歩を踏み出したくない。
「私、あなたにはどう見える? 鬱陶しい年上の女性?」
「僕は鬱陶しいと思ったら話し掛けもしないし、こうして声で気付いたって反応しないで無視するよ」
「……じゃぁ、私はなに?」
「信頼できる年上の女性。可愛いんじゃなくて綺麗で、けれどお淑やかとは掛け離れていて、我が強くて、僕が困ることばかりして来るクセに、本気で困っていたら困らせたことに謝って来て、よく分からない人」
スラスラと言葉が出て来る。
「頭が良いのにそれを自慢しないどころか自分の良い部分を誇張しない。人の良い部分には正直で、けれど人の駄目な部分にも正直」
言いたかったことが声になる
「考えるより行動するタイプ。なのにここ一番ってところでは、勇気が出せずに踏みとどまる短所持ち」
まだ言い足りない。
「年上の身内の人以外では大樹さんぐらいしか信じていない僕に、もう一度、年上であっても信じても良いんじゃないかって思わせてくれた人。大樹さんは面倒臭いというより付き合い方が難しいけれど、倉敷さんは面倒臭い。ただただ面倒臭い。ほんと面倒臭い」
「なんで面倒臭いばっかり言うのよ」
「でも、その面倒臭さがどうでも良くなるくらいには、信じているし、心配するし、前みたいに僕がなにかやらかしたんじゃないかって不安にもなる。トークアプリの既読スルーは僕もよくやらかすけど、倉敷さんは時間帯も考えて送ってくれていた。それなのに、僕も時間帯を考えて送ってみたのに既読スルー。分かるよ、返事しにくくて放置しちゃって、気付いたら日にちが経つってのは分かる。これじゃメールや電話をした方がよっぽどマシだってなる」
「……御免なさい」
「だから今後は倉敷さんとは電話とメールと、インターネット通話サービスを使う」
「へ?」
「だって理沙や望月や奈緒や大樹さん啓二さんや、あと姉さんに妹、父さんに母さんに比べたら、そっちの方がよっぽど気を遣わずに済むから。メールや電話なら歯切れが悪くならないし、話が尻切れトンボになっても『お休み』や『また明日』や『今日は予定があって』を酷使すれば、君に既読スルーされるよりずっとマシ。あれの疲れる部分を君に付随したら、そりゃもう僕は毎日のように心配になって不安になって、やってらんないね。だから、今度からはその三つで連絡を取って。互いにトークアプリと同じように時間帯を考えれば、行けるだろ」
そう、とにかくこの人とトークアプリを使って話をするのは緊張するし疲れるし、やっていられない。それに比べればメールや電話なら今まで通りに接することが出来る。それでも緊張はするだろうけど、既読スルーの恐怖からはともかく逃れられる。倉敷さんだって僕の既読スルーに一々、怒らなくて済むようになるんだから一石二鳥だ。
「私だけ?」
「そう、君だけ」
「なんで?」
「なんでって、そうじゃないと僕の寿命が縮まるから」
「どうして寿命が縮まるの?」
「だーかーら、トークだとあんまりイメージが湧かないから、メールで近況を報告してもらいたくて、電話では君の生の声が聴きたい……か、ら……?」
おかしいな、自分で言っていて疑問が出て来てしまった。
なんで僕はこんなに倉敷さんに拘っているんだ? これは相手からしてみたら気持ち悪いだろ。なに命令してんだ、僕は。そんな立場には居ないだろ。倉敷さんの行動を制限する権利なんてどこにも無くて、僕なんかが一々、文句を言うことだってあってはならないことだ。そんな束縛するみたいな……束縛? なんで束縛しようとしたんだ?
「…………は? 待って、今の無し。ちょっと待って、考える。考えるから待って」
「待たない。立花君の言う通りにする」
「いや、おかしいって。僕は君にどうこう言えるような人間じゃない。むしろ、君に命令される側の人間っていうか、雇い主と雇われた側みたいな」
「だったら、私が立花君の言ったことをそのまま立花君に命令する。私とはメールと電話でやり取りして」
「……あー、もう。だからそうじゃなくって」
「立花君が私のことを、そこまで見てくれているなんて、嬉しかった。それじゃ」
倉敷さんは僕がもっと別の答えを探そうとしている内に、物凄い速さでその場から駆け出して行ってしまった。
「……人のことをちゃんと見るのは、根暗の特技なんだよ」
自分の境界線を脅かすものかそうではないか。それを確かめるから人間観察の力が培われる。倉敷さんだけが特別なんじゃない。理沙のことだって、奈緒のことだって、望月のことだって、啓二さんのことだって、大樹さんのことだって、あと家族全員のことだって僕は一つ一つの動作を、言葉を観察し、危害を加えて来ないかを確かめて生きている。
でも、そこで得た情報を口にすることは、今まで無かった。
「頭、使い過ぎて、ガス欠にでもなったのかな……違うよな、クソ。あーもう、違う違う違う違う違う、そうじゃない。そうじゃ、ない」
そう言い聞かせたところで、胸の高鳴りは収まらない。
僕に「嬉しかった」と言った倉敷さんの向けてくれた笑顔は、網膜に焼き付いたかのようにしばらく離れてはくれなかった。




