第八四話 大量の消し炭
ぞわぞわと現れた魔族は、魔族は魔族でも、下等な、それこそ農民達によって駆逐されてしまうような力ない、辛うじて瞳が紅いという程度の魔物とも魔族ともつかない生物だ。魔族の証であるのは瞳の色だけ。それが証拠に、魔代語の影響下にすらない。いつの間にか周りを囲まれていたというのに、姿を現すまで陸王にも紫雲にも気付けなかったのはそのためだ。それまで木々の合間や岩の陰に隠れていただろうに。
周囲を囲まれて、雷韋は声にならない悲鳴を上げた。陸王の背中にしがみ付いたまま、半ば恐慌状態に陥っている。陸王は『いくらかの下等な魔族』が現れるだろうとは言っていたが、予想以上の数だったからだ。陸王にも想定外のことだったが、雷韋にとってこの数は恐ろしすぎる事実だった。無数の紅い瞳に見つめられて、それまで僅かでも抑えられていた恐怖心に火がついたのだ。周辺を囲む魔族に、完全に雷韋は射竦められている。どちらを向いても魔族だらけなのだから。
魔族の方も雷韋を凝視していた。下等なものどもといえども、仮にも魔族だ。雷韋の流す血の匂いに興奮しないわけがなかった。自制している陸王でさえ惹かれるというのに。更には負の感情が再び起こって、垂れ流し状態になっている。匂いと感情を取り込んで、魔族の目はケダモノのようにぎらついていた。
下等なものどもがじわりじわりと迫ってくる。ほとんどが陸王と紫雲を通り越した向こうの雷韋へと、意識を馳せているのだろう。男女の魔族が真正面から間を開けて陸王達を見て立ち止まっているが、粘液状の魔族は左右に分かれて、真横から背後にかけてを狙っている。
陸王は自分の背中に張り付いている雷韋に向かって、小声で話しかけた。
「雷韋、倒木に火を放て」
「え? え……」
その返答には、何を言われているのか理解が追いついてない風がはっきりとあった。それでも陸王は急かすような真似はしない。ただ雷韋に対して、言い含める口調で話しかけるだけだ。
「倒木に火をかけるんだ。お前の守護精霊は火だから炎の中に入っても平気だろう。お前が火の中に入っちまえば、魔族も追っちゃこれねぇ。そこが一番安全な場所になる。理解出来たか」
「でも、こんなに魔族がいる」
雷韋は更に身を縮めて陸王の外套に震える手で縋り付いて、答える間にも奥歯がかちかちと小さな音を立てる。それを感じても、陸王は構わなかった。
「倒木に盛大な火を放てば奴らの気が逸れる。その隙に炎の中に飛び込むんだ」
「無茶言うな。怖くって、足が動かない」
そう言う雷韋の膝は大きく震えていた。立っているのがやっとといった風に。
「それでもやれ。俺達のどちらかが死んでもいいことはない。遺された者にも、近く死が与えられる。対ってのはそういうもんだろう」
陸王の言葉を聞いて、雷韋が上擦った息を吸い込んだ。陸王の提案以外に道はないと悟ったったのだろう。だからと言って、いきなり恐怖心が消えてなくなるわけではない。魔族が急激に増えたことによって、身体は震えるし恐怖のために呼気も荒い。その証拠に、雷韋は怯えの気配をはっきりと発している。
その遣り取りを紫雲は横目に見ていた。紫雲は何も言わなかったが、雷韋が火の中に飛び込むという話を聞いて不可思議に思うことがあった。今、陸王の口からも出たが、以前、雷韋自身が火の精霊は自分の守護精霊だと言っていたが、有象無象の魔族が沢山いるのにそれらを躱して倒木の元へいけるだろうか。真正面には中位の魔族がいるのだ。それの脇を無事に擦り抜けることが、果たして可能かどうか。
陸王と雷韋はそんな紫雲の考えも知らず、言葉を交わし合う。
「出来るな、雷韋」
「出来るかじゃなくて、やらなきゃ駄目なんだろ? 俺がこのままここにいたら、邪魔になるから」
「そう言うことだ。火を放った瞬間に走れ。そして炎の中に入ったら、雑魚を燃やし尽くせ。奴らには核もない、ただの雑魚だ。中位のあの二匹以外に、核を持った魔族はいねぇ。高熱で焼けば塵芥に帰す」
「注文、多い」
そう言った雷韋は苦笑しようとしたのかも知れないが、声は震えたまま上擦っていて、とても笑ったようには聞こえない。笑息すら漏れなかった。それなのに、顔は奇妙に歪んでいる。無理に笑おうとした結果だろう。
そんな雷韋に構わず、陸王は背後の少年を促した。
「文句言ってる暇があったら、さっさと火を熾してその中に飛び込め。そこがお前の安全圏だ」
陸王が言っている間に、雷韋は陸王の外套を一度ぎゅっと強く掴む。しかし、それを思い切るように離した瞬間、倒木に巨大な火の手が上がった。
火の精霊達が命じられるままに一斉に倒木に火を点けて回り、炎が天高く聳えたのだ。
すぐ背後の倒木に火がついたことで、中位の魔族達は慌ててそこから飛び退いた。下等な魔族達もわらわらと蠢きながら、一瞬にして炎の海に目を奪われる。
その隙を突いて、雷韋が視界に何も入れないように強く目を閉じて走り出す。正確には陸王に背を押されて、その勢いに任せて走り出したのだ。
突如立ち上がった炎に注意を奪われている男の方に陸王は駆け出した。その陸王の動きに合わせるように、紫雲は女に擬態したもう一匹に向かう。
不意を突かれて、男は陸王に相対するのが遅れた。陸王が眼前に迫ったときには、刀を握っている左腕を肩から切り落とされていた。切り落とされても、左腕はまだ刀から手を放さずにぶら下がっている。肩の断面からは、真っ赤な血飛沫が上がった。
陸王はその勢いを殺さぬままに、男の身体の中心に突きを放った。魔族は驚いたような顔をしたが、すぐに口元に笑みが広がる。それをよく確かめもせず、陸王の刃は魔族の身体の真ん中から右横へと振り抜けられた。だが、この魔族は人の姿に擬態しているだけで、陸王のように人と同じような機能は有していない。だから肺と心臓にあたる場所を真横に切り裂いても、血泡の一つも口端に上ってこなかった。飽くまでも、核を破壊しなければ殺すことは出来ない。
その事実に腹の中で毒づく。ならばと今度は首を素早く落とした。首の付け根から血が噴き出す。だと言うのに左腕をぶら下げまたまま右腕が素早く上がり、陸王目掛けて妖刀が降ってきた。すんでの所で陸王は躱したが、その時目にした首は地面に転がりながらにやにやと笑っていた。血を一筋、口の端から垂らして。
その遣り取りは一瞬のことで、魔物とも魔族ともつかない雑魚が突然燃え上がった。
陸王ははっとする。
雷韋が魔族に火を放ったのだと知って。
周囲は火の海だ。倒木が燃え上がり、魔族も燃え上がった。辺り一帯で火の手が上がっている。
その時、雑魚の群れは一斉に雷韋目掛けて移動を開始した。燃えながら、それでも雷韋の流す血の匂いに惹かれて、粘液を滴らせながら跳ねて移動する。陸王と紫雲は目に入らないようだった。
陸王は中位から、一旦距離を取った。炎の中にいる雷韋を捜すためだ。雷韋が熾す炎なら、少年の意思次第で火の温度を調整出来るのだ。高温で一気に燃やせば、下等な魔族など一瞬で灰に出来るはずだ。なのに、奴らは雷韋目掛けて移動している。ぱっと見た限りでも、少しずつ身体の端から灰にはなっているが、陸王が命じたように一気に燃やし尽くしていない。
雷韋の姿は倒木の燃え盛る中にあった。その顔は恐怖に引き攣っている。魔族の紅い目が怖いのだ。それに気圧されて、本来の力が発揮出来ていないと陸王は思った。雷韋が本気で魔術を使えば、それも得意の火の魔術なら、有象無象の魔族など簡単に灰にできるからだ。
「雷韋!」
陸王は怒鳴りつけた。その途端、雷韋が陸王に目を移して、そのまま二人の目がかち合う。それだけで少年は陸王の意を察したのだろう。黄色い瞳の中に怯えが混じりつつも、意思の力が宿った。雷韋がまるで念じるように目を閉じた瞬間、有象無象共が一匹残らず灰になった。地にいるものも、跳ねて宙に飛んでいるものも全て。一瞬にして魔族を襲っていた炎が灰を巻き上げながら消えていく。残った炎は倒木についたものだけになった。
その火は消してはならない。
雷韋を護るための楯であり、砦だからだ。
下等な魔族を焼く火が目的を終えたとき、陸王は舌打ちした。目の前にしていた魔族が首と腕を取り戻していたからだ。繋ぎ目には赤い線が入っているが、しっかりと固定されている。
陸王が目を離したのはほんの僅かな間だ。その間に男は首を拾い、左腕も繋いだのだ。核が急所である限り、魔族はこうして身体を元に戻すことが出来る。忌々しいにもほどがあった。




