第七二話 魂の真相
それまでの陸王と雷韋の様子が、全て銀色に輝く水盤に映っていた。
銀色の水盤は、神殿を作っているのと同じ、自ら発光する石で出来た卓上に彫り込まれた楕円形の窪みに水を満たしたものだった。自ら発光する石の影響で、水盤は銀色に輝くのだ。
龍魔が、これまで三人の様子を見ていたというのは、この水盤から見ていたものだ。
同時に、かつて陸王が放逐される際にも使われている。青蛇殿の巫女達が、陸王が放逐される姿をこの水盤で確認していたのだ。
室内は広く、円筒形の形をしていた。壁も床も天井も、白く光を放つ石で組まれている。そこに八本の柱が円を描くようにならび、その中心に水盤の卓があった。
「これが、今現在のあの二人の状況だ」
龍魔が水盤を挟んで、真正面から紫雲へ視線を向け直して言う。
「今の、二人」
紫雲が小さく鸚鵡返す。
それを耳にして、龍魔は言った。
「喰らう者と喰らわれる者だが、実に自然に一緒にいるだろう? これが対の力だ。互いの間にあるのは、絶対的な信頼と安堵。そして、失うことへの恐怖と不安。と言っても、今のお前には分からない感覚だろうがね」
どこか揶揄う風の龍魔の言葉に、紫雲は無言だった。
長い間、彼らの様子を見せられた紫雲だったが、やはり不思議でならなかったのだ。
雷韋のことだ。
万が一にも襲われるとは思わないのだろうかと。
陸王は紫雲からすれば、ただの魔族だ。いや、ただの、と言うには語弊がある。正確には高位の魔族だ。例え、神である羅睺の血を引くとは言え、陸王は神ではない。おそらく、堕ちた神である羅睺も魔族と同等だ。
他を圧倒する力を有しているだろうが、心が闇に堕ちて、それまで護っていた自分の妻でさえ殺そうとした。
更には、天慧の呪いも受けている。とすれば、羅睺は魔族の絶対的な王で、母親も堕天した魔族と同等の者と言っていい。
その二人から生まれた陸王は、魔族の交配摂理から言えば、高位の魔族として生まれ落ちたと言うことになる。魔族は親を凌ぐことは出来ないのだから、結果的にそうなる。
いや、紫雲も今は分かっている。陸王は高位の魔族ではない。『魔人』だ。高位魔族よりも高次元に存在する者だと言うことは。それでも魔に連なる者だ。
だというのに、雷韋は対と言うだけで陸王の側についた。この摂理が紫雲には理解出来ない。対だからそうなのか、と半ば訝しみながら理解するしかないのだ。
だが、紫雲の理解もそこまでだ。
四獣であるということはやはり信じられなかった。
「龍魔さん、彼らのことは無理矢理ですが、納得するしかないのは理解しました。ですが、彼らを含め、私も四獣の生まれ変わりであるというのは納得出来ません」
龍魔は紫雲の言葉に頷き、
「これだけならまだ納得がいかないと思ったよ」
そう言って、今度は水盤の中央に指先を軽く当てて波紋を生んだ。その波紋は銀色の水盤の中央から端まで伝わって、そのまま波紋が中央に返ってくるのかと思ったが、そうはならなかった。反射した波紋は端から四方八方に波を作る。
その不合理な反射に驚いて紫雲が水盤を見つめていると、陸王と雷韋の姿が水盤の中で滲むように揺れ動いた。一方から反射してきた波紋が二人の上を通過したかと思えば、そこには見たこともない一組の男女の姿が浮かび上がる。
その二人は丁度、陸王と雷韋と同じ位地にいた。
陸王のいる場所に映り込んだ浅黒い肌の男の顔には入れ墨を彫ったような文様があり、耳は獣の眷属のように尖っている。黒い髪は陸王のそれに似ているが、襟足がやけに長い。それに見たこともない衣装に包まれた胸元にも、入れ墨のような複雑な文様が浮かんでいた。体躯は陸王よりずっと立派だった。瞳は金色に輝いている。
雷韋の位地に現れた女は、雷韋と同じように横になっていた。髪は炎のように真っ赤で、これもまた雷韋と同じように高く結っている。目を閉じているから、瞳が何色なのかは分からないが、女の耳も尖っていた。眠りについているのか、女は安堵しきった表情を晒している。身に纏っているのは、服と呼んでいいか分からないほど露出が多かった。
男は精悍で逞しく、女は艶めかしく美しい。
その二人の姿が水盤に映ったかと思った次の瞬間には、再び別の方向から波紋が渡ってきて、次に現れたのは陽の光のように明るい球体と、暗黒のように暗い球体だった。それも、陸王の場所に明るい球体、雷韋の場所に暗い球体がある。その球体の大きさは、水盤の中に映っていた陸王と雷韋をすっぽりと覆うように大きい。
その不思議な像は、波紋が渡るたびに交互に現れる。
暫くその映像が流れたあと、龍魔がもう一度水盤の中央を浅く突くと、波紋はぴたりと収まった。
その途端、紫雲は龍魔に顔を向けた。
「今のはなんですか」
「あの二人の本性だよ」
「本性?」
「そう。魂の姿だ。あの二人の本来の姿だね」
「それはどういう……?」
困惑した紫雲の言葉に、龍魔は視線を俯けると答えた。
「陸王が別の男の姿に映っただろう? あれは神代の頃の姿、黒狼だよ。そして、雷韋は女の姿に映った。あれが赤獅。赤獅は女神さ。
赤獅は目を閉じていたから分からなかったかも知れないが、黒狼は金色の瞳をしていただろう? あれはね、神の瞳だからだ。神の瞳とはなべて金色なんだよ。
で、だ。伝え聞くところによると、黒狼と赤獅はとても慈しみ合っていたということだよ。互いに慈しみ合っていたからこそ、人族をも慈しんだ」
「あれが彼らの本来の姿だと?」
まるで信じられないとでも言うように、紫雲の声は固くなる。だが、龍魔は事実を示したと頷くだけだ。
「それでは、あの二つの球体はなんなんですか」
「あの二人の魂だよ」
龍魔の答えに、紫雲は怪訝そうな顔になるばかりだ。けれど、龍魔はそんなことを気にせずに続ける。
「陸王の魂は太陽だ。陰を含んでいない、純粋な陽。雷韋はその逆で太陰。陽を含まない純粋な陰だ。普通、人の魂は少陰と少陽だが、あの二人は違う。それに、今はまだ姿を隠すくらいの大きさでしかないが、この先、魂が力をつけて、それに伴って太陽と太陰も大きくなる。本来の大きさにまでね。ただの人族でならあり得ないことだよ」
「魂が大きくなるですって?」
紫雲はそれまでの怪訝な様子から一転、驚きの声を上げた。
対して、龍魔は当然といった風に言う。
「そう言うこともあるのさ、神の魂だからね。それに、あの二人は出会った。だから力をつけたり、魂が共鳴を起こすたびに魂の大きさも変化していく」
「そんな馬鹿な」
「馬鹿はお前だよ。お前も青蛇と出会ったら、同じように魂が大きくなっていくんだ。あの二人と違って、お前の魂は欠けているがね」
「欠けている?」
龍魔は困惑した風に言う紫雲の胸元に、人差し指を突きつけた。
「お前の中には僅かに陰が混じっているだろう? 自分でも朧に魂の形を感じるはずだ」
紫雲は言われるままに自分の胸元を押さえた。人は己の魂の形を朧に感じ取ることが出来る。龍魔に言われるとおり、紫雲はこれまでずっと己の中に僅かに陰を感じていた。だから当然、自分はただの少陰なのだと思っていたのだ。この世の人族の魂は全て陰と陽に分かれている少陰と少陽だ。だから、何もおかしくは思わなかった。
「紫雲、お前と青蛇が人族の魂を形作ったんだよ。シリアから聞いただろう? 四獣の魂は人族の魂の雛形だと。光竜が魂を陰陽に分けようと思ったのは、黒狼と赤獅のあり方故だ。だが、人族を地上に繁栄させたい。光竜は人族の生命を誕生させるに当たって、太陽と太陰だけでは駄目だと判じたんだ。二極しかないからね。だから光竜は、少陰と少陽のお前と青蛇の魂を手本としたんだ。全ての人族が少陰と少陽なのはそのせいだよ。僅かずつ陰陽の含有量を変えれば、無限に生き物に魂を与えることが出来る。これがシリアが話しかけていた、魂の真相さ」
龍魔の言には理屈があると思った。この世界にいる人族の魂がどうして陰陽に分かれているか。何故、少陰と少陽なのか。何故、対という存在があるのか。部屋で目覚めた紫雲にシリアが言ったことと合わせれば、全てに納得出来るだけの理屈が通る。
紫雲は胸元に当てた手で拳を作った。それと同時に視線も俯けられる。そこまで精密に生き物が作られているのかと、感嘆ともつかない思いを抱いたのだ。互いに慈しみあうための対。生命の数だけ存在する少陰と少陽。
だが、そこでふと思った。
では太陽と太陰とはなんだ、と。
陰も陽も含まない、純粋な陰と陽。
紫雲は龍魔を改めて見ると、問う。
「それでは、純粋な陰陽とはなんですか? 何故、そんなものが存在するんです。少陰と少陽があるのは分かりましたが、太陽と太陰は」
龍魔はその問いに、薄く笑った。
「太陽と太陰。混じりっけのない魂。これを魂としては完璧だと思うかい?」
「少陰と少陽よりは。欠陥がないのではありませんか?」
「それはとんでもない話だ」
言って、長嘆息をつくと話を続けた。
「この世で最も脆いんだよ。陰にも陽にも侵されていないということは、それだけほかの極に対して免疫がなく、脆弱で、壊れやすいってことだ」
「壊れやすい?」
「そう。だから、常に対を欲している。傍にいないと不安なんだよ。自分の対極が、自分以外の極に惹かれはしないかと。それは太陽と太陰の本能だね。本能でほかの極を警戒している。少陰と少陽とは違って、太陽と太陰って言うのはとても脆い、そう言う存在さ。それだけに執着も強い」
龍魔の言葉を聞きながら、自然と紫雲の中で、陸王と雷韋が今の魂の話と重なっていった。いや、陸王が教会の宿舎にやってきて、雷韋に近づくなと言ってきたのも、あれは奪われるかも知れないとの本能的な行動だったのかも知れないと思った。あれは警戒だったのだろう。
同時にあのとき、陸王に怒鳴った雷韋が垣間見せた危うさのようなものも、魂が構えている状態ということなのだろうかと思った。雷韋は雷韋で、陸王を護りたかったのだと言っていたが、多分、一方的なのが嫌だったのだろう。
雷韋自身はまだ子供だが、魂は陸王と対等なのだ。だから陸王に噛みついたのかも知れない。子供の癇癪にも似た不安定さだと思っていたが、実際は対等な魂として、魂の筋道を勝手に転がされるのが嫌だったのだ。
であれば、陸王の牽制は正しい。
雷韋の憤りも同じく。




