第八〇話 殺意と四獣の魂
先回りされたかと思ったが、それはあり得なかった。紫雲を痛めつけ、半殺しにしてからのち雷韋に助けられたはいいが、紫雲には陸王と雷韋がここへ来ることなど知れるわけがなかった。陸王自身にだって、はっきりとどこへ向かって歩いてきたのか分からないのだから。
急に足を止めた陸王の背後から雷韋が声をかけてきても、陸王は動けず、答えを返すことも出来なかった。それに業を煮やしたのか、雷韋が陸王の背後から前方へと移動した。雷韋もまた、紫雲がいることに声を失う。だがすぐに雷韋は己を取り戻して、慌てたように紫雲の方へと駆けて行ってしまった。
陸王はそれを見て慌てて雷韋の名を叫ぶが、轟音で掻き消されてしまう。いや、声が届いていたとしても、雷韋が止まることはなかっただろう。仕方なく、陸王はその場から動かずに二人の様子を伺うことにした。
雷韋は紫雲に飛びついて、何事かを叫んでいるようだった。それに対し、紫雲が小さく笑ってみせる。そのまま紫雲は、雷韋の耳元まで顔を近づけて言葉を交わす。瀑布のもとでは言葉を交わすのも容易ではないだろう。
紫雲は雷韋に何事かを伝えてから、陸王に目を移した。黙って様子を窺っていると、紫雲は暗褐色の視線で森の中を示す。場所を変えようということなのかも知れなかった。紫雲が何を考えているのか知らないが、陸王には拒む理由はない。再び殺し合いがしたいというのであれば、乗る。それ以外の選択肢はない。ただ、どうせ挑まれたところで、また半殺しにするだけだ。
紫雲の出方によっては、今度こそ殺すことも視野に入れる。雷韋の精霊魔法が追いつかないくらいの怪我を負わせればすむことだ。それとも、直接的な死を与えるのもいいだろうとも思った。雷韋に邪魔されず、一気にけりをつけることだって可能なのだ。首を刎ねてもいい。心臓に刃を突き立ててもいい。如何様にでもなる。昨日殺り合ってみて、紫雲は陸王よりずっと弱いと判断した。
所詮は人族。
それもひ弱な人間族だ。
陸王という魔族を狩るというのであれば、相応に応じて全力で叩き潰すだけだ。
陸王には死ぬ気はないのだから。
もし紫雲を殺せば、雷韋が怒るかも知れない。殺す必要はなかったと言って。それでも最終的には許してくれるとも思った。
赤の他人より、対の方が強い。所詮対は極論を言えば、対極の相手以外はどうでもいいのだ。それ以外は有象無象。だから人殺しが出来る。少なくとも、人間族はそうだった。
ましてや魔族など、破壊衝動あるのみだ。
敵対する相手を殺すことに嫌悪はない。罪悪感を抱くなど以ての外だ。伊達に戦に身を投じていたわけではない。敵は殺し尽くすのみ。
陸王は紫雲が目を遣った森の方へと足を向けた。
紫雲も陸王が移動し始めたのを見て、歩を進める。その後ろからは雷韋がついてきた。不安そうな色が顔に表れている。
そのまま森の中をつかず離れずに進んでいった。
互いに顔を見交わしながら、一定の距離を保って。
どのくらい森の中を歩いてきただろうか。滝の轟音もそれなりに遠くなっている。ここまで来たら、普通の声量でも互いに聞こえるはずだ。
だから、まず陸王が先に問うた。
「もう一度ぶちのめされに来たのか? 脅しじゃなく、今度は確実に殺すぞ。中途半端に終わらせるつもりはない」
「そうでしょうね。一気に首を刎ねるか、心臓を貫くというところでしょうか。あるいは身体を真っ二つにするとか」
返す紫雲の声音はやけに落ち着いていた。冷静そのものと言った風に。
陸王はそれを聞いて鼻を鳴らす。
「分かってんなら、もう一度殺り合うか? 殺されても文句はないな」
そこで紫雲は瞼を閉じて、溜息を一つ零した。
「貴方と戦っても私に勝ち目はありません。魔族の力で押されるのでしょうから」
陸王は、随分と悟りきったことを言うと思ったが、紫雲の様子に何か嫌な感じを持った。
紫雲は、自分のあとについてきた雷韋の肩を抱き寄せる。
「え? なんだよ?」
雷韋が目を白黒させて狼狽えた。紫雲の真意が分からなかったからだ。
「貴方を殺すには、何も貴方と殺り合う必要はありません。雷韋君を殺せばいいだけのこと」
「手前ぇ!」
反射的に怒鳴っていた。同時に吉宗の刃も引き抜く。
その有様に、紫雲は小さく声を上げて笑った。
「心配はいりません。なんの罪もない雷韋君を殺す気など、私にはない。例え貴方を殺したとしても、雷韋君が死んでしまう。一時は歪な対などいらないと言いましたが、それでもやはり私はこの子を殺したくはない。だからとても残念ですが、貴方を殺しはしない。雷韋君にせいぜい感謝してください」
言って、雷韋の肩に回した手を少年の背中に当てて、前へ押し出した。
「し、紫雲?」
何がどうなっているのか全く分からない雷韋が、困惑したように紫雲を見上げる。そんな雷韋に紫雲は優しく笑んで見せ、それから真剣な顔つきになった。
「ねぇ、雷韋君。君なら知っていますよね。守護四天帝、正確には四獣のことを。私でさえ、伝説で聞いたことがある神の名ですから」
「そりゃあ、知ってるさ。光竜よりも小さな神様だって言うじゃん。神代の頃は人族と一緒に生きてたって。それは光竜や天慧や羅睺も一緒だけど。それがどうしたんだ?」
「雷韋君。君は自分の中に『陽』の魂を感じたことがありますか? 君が陰であり、少陽であれば、僅かに陽が混じっているはずです」
紫雲は雷韋の問いに答えず、更に問いを投げかけた。
雷韋もいきなりそんなことを言われて、何をどう答えればいいのか分からなかった。やはり紫雲の真意が分からない。
「それって、どういうことさ」
「感じたことはありますか? ないですか?」
紫雲は重ねて問うてきた。雷韋が困り顔をするのも構わずに。
「そんなの知んねぇよ。いちいち考えたこともない」
「私は自分の中にほんの少しの陰を感じることが出来ます。朧に、陰陽を。それは全く正反対のものでありながら、渾然と一つになって私の中に存在します。そう感じます。君はどうですか?」
「ん~」
雷韋は視線を俯けて、己の中を探っているようだった。少しばかりの間を置いてから、雷韋は視線を上げる。
「よく分かんね。だって、朧にしか感じないもん。なんとなく、これが魂の感じかなって思うだけだ。区別なんかつかない。でも、大きく感じるのは多分、陰だな。もっと言えば、影って言えばいいのかな。そんな感じ。これ以上はどう表現していいか分かんねぇよ」
それを聞いてから、紫雲は今度は陸王に目を遣った。
「貴方はどうです。己の中に陰を感じますか? 僅かでも」
陸王は紫雲の言葉に考える風でもなく、険しい顔を向けていた。紫雲が何を言いたいのか分からないし、分かりたくもなかったのだ。どうせくだらない戯れ言だと決めつけて。
そんな陸王の思いを知ってか知らずか、紫雲は酷く冷静に告げる。
「貴方達は対ですよね。ですが、その魂の中には陰陽が混じっていない。完全な陰と陽なんですよ。雷韋君が太陰、貴方が太陽」
陸王は紫雲の言葉に、怪訝な眼差しを向けた。こいつは一体、何を言っているのかと。紫雲を負傷させたとき、木に叩き付けられて同時に頭でも打ったか、とそんなことを思った。それくらい突拍子もないことを話しだしているのだ。陸王にだって、何がなんだか分からない。
「何をわけの分からんことを言っている。昨日、殺り合ったときに打ち所でも悪くしたか?」
「これでも、大真面目に言っているんですけどね」
言って、口元を僅かに綻ばせる。
「大真面目だと? 笑わせるな。人をわけの分からんことで煙に巻いて、どうするつもりだ。何が目的だ」
「目的……、そうですね」
紫雲は少し考えてから口を開いた。
「私も信じたくはありませんが、私達はそれぞれ四獣の魂を持って生まれてきたそうですよ。とてつもなく荒唐無稽な話ですが」
それを聞いて、陸王は小馬鹿にしたように低く笑った。
「何を言い出すかと思えば、馬鹿らしい」
「そうですよね。馬鹿らしいですよね。ですが、本当のことのようです」
紫雲の表情は至極真面目だった。もうそこに、微かな笑みすらない。
「どこをどうとったら本当のことなんぞと言えるんだ。その話、どこのどいつに吹き込まれた。それともお前の妄想か?」
陸王は完全に馬鹿にしていた。その表情は嘲る顔だ。
それでも紫雲の表情は動かない。いや、微かに嘲る笑みが浮かんだ。自嘲ではなく、陸王を嘲っているような。
「いっそ、妄想であって欲しいですよ。ですが、この事実はおかしなことなのに受け入れられている。つまり、捕食者である貴方と被食者である雷韋君が、対だと言うことです。
そうなのでしょう? 魔族にとって、鬼族は最高の獲物ですよね? ですから、本来ならあってはならない形の対です。ですが、それをなんの抵抗もなく受け入れているじゃありませんか。
貴方は言いましたよね。私が貴方達に初めて出会ったとき、どういう関係なのかと聞いたら、貴方は雷韋君が自分の対だと言った。そんなことを普通は言いません。全く知らない赤の他人への第一声としてはおかしすぎます。旅の連れだとでも言っておけばいいじゃないですか。私とはたまたま相席になった関係なだけですよ」
そこで紫雲は、龍魔から聞かされた様々を語った。時にはガライの言葉やシリアの言葉も交えて。
何故、陸王が魔族で、雷韋が鬼族として生まれながら対であるのか。そこには種族を超えた意味が存在するのだと。
そして太陰と太陽。それは神の魂であるからこその唯一無二の魂なのだとも。紫雲自身のことも口にした。龍魔に言われて、様々納得のいかないことだらけだったが、受け入れないということはつまり、逃げているだけだと悟ったとも語った。
心情的には今もまだ疑いが深く残るが、それを飲み込まなくては先に進めそうにもないことを紫雲は知ったのだ。それは諦念から始まったものだったが、受け入れるしか道がなかったことでもある。
紫雲はそこまで語ったのだ。




