第六九話 歪んだ魂
これまで石化していた卵が、今になって孵化した。青蛇の新しい器として使われることになったのだ。元々青蛇が己の分身として産みだしたものであるから、青蛇の記憶そのものが卵には残っている。その記憶を眠りにつきながら、今生の青蛇は学習しているのだ。直に全ての記憶を呼び戻して、青蛇は目を醒ますだろう。青蛇殿の寝所にて。
「全ては光竜の考えの基に成り立っていることなんだよ。お前達の魂から種族、生い立ち全てに於いて、無駄なことは一つもないんだ。これまで、それぞれに苦しいことも多かっただろうがね」
「貴女は無駄なことは一つもないといいましたが、今までの話が全て無駄だとしたら?」
紫雲の訝しむ様子に、龍魔はくっくと喉を鳴らして笑う。
「疑っているんだね。当然だ。突然こんなことを言われて、いきなり『はい、そうですか』と全てを信じるわけにはいかないだろうからね。だから、少しずつ咀嚼してくれればいい。お前をちゃんと元の場所にも戻してやるよ。望むのなら、好きな場所に道を作ってやろう」
その言葉に紫雲は深い溜息をついて、目を瞑ってしまった。
だが、その表情も龍魔は気に入ったようだった。
紫雲が考え込み、龍魔が喉を鳴らして笑っている室内に、シリアが再び戻ってきた。その手には茶器が載った盆がある。
「お話はどこまですみましたか?」
優しい笑みを湛えて、シリアはカップにハーブティーを注いでくれる。そのカップを二人の前にそれぞれ置いてくれた。
「まだ全てを語ったわけではないが、概ね、予想通りの反応が返ってきている。……うん、いい香りだ。カモミールだね」
カップを口元に持ってきて、龍魔は満足げに言うと口をつけた。
それを見て、シリアは紫雲にも声をかける。
「白虎も、冷めないうちにどうぞ」
そう声をかけてきたシリアを見て、紫雲はうんざりといった態で言葉を返す。
「私の名は紫雲です。真名は教えられませんが。それ以外の何者でもありません」
「ですが、お話は龍魔殿から聞いたのですよね?」
シリアは悲しげに眉根を寄せて言う。それに対しては紫雲は頷いたが、お茶には手をつけなかった。
紫雲はシリアから顔を逸らし、龍魔の方を向く。
「望むのなら、好きな場所に道を作ってくれると言いましたね。それはどこへでも?」
「あぁ、どこへでも。この世界のどこにでも楔を打ち込んである。長い年月の賜で、全ての楔をはっきりと覚えているよ」
それは転移の術のことを言っているのだろうと、紫雲は思った。雷韋から以前、転移の術の話は聞いている。
「では、今すぐにあの二人のもとへ戻してください」
「陸王と雷韋のところへかい? 今戻ってどうする」
「魔族は殺さなければ。妖刀のこともあります。あれは私が破壊しなければならない」
そう言う紫雲の前で、龍魔はカップの中身を空にして、受け皿の上に戻した。
「話はまだ終わっていないよ。それに、お前の言う魔族というのは、雑魚のことではあるまい? 陸王のことだね。でも、あの子の一蹴りで死にかけたのに、まだ挑もうってのかい? 悪いが、あの子は強いよ。今のお前にどうこうするなんて、まず無理だね。まともに殺りあったら、十割の確率でお前は殺される。魔人である陸王は、高位魔族よりもっと高い次元の存在なんだ。修行僧といえども、人族が一人で上級魔族を殺せはしないのは承知しているだろう?
だがまぁ、それは光竜がなんとしてでも止めてくれるだろうがね。この世界を護らせるために送り出した魂に、潰し合いをさせるわけにはいかないからね」
龍魔は紫雲の目を真っ直ぐに見据えて、きっぱり言い切った。
実際、龍魔の言うとおり、紫雲は蹴りを入れられて死にかけたと言うのだ。紫雲自身はその時の状態がどれほど酷かったのか知らないが、記憶が寸断されているのは肉体に対する陸王の攻撃によるものだ。そのことは事実として、紫雲も捉えていた。
「紫雲、もう一杯お茶を飲ませておくれ。色々と一気に話したから、喉が渇いているんだ。そのあと、場所を変えて話の続きをしよう」
「まだ何か?」
紫雲は思いきり迷惑そうな顔をした。そんな紫雲に薄く笑みを見せて、龍魔はシリアが新しくお茶を注いでくれたカップに手を伸ばす。
と、そこで龍魔は思い出したように紫雲を見た。
「そうそう、一つお前に種明かしをしてやろう」
「種明かし?」
「雷韋がどうして離れた場所にいる陸王を捜し出せるかだ」
紫雲は思わず身を乗り出した。それはずっと気になっていたことだからだ。実際に雷韋は、陸王の居場所を捜し当てている。全く不思議なことに。
龍魔は小さく吐息を吐き出して、手にしたカップに目を落とした。
お湯色が薄く、林檎のような甘い香りが立つお茶を眺めながら、龍魔は陸王の魂に殻が被されているからだと言った。より魔族らしくあるようにと、真名が張られた殻だ。本来なら、陸王の魂には何も手を加えられていない状態の『黒狼の魂』が与えられている。だと言うのに、それに魔族の殻を被せたせいで、陸王の魂には僅かながら歪みが生じたのだと言う。その歪みを対である雷韋は感じているのだ。負の鬼族である雷韋には強い感応力がある。そのために、簡単に陸王の発する独特な歪みを感じることができるのだと。
しかも、その力は雷韋だけではなく、今はまだ眠っている青蛇にもあると言う。その理由も陸王と同じく、対である紫雲の魂が真名を張った人間族の殻を被って歪んでいるからだ。一度出会って気配を覚えれば、それ以降、紫雲がどこにいようと歪みを感じて捜し出せるのだと言う。
それを聞いて、紫雲は一度目を閉じて大きく息をした。それから再び龍魔に視線を戻して問う。
「その歪みというのを感覚で感じていると言うことですか? 少なくとも雷韋君は『気配の匂い』だと言っていました」
「そういうことだろうね。妾にはどんな風に感じられるのか分からないから、どう説明していいのか分からないがね」
紫雲はそれを聞いて、眉根を寄せた。
「気分が悪くなったかい? 自分には一切分からないのに、一方的に居場所が知れるんだから面白くないのは分かるけどね。でも、お前達はそう出来ている」
言って、お茶を飲む龍魔を見遣り、紫雲は小さく溜め息をついた。
正直なところ、これ以上、話を聞くのは勘弁願いたかった。とはいえ、こんなところに連れてこられて、話を拒絶することも今更出来ないのだろうが。
目の前で悠然とお茶を飲んでいる龍魔からも、紫雲は諦めを含んで目を逸らした。
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もう、すっかり夜は深くなっていた。
陽が落ちてからどのくらいになるか。
今夜は薪の代わりに最初から火影を使っていた。
その火影の暖色の明かりに照らされて、雷韋は陸王から分けて貰った干し肉の一枚を半分ほど残して、それを両の指先で弄んでいた。陸王自身は随分前に食べ終わっている。
陸王は食べかけの干し肉をいつまでも弄んでいる雷韋を無言で眺めていたが、やがて嘆息して話しかけた。
「食わねぇんなら、預かっておくが?」
どこか呆れたような声音に、雷韋ははっと顔を上げた。
「あ、いや。食うよ」
慌てたように、雷韋は干し肉を口に運んだ。乾燥して堅い肉を割るようにして噛み切ると、欠片を口の中に運んで奥歯でしっかり噛み始める。
その様は、肉を囓るのに一所懸命になっているように見えるが、なるべく声をかけられないようにするためにも見えた。
昼間、雷韋が陸王を捜し当てたときから、雷韋の様子はどこかおかしかった。陸王を拒否しないと大見得を切ったところから見て、今更その考えが変わったとは思わない。様子はおかしいが、そういう感じではないのだ。それなのに何かがおかしい。それに必要以上に喋らないようにしているようにも思えた。常なら放っておいても勝手にくっちゃべっているような雷韋の言葉数が少ないのは、どうにも引っかかる。精霊の唄さえ歌っていないのだ。
その様が、些か度が過ぎているので、陸王は肚を括って話しかけた。
「雷韋、お前どうにも様子がおかしいよな」
「ん~? あにが?」
口に干し肉が入っているので不明瞭な言葉になるが、その言葉自体にも陸王はわざとらしさを感じた。
「お前、何か隠してねぇか」
「ん~ん」
鼻で返事をして、首を大きく振る。
「嘘つきやがれ」
「あんでは?」
雷韋は少し不機嫌になって乱暴に返してきた。
「お前は単純だからな、分かりやすいんだ。何か隠しているだろう。言え」
そう言われ、雷韋は急いで口の中の肉を咀嚼して、なんとか飲み込んだ。
「別になんもないよ。たださ、紫雲、今頃どうしたかなってことくらいだよ。だって、放り出しちまったんだもん」
「怪我は治してやったんだろうが。だったらあとはあの場所から戻るか、それとも俺達を追ってここまで来るかのどちらかだろう」
「そうかも知んないけど、でも……、俺達のこと、捜し出せるかな?」
「んなこと知るか」
放り出すように陸王は言葉を放ったが、それが雷韋には面白くない。
「そう言うと思ったから何も言わなかったんだ。なんだよ。話すんじゃなかった」
陸王からぷいっと顔を逸らして、雷韋は残りの干し肉を一気に頬張った。もうこれ以上、何も話したくないという意思表示のように。
その雷韋の態度に、
「あぁ、そうかよ。勝手にしろ」
陸王は吐き捨てるように言い遣った。
すると雷韋は突然、顔を隠すように外套の頭巾を被って、横になってしまう。いつもなら陸王の方へ頭を向けて横になるのに、今夜に限っては足を向けて。それは完全に会話を拒否する態度だった。
陸王はそれを見て、尻でも蹴ってやりたい気分になったが、そこまで暇ではない。第一、実際にそんなことをするのも馬鹿らしい。腹立たしさに紛れて鋭い溜息をついたが、雷韋に対して何も言うことはしなかった。
本当に、勝手にしろと思うだけだ。




