第六三話 誕生
霧の結界を無効化するには、大地の精霊を使って神殿全体を覆うように取り込まなければならなかった。そうすることによって、霧の結界を無効化させ、新たな結界が出来たのだ。逆にそのせいで、結界に突っ込めば生命はなくなる。
エリューズにとってはそれでよかった。腹の子が助かるのなら、自分の生命は捨てられる。それが親だ。己の生命と引き換えにしてでも子供を護りたい。親なら、誰でもそう願う。自分が駄目でも子供さえ生きていてくれたら、思い残すことはないと。
「……お願いね」
エリューズは見えなくなった目を瞑り、微笑んだまま消え入るように言葉を零して、そのまま呼吸を止めた。
その友の姿に、龍魔はエリューズを強く抱きしめた。
集まっていた巫女達も悄然としている。
だがその時、籠もった嫌な音が響いた。何かを裂くような音だ。
はっとして、龍魔は友の亡骸を見下ろした。
また籠もった音が聞こえる。
気が付いた時には、エリューズの膨らんだ腹の部分に血の染みが広がっていくところだった。腹は唯一傷ついていない場所だったのに、そこが血で汚れている。
龍魔はエリューズの身体を地面に横たえ、慌てて血で汚れていく腹の部分の布地を引き裂いた。するとそこには、内側から穴が開いていた。その穴を大きく引き裂くように、腕が現れる。
赤子の腕だ。
それが内側から少しずつ外界へ出ようとしているのだ。片方の腕が出て、もう片方の手を腹の肉に引っ掛ける。次の瞬間、肉が引き裂かれて、中から血に塗れた赤子が大きな泣き声と共に現れた。
腹の中から這い出してきた赤子は、エリューズの血を纏って真っ赤だったが、瞳も血と同じ色をしているのに龍魔は気付いた。一番傍で見ているのだ。誰よりもはっきりと、自力で生まれてきた赤子を目にしている。
「目が紅い。やっぱり魔族……」
そんなことをぽつりと呟いたのはリースだった。はっとして声の方を見ると、巫女達の顔には一様に嫌悪の表情が表れていた。
誰の目にも、どろどろとした忌避感が含まれている。
そんなものを目にして、龍魔はこの赤子はやはり忌むべきものなのだろうかと胸の中で反芻した。視線をもう一度、叫ぶように泣きじゃくっている赤ん坊に向ける。母親と同じく、その子も全身が血で真っ赤で、瞳も魔族の系譜を表すように紅い。
けれど龍魔にとってはこの子は何かが違った。決して忌むべき者ではないと思ったのだ。この世に生を受けてより八〇年間、母親の腹の中に封じられていた。
その間、父親と母親から受け継いだ力がどこにも吐き出せずに、自家中毒のように己に回ってきていただろう。
母親が死んでそれでやっと封印が解け、自力で這い出してきたのだ。
そうやって生まれるしかなかった。
母親には生んでやれるだけの力が残っていなかったのだから。
この生まれを責められるだろうか。龍魔の中では『否』だった。皆はおぞましく思っているだろうが、龍魔からしてみれば、ただただ可哀想でしかない。自分で這い出さなければ、腹の中で死んでしまったことだろう。
この子は、こういう生まれ方しか出来なかったのだ。
全ては不可避だ。
龍魔は、まだ身体の半分が腹の中にある赤子を両手で抱き上げて、完全に身体を引っ張り出してやった。腹の中から引き摺り出された赤子の腹には、当然ながら臍の緒が繋がっているままだ。だから龍魔は自分の服が汚れることも気にせずに、膝の上に赤子を横たえてから臍の緒を噛み切った。
だが、その様子を皆はおぞましそうに見ているばかりだった。それでも龍魔は気にしない。それどころか赤子を抱き上げて、その柔らかな頬に頬ずりをした。
「陸王。あんたの名は陸王だよ」
言って、泣き続ける赤子を龍魔は優しく抱きしめた。
青蛇殿で護ってやれるのは、最早自分しかいないのだと思い定めて。
結局、巫女を罰することは立ち消えとなった。それどころではなくなったからだ。
それに、エリューズを追ってきていた堕天使達の姿もいつの間にかなくなっていた。
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青蛇殿の巫女達は、誰一人として母の腹を割いて生まれてきた陸王に近寄りもしなかった。そのため、赤子の頃からずっと龍魔が世話をしてきたが、その龍魔も体調を崩すことが往々にしてあった。
原因は陸王が発する魔気の影響だ。
魔気は目にも見えず、匂いもない。だが長時間当たれば、間違いなく人体に悪影響をもたらす。魔族が発する瘴気はつまり『呪』であり『毒』なのだ。長い間、魔気に冒されていると、体調不良を起こす。それだけにとどまらず、精神に異常を来すことすらある。
当然、龍魔も魔気に冒されて意識を失ったり、体調を崩したりということがままあった。
それでも友人に託された大切な生命だ。決して陸王から目を離すことはなかった。それどころか陸王につきっきりで、光竜殿にさえ出向くことがなくなった。
その間のことは、全て光竜殿に任せっきりになったが、光竜殿から定期的に報告は来ていたのでそれで問題はなかった。
そうして陸王を赤子の頃から育ててきて、陸王は龍魔を本当の母親のように思い、よく懐いた。そこに目をつけ、龍魔は陸王が小さな頃から、無理をさせすぎないようにではあるが、少しずつ魔気を抑える術を身につけさせた。物心つくより前からだ。いいも悪いもよく判断出来ない頃から、陸王は己の力を制御するよう躾けられたのだ。
それは面倒を見る龍魔のためではない。陸王を人として生かして欲しいという、エリューズの想いを汲んでのものだった。
だから物心つく頃には、完全に魔気を抑え込めるようになっていた。
だが、それも短い間のことでしかなかった。
成長するうちに力も増し、陸王の内側で渦巻いていた力が自然と発されるようになっていったのだ。精神的に落ち着いている時ならばよい。しかし傍に龍魔がいない時や傍にいても感情が大きく揺れることがある時など、力が暴走するようになった。ほんの少し龍魔が傍から離れただけで、部屋の調度品を全て壊してしまうことも幾たびかあった。
そんな陸王の傍には龍魔以外、誰も好き好んで近寄らない。生まれてこなければと思う巫女もいたくらいなのだ。それを口外するしないに関わらず。おそらく巫女達は皆、そう思っていたはずだ。
それこそ、陸王が生まれた瞬間から。
力の制御が徐々に効かなくなっていってからは、本格的に部屋には誰も近寄らなくなった。
しかし龍魔自身、懐く陸王を酷く可愛いと思っていた。母親のエリューズが与えるはずだった愛情を、龍魔が代わりに精一杯与えて育てた。それこそ、目に入れても痛くないと言うほどに。
とは言え、甘やかしていたわけではない。躾はきっちりした。読み書きは物心つく前から教えたし、食器の扱い方なども教えた。食べ物に至っても、人の食べるものを与え好き嫌いはさせなかった。そういった教育は、全て人族の世界で生きていくためだ。
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陸王が生まれてから五年の月日が経った。その日は陸王が生まれた日だった。
母、エリューズが亡くなり、その腹を引き裂いて陸王が姿を現した日だ。陸王が生まれてから、毎年その日に龍魔は陸王を連れて庭園へと行く。
エリューズが亡くなった場所、同時に陸王が生まれた場所へ行くために。
陸王を連れて歩いていると、途中で出会す巫女達は陸王を蔑みの目、忌み嫌う目、忌まわしいものを見る目で見てきた。しかし龍魔は、そんな目を向けてくる巫女達を無視して堂々と廊下を歩いた。胡乱な眼差しを向けてくる巫女達を咎めもしない。そこに巫女達はいるが、いない者として扱ったのだ。当然、陸王にも常日頃から言い聞かせていた。
誰がお前を見下しても、お前は堂々としていろと。
それでも子供はやはり、自分に向けられる好悪の感情を察してしまう。
そのせいか、陸王は手を繋いでいる龍魔の手を強く握ってきた。その強さに、不安なのだろうと龍魔は思った。だから力付けるように、龍魔も繋ぐ手に力を入れてやる。その際、陸王の方をちらと見た。目を向けると、陸王が見つめてくる。周りの目を気にして、龍魔を見上げていたのだ。そんな陸王に、龍魔は優しく微笑みかけてやった。すると陸王も、うん、と小さく頷きを返してくる。それがなんとなく二人だけに通じる無言の言葉に思えて、龍魔も頷いて返した。
庭園に出て、小さくはあるが石塔のあるところまで行った。
これはエリューズのために建てた石塔だ。そこで毎年、龍魔はエリューズに陸王の成長を報告している。
しかしこれは石塔であって、墓ではない。神殿内にエリューズの墓はないのだ。墓は外の世界にある。迎賓館のある村の墓所へと埋葬されたのだ。
それは、青蛇殿はエリューズと関わりを持っていないという意味を表してのものだ。もし羅睺が欲しければ、遺体は返してやるといった意味も込めて。
結果として、エリューズを埋葬してから程なくして、彼女の遺体は何者かに持ち去られた。羅睺の意を受けた堕天使か、魔族が持ち去ったに違いない。
だから、墓としての体裁は村にあるものの、本当の意味での墓ではないのだ。
龍魔は石塔に触れながら、亡き友に語りかけた。
「エリューズ、今日で陸王も五歳になった。これまで色々大変なことはあったが、楽しい日々だったよ。これからも変わらずに過ごすと思う。お前が心配していることは分かっている。力が感情に左右されることはあるが、陸王は人と変わらずに生きているよ。この子は魔族じゃない。大丈夫だ」
穏やかに笑みさえ含みながら報告をすると、陸王の視線を感じて顔を向けた。
「どうしたんだい?」
問うと、陸王は眉を八の字に下げて言ってきた。
「お母さんは、ここで死んだんでしょう?」
幼く拙い声で問うように聞く。
龍魔は思わず笑うように息を零した。
「そうだね。お前のお母さんは、お前を生命懸けで護ってここで死んだ。それを幾度か話したね」
事実を言ったが、龍魔の言葉を耳にして陸王の視線が伏せられる。
「なんだい? 何か気になることでもあったかい?」
「……僕が、殺したの?」
酷く悲しげに口にした陸王を見て、龍魔は驚いて途端に険しい顔になった。すぐに陸王と目線を合わせ、その両肩に手を乗せる。
「妾の目をご覧。これまで妾はお前に何度も言ってきただろう? お前のお母さんは、お前を護って死んでいったと。最後までお前のことを案じていたんだと。本当ならお前は妾じゃなく、お母さんとここで幸せに暮らしていたはずさ。でも悲しいことに、お母さんには時間がなかった。お前を生んでやる力も残されていなかった。でもお前を護りきったんだ。
これを聞くのは辛いことだろうが、お母さんが亡くなって、お前はお母さんのお腹を割いて自分の力で生まれてきた。だけどそれは、お前が生きるためには仕方がなかったんだ。お母さんもそれは覚悟の上だった。お前の『陸王』という名前も、お母さんがつけてくれたんだよ。もしお前が生まれてこなければ、お母さんはきっと悲しんだと思う。勿論、妾も悲しんだ。どんな生まれ方をしようと、お前がお母さんを殺したわけじゃない。分かったね?」
龍魔は陸王の懸念を晴らすように、いつになく厳しい物言いをしたが、陸王の顔は晴れることはなかった。晴れることなく、陸王は逆に問い返してきた。
「龍魔、『いみご』って何?」
「いみご?」
『いみご』と問われ、龍魔もすぐには分からなかった。が、数瞬ののち、『忌み子』だと理解した。
意味はそのまま。
『忌まわしい子供』『忌み嫌われる子供』の意だ。




