第八五話 核
その間、紫雲は女に擬態した魔族が繰り出す鞭のようにしなり、伸びる両腕に襲われていた。襲いかかってくるときに鉤爪で切り裂いても切り落としても、女の腕はすぐに再生して紫雲を襲い続ける。その動き自体は単調なものだが、どうやっても懐に飛び込んでいけない。
腕が伸縮するからだ。
しかも、ただ伸縮するわけではない。突っ込もうとすると、掌が大きく開いて紫雲の顔面を掴もうとする。捕まえられる前に切り落としたとしても、右が駄目なら左、左が駄目なら右という風に交互に襲いかかってくるのだ。
最早それは、遊んでいるという態だった。
紫雲が突っ込むのを一端見合わせると、腕は彼の身体を引き裂こうと襲ってくる。それを捌くのは簡単だが、伸縮自在の腕は軌道を変えながら迫ってくるのだ。時にあらぬ方向へ向かったかと思えば、そこから死角を狙って曲がったり、蛇のように波を打って迫ってきたりもする。とにかく、一定距離を縮められない。だが、そこに変化が生じた。有象無象の魔族が消えたことだ。下等な魔族が完全に灰になって、炎が上がっているのは雷韋がいるだろう倒木の山のみ。女はそれに気付いて、慌てて身を引いた。紫雲など知らぬかのように。
伸びきった腕を元に戻して再び腕を伸ばしたかと思えば、それは炎の中にいる雷韋に向けられていた。
と同時に、女は男から妖刀を奪い去る。陸王と対峙していた男は妖刀を奪われても慌てることなく、数度大きく呼吸した。得物がなくなればほぼ陸王の勝ちだ。問題はどうやって核を探り当てるか。が、男は陸王の目の前で頭から二つに割れた。切れ目は腰まで達し、そこで止まる。半分になった二つの胴体に、もう半分が内側から盛り上がるように生まれたのだ。一つの下半身に、二つの胴体。
その時、雷韋の悲鳴が上がる。女の腕が雷韋の身体に絡みついたのだ。その腕を軸にして、女は飛んだ。高く燃えさかる火の上を飛んで、向こう側へと着地すると同時に雷韋を炎の中から引っ張り出す。
その動きは一瞬のことで、女の腕は多少の火傷を負った痕はあったが、ほぼ無傷。
陸王はそれを見て雷韋の名を叫ぶものの、女はそのままその場に男を残して森の中へと逃げていってしまった。
女のあとを追いかけようと陸王も紫雲も動いたが、炎は壁をなしている。それに、男が腕を広げて二人の前に立ち塞がった。それだけではない。男は足下を弾ませて、陸王と紫雲の目の前で反復運動を始めた。その動きは徐々に速くなり、最後にはまるで分裂したかのようになる。
その間にも、雷韋は遠くへ連れ去られていく。陸王が業を煮やして邪魔になる男に斬り掛かったが、何度斬り掛かってもなんの手応えもなかった。男は傷一つ負っていない。紫雲も攻撃を仕掛けるが、陸王同様、鉤爪になんの手応えもなかった。だと言うのに、男からの攻撃は届く。しかも高速で動いているため、一瞬の攻撃など目に見えない。だが、攻撃と言っても長く伸ばした爪の攻撃のようだった。そんなものでは大した痛手にはならない。掠り傷を作るのがせいぜいのものだった。
つまらない攻撃しか仕掛けてこず、それなのにこちらの攻撃が通らない苛立ちに、陸王はいっそ無視して追いかけようと炎の壁を回り込もうとしたが、その時になって一瞬の攻撃から静止の攻撃があった。男が陸王の眼前で動きを止める。はっとして陸王は吉宗の刃を咄嗟に目前に翳した瞬間、刃に重みが加わると同時に高音が鳴り響いた。刃と二〇本の爪がぶつかり合ったのだ。
上から物凄まじい力をかけられて、陸王は腹にぐっと力を入れた。その上で、刀を取り落とさないように堪える。弾き返さねばと思いつつも、真上から押さえつけられているので上手くいかない。
それに対して、至近距離から見る男の紅い瞳は楽しげに笑んでいる。それは心底楽しんでいる顔だ。長く伸びた爪が、徐々に陸王の目玉に近づいてくる。爪がじわじわと伸びてくるのだ。
もう瞳と爪の距離は数センチもない。
と、その笑みの陰から、身の毛もよだつ言葉が聞こえてきた。その言葉に射竦められたように、突然男は動きを止めて呻き出した。陸王もまた、ぴたりと動きを止めて全身に走る痛みを堪えねばならなかった。
この痛みの元は、紫雲の詠唱する神聖魔法だ。
陸王が火の壁を回り込もうとしたとき、魔族は攻撃のために紫雲を放って、陸王の方へと動いた。陸王を攻撃するために一定箇所にとどまったのだ。その止まった瞬間を紫雲は見逃さなかった。さっきまでは女の動きに合わせて防御に専念していたが、もう紫雲の邪魔をするのは男の方だけだ。しかも、陸王に攻撃を仕掛けて動きが止まっていた。この機を逸するわけがない。
これは、修行僧の修行僧たる所以だ。魔族に対しては、神聖魔法が一番効力を発揮するのだから、仕掛けない法はない。それで陸王までもが動けなくなっては世話はないが。ただ、神聖魔法の効力は男に絞ってはいるようだった。男の身体を光の茨が包み込み始めたからだ。陸王の身体にそれは顕現していない。それでも神聖語の詠唱を耳にして陸王も動きを止めざるを得なかった。
神聖語が副作用的に痛みで捕らえてくる。かと言って、まるきり動けないわけではない。動こうと思えば充分動ける。動けるが、紫雲の口から発される神聖語が身体に纏わり付いてくるようで気色悪かった。陸王は神聖語を切り払うかのように、吉宗を手にしている腕を無理矢理振るった。無理にでも動いたお陰か、さっきよりは身体が軽くなる。紫雲の詠唱はまだ続いていたが、陸王は光の茨に囚われ始めている魔族を滅多斬りに刻んだ。擬態しているだけだったからか、骨はなく、全身が一気に膾になって肉が地面に降り積もった。それを見て、紫雲が詠唱をやめる。
地面に降り積もった肉片はもぞもぞと蠢いていたが、それを陸王が蹴散らした。核を探すためだ。陸王は男の身体をかなり細かく刻んだ。厚めの細切れ肉のように。これだけ細切れにすれば、核が姿を現しているはずだ。
だが、核はどこにもない。肉片は全て散らして、既に地面が見えている。なのに、核がどこにも見当たらないのだ。
これでは後顧の憂いを断つことが出来なかった。男を紫雲に丸投げしても良かったのに陸王が残ったのは、前後を挟まれる恐れがあったからだ。雷韋が攫われても我慢をして残ったのに、どうしてか魔族の肉の中から核が発見されない。それでも魔族の肉は蠢いている。一つに戻ろうとしているのだろう。
「核は?」
紫雲が陸王の元へきて問うたが、陸王は険しい顔をするだけだった。あるはずのものがないというのがおかしいのだ。その間にも、肉片は一つところに固まり始める。
陸王は見当たらない核を探すよりはと、懐からあのときの魔族の核を取り出した。男に擬態した魔族にも核は必ずある。だが、それを目視で確かめられない。だったら、別の核を植え付けたら拒絶反応が起こるのではないかと考えたのだ。上手くすれば、両方の核が一つの肉体を奪い合って肉が崩壊するか、あるいは反発し合って核そのものが壊れるのでは、と。
肉の破片が寄り集まって一塊になったとき、陸王は手にしていた核を肉塊の中に乱暴に突っ込んだ。
核はずぶずぶと音を立てて、肉片の中に飲み込まれていく。少しすると形が定まってきたが、それは男の姿形ではなかった。だからと言って、本性の姿でもないだろう。何故なら飲み込まれた核が、元の姿を取り戻したからだ。
あのときの小男の魔族に。
「う、う。おで……?」
陸王は舌打ちした。なんの障害もなく素直にこの姿になったということは、元々あの男の魔族に核はなかったのだ。だからと言って、下等な魔族とは思えなかった。確かに中位の気配だった。と言うことは、あれは肉だけの、形だけの魔族だったということになる。本体は別にいる。それは当然、あの女だ。その証拠に、雷韋を攫うだけにとどまらず、妖刀を奪っていったことからも分かる。分裂した自分を囮に使って、本体であるあの魔族は逃げ去ったのだ。
陸王は、
「こいつの始末をしておけ」
乱暴に紫雲に言い放つと、火の壁を迂回して駆けて行った。
「待ちなさい!」
紫雲もあとを追おうとしたが、下位とは言え魔族が目の前にいる。これを放っておくことは出来ない。
渋面を作って、紫雲は頭でっかちの魔族を背中から乱暴に踏みつけると、強く地面に押しつけた。そうすることで動きを封じたのだ。すぐに神聖魔法の詠唱を始める。この魔族にとって、二度目の神聖魔法だった。
今度こそ紫雲は、終わりの神聖魔法を浴びせかけた。




