第八二話 源一郎の誉れ
対は大抵同族に生まれる。けれど雷韋は、赤子の頃に同族全てを失っているのだ。本来ならそこで絶望して生きなければならなかった。いつ、どんな形で狂気に蝕まれるか分からない恐怖に怯えながら。
だが雷韋は、そんなことは全く構いもしなかった。すると、雷韋の目の前に対である陸王が現れたのだ。それを紫雲に話せば『奇跡的な対』だと言われて、雷韋もはっとした。
生まれも育ちも年も違う陸王が対だった。更にもう一歩踏み込んでみれば、魔族と鬼族の対だと分かった。生物学的にはあり得ない対だ。
「魔族と鬼族の対なんてあり得ないのに、あり得た奇跡だ。これって、光竜がし向けてくれたんじゃないかって思う」
「つまり、お前は俺とお前が四獣だって言いてぇのか」
「信じ切れないけど説明は全部頷けるし、おかしなところが一つもない。話に綻びがないんだぜ? 辻褄が合ってる。それから言っても、俺達の種族を一つ一つ光竜が考えてくれてたんだ。だから、魔族と鬼族でも対になれたんだよ」
陸王はそこで、盛大な溜息をついた。
「お前の言い分を聞いてると、『信じる』と言っているように聞こえるんだがな」
「あ、え? そう?」
雷韋がきょとんとした眼差しを陸王に向けるが、陸王は面白くない顔をしただけだった。
「何はともあれ、今は魔族と妖刀をなんとかしたい。あの刀だけはあっちゃならん。あいつのためにも」
苦しげに顔を歪めて陸王は言った。
「あいつ? あぁ、陸王の幼馴染みな」
雷韋が寂しそうに言うのに、唐突に背後から声がかかった。
「あの刀、九鬼源一郎という方の持ち物だったようですね」
「うぇ!?」
雷韋が奇声を発して背後を見る。そこには紫雲の姿があった。
「な、なんだよ。まだついてきてたのか。なんでそのこと知ってんだよ?」
雷韋が驚き半分で聞いてくる。
それを紫雲は、昨日、光竜殿にある鏡の間の水盤で、二人の様子を見ていたことを話した。その上で、大司教から妖刀消滅の任を受けているのだと、ここで改めて言う。色々話が横に逸れてしまったから、今一度、確認するように話したのだ。
それを聞いて、雷韋は少し考え込むようにしてから言う。
「そっか。紫雲の旅の目的って、元々妖刀だもんな」
「えぇ。本来の私の役割は妖刀を滅することですから。それに、面白いことも聞きましたからね。吉宗という刀、それは守り刀でもあり、しかし結局のところ、父親である羅睺を殺すためのもの。髪をも屠れる神剣なのでしょう? 妖刀と対をなす刀としても存在する」
どこか挑発的な紫雲の物言いに、陸王はだんまりを決め込んだ。むかっ腹は立ったが、何故か心は妙に凪いでいて、憤りまで感じることもなかった。わざとらしく絡んでくる紫雲を相手にするのも面倒に感じる。
紫雲はそれを知ってか知らずか、毒を吐いた。
「それにしても、幼馴染みの刀に動揺するとは、魔族にも人並みの感情があるということですか。驚きですね」
「喧嘩売ってんのか、手前ぇ」
陸王が肩越しに振り返って睨め付ける。それをどこ吹く風と言った風に、紫雲はただ肩を竦めてみせるだけだった。その様子に、陸王は腹の中で「くそ野郎が」と吐き出した。
だが紫雲は、ただ毒を吐いたわけではない。半ば本気で蔑んでいたが、龍魔の言うように陸王に人と同じ感情があるのか確かめたかったのだ。今の陸王の反応からして、随分と素直に感情を表に出したと思った。それとも、害意を覚えやすい魔族だからなのかなどとも考えられたが、正確には判じられない。
陸王は本当に高位の魔族以上、魔神以下なのか。まだまだ紫雲には分からないことだらけだった。けれども、まだ陸王の正体が知れなかった頃、その時に見た陸王の姿は人となんら変わらなかったように思えた。あの頃から紫雲を嫌っていたのは確かだが、雷韋の世話はきちんと見ていた。旅立ってからまだ間もなかった頃、随分ぞんざいに雷韋を扱うと思ったりもしたが、肝心なところは決して外さない面倒見のよい面が見て取れた。
しかしそれは、雷韋が対だからなのかも知れない。対以外のほかの者に対してはどうなのか分からなかった。それを知る要素も少なかったからだ。雷韋には一度だけ手を上げたと聞いたが、ほかの者に対してはどうなのだろうか。雷韋の前ではしないだろうが、人の目のないところでは人狩りをしている可能性だってある。所詮、魔族は人を殺し、喰らう者だからだ。
そうこうしている間に渓谷まで三人は戻った。相変わらず轟きが凄まじい。膨大な量の水が空から降ってくるようだ。それが水面にぶち当たって、轟きを立てている。大量の水飛沫で、滝壺は完全に隠されていた。傍に近づくだけで、全身が濡れそぼってしまいそうだった。滝からは離れた場所にいるはずなのに、空気中に水分が重く含まれている。
改めて、その存在に圧された。
だと言うのに、雷韋は一人だけ酷く楽しげな様子だった。うっとりとした目で滝の全容を眺めている。唇にはうっすらとした笑みまで浮かべて。
だが、その雷韋の頭を陸王は引っ叩いた。
「いってー!」
雷韋の怒鳴り声が、滝の轟音によって掻き消される。その雷韋に、陸王は言葉を発さずに右手の親指で別方向を示した。
陸王が示したのは、川下の方だ。もう少し下へ戻ろうというのだろう。流石にここまで水が暴れていては、魔族であっても水を飲みに来るとは思えなかったのだ。もっと下流へ移れば、ここよりかは簡単に水を飲める場所に出るだろうと。実際、そんな川べりを眺めながら、この上流までやってきたのだから。
陸王は雷韋にだけ合図を送って、紫雲はいない者として扱った。ちらとも目を向けない。要するに、完全無視を決め込んだのだ。
妖刀が、死んだ九鬼源一郎のものであったという事実が、今の陸王を動かしている。あの刀は自分だけが破壊することを許されているのだと。懐かしくも悲しい、八卦が施された鍔。
当時、源一郎は帝から下賜されたその刀を大切そうにはしていたが、下賜されたこと自体にはさほど興味がないという顔をしていた。けれどそれは、表向きの顔だ。
雇われ侍が集う道場生まれの源一郎は、一応の基礎として刀の扱いには慣らされていた。だが、陰陽術の方に強く興味を持ち、剣術はもっぱら暇なときくらいにしか鍛錬することはなかった。それでも源一郎の腕前は大したものだった。
普段は市井の陰陽師として術の研究をしていたが、道場が戦で雇われると戦にも出向いた。その時は陰陽師として出向いたが、戦では必ずと言っていいほど手柄を立てた。つまり、武将の首を取ったのだ。
戦での陰陽師の役割とは本来、伝令係のようなものだ。符術で式をあちこちの隊に飛ばして情報収集し、本陣での決定をまた式に乗せて飛ばす。それが本来の役目だが、腕も立つということで前線に送られることもまた多かった。前線に出れば名のある武将の首を取ってくる。
少年の頃からそんなことが度々あり、いつ頃からか、武術に秀でた陰陽師として朝廷でも噂が絶えなくなった。
朝廷から使者がやってきて、陰陽寮に入るか、滝口の武士として帝に仕えぬかと打診が幾度もあった。けれど源一郎はそれらをことごとく蹴った。そんなことがあり、帝の気持ちとして一振りの刀を下賜されたのだ。
それがあの妖刀の前身だ。それまで朝廷を蔑ろにするようなことを嘯いていたこともあり、源一郎は下賜された刀を粗末にはしないが、帝のお声がけは完全に無視していた。
内心は飛び上がるほど嬉しかったに違いないのに。
ある日、朝廷から使いがやって来て、帝が源一郎のために一振りの刀を作らせ、それを下賜してくださるとの話が飛び込んできた。源一郎は朝廷へ伺候する前日、興奮で眠れないと夜中こっそりと陸王のもとへ酒を持ち込んで、一晩中付き合わせた。
酒が入ると、やはり帝の御前へ参るのが恐れ多いし、反面、嬉しくてならないと唇が綻びた。その翌日の早朝に出発し、三日後に戻ってきた。朝廷を辞してきたあとのまた夜中、源一郎は再び陸王のもとへとやってきた。
その夜は酒はなしだったが、源一郎はすっかり浮かれていた。それは幼馴染みの陸王にしか見せない姿だ。都から戻ってきたあとはいつも通り斜に構えていた源一郎だったが、連続で陸王のもとへやってきたのだ。
その頃、陸王より一つ下のまだ十六だった源一郎だが、いつもは大人びているのに、先日の晩とその晩は年相応の少年の表情を見せた。都や宮中がどれほど素晴らしかったか、帝の竜顔を拝することが出来た喜びなど、様々を語った。語る間中、下賜された刀を膝の上に載せて、大切そうに撫でていたのが印象深い。
何より帝が源一郎を喜ばせたのは、鍔に施された八卦の意匠だろう。
あの晩、源一郎は、帝に武術も陰陽術も双方共によくよく修めよと言われた気がしたと興奮気味に語っていた。刀を下賜された日から、源一郎はその刀を必ず腰に差して出歩いていたが、それを周りから賑やかしく突き回されても、源一郎は普段と変わらぬ態度で「帝から賜ったものだからな。粗末には出来んさ。だからこうして腰に差しているんだ」などと言っているのを陸王が見掛けたのは、一度や二度ではない。それこそ、数え切れないくらい何度もあった。
それを見るたびに陸王は、素直じゃない、と微笑ましく思ったものだ。
だが、源一郎の誉れは地に堕ちた。悪意を持って人を斬りまくり、妖刀にされてしまったのだから。それどころか、陸王には源一郎自身さえも助けられなかった。
友を助けられなかった悔恨が陸王の胸を塞ぐ。だからせめて、罪滅ぼしがしたかった。そのためには、妖刀にされてしまったあの刀をこの手で破壊する。それしか出来ない。ならば、そうすべきだと強く思った。
妖刀を滅するのは赤の他人の紫雲ではない。幼馴染みであり、悪友であり、親友であった陸王だ。あの妖刀が亡き友の刀なのだとしたら、誰になんと言われようとこの役目は譲れない。
陸王は胸が塞がれるような、それでいて、ここで初めて道が開かれたような気持ちで下流へと向かって歩いた。




