三人三様の当事者 一
なんとか村の中央部にある酒場兼宿屋に辿り着くことが出来た。
部屋は村の宿とあって大部屋だったが、取り敢えず八つある寝台の一つに雷韋を寝かせる。そのあと陸王と紫雲は交互に食事を摂り、宿で扱っている保存食などの食料品も多めに買い求めた。
これから先も保存食頼りになるが、今日の久々のまともな食事は胃の腑に沁みた。お陰で満足感は高い。そのせいか、窓辺に椅子を置いてそこから外の様子を眺めていた陸王だったが、午後の心地よい日差しも手伝って眠気が兆していた。紫雲に至っては雷韋の眠っている寝台脇に置いた椅子で、うつらうつらと船を漕いでいる始末だ。
皆が皆、それぞれに疲れているのだ。
道なき道を雷韋の先導によって、水脈だけを頼りに歩いてきた。何が起こっても、全て己の手でなんとかしなければならない。この二週間、ずっと緊張の連続だった。いつ妖刀と、あるいは魔族と遭遇することになるかと、気を張り続けてきた。皆、同じ思いだ。
陸王は窓から外の様子を窺いつつ、今こうして村の宿にいると思えば、それだけで緊張の糸が切れてしまいそうで怖かった。己の中で張っている糸が切れてしまうのだけは、どう考えても拙い。緊張の糸が切れてしまう前に、できるだけ早くここを離れるべきだと思った。
この場の全員のためにもならない。
外の様子をずっと眺めていたが、特に異変は見られなかった。陸王は思い立ったように背筋だけを伸ばして小さく伸びをすると、椅子から立ち上がる。雷韋を起こそうというのだ。
陸王の近づく気配に、船を漕いでいた紫雲が目を醒ます。
「陸王さん、どうしました?」
「雷韋を起こす。雷韋、起きろ」
問答無用に陸王は雷韋の頬を軽く張り始めた。その手を紫雲が慌てて掴む。
「何故です。雷韋君は眠ったばかりでしょう。今、無理に起こしてもいいことはありません。疲れているんですから、もう少しそっとしておけませんか」
「陽のあるうちにこの村から出る。飯を食わせるには、もう時間がぎりぎりだ」
「何もそんなに急ぐことはありません。どうしたんです、急に。今まで現れなかったものが、今夜に限って現れると思いますか?」
陸王はそれを聞いて舌打ちした。
「お前の緊張の糸は切れちまったようだな。そんなにぬるま湯が恋しかったか」
「どういう意味です」
紫雲は僅かに気色ばみ、低い声音で言った。
「どうもこうもあるか。人里に出て、そこから動きたくなくなったんだろうと言っている」
「そんな風に私のせいにしないで頂きたい。雷韋君さえ目を醒ませば、すぐにでも行動を起こします。ですが今は、雷韋君の状態を考えようと言っているんです。見なさい、雷韋君を。こんなに疲れ切っているじゃないですか」
その言葉に、ちらと雷韋を見遣ると、雷韋の顔色は真っ白な紙のようだし、頬も心なしか痩けているようだ。そして、目の下には隈が。
疲れ果てているのは一目瞭然だった。
陸王はほんの僅かな間、難しい顔をしたあと、肚を決めたように言う。
「なら、俺一人で出る」
「貴方一人で? 一体どこへ行こうと言うんです」
「さてな。だが、雷韋には俺の居場所が分かる。あとから追って来い」
「それはどういうことですか」
「そいつは雷韋に聞け。俺にもよく分からんのだ」
そこで一旦言葉を切って、更に続けた。
「兎に角、妖刀も魔族も核を目指して動くはずだ。そいつを俺は持っている。ここにいると、村人を巻き込むかも知れんからな。だから先に俺が一人でここを離れる」
「危険です。もし、一人の時に妖刀を操る魔族が現れでもしたら」
「その時はその時だ。なんとかするさ。以前、戦場に湧いた魔族の群れを殲滅したこともある」
なんでもないことのようにそう言って、陸王は未だ掴まれていた手を振り払う。出る準備を始めたのだ。
「陸王さん、本当に行くつもりですか?」
紫雲が心配そうに問うと、陸王は頷く。
「あぁ。ここで面倒が起きるのはそれこそ面倒だ。お前は雷韋とあとからゆっくり来い。俺も妖刀も逃げねぇさ。と言うよりも、俺のところに全てが繋がってんだろうからな。厄介だが」
紫雲は陸王が旅装を整えて、彼が「じゃあな」と部屋の扉を開けたときになって再び口を開いた。
「陸王さん。貴方は何者なんですか。魔族が誰かを標的にして襲うことは普通ならあり得ません。あれは突然湧いて、喰らうものを喰らったら去って行くだけです。私たち修行僧が滅するまで。なのに、奴らは貴方を標的にしている。妖刀もその為に創られたと。貴方は一体何者なんです」
言われて、陸王が扉を閉め際にちらと紫雲に目を向けた。
「俺が知りてぇ」
その言葉と共に、陸王の姿は扉の向こうに消えた。
陸王を見送り、紫雲は重たい溜息を吐き出した。
紫雲には何が何やらさっぱりだった。
**********
陸王は、村から離れて林から森へと入った。
森に入ってから陽はどんどん傾き、あっという間に夜になってしまった。どこへという宛てもないが、それでも進んだ。これまでは夜は魔族の時間だと言って夜の移動は控えていたが、陸王一人ならそんな気遣いも無用だ。一般人もいない。だから好きなだけ、好きなように歩いて行ける。
いや、それとも少し違う。
村から少しでも遠ざかりたかったのだ。関係ない者を巻き込みたくないという思いは、これまで同様、陸王の中に一貫してあった。
だから真っ暗な中に、根源魔法の光の球を浮かせて歩いているのだ。
例え、一歩でも半歩でも村から離れるために。
森の中、空を見上げてもそこにはなんの光もなかった。木々の切れ目からは真っ暗な空がただ覗く。
曇天なのだ。だが、月の昇り加減は分かるため、方角や今の時刻も大体判断出来る。空に星も月も見えないが、陸王には肌感覚で月がどの辺りまで昇っているのか、傾いているのかが分かるからだ。
それもこれも、陸王が魔族だから。しかも高位の、生まれながらの魔族だ。
魔族に月の位置や状態が分かるのは、月に影響を受ける種族だからだ。魔族は夜の太陽とでも言うべき月の満ち欠けに影響を受けて、凶暴になったり凶暴さが抑えられたりする。今夜は丁度、半月だ。だが、上弦の月だった。これから夜ごとに月は満ちていく。満月に近づけば近づくほど、魔族は本能に忠実になり凶暴化する。
満月の晩は、魔族が一番力を発揮できるときだ。
満月になると、魔族は血湧き肉躍る。
だが、陸王は上弦の月も満月も嫌いだった。己の中で、長い年月をかけて飼い慣らしてきた魔族の本能が暴れようとする。そんなときは、いつも傍にいる雷韋を傷つけたい衝動に襲われた。
そんな事は間違ってもしないが。
長い間、独りだった陸王にとって、雷韋は全てだ。その雷韋相手に本性を現して、己の正体を知られるわけにはいかない。
陸王はずっと独りきりだった。温かい記憶はほとんどない。物心ついたときから冷たい目で見られてきたのだ。ただ、ほんの一時だけ温かいときもあったが、それも灯火が消えるように失われてしまった。
奪われたのだ、魔族に。
何もかも。
だから今度はそうはさせない。
それにしても、魔族がどうして自分を狙うのかが分からない。天使族を喰らえるという話だったが、陸王一人のためにどうしてそこまでするのか? そもそも本当に天使族を捕らえているのかも怪しいのだ。
天使族は天界にいる種族だ。しかも、この世界とは次元の壁で隔てられた異空間に住んでいる。地上から天界へ行くことは天使族以外には出来ない。例えば、天から堕とされた堕天使には不可能だ。堕天した者だからこそ、昇る資格を奪われている。そして大概が、上位か高位の魔族に転化するのだ。だから上位や高位の魔族は天使族や堕天使を襲わない。根が同じ、つまりは同族だ。喰らいもしなければ殺しもしない。
それでももし本当に天使族を捕らえたと言うのであれば、中位から下の魔族と言うことになる。
しかし、それもおかしな話だ。
天使族には神聖語や神聖魔法がある。魔族を縛めるための言葉と魔術が。それを考えると、中位や下位の魔族が天使族を捕らえることなど到底無理な話だ。と言うよりも、不可能だ。絶対的に天使族の方が格上なのだから。
天使と同格なのは、上位や高位の魔族であって、それ以下のものは圧倒的に力が劣る。
明日も18:42頃に投稿予定です。
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