魂の真相 五
紫雲から何も返らないのに気付いて、龍魔は続けた。
「太極魂を持っている者は、この世界を見守る役目を負っている。妾も太極魂を持っているが、不老なだけで不死じゃない。それでも死ににくくはなるね。役目を放って死ぬことだって出来るよ。気の遠くなるような長い時を生きてきたんだ。妾も時には死のうと思うこともある。この世に飽いて、心が倦んでしまうからね。でも、妾は死なない。近頃、少しばかり楽しいことが続いているからね。お前のこともそのうちの一つだ」
龍魔はどこか浮ついた風に言う。表現は陳腐だが、わくわくしているとでも言うか。
「まるで子供が玩具を与えられたような言い方ですね」
紫雲は僅かに嫌味を込めて言った。
「玩具か。玩具。あぁ、そうとも言える」
分かりやすい嫌味を嫌味とも取らず、龍魔は感慨深く言って軽く頷いた。
「でもね、そうとでも思わないと生きてられないのさ。退屈は人を殺すって事もあるんだよ。よく覚えておきな。お前だって無関係じゃないんだからね」
最後の言葉は重い響きを伴っていた。
「何が無関係じゃないんですか?」
紫雲は龍魔の重たい言葉を撥ね除けるように言った。たかが人間の修行僧だ。いつ何時、狩りで死ぬかも分からないのだから。だが、そこではっとする。本題を思い出したのだ。
「あの、是非ともお聞きしたいことがあるのですが」
紫雲は突然慇懃に言い遣った。
それを龍魔は頷きで返す。
「ここで目覚める前、私は魔族と戦っていました。ですが、途中から記憶が寸断されていて、気が付けばここにいた。私の身に何が起こったんですか」
「お前は魔族の力を半端に解放した陸王と戦って、半殺しの目に遭ったんだよ。本当は雷韋がお前の治療をするところを、妾がここへ連れてきて大地の精霊魔法で治療した。肺に何本も肋骨が刺さっていて、本当に瀕死だったんだよ。危ないところだったが、なんとか間に合った」
それを聞いて、紫雲は陸王の紅い瞳を思い出した。確かあれは、紫雲が陸王の腹を抉った直後のことだ。陸王がこちらを見て楽しげに笑ったのと同時に、瞳が鮮血の色になった。その様が、ふと脳裏に浮かび、陸王の目に対して上手く言葉に出来ない違和感を感じていたことを思い出した。あれは魔族の目だったからなのかと、今更ながらに納得する。しかも、雷韋が耳に着けている紅玉の耳飾りの色とそっくりだったのだ。鮮やかな紅。巧妙に隠していたつもりだったのだろうが、修行僧の紫雲には違和感として現れた。それと同時に、何故、龍魔が陸王や雷韋の名を知っているのかという疑問も浮かび上がる。
「何故、貴女があれの名前を知っているんですか。雷韋君の名まで」
紫雲が『あれ』と苦々しく言ったのを聞いて、龍魔は急に笑い出した。
「『あれ』呼ばわりとは、お前」
龍魔は笑い続けて、それ以上の言葉を紡げなかった。
憮然として龍魔を見ていると、一頻り笑ったところで彼女は笑みを浮かべたまま、再び話し出す。
「あの子はね、五つになるまで妾が育てたんだよ。謂わば、妾は育ての親だ」
紫雲はそれに愕然とした顔になる。まさか陸王を育てた人物が目の前にいるとは思わなかったからだ。魔族は生まれても親に育てられることはない。紫雲は、陸王も当然そうだと思っていた。けれど違ったようだ。実の親ではないが、育ての親がいたのだから。
龍魔は紫雲から視線を逸らし、続けた。笑いを飲み込んで。
「まぁ、最終的には放逐しちまったんだが。青蛇殿の巫女達に偉く憎まれてね。あぁ、人代以降に青蛇殿の巫女になったのは、青蛇が大昔に産んだ一族の末裔だ。妾が捜し出して神殿に連れてきたんだよ」
「何故、突然放逐を? やはり魔族だからですか?」
龍魔はそこで肩から力を抜いて、ソファまで行って腰をかけた。
「お前もおいで。長い話になるからね。本当に人族にとっては長い話だ」
大真面目な顔でそう言ってから、シリアに目配せをした。シリアはそれに頷きを返すと、部屋を出て行ってしまう。
それを見遣って、紫雲は言われるがまま、大人しく正面のソファに腰をかけた。
「さて、陸王の話だけどね。あの子は生まれが異常だ」
龍魔の目が、目の前にいる紫雲を透過して遠くを見据える。
紫雲は黙ったままで、龍魔の話の続きを待った。
「陸王の生まれが異常だというのは、父親に原因がある。陸王が生まれると、いずれ父親殺しを目論むようになると、先見の力がある堕天使に言われて、それを知った母親が、殺されないようにと腹に封じちまったんだよ。それこそ何十年腹の中にいたことか。それでも、生まれてこない我が子を母親諸共殺すことは、いくらなんでも父親には出来なかったのさ。あいつは本当に自分の妻を大切にしていた。……さて、この先はどこから話したらいいものか」
言って、少し思案する様子を見せた。
けれど紫雲はせっつくような真似はしなかった。それどころではなかったからだ。紫雲は、陸王の親の関係に驚いていたのだ。相手は魔族なのだ。魔族は人外だ。それが人のような感情を持っていることに衝撃を受けた。
「まず、天から降ってきた陸王の母親を、妾はよく知っている。堕天使だったが、天使族特有の美しさを持っていたね。堕天使は呪われて魔族に転化するものだが、父親がその力を防いだんだ。父親もね、堕天した者だったんだよ。その名を羅睺という」
「まさか!」
一声叫んで、紫雲は完全に言葉を失った。
羅睺は天慧と共に天上にいるとされている。羅睺を祀る宗派はないが、月を身代わりにして、人間族は羅睺を見ているのだ。それが堕天していたなどと。誰もそんな事は考えつきもしないだろう。今この話を聞くまで、紫雲も羅睺は天慧と共に天上世界にいると思っていたのだ。天主神神義教でははっきりとそう教わるし、家庭でも親から子へとそう伝える。人間族なら、誰でも天慧と羅睺は天上世界にいて、世界を見守っているものと考えている。そこに疑いは、水、一滴すらもない。
龍魔は目を瞑って、さもあらんとばかりに頷いた。目を瞑ったまま、頷いて続ける。
龍魔が知っている限りでも、神代の頃には羅睺は地上を選び、降っていたと。大昔に、既に天慧とは袂を別っていたのだ。羅睺は人族と共に生きる生き方を選んだが、兄である天慧はそれを快く思わず、許さなかった。しかも、魔族が生まれたのはこの時だ。羅睺を選び、共に地上に降ってゆく天使達に呪いをかけた。そのことで堕天使が生まれ、魔族に転化したのだ。天慧の呪いは羅睺にまで及んだという。
羅睺は自らも呪いを受けつつも、多くの堕天使達を護った。陸王の母親もその中の一人だ。世界が人代に移り変わるどさくさに紛れて、天上世界から羅睺を慕ってやって来たのだ。
龍魔の話では、今現在、羅睺がどこにいるのか知れないが、羅睺のもとには多くの堕天使がいると言われていると言う。
紫雲は両手を膝の間で組んで、それを見つめていた。そして、ぽつりと問う。
「天慧はどうして羅睺を許さなかったのですか?」
「その頃のことは、妾も深くまで知らない。ただ、天慧が天上世界に執着していたって事はあったと思うよ。アルカレディアとは違う次元に身を置きながら、羅睺は光竜と付き合いがあったらしいね。自分達が創った人間族だけでなく、獣の眷属も広く愛したと聞く。それが仇になったんだろうね。弟を光竜に取られたと思ったのかも知れない。ほかの人族にも。要するに、天慧の嫉妬さ」
「ならば、光竜に呪いをかければよかったものを。なのに、どうして羅睺と天使達に」
「光竜はこの世界において絶対神だからさ。人間族と天使族以外は、世界も人族も光竜がほとんど一人で創り上げた。四獣も関わりを持ってくるが、それはもっとあとのことだ。それに、羅睺と同じように四獣も人族と交わりを持っていた神だしね。光竜ほどの働きはなかったと聞いているが。そんなわけで、この世界のほとんどをたった一柱で創り上げた光竜の力には、天慧でも敵わなかったんだ。元々、この世界は光竜が切り開き、自分の思うように創り上げた世界だから、外からやって来た天慧と羅睺は完全には順応出来なかったんだよ。お前も知っているだろう? あの二柱はアルカレディアの外からやって来たと言うことを」
「知っています。光竜の創り上げたこの世界には昼も夜もなく、天慧と羅睺がやって来たことで、やっと昼と夜が作り出されたと」
「うん。そんなだから、矛先が自分を裏切った羅睺と天使族に向かったんだろう。可愛そうな話だが、それが光竜に対する嫌がらせでもあったんだ。鬼族を喰らう者として堕天使に人喰いの呪いをかけたんだからね。魔族さえいなければ、鬼族に敵はなかった。これが魔族が鬼族を最高の獲物として襲う理由だよ」
「天慧がそんな卑劣な真似を?」
紫雲は尋ねる際に、動揺で声が震えないよう下腹に力を入れた。
「それだけ悔しかったんだろうさ」
「それで、羅睺はどうしたんです?」
問う紫雲にとっては何もかもが初めて尽くしの話で、それも、考えたこともなかったことばかりだった。膝の間で組んだ手にも力が入りすぎて、指先が白くなっている。
そこで龍魔は目を開けて、
「じゃあ、陸王の生まれから話そうか」
そう言って、つらつらと語り始めた。
明日も18:42頃に投稿予定です。
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