第七六話 どこまでも続く魔族の影
陸王のことについては、今のこの世界で一番武に特化している種族が魔族だからだと龍魔から説明を受けたが、素直に納得は出来ない。それでも、ある一部分については納得している自分がいた。
竜巻に巻き込まれて、陸王が瀕死の重傷を負ったときのことだ。あのとき、陸王は無理矢理卓の脚を胸から引き抜いた。あんなことが出来たのは、陸王が生命力の強い魔族だったからだ。ほかの種族ならば出来なかっただろう。その生命力の強さにだけは、流石に魔族だけのことはあると一目置くものがあった。
だが、そうは言っても魔族は全ての人族の天敵だ。どこをどう押しても、人を喰らう化け物なのだから。それが紫雲には引っかかってならない。いくら武に特化している種族だからと言う理由があっても、紫雲から見ればただ単に魔族なのだ。どう頑張っても、排除する敵でしかない。そのことが昨日から腹の中でずっと燻っている。
それを苦く思いながら息を吐き出すと、全てを見透かすようにシリアは笑んだ。
「黒狼が魔族の身体であることが気になりますか?」
「……何故、そんなことを? そんなことは私は一言も言っていませんが」
それを聞いて、シリアの笑みが深くなった。
「白虎の心を精霊達が教えてくれるから」
紫雲は思わず目を逸らす。それから溜息をついた。降参とばかりに。
「魔族はどうあっても魔族ですから」
紫雲が苦々しく言うと、更にシリアは頷く。
「黒狼は、魔族という殻を被っているにすぎません。それは白虎も同じ。人間族という殻を被っているにすぎないのです」
「殻……。それは龍魔さんからも聞かされましたが。その時、貴女もいたはずです」
そう返すと、シリアは再び頷いた。
「いずれ、黒狼も白虎も殻を脱ぐときがきます。天慧や羅睺の系譜ではなく、獣の眷属として生きていくことになるのです。魂が光竜に回帰しますから」
「神聖魔法や魔代魔法が使えなくなるという話でしたね。それらが使えなくなる時期とはいつですか?」
その言葉に、シリアは僅かに考え込んだ。今言ってしまってもいいものかと顔に出ている。
結局返った言葉は不明瞭なままだった。
「……そのうちに分かります。今のままでは、神として地上に立つことさえも出来ませんから」
それを聞き、紫雲からは「そうですか」とどこか納得のいかない声音が漏れた。
「ですが、そう遠からずだと思います。青蛇が合流すれば、その時に。時期はおそらく、青蛇が決めますから」
「そうですか。では、教えてください。私が自分を白虎だと信じても、あの二人がそれぞれに信じなければ、私が信じても意味がないことなのではないでしょうか」
「そうですね。黒狼と赤獅、どちらが信じなくとも四獣はそこで滅びます。それでも、それはあの二人が決めること。白虎が自分を何者か信じるということとは全く話が違います。あの二人のせいにして、自分の責任から逃げてはいけません。誰が何を信じるのか、それは個々人の考え一つです。受け入れるのも、拒否するのも自由」
紫雲はそれを黙って聞き、一拍置いてから答えた。
「どう選ぶのも自由というならば選びましょう。私は自分が白虎という神であることは受け入れられません。何を見せられたにせよ、私は人間族です。そして修行僧です。もし私が白虎であることを信じたならば、それは天慧に対する裏切りに等しい。私は天慧に創られた種族です」
それを聞いて、シリアは小さく笑った。何が問題なのか、と言う風に。
「白虎、何故貴方が白虎であることを信じると、天慧への裏切りになるのですか? 天慧に創られた種族だからですか? ただそれだけ?」
「私はこれまで、天慧に身も心も捧げてきました。全てを捧げて、天慧に仕えてきたのです。ここで天慧への信仰を捨てれば、今までの自分を否定し、捨てるのと同じです」
シリアはカップに口をつけて、喉を潤してからそれへの疑問を投げかける。
「天慧が貴方に何かしてくれましたか? あるいは、何かをしろと言いましたか?」
「え?」
思わぬ疑問を投げかけられて、紫雲は咄嗟に言葉を口に出来なかった。その代わりとでも言うかのようにシリアが口を開く。
「天慧に仕えたと言っても、あの神を信仰したと言っても、それで何かをして貰ったわけではないでしょう。何かをしろと命じられたわけでもない。天慧は光と昼を司るだけの存在です。
けれど、光竜はこの世界を創り上げ、今も人々の魂を懐に吸収し、排出している。獣の眷属、天慧と羅睺の眷属に関わりなく、人族の魂は光竜が司っているのです。どの人族であろうと、人が死ねば光竜のもとへ還り、生まれるときも光竜の懐から送り出される。
対を作るのも光竜です。そして、人が増えすぎないように災害や疫病を起こすのも光竜。人間族の業である『戦争』を見て見ぬ振りをしているのも、人間族が増えすぎないようにと放置しているのです」
紫雲はそれを聞いて、不快そうな色を顔に表した。
「まるで、全てが光竜の掌の上でのことのようですね。この世界を開闢したのは確かに光竜でしょうが、何もかもあの神が掌握しているというのはおかしな話です。それに人間族が天慧を祀り、信仰するのは人間族の意思です。天慧から強制されたわけではない。ましてや見返りなど」
「確かに、信仰というのは個々人の気持ちから生まれてくるもの。誰かに強制されているわけでもないでしょう。ですが、それが人間族の刷り込みだとしたらどうします? 人の世になって、信仰が生まれました。それは地上から天慧が姿を消したがために、人間族が天慧を慕う心から生まれたのです。創造主ですものね。愛しているでしょうし、愛して欲しいでしょう。それは当然の成り行きかも知れません。ですが、人間族だけです。強い信仰心を持つのは。獣の眷属は光竜を慕っても、信仰という形を取りません。そこまで幼くはないからです」
「人間族を幼いというのですか」
紫雲は思わず、険を含んだ物言いになる。
その一言が『人間族上位』という差別的な意味を含んでいることに、当人は気付いていないが。
紫雲の、どこか威圧的な物言いをシリアはなかったことのようにして話を進めた。
「えぇ、人間族は親離れできない子供のように見えます。先ほど貴方は見返りを求めないと言いましたが、見返りはしっかりと求めているのです。何かあるごとに、すぐ天慧に助けを求めるでしょう? 『神よ』と。『神よ、この事態をなんとかして欲しい』と縋るではありませんか。
ただ、そう言ったところで天慧は何もしてくれません。当然、光竜も何もしてくれません。獣の眷属はそれを知っているからこそ、光竜に助けを求めることはしないのです。全て自分達の裁量でことをなします。
人間族の信仰というものは、代々引き継がれてきたものです。何も疑わず、ただ天慧を崇めます。それは卵から孵った雛が親鳥を親鳥として認識するのと同じこと。人間も言葉に出して言わずとも、同じように刷り込みがあるのです」
シリアが言い募る言葉に、紫雲は敢えて何も言わなかった。頷ける部分があるし、また、ない。
それを知っているから、リアは続ける。淡々と。
「黒狼が魔族と同等の身を持っているとしても、それを意識するのも刷り込みです。魔族は人族にとっての絶対的な天敵ですが、それも必要悪として存在しているのです。それもやはり、人族が増えすぎないように。
黒狼が魔族とは言っても、羅睺より一段下の存在だと言うことはお聞きになったでしょう? ただ魔族と同等の身体と言うだけで、ほかの魔族と一緒にしないでください。黒狼は必要悪としての魔族とは全く別です。間違った認識は捨ててください」
言われても、紫雲は黙っていた。紫雲の中には陸王を魔族として否定する気持ちが強かったし、何より殺されかけたのだ。その事実の方が、重く強い。
あのとき、確かに陸王は紫雲を殺しにかかっていた。目が殺意に溢れて、真剣だった。そう思い、自分を正当化してみせるが、心のどこかで引っかかりを覚えてもいた。
あのときは陸王ばかりではなく、紫雲も魔族を殺そうと真剣だった。他人のことは言えないという思いがあったと同時に、それはやはり陸王が魔族だったからだ。ほかの種族であれば、殺そうとは思わなかった。
何しろ、紫雲は調伏者として存在しているのだから。誰がなんと言おうと、陸王は魔族だ。いや、それに連なる者だ。高位の魔族より、より強いだろう存在。それを考えると、やはり見逃すことは出来ない。ましてや信を置くことなど不可能だ。鬼族の雷韋ならまだしも。
雷韋のことを思った途端、あの少年は無事なのかと脳裏を過った。魔族と鬼族。敵対し、取って喰らう者と喰らわれる者の関係でもある。それを思うと、急に焦燥感が湧いてきた。その思いに促されるように、紫雲は立ち上がる。
「白虎? どうしました?」
シリアは手にしていたカップを卓に戻すと、突然席を立った紫雲に問いかけてきた。
「雷韋君が心配です」
「あの二人は対です。黒狼が魔族に近いから心配しているのでしょうが、その心配はありません。黒狼は赤獅を決して傷つけたりはしません。そんなことが出来るわけがないのです」
「絶対に?」
紫雲のその問いに、シリアは僅かに視線を俯けた。
「これまでに一度だけあります。黒狼が赤獅に手を上げたことが。その時の衝撃で、赤獅の記憶が飛ぶほど酷く。黒狼はそのことを後悔して、赤獅のもとから去ろうとしましたが、結局、赤獅に追いつかれました。一人にしないで欲しいと赤獅に言われて。
対なのですもの、それは当然です。出会ってしまったのだから、離れることなど出来ない。黒狼も、それから気をつけるようになりました。赤獅を殴ったりしないよう、自制しています。第一、どんなに喧嘩をしたとしても、離れることなど出来ないのです。あの二人を離ればなれにするには、どちらかを殺すしかないでしょう」
「まさか……!」
そこまで言われるとは思っていなかった。




