#9 ブレイスッ!!
鈍色の空の下、静寂は突如として破られた。
十数メートル先の瓦礫の山、その手前に立ち尽くしていたロイヤルブルーのアルマが、一切の予備動作なく爆発的な加速を見せる。青白いブースターの閃光がアスファルトを焦がし、瞬きする間もなくベアメタルの装甲『Ferrum Avis』の眼前に肉薄した。
「来るよッ!!」
右腕にマウントされた両刃のブレードが、無音のまま装甲の胸部中央を突く。
「っ!!」
ツバサの口から短い呼気が漏れると同時、操縦桿が限界まで手前へと引き倒されると、銀灰色の巨体が、背面へと大きくのけ反った。
冷厳な刃が、メインモニターの画面いっぱいに拡大されて鼻先をかすめ、キャノピーのない密閉装甲の表面に鋭い風切り音が叩きつけられる。
だが、追撃は止まらない。空を切った右腕は強引な制動とともに真下へと振り下ろされ、再び銀灰色の胸部を襲う。
モニターの枠を越えんばかりの至近距離に迫る死の刃。
ツバサの右手がコンソールを激しく叩き、マニピュレーターが握る槍――『ロストルム』の尖端を、真下の路面へと力任せに突き立てた。
「――ブレイスッ!!」
裂けるような大声がコックピット内を埋め尽くす。
アスファルトが砕け散る重い破砕音とともに、散乱する火花。路面に深く食い込んだ槍を支点に、ツバサはペダルを踏み抜いた。背部スラスターが猛烈な咆哮を上げ、のけ反った姿勢のまま、全高5.5メートルの鋼鉄の質量がコークスクリューしながら宙を舞う。遠心力を乗せた銀灰色の脚部が、振り下ろされる青い腕の側面を激しく蹴り弾いた。
互いの体勢が崩れ、機体同士の距離が数歩分開く。
「うぅ……」
その強引な機動によって、回転の中心から遠い位置にあるソラの身体が、薄型のバケットシートに叩きつけられる。太いカーボン製ハーネスに食い込む肩を抑え、ソラは苦痛の吐息とともに小さく身を屈めた。
「……わりぃ、大丈夫か?」
「だ、大丈夫っ!ツバサ、集中!」
「言われなくても……!」
互いに顔は合わせない。ツバサがペダルを踏み戻して機体を水平に保つのと同時に、後方ではソラがハーネスから肩を離し、コンソールへと視線を戻した。
メインモニターの奥、姿勢を立て直したロイヤルブルーの機体が、再び両腕のブレードを構えて静止している。そのシルエットを前に、操縦桿を握るツバサの手の平に、じっとりと嫌な汗がにじんだ。
ソラの指先が、這うようにしてコンソールのトグルスイッチを弾く。
『あなた達は誰なんですか!いったい、何が目的なんですか?!』
「ッ!ソラ――」
ツバサの首が後ろへひねりかける。しかし、前方の敵へ固定された視線が、それ以上の旋回を許さない。わずかに上向いた視線の端が、一段高い席にいるソラを捉える。微動だにしない横顔――その瞳は、一点のブレもなくモニターのアルマを射抜いている。
「私たちが何と戦ってるのか……知らなきゃいけないんだ」
張り詰めた静寂。青い装甲は微動だにしない。
代わりに返ってきたのは、再び熱を帯びるスラスターの駆動音。
「……とっとと終わらせて先輩のとこへ急ぐぞ」
ソラが両手で頬を強く叩く、乾いた衝撃音が静寂に消えた。
「ふぅ……うん。いくよッ!」
ソラの掛け声とともに、ツバサがスロットルを深く押し込む。
『Ferrum Avis』がアスファルトを蹴り、突進の勢いのままロストルムを突き出した。しかし、ロイヤルブルーは最小限のステップでその射線をいなすと、そればかりか、突き抜けようとする前腕へ、交差させたブレードを滑り込ませた。
金属同士が擦れ合う鋭い摩擦音がコックピットにまで響き、ロストルムの軌道が上空へと跳ね上げられる。体勢を崩した銀灰色の装甲へ向けて、青い影が踏み込んだ。ブレードの鋭利な切っ先が、がら空きのコックピットへと突き出される。
「壁まで突っ込んで!」
「っ!」
ツバサの足がフットペダルを細かく叩いた。スラスターの断続的な噴射とともに、銀の巨躯が半壊したビルの壁面に衝突しながら背後へと退く。コンクリートを粉砕する衝撃。しかし、青い機影の突進は微塵もブレない。退避の軌道をなぞるようにロイヤルブルーの背部スラスターが灼熱を吐き、さらに一歩、踏み込みが深くなる。
回避の間に合わない左肩の装甲に、峻烈な刃が突き刺さった。
キィィィン、と鼓膜を痛烈に引っ掻くような金属摩擦音が、密閉されたコックピットにまで突き抜けてくる。
「うっ……!」
装甲の厚みを伝って響く、ガガガッと激しい振動がシートを通じて二人の骨を揺さぶる。だが、ツバサが限界まで機体をねじったおかげで、刃はフレームの芯を外れ、外装を削り飛ばすに留まった。
「大丈夫!どこも死んでない!」
後方から響いたソラの叫び通り、駆動システムは健在。しかし、コンソールの隅に映るアルマの「左肩部装甲」が黄色く明滅し、二人の視界を緊迫感で満たした。
衝突の衝撃でコンクリートの外壁が大きく剥がれ落ち、2機の足元に濃い白煙が立ち込める。
その煙を突き破り、右腕に握られたロストルムの鋭利な尖端が突きを放つ。しかし、青い機体は、肩に刺したブレードを引き戻すと上体をわずかにひねるのみ。槍頭は、ロイヤルブルーの装甲のわずか数ミリ横をすり抜け、空を切った。
だが、Ferrum Avisは止まらない。
突き抜けたロストルムの遠心力が、そのまま真上への跳ね上げ機動へと連動する。流れるような軌道を描いた穂先が、頭上の崩れかけた天井を強烈に叩き割った。
凄まじい破砕音。亀裂の入っていたコンクリートが、巨大な質量塊となって一斉に崩落する。
頭上から崩落した瓦礫が、二機の視界を遮るように降り注いだ。激突の衝撃とともに、視界を完全に塗りつぶす濃密な土煙が爆発的に広がる。
その崩落の刹那、コックピットではツバサがペダルを限界まで踏み抜いていた。
スラスターが青白い閃光を放ち、Ferrum Avisの巨躯が後方の路地へと消えていく。
敵機がブレードを構え直し、視界を遮る土煙を割って踏み込んだ時には、すでに銀灰色の影はない。
◇
歪んだ鉄骨とコンクリートの隙間を、Ferrum Avisは滑り込むように疾走する。密閉されたコックピット内には、絶え間ない駆動音と、荒れた路面を拾う小刻みなピッチングだけが響いていた。
「ヤバいぞ、アイツ。先輩のところまで逃げきれるか?」
操縦桿のトリガーに指をかけたまま、ツバサが背後のシートへ声を飛ばす。
「あんなの連れて戻るなんて絶対無理!ん~、何か、何でもいいからないの~?!」
ソラの指先が、不慣れな配列のコンソールを何度も連打する。ポップアップウィンドウが次々と展開されるが、その大半は競技用のそれと何ら変わりのないものばかりであった。
「じゃあ、まだ戦うって?こんな競技用の槍で?」
「『ロストルム』ね!もう文句禁止!……それに、この槍……たぶん競技用じゃないよ」
キーを叩くソラの指が、一瞬だけ止まる。
「まぁ、そうだろうな」
短く途切れた返答の後、重低音のエンジン音だけが響く二人の間に、妙に重苦しい空白が横たわった。
ツバサは前方のモニターを睨みつけたまま、操縦桿を握る手にぐっと力を込める。
「……ほら!もっと距離感を意識したら勝てるって!……たぶん」
ソラが努めて大きな声を張り上げ、上体を前に乗り出した。
「……は?」
「リーチだよ、リーチ!相手はあのダガーじゃん?ロストルムの最大射程で戦えば一方的だよ!間違いない!!」
「銃火器――」
「あー、あー!見てないものは存在しないの!それに、もしあったらもう使ってるでしょ!」
ソラは両手を大きく振って、ツバサの指摘を強引にかき消した。
「はいはい……つっても、実際槍なんて今まで使ったことねーし、そんなパフォーマンス出せる気しねーよ。せめていつも使ってたブレードならもう少し――」
「はいはいはい!だから文句禁止!!……ん?」
ツバサの口から出かけた、その先の言葉。
コンソールを弄っていたソラの指が、ピタリと完全に停止した。
「あぁ!なるほど!それでいいじゃん!」
ソラがシートから勢いよく立ち上がり、後方から限界まで身を乗り出す。その気配を背中に浴びながら、ツバサは操縦桿を握ったまま眉を顰めた。
◇
薄暗い建物内、Ferrum Avisのレーダーに、明滅するひとつの赤点が、自機へと向かって急速に接近しつつあるのが映っている。
ツバサはその点滅を凝視し、操縦桿のグリップを握る手に圧力を込める。銀灰色の巨躯は腰を落とし、ロストルムの尖端を隔壁の向こうへと向けた。
「……そろそろだよっ」
「わかってる」
距離を示すインジケーターが、完全な接触を告げる。
「いくぞ!!」
ツバサのスニーカーがペダルを踏み抜くと同時に、背面ブースターが瞬間的に噴射された。強烈な推力に押し出されたロストルムの尖端が、コンクリートの隔壁を正面からぶち破り、瓦礫となって激しく四散する。
だが、粉塵を割って突き出された槍の正面には、ただ崩れたコンクリートの虚空が広がるのみだった。反応があるはずの目の前に、敵機の影はない。
直後、真上から唸るような高周波の駆動音が響く。
「ちがうっ!上――」
天井のコンクリートが蜘蛛の巣状にひび割れ、凄まじい衝撃とともに真下へ向けて崩落する。二階の床を突き破り、上空からロイヤルブルーのアルマがブレードを振り下ろしての急襲。
「っ……!」
反射的にツバサがレバーを引き絞る。Ferrum Avisはロストルムの柄を横一文字に構え、頭上から迫る白刃を紙一重で受け止めた。
ガギィィンッ、と鼓膜を痛烈に引っ掻くような高音が、ビルを切り裂く。
激しい衝撃がコックピットを縦に揺らし、コンソールに「四肢駆動負荷:大」のイエローアラートが走る。フレームが軋む嫌な金属音。ツバサは歯を食いしばり、フットペダルを細かく踏み込んで出力を強引に引き上げた。マニピュレーターが槍の柄を上空へと押し返し、押し合っていた二機の距離がわずかに弾ける。
だが、着地した青い躯体は制動をかける間もなく、滑るようなステップで再び肉薄し、右のブレードが、Ferrum Avisの首元を狙って横一線に奔る。
ツバサはロストルムを引かなかった。マニピュレーターの右手を引き、左手を前に突き出す。それは、突撃槍の扱いではなく、両手で刀を引き絞る剣道の構えそのものだった。
「っしゃぁぁッ!!」
重い金属衝突音とともに、刃を持たないロストルムの鋼の質量が、襲い来るブレードを軌道ごと激しく弾き飛ばす。
そのまま、ツバサは逆方向からステップを踏み込み、今度は自ら打撃を繰り出した。円錐形の重いランスが、刀剣のように鋭い弧を描いて風を切り裂く。
丁々発止――互いの装甲の間で激しく火花が爆ぜた。
ツバサは攻撃の手を緩めず、脚部スラスターを断続的に前進噴射させる。敵機を縦横に圧迫し、半壊した外壁の開口部から、二機の質量塊がなだれ込むようにして鈍色の空の下へと滑り出していった。
「いける!名付けて!“剣がなければ槍を振ればいいじゃない”作戦だぁ!!」
コックピットに響くソラの声を置き去りに、開けたアスファルトの上でロストルムが四方八方に薙ぎ払う。
ロイヤルブルーのアルマは両腕のシールドで巧みに猛攻を防ぐが、刃のない鉄塊が高速で叩きつけられるたび、硬質な激突音が連続して響き、青い装甲が僅かにブレる。
間髪入れず、ツバサは槍を斜め上方へと振りかぶった。
金属同士がぶつかり合い、互いに一歩も引かないミリ秒単位の激しい打ち合い。
敵機は、振り下ろされる次の打撃の軌道を見て、両腕の防壁を高く構え、さらに強固に固定した。
「いま!!」
後方シートからのソラの鋭い叫びが、密室を震わせる。
ツバサの指先がサブサムレバー引き、それと同時に逆方向へと操縦桿がひねられる。
振りかぶられていたロストルムの軌道が、振り下ろされる寸前でピタリと停止する。手首のモーターが高速回転し、槍の側面ではなく、その鋭利な尖端がロイヤルブルーのがら空きになった胸部中央を横から捉え、真一文字の「突き」へと射線が切り替わった。
横方向からの「振り」を意識したガードは、突如として縦に放たれた「突き」に対して、完全に挙動が遅れる。
踏み込みの全トルクを乗せ、ロストルムの鋭利な穂先がロイヤルブルーの胸元へと真っ直ぐに吸い込まれていく――その瞬間だった。
穂先が装甲に触れる数センチ手前。突如として、何もない空間で槍の推進力が急速に削ぎ落とされた。目に見えない高密度の泥沼に引きずり込まれたかのように、突き出された銀灰色の腕が不自然なスローモーションへと変わる。
「ッ!!」
「え!?何が起きて――!!」
空間そのものが悲鳴を上げるような、耳をつんざく高周波の摩擦音が響く。
ロストルムの刃の周囲だけが、極度な熱を持ったようにユラユラと陽炎を立てて激しく歪んでいた。
未知の現象による完全な静止。
Ferrum Avisの巨躯が、強烈なブレーキを踏まれたように前方へとつんのめる。その一瞬の致命的な硬直を、青い機影は見逃さなかった。
泥沼のような空間の向こう側で、ロイヤルブルーの細いマニピュレーターが動く。速度を失ったロストルムの槍頭をガチリと掴み取り、空いた右腕のブレードが、 銀灰色のコックピット装甲を正確にロックオンする。
回避のスペースはない。死の輪郭がモニターを埋め尽くす。
――その刹那、音より先に凄まじい衝撃が戦場を突き抜けた。
遥か遠方から放たれたであろう超高初速の大型弾丸が、建物の外壁を貫通し、ロイヤルブルーの右腕に直撃していた。
衝撃で青い機体の頭部が横へ弾かれたように大きく振れ、凄まじい金属の破砕音とともに、ツバサたちのコックピットを狙っていた青い腕が、肘の関節から先ごと派手に消し飛び、火花を散らす。
一拍遅れて、空気を激しく引き裂く重低音の狙撃音が、遠くから地響きのように遅れて届く。
「――っ!今度はなにっ!?」
遠距離からの、異常な精度の狙撃。
ロイヤルブルーのアルマは掴んでいた槍頭を離し、ブースターを吹かして後方へ跳躍すると、舞い上がる土煙を利用し、そのまま崩落したビルの陰へと滑り込むように姿を消した。
「…………」
一瞬の間にイレギュラーが連続し、Ferrum Avisは即座の追撃を仕掛け損ねる。
主を失い、転げた青い腕からは、焦げた匂いだけがゆっくりと立ち込めていた。
◇
煙を吐く銃口。
瓦礫の山に伏せた、巨大なアンテナを背負う漆黒のアルマ。その両腕に抱えられた超大型ロングライフルからは、未だに猛烈な熱を帯びた陽炎が立ち上っていた。カン、と乾いた金属音を立てて足元のアスファルトへ転がった薬莢が、白煙を上げながら転がっていく。
「ん~、惜しい」
コックピットの薄暗い空間に、後席からの世慣れた声が響いた。
コンソールに映し出された遠方カメラの映像では、右腕を失ったロイヤルブルーの機体がビルの影へと退避していく姿が捉えられている。
「ちょっと~、あたしが外したみたいにいわないでよぉ」
「いやしかし、トリガーを引いたの君だろう?」
男の声には、微塵の焦りもない。指先がコンソールの弾道データを滑り、即座に修正値を記録していく。
「ナリィが全部計算したんじゃん。老いて腕が鈍ったんじゃないの~?」
「まあまあ、命中はしたんだ。良しとしようじゃないか」
「ふ~ん……ていうか、結局あのアルマは何なワケぇ?」
前席のシートから、紺青のロングヘアが覗く。女はメインモニターの隅に映る銀灰色の機体を一瞥すると、興味なさそうにその毛先を人差し指でクルクルと弄り始めた。
「さてね。少なくとも軍のものではないな、どちらも。だが、事実戦ってくれている。援軍が来るまでの囮くらいにはなってくれそうじゃないか」
「ま、あたし的にはどっちでもいいんだけどぉ。あんまりちょっかい掛けなくてもいんじゃない~?」
「フッ……命綱を編んでいるだけさ。私も伊達に老兵をやっていなくてね」
後方に座る男は、サブモニターの反射でわずかに光る垂れた白髪を細い指先で軽く整えると、深く沈み込んだシートの中で、口元を小さく歪めた。
次回は7/15です。




