第八七話 神様認定
男の上半身は袈裟懸けに斜めにも、腰から横にも分断されて地面にぼろぼろと転がった。横薙ぎにされた時、妖刀を持つ腕も分断されてしまった。それでも男には意思の力があったし、分断された身体そのものにも意思があって藻掻く。下半身は足だけで上半身の方へといざり、袈裟懸けに斬られて二つになった上半身は断ち切られた腕で地面を掻きながら互いに近寄っていく。
その光景が、陸王の目には反吐が出るほどみっともなく映った。所詮、中位の魔族だ。妖刀を使ったとは言え、力の差は歴然としている。初めて妖刀を目にした時は動揺のあまり攻め込まれたが、結局のところ、こんな雑魚は端から相手ではなかったのだ。
もっと上手く源一郎の太刀筋と妖刀の力を使うことが出来れば、こんなにあっけなく勝負はつかなかっただろう。
陸王は、ばらばらになった上半身と下半身を蹴りつけて、頭のある部位から遠ざけた。そうして再び妖刀を握った腕を確認する。その直後、陸王は女の方に目を向けた。その時には既に女の腕が伸びてくるところだったが、それを薙ぎ払う。断ち切られても女の腕はすぐさま再生した。切断面から腕が瞬時に生えるのだ。
突然、ばらばらにした男が絶叫し、女も苦悶の表情になって苦鳴を上げながら木の上から藻掻くようにして落ちた。同じように、陸王も針で全身を刺されるような苦痛と重圧を感じた。
陸王は重圧を感じる方に顔を向けて、確かめるように目を眇めて見た。するとそこには紫雲の姿がある。印契を組んで詠唱をしている。それも、こちらに近づきながら詠唱しているのだ。近づいてくればくるほど、詠唱の文句に強く身体が晒される。
けれども、この場合は仕方がないという諦めの気持ちも陸王の中にはあった。男は兎も角、女の方を殺さなければ終わるものも終わらない。
陸王は声に出さずに魔代語を唱えた。自分に降りかかってくる神聖語を中和させるために。短く魔代語を唱えると、ふっと身体が軽くなり、刺してくるような痛みも治まった。重圧だけはまだ僅かに感じるが、それは致し方ない。
「おい、その男を始末しろ」
陸王は一方的に吐き捨てた。その言葉を聞いた紫雲の表情が険しくなるが、今この場で詠唱をやめるわけにもいかなかったのだろう。詠唱はそのまま続けられた。
詠唱が続く中、陸王は女が落ちた場所へと駆け寄るが、そこにはどうしてか女の姿がなかった。木から落ちて、草を踏みつけにしたような痕跡はある。なのに女の姿がない。辺りに視線を馳せるも、ほかに移動したようなあとはなかった。その時、陸王は嫌なことに思い当たった。
転移の術だ。
この場で苦しいのなら、転移の術が使えればそれを使って逃げる。転移の術は共通語を使う根源魔法だから、どの種族でも使える。それが使えれば、苦痛から簡単に逃れられるのだ。辺りに移動した痕跡がないことも、陸王の考えを裏付けるようだった。
舌打ちする間も惜しくて、陸王は駆け出す。
再び紫雲を置き去りにして。
けれど、行く宛てはどこにもない。それでも行かなければならなかった。
今の神聖魔法は、魔族の身体を収縮させるためのものだった。しかも陸王まで巻き込んで。だが、あれを食らえば心身共にかなりの消耗になる。陸王も幾分か倦怠感を感じていた。神聖魔法は範囲魔法のため、詠唱が聞こえる範囲にいる魔族全てに効果がある。しかも使われたのは、身体全体を見えない針で刺し貫いて萎縮させる術だから苦痛もひとしおだ。
その痛手を補うには、おそらく人肉が必要だろう。魔族であれば、それくらい一気に消耗する。中位程度なら、尚更だ。しかし、人の血肉を喰らえば回復する。女が逃げ去った先に雷韋がいるのだろう。まだ雷韋は殺されていないと、その時確信する。雷韋を喰らってしまっていたなら、陸王の前に現れる時間があまりにも早すぎたからだ。今はまだ、少年の意識があるかないかは兎も角として、少なくとも雷韋が簡単に逃げ出さないようにしてあるはずだ。女の方は、逃げられずに魔族の紅い瞳に怯える雷韋をこれから喰らうはず。
それこそ心身共に飢えを満たせるよう、苦痛をゆっくり与えて。
生きたままに、少しずつ喰らっていく。
嬲り殺しだ。
この森の終わりから、陸王は辺り一帯を見回した。雷韋をどこへ置いてきたかは分からないが、この辺り一帯のどこかにに巣があるとの推測を立てた。確固とした確信があるわけではない。だが、それほど離れた場所に巣があるとは思わなかった。一度巣へ戻り、雷韋を置いてきてから戻ってくるまでに出来た獣道がある気がしたのだ。
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雷韋が流していた血の色は、もう黒から赤に変わっていた。身体から完全に魔気が抜けた証拠だ。それに伴い、出血の量も減る。
ごつごつとした岩穴の牢の地面に、雷韋はまだ意識を失ったままで倒れている。
俯せで倒れているその雷韋の肩を揺さぶる者があった。
揺さぶる手は小さい。
雷韋が、ん、と呻くようにして目を醒ますと、金糸銀糸で模様をあしらった白い服が琥珀の瞳いっぱいに広がった。初めのうちはそれがなんなのか分からなくて、雷韋はぼうっとしていたが、肩をまた小さな手で揺すられた。
「お兄ちゃん、起きて」
小さな子供の声が頭上から降ってくる。
はっきりした記憶ではないが、雷韋は何度か同じ言葉を耳にしていたような気がする。ふと視線を上げると、眩いような白銀の髪を肩まで伸ばした、人間族で言うなら七つか八つほどの子供がしゃがみ込んでいるのにやっと気付いた。それを認識して、雷韋は両手を使って起き上がる。
起き上がり、辺りを見回してやっと牢のようなものに入れられていることに気付いた。ここに入れられるときにでも頭をぶつけたのだろうか。片方のこめかみの辺りがひりひりと痛んだ。触ってみるが、怪我はしていないようでほっとする。入れられている牢獄のようなものは洞窟の歪曲した先にあるのだろうか、ここからでは直接外が見えずに間接的に光が届いている。
「お兄ちゃん、怪我は平気? 痛くない?」
不意に子供が話しかけてきて、そのお陰か、雷韋の頭に漂っていた靄が消え去った。怪我というのは火影で斬った腕の傷だろう。
「あぁ、平気だ。ところでお前、誰だ? ここってどこだ?」
雷韋は辺りを見回しながら問う。すると子供は、幼い声で躊躇いがちに答えた。
「えっと、ここは魔族の巣だよ。時々、ここにどこかから攫ってきた人を閉じ込めるんだ。ここに入れられた人は、あいつの餌なんだよ。そのうち、食べられる」
「餌? え……!?」
餌だということに驚いたが、それよりも更に驚くことがあった。
小さな子供の背中に、真っ白な翼が一対生えていたからだ。
白銀の髪、白い翼。それに、碧の瞳。この子供は天使族だ。有翼族の翼は大概、黒か鳶色だ。白い翼を持つ者もいるが、有翼族の中には碧の瞳の者はいても、白銀の髪の者はいないと聞いている。それに以上に、白銀の髪は天使族に多いとも聞く。その子が着ているものも、法衣のような独特なものだった。
「お前、天使族か?」
慌てるあまり、つっかえがちに問うと、子供はにっこりと笑った。それが答えだった。
「でも、天使族は天慧と一緒に『天界』って言う別の次元にいるんじゃなかったか?」
雷韋の言葉に、ふと天使族の子供は悲しげな顔になる。
「天上にはね、行っちゃいけない場所があるの。そこは結界が切れる場所だって言われてる。僕、友達とかくれんぼしてて、絶対に見つからない場所に隠れようと思って、行っちゃいけない場所に行って、穴に落ちちゃったんだ」
「それで地上にきちまったのか。あの魔族達、陸王を殺したら天使族を食わせてやるとか言ってたな。それがお前かよ」
唇に拳を当てて、雷韋は独り言つように言った。半分は天使族の子供にかけたものだったが、もう半分はほとんど考えながらの独り言だ。
その時、ふと雷韋は子供の方を見て言った。
「そう言や、お前、なんて名前だ? 俺は雷韋ってんだ。鬼族ってい言う、獣の眷属だ」
子供は瞬間、驚いたようにぼうっとした眼差しを向けてきたが、すぐに笑みを浮かべて答えを返してきた。
「僕はアシュラーゼ。みんな、アッシュって呼ぶよ」
「そっか、アッシュか」
雷韋はアシュラーゼの頭を一撫ですると、問う。
「お前はさ、いつからここにいるんだ? 天上界から落ちてきて、どのくらいになる?」
アシュラーゼは少し考えてから答える。
「もう、分かんない。ずっと……ずっと前からだよ。攫われてきた人達は、みんな食べられた。僕はそれを見ていることしか出来なかった」
「お前以外はみんな食われたのか」
アシュラーゼはその言葉に頷くでもなんでもなかった。ただ視線を下に落として悲しい顔をするばかりだ。
雷韋はどのくらいの間、この子が惨劇を見てきたのだろうかと思う。雷韋だって魔族は怖い。人族として、本能的な恐れがある。この子もどれほど怖い思いをしてきたか。
そこで雷韋ははっとなる。
神聖魔法はどうしたのかと。
魔族相手になら使えると思ったのだ。
対魔族専用の魔術のようなものだからだ。
それ以上に、神聖語は天使族が普段使っている言語のはずだ。
「なぁ、アッシュ。お前、天使族なら神聖魔法が使えるだろう? どうして使わないんだ? 使っていたら、魔族なんて怖くないはずだ」
雷韋のその言葉に、アシュラーゼは緩く首を振った。
「あいつより、僕の魔力は低いんだ。僕が神聖魔法の詠唱をしても意味ないよ。魔代魔法に負けちゃった」
「そうなのか? 神聖魔法は魔族には覿面だって……」
雷韋の尻窄みの言葉を聞いても、アシュラーゼは首を振った。
雷韋は落胆したように俯いたが、すぐに顔を上げる。
「魔族はいないのか? だったら今のうちになんとか逃げ出さねぇと」
言って、雷韋は牢の格子にしがみ付いた。出入りする扉の鍵を確認したが、そこには鍵穴のようなものがない。扉の格子をがちゃがちゃと押したり引っ張ったりしたが、まるで開く気配もなかった。
「魔代語で封をしてあるから、開けられないよ。僕でも無理」
雷韋の様子を見ていたアシュラーゼが、眉を八の字にして言う。
「魔代語か。参ったな。せめて根源魔法だったらよかったのに」
「お兄ちゃん、ここじゃ魔術は使えないよ」
「え?」
言葉と同時に雷韋は振り返った。アシュラーゼは悔しそうな顔をしている。
「この牢には魔代魔法で術がかけられてる。だからほかの魔術を使おうとしても使えないんだ。ここに連れてこられた人達で、魔術を使える人はみんな試したけど、駄目だった」
「じゃあ、俺も駄目かな。これでも神様認定してくれてるらしいんだけどなぁ」
「神様?」
アシュラーゼがきょとんとして鸚鵡返す。




