第21話:西の境界、打ち砕かれた過信
生駒山での死闘を終え、俺たちはさらなる高みを目指して「神戸」へと足を向けた。勾玉が導く先、地図にも記載がない未知の深淵がそこにあると信じて。
だが、俺たちが神戸の地で目にしたのは、安易なダンジョン攻略などという甘い幻想を打ち砕く「魔の山」だった。
「……六甲山か」
街の背後にそびえ立つその山は、俺たちの感知能力を遥かに超えた異質な熱気を放っていた。地下深くから押し寄せる重圧は、生駒山の比ではない。心臓を直接掴まれるようなその魔力の奔流に、神戸の街全体が息を潜めているようにさえ感じられた。
俺は、その震源地と思われる山道へと足を踏み入れた。
しかし、結界の入り口に触れた瞬間、俺たちは思い知らされる。生駒山で得た自信など、六甲山の深淵の前では砂の城に過ぎなかったのだ。
「……っ!?」
結界から漏れ出す魔力の余波だけで、ケイが空中で体制を崩し、俺の肩へと墜落する。コハクの影は密度を維持できず、霧散して消えた。俺のタングステン刀は、抜刀することすら拒絶されるような、強烈な拒絶反応が腕を伝う。
魔獣どころではない。この山そのものが、俺のような半端なテイマーの存在を許さない「理」で塗り固められていたのだ。
「ケイ、コハク!……退くぞ!!」
九死に一生を得て山を駆け下りた時、俺たちは全身泥まみれだった。
振り返れば、そこには何の変哲もない、美しい夜景を見下ろす六甲の山が広がっているだけだ。だが、俺たちの魂は、この神戸の守護者ともいえる山に完膚なきまでに跳ね返されていた。
「……一生、あそこに辿り着けない」
この圧倒的な深淵を攻略するには、今の俺一人では到底足りない。強さ、絆、そして何より、この圧倒的な魔力の濁流を共に耐え抜き、道を示すための「信頼できる仲間」が必要だと確信した。
数日後、俺は大阪へと戻り、ギルドの掲示板に足を運んでいた。
俺の視界は、この先にある「大阪城公園ダンジョン」の攻略、そしてその先に待つ六甲山への再挑戦に固定されていた。
ギルドの面談室は、どこか冷え切った空気が漂っていた。
漣はデスクに置かれた書類の山を見下ろす。今日だけで何十人もの応募者と会ったが、ステータス、装備、実績――それらを語る声には、どこか打算的な響きしか感じられなかった。
部屋の隅で目を閉じていたケイが、突然「グァッ」と低く威嚇の声を上げた。
直前まで座っていたのは、大手ギルドを追放されたというエリート志望の剣士だ。彼は「俺の火力を最大限に活かせるなら、組んでやってもいい」と宣った。ケイの翼から放たれた星の光が、彼の影を地面に縫い付ける。恐怖に顔を青ざめさせた剣士は、逃げるように面談室を去っていった。
「……またダメか」
漣が深いため息をついたとき、控えめなノックが響いた。
扉が開き、そこに入ってきたのは、見知った冒険者たちとはあまりにかけ離れた二人――いや、一人と一柱だった。
薄汚れた外套に身を包んだ少女と、その足元で半透明に揺らめく座敷わらし。
少女の名前は千歳。ステータスボードに表示された数値は、あまりに頼りない。回復スキルは「微光の加護」のみ。しかも一度の詠唱で消費する魔力が多すぎるという、いわゆる『型落ち』の回復術師だった。
「あの……。私、火力もありませんし、派手なスキルも使えません。ただ……パートナーの『ワラシ』が、少しだけ運を操ってくれるんです」
彼女は俯いたまま、自信なさげにそう言った。
漣は書類を閉じようとする。合理的な判断をするならば、この場は「不合格」と伝えるべきだった。六甲山の深淵を突破するためのパーティに、彼女のような回復役は適さない。
しかし、断る言葉が喉につかえた時だった。
部屋の隅で微動だにしなかったケイが、音もなく空へ舞い上がった。
ケイは矢のような速さで降下し、千歳の肩にふわりと着地する。彼女は驚いて肩をすくめたが、座敷わらしが優しく彼女の手を引くようにして落ち着かせた。
ケイの羽が、内側から淡い銀色の光を放ち始める。
それは単なる照明ではない。ケイの「瞳」が、千歳という人間の内側にある「魂の輝き」を剥き出しにしていた。
漣の視界が、一瞬だけ切り替わる。
ステータスボードの無機質な数字が消え、千歳の背後に、濁りのない真っ白な光の柱が見えた。それは、自分を追放した元パーティを恨むのではなく、彼らが死地で生き残れるよう、今もなお密かに祈り続けている彼女の「優しさの結晶」だった。
「……ああ、なるほど」
漣は、自分の視界を共有しているケイの感覚を悟った。
彼女には力がないのではない。彼女の魔力は、攻撃や自己顕示のために使うものではなく、「大切なものを守り抜くため」だけに特化しているのだ。
ケイが千歳の頬を羽先で優しく撫で、漣の方を見て「カァッ」と短く鳴いた。
それは、これまでで最も肯定的な、仲間を認める合図だった。
漣は机の上の書類を脇へ退け、初めて真っ直ぐに彼女の目を見た。
「千歳。そのステータスで、これまでどうやってダンジョンを潜ってきたんだ?」
「……自分でも分かりません。でも、ワラシがいつも『危ない道』を教えてくれて……。それに、誰かが怪我をするたびに、どうしても見捨てられなくて」
彼女は震える声で続けた。
「本当は、もう冒険はやめようと思っていました。でも、ワラシがどうしても『あの黒い鳥のいる場所に行け』って言うから……」
漣は苦笑し、同時にこみ上げる熱いものを感じた。
自分もまた、勾玉に導かれてここまで来た。運命という言葉で片付けるにはあまりに劇的な、不思議な縁。
「ケイが選んだんだ。俺も、あんたのその『運』と『優しさ』が必要なんだよ」
漣が手を差し出すと、千歳は呆然としながら、その小さな手で応えた。
面談室の空気は一変していた。ケイが翼を広げ、漣と千歳、そして座敷わらしの周囲を、まるで家族を包み込むような光の輪が取り囲む。
「……すまない。面談させてくれ。俺たちと一緒に、大阪城公園ダンジョンの攻略を行ってくれないか」
それが、漣というテイマーの、新しい旅の始まりだった。




