魂の真相 十七
「青蛇もいる。ちゃんと生まれている。卵も無事、孵化した」
「孵化?」
孵化という、人族とは思えない龍魔の単語に、紫雲は鸚鵡返した。けれど、有翼人や蛇人族は卵を産んで、子供は卵から孵るのだ。紫雲にはそれが耳慣れなかったのかも知れない。
だから龍魔は言うのだ。今生の青蛇は、蛇人族として産まれたと。それも青蛇が龍魔を生み出すより前に産み落とした卵からだ。青蛇は自分の分身としてその卵を産んだが、光竜が転生をこの時代まで認めなかったのだ。宿るはずの青蛇の魂は、ずっと光竜の懐深くで眠っていた。だから卵は長い年月、何万年と石のように固まって孵化しなかったのだ。
青蛇の魂の器として、蛇人の卵は親和性が高い。青蛇自身が産んだなら尚のことだ。本来が青蛇の入れ物として生み出されたのだから当然だった。
それが今になって孵化した。青蛇の新しい器として使われることになったのだ。元々青蛇が己の分身として産みだしたものであるから、青蛇の記憶そのものが卵には残っている。その記憶を眠りにつきながら、今生の青蛇は学習しているのだ。直に全ての記憶を呼び戻して、青蛇は目を醒ますだろう。青蛇殿の寝所にて。
「全ては光竜の考えの基に成り立っていることなんだよ。お前達の魂から種族、生い立ち全てに於いて、無駄なことは一つもないんだ。これまで、それぞれに苦しいことも多かっただろうがね」
「貴女は無駄なことは一つもないといいましたが、今までの話が全て無駄だとしたら?」
紫雲の訝しむ様子に、龍魔はくっくと喉を鳴らして笑う。
「疑っているんだね。当然だ。突然こんな事を言われて、いきなり『はい、そうですか』と全てを信じるわけにはいかないだろうからね。だから、少しずつ咀嚼してくれればいい。お前をちゃんと元の場所にも戻してやるよ。望むのなら、好きな場所に道を作ってやろう」
その言葉に紫雲は深い溜息をついて、目を瞑ってしまった。
だが、その表情も龍魔は気に入ったようだった。
紫雲が考え込み、龍魔が喉を鳴らして笑っている室内に、シリアが再び戻ってきた。その手には茶器が載った盆がある。
「お話はどこまですみましたか?」
優しい笑みを湛えて、シリアはカップにハーブティーを注いでくれる。そのカップを二人の前にそれぞれ置いてくれた。
「まだ全てを語ったわけではないが、概ね、予想通りの反応が返ってきている。……うん、いい香りだ。カモミールだね」
カップを口元に持ってきて、龍魔は満足げに言うと口をつけた。
それを見て、シリアは紫雲にも声をかける。
「白虎も、冷めないうちにどうぞ」
そう声をかけてきたシリアを見て、紫雲はうんざりといった態で言葉を返す。
「私の名は紫雲です。それ以外の何者でもありません」
「ですが、お話は龍魔殿から聞いたのですよね?」
シリアは悲しげに眉根を寄せて言う。それに対しては紫雲は頷いたが、お茶には手をつけなかった。
紫雲はシリアから顔を逸らし、龍魔の方を向く。
「望むのなら、好きな場所に道を作ってくれると言いましたね。それはどこへでも?」
「あぁ、どこへでも。この世界のどこにでも楔を打ち込んである。長い年月の賜で、全ての楔をはっきりと覚えているよ」
それは転移の術のことを言っているのだろうと、紫雲は思った。雷韋から以前、転移の術の話は聞いている。
「では、今すぐにあの二人のもとへ戻してください」
「陸王と雷韋のところへかい? 今戻ってどうする」
「魔族は殺さなければ。妖刀のこともあります。あれは私が破壊しなければならない」
そう言う紫雲の前で、龍魔はカップの中身を空にして、受け皿の上に戻した。
「話はまだ終わっていないよ。それに、お前の言う魔族というのは、雑魚のことではあるまい? 陸王のことだね。でも、あの子の一蹴りで死にかけたのに、まだ挑もうってのかい? 悪いが、あの子は強いよ。今のお前にどうこうするなんて、まず無理だね。まともに殺りあったら、十割の確率でお前は殺される。だがまぁ、それは光竜がなんとしてでも止めてくれるだろうがね。この世界を護らせるために送り出した魂に、潰し合いをさせるわけにはいかないからね」
龍魔は紫雲の目を真っ直ぐに見据えて、きっぱり言い切った。
実際、龍魔の言うとおり、紫雲は蹴りを入れられて死にかけたと言うのだ。紫雲自身はその時の状態がどれほど酷かったのか知らないが、記憶が寸断されているのは肉体に対する陸王の攻撃によるものだ。その事は事実として、紫雲も捉えていた。
「紫雲、もう一杯お茶を飲ませておくれ。色々と一気に話したから、喉が渇いているんだ。そのあと、場所を変えて話の続きをしよう」
「まだ何か?」
紫雲は思いきり迷惑そうな顔をした。そんな紫雲に薄く笑みを見せて、龍魔はシリアが新しくお茶を注いでくれたカップに手を伸ばす。
と、そこで龍魔は思い出したように紫雲を見た。
「そうそう、一つお前に種明かしをしてやろう」
「種明かし?」
「雷韋がどうして離れた場所にいる陸王を捜し出せるかだ」
紫雲は思わず身を乗り出した。それはずっと気になっていたことだからだ。実際に雷韋は、陸王の居場所を捜し当てている。全く不思議なことに。
龍魔は小さく吐息を吐き出して、手にしたカップに目を落とした。
お湯色が薄く、林檎のような甘い香りが立つお茶を眺めながら、龍魔は陸王の魂に殻が被されているからだと言った。より魔族らしくあるようにと。本来なら、陸王の魂には何も手を加えられていない状態の『黒狼の魂』が与えられているのだ。だと言うのに、それに魔族の殻を被せたせいで、陸王の魂には僅かながら歪みが生じたのだと言う。その歪みを対である雷韋は感じているのだ。負の鬼族である雷韋には強い感応力がある。その為に、簡単に陸王の発する独特な歪みを感じることができるのだと。
しかも、その力は雷韋だけではなく、今はまだ眠っている青蛇にもあると言う。その理由も陸王と同じく、対である紫雲の魂が人間族の殻を被って歪んでいるからだ。一度出会って気配を覚えれば、それ以降、紫雲がどこにいようと歪みを感じて捜し出せるのだと言う。
それを聞いて、紫雲は一度目を閉じて大きく息をした。それから再び龍魔に視線を戻して問う。
「その歪みというのを感覚で感じていると言うことですか? 少なくとも雷韋君は『気配の匂い』だと言っていました」
「そういうことだろうね。妾にはどんな風に感じられるのか分からないから、どう説明していいのか分からないがね」
紫雲はそれを聞いて、眉根を寄せた。
「気分が悪くなったかい? 自分には一切分からないのに、一方的に居場所が知れるんだから面白くないのは分かるけどね。でも、お前達はそう出来ている」
言って、お茶を飲む龍魔を見遣り、紫雲は小さく溜め息をついた。
正直なところ、これ以上、話を聞くのは勘弁願いたかった。とはいえ、こんなところに連れてこられて、話を拒絶することも今更出来ないのだろうが。
目の前で悠然とお茶を飲んでいる龍魔からも、紫雲は諦めを含んで目を逸らした。




