第14話:檻の底の生と死
薄暗い『特殊・幻獣種コーナー』の最奥。そこだけが、まるで梅田の喧騒から完全に切り離された墓所のように静まり返っていた。
マジックミラーのケースの向こう側。冷たいガラスに額を押し当てるようにして、その狐は丸くなっていた。体長50センチメートルほど。燃えるような、しかし今にも立ち消えてしまいそうな儚い淡い炎の色彩を帯びた毛並み。それが、周囲の淀んだ魔力を吸い上げるたびに、不規則に細かく脈打っている。
「……そいつはお勧めしませんよ、お客さん」
背後から声をかけてきた店員の男の目は、生き物を扱っている者のそれではなく、不良在庫の山を忌々しげに眺める商人の目だった。
「『幻影狐』の変異種ですがね。見ての通り、物理的な攻撃力は完全にゼロ。それどころか、こいつは『自血反転』なんて呪いみたいな特異体質で生きてる。周囲の環境魔力を無理やり体内で循環させて自己補給するから、テイマーの維持魔力は喰わないが……その代わり、常に自分の血を魔力に変換し続けてる状態だ」
店員は吐き捨てるように続けた。
「つまり、戦わせれば戦わせるほど、自分で自分の寿命を削って衰弱していく。だから誰も買わない。テイム石の代金だけでも回収したくて4万5000円まで下げたが、買い手がつかなきゃ、来週には魔石抽出機で行きだ」
魔石抽出。それは、使い道のない魔獣を殺処分し、その心臓から人工の魔石を無理やり削り出す、ギルドの裏の暗部だった。
檻の中の狐が、ふと顔を上げた。
知性の宿った、しかし完全に生きることを諦めたような、深い琥珀色の瞳がミラー越しに俺の視線を捉える。その瞳は、「助けてくれ」と乞うているのではない。ただ、次に自分を襲うであろう『死』という絶対的な理不尽を、冷徹に受け入れている目だった。
(……俺と同じだ)
生駒山で土蜘蛛に蹂躙され、ただ圧倒的な暴力の前に命を散らすしかなかったあの瞬間。世界のシステムから「魔法の使えない出来損ない」と切り捨てられ、ただ死を待つだけだったあの時の俺の目と、この狐の目は、痛いほどに重なった。
「カァ」
肩の上のケイが、静かに、だが確固たる意志を込めて短く鳴いた。相棒の金色の瞳もまた、ケースの中の狐を真っ直ぐに見つめている。
「……こいつをくれ」
俺はポケットからギルドカードを取り出し、店員の前に差し出した。
「は? いや、お客さん、言ったでしょう。こいつは戦力にならないどころか、すぐに死――」
「これで払う」
俺の声音の冷たさに圧されたのか、店員はそれ以上言葉を続けず、怪訝な顔のままカードを受け取り、端末に通した。ピッと決済音が響く。財布の残高は7万5000円に減ったが、後悔なんて微塵もなかった。
ガチャン、と重苦しい音を立ててケースのロックが解除される。
店員が去った後、俺はそっとガラスの扉を開けた。
狐は逃げようともせず、ただ静かに俺を見上げている。その小さな身体からは、自身の血を削りながら魔力を生み出す、痛々しいほどの熱が伝わってきた。
「お前が死ぬのが先か、俺たちが世界の理不尽に圧し潰されるのが先か。……賭けてみる気はあるか?」
俺は右手をケースの奥へと伸ばした。
「俺の戦い方は、綺麗なもんじゃない。敵の目を欺き、足を止め、動けない相手の急所を確実にハメ殺す、卑劣な暗殺だ。お前のその、命を削るほどの『目眩まし』と『足留め』が、どうしても必要なんだ」
狐の琥珀色の瞳が、微かに揺れた。
自身の魔力をほとんど持たない俺の泥臭い覚悟と、肩の上で冷徹な闘志を放つケイの気配を感じ取ったのだろう。狐はゆっくりと立ち上がると、細い脚で一歩を踏み出し、俺の差し出した手のひらに、その温かい額をそっと預けてきた。
ジワリ、と淡い炎の光が俺の五指に絡みつき、脳内のシステムへと滑り込んでいく。
『――個体識別:幻影狐(変異種)とのテイム契約を完了しました』
『使役可能枠:2/2。精神リンクラインを確立します』
契約が結ばれた瞬間、俺の魔力(値18)はほとんど消費されず、安定したままだった。店員の言葉通り、この狐は俺の限界寸前のキャパシティを一切圧迫しない。
「ようこそ、俺たちの地獄へ。……名前は『コハク』だ」
俺の言葉に、狐――コハクは小さく「きゅぅ」と鳴き、俺の腕の中へと収まった。
カラスと、狐。世間から見捨てられた二匹の獣と、魔法の使えないテイマー。
手札は揃った。魔力不足と手数の少なさという致命的な課題を、命を削る新たな牙で補う。
俺は梅田の地下街の雑踏を歩きながら、胸の内で生駒山のあの深い闇を思い描いていた。待っていろ、土蜘蛛。次に出会うその時が、お前の絶対的な処刑の時間だ。




