第五〇話 当事者
皮肉げに肩を竦める陸王に対し、憂慮を見せたのは紫雲だった。
「そうなのかも知れませんが、怪我の一つも負っていないのは……」
「そんなに気にすんなよ。侍の剣技はこの世で最高だって言うだろ?」
雷韋は気易く言って、紫雲の胸をとんとんと軽く拳で叩いた。それから陸王に顔を向ける。
「陸王はここで何してたんだ? あんたの足なら、もうちょっと先まで行ってるかなぁと思ったけど」
「お前らがあとから来ることも分かっていたし、昼間より夜の方が魔族も動くと思ってな。ここより少し先で身体を休めてた。ここまできたのはお前らの声が聞こえた気がしたからだ」
「じゃあ、結構丁度よかったんだな。あんたが休んでてくれたお陰で、合流することも出来たし」
「まぁな」
「そんじゃ、合流したってことで早速しゅっぱ~つ、……と言いたいとこだけど、少し休ましてくんね?」
片腕を振り上げて、下ろす前に急に力なく言う。
「それは構わんが、どうした」
「ん、俺と紫雲、ほとんど休みなく走ってきたからさぁ。駆け足だったから、食うものも食わなかったんだ」
「あ? お前、いつ起きた」
陸王が怪訝そうな声を出す。
「今日の朝。一時課(午前六時)の鐘で目が醒めたって感じ」
「宿で飯は食わなかったのか?」
「食ってねぇけど?」
「馬鹿が。折角まともな食い物が食える機会だっただろう。何してやがる」
陸王が呆れ半分で言い遣る。
「んなこと言ったって、あんたのこと心配だったし、実際、魔族にも襲われてたじゃん? あんたに何かあったら、俺だって困る。だから、大急ぎできたんだ。んなわけで、朝も昼も食ってない。荷物袋の中には干し肉の束が入ってたけどさ」
「あぁ、そいつは俺が入れといたんだ」
陸王は呆れた風に髪を掻き上げて言う。
「うん。だからさ……」
そこまで言って、雷韋はその場に座り込んだ。そして続ける。
「今、ここで食おうかと思って。休憩も取りたいし」
ほら、あんた達も座れよ、と言いながら、雷韋は腰に提げた荷物袋の中から干し肉の束を取り出した。
紫雲はその言葉に、肩から力を抜く。陸王と合流できた上に、雷韋が不満も言わずにいつも通り干し肉を囓り始めたのを見て気が抜けたのかも知れない。雷韋に続いて腰を下ろした。
まだ突っ立っているのは陸王だけだ。座った二人を呆れ顔で見ている。
その陸王の眼差しを無視するように、
「せっかくのまともな飯の機会だったけど、やっぱ急いで追っかけてきてよかったと思う。夜に魔族が出たってことは、ここら辺にもなんか出るかも知んないし。昨日は弱い魔族だから助かったけど、今夜はどうなるかな?」
雷韋は干し肉を囓りながら、真剣そうな声音で言った。
陸王も嘆息をつきながら、その場に腰を下ろす。紫雲も早々に干し肉を囓りだしているし、陸王も荷物の中から干し肉の束を引っ張り出した。
僅かばかりの間、場がしんとなった。それぞれが堅い干し肉を囓っているからだ。雷韋が喋らないと、やはり場が静かになる。陸王は特に話したいと思うこともないし、雷韋に話しかける用事もない。紫雲に対しては、なるべく口を開きたくない心境なのは変わらない。それどころか、紫雲とは必要最低限でいいと思っている。特段、話したいことだってない。陸王と紫雲の間で共通しているのは、妖刀だけだ。ほかには何もない。
「なぁ」
と、突然、雷韋が声を上げた。口の中にはふやかしている最中の干し肉が入っている。
「なんだ」
突っ慳貪に陸王が答える。
「魔剣ってさぁ、陸王の持ってる核に引かれてこっちに向かってるんだよな?」
「そのはずだ。妖刀を操る魔族は、仲間だと勘違いしているかも知れんが」
「じゃあ、魔剣を持ってるのは人間なのかな? それとも魔族なのかな? 魔剣を操る魔族がいるって言ってたろ? どっちが持ってくるのかな? それによっては戦い方も変わってくると思うし」
その疑問に答えたのは紫雲だった。
妖刀を所持しているのは人間だろうと。
これまでずっと人間が所持し、精気を抜かれて干からびた屍が見つかっている。
発端は、イアークの王都にある大聖堂でミサを行っていた時だったという。
ミサで人々が集まっている中に、妖刀を手にした男が現れ、大勢を傷つけた。刀傷そのもので死んだ者も多かったが、傷自体は小さく軽傷者の中にも何故か死に至った者達がいたのだ。
当初、使われたのがまさか妖刀だとは思わなかったらしいが、怪我を負った者達の傷口が腐っていたことによって初めて呪われた器物で襲われたのだと気付いた。妖刀と判別出来たのは、目撃者の証言からだ。その時には既に凶刃を振るった男の姿はなくなっていたが、各地の寺院から修行僧が集められて、妖刀消滅の命が下されたのだ。
「妖刀が初めてイアークの王都に現れたときから、ずっと人間の身体に持たせていましたから、今更それをやめるとは思えません」
「そっか。ミサの中に乱入したんだ」
雷韋が小さく呟いた。この話はこれまでになかったからだ。雷韋が聞いていた範囲でも、ただ『恐ろしいことが起こった』としか聞かされていなかった。
ミサの最中に妖刀を持った人物が紛れ込めば、その場に集まっていた者達はただではすまないだろう。それで多くの者が死んでいったのだ。そこで妖刀の行方を追い、破壊せよとの命が下された。
それは容易に考えつくことだった。妖刀もイアークから西へ向かっているということは既に聞かされている。今この瞬間にも、妖刀は陸王の持っている核を目指して移動しているはずだ。
浅はかな魔族が意識を飛ばしてくれたお陰で、黙っていても妖刀や妖刀を操る魔族が近づいてくる。
妖刀の狙いは陸王だ。妖刀は陸王を殺すために創られたという。何故そんなことになっているのか知れないが、陸王は知らないうちに当事者になっていた。
当然、陸王に何かあれば、雷韋の生命にもかかわってくる。だから、雷韋も当事者だ。そして修行僧として命を下された紫雲が当事者であるのは、尚更、当然のことだった。妖刀を滅することそこが紫雲の役割なのだから。
それらを頭の中で再確認して、陸王が言う。
「こっちも向こうも互いに動いている。いい加減、出会してもいい頃だと思うんだがな」
「人が持ってるとしたら、やっぱりそれって人間族だよな。持ってても精気が奪われるんだから、今頃どうなってるかな? なるべくなら助けてやりたいんだけど。精霊魔法でならきっとなんとかなる」
雷韋が陸王に続けて言った。
「ですが、その前に妖刀を手放させなくては。まずは人と妖刀の間に結ばれている呪いの解呪からですね」
紫雲の言うのに、雷韋は頷いた。頷いて、紫雲に問う。
「解呪は俺とあんた、どっちがする? 俺は大地の精霊魔法で、あんたは神聖魔法だろ?」
「そうですが、その時の状況によりけりです。妖刀を持ったままで、相手が大人しくしてくれるはずもありませんし」
「うん。だなぁ……」
雷韋が干し肉を咥えながら天を仰ぐ。
その時にはもう、空に夕焼けは見えなくなっていた。天空は深い紺色に染まり、星が散りばめられている。
「そうだなぁ。俺も暴れてる奴を解呪するなんてやったことない。動いてたらきっと駄目だろうな。紫雲も無理だよな?」
「えぇ。動き回られていると、標的を定められませんから」
「んじゃあ、動きを封じるか。精霊魔法でならやりようがあるし。そのあとに神聖魔法がいいかな?」
「動きを封じてくれるのならばいくらでも。なので、今はまずそういうことにしておきましょう」
「いや、必ずそうしてくれ」
「どういうことです?」
紫雲が不可思議そうに雷韋に問う。雷韋は困惑したような紫雲の眼差しから逃げるように視線を外した。
「二つの精霊力を同時に使うこと、まだ出来ないんだ。きっと相手を拘束するときは、植物の精霊魔法を使うことになる。そんで、解呪するときは大地の精霊に頼らなきゃならない。だけど、今の俺には違う種類の精霊力を同時に使うことは出来ないんだ。もう一つが火の精霊ならよかったんだけどな。俺の守護精霊だから、どんなことでも出来る。根源魔法と精霊魔法とかの二種類の魔術なら同時に使えるんだけどさ」
紫雲は、雷韋が言った言葉に二、三度頷いてみせた。
「ごめんな。俺にもう少し力があれば、俺一人でもなんとか出来たんだけど」
「いいえ。そんなことはいいんです。君が動きを封じてくれるのなら、その隙に私が神聖魔法を使えばいいんですから」
そう言って、紫雲は雷韋に小さく笑って見せた。雷韋も微苦笑を浮かべる。
その雷韋の顔色は、昨日と比べると随分よくなっていると陸王は思った。血の気が失せて真っ白だった肌に、健康的な血色が戻っている。宿に置いてきたのは正解だったかと思った。
あのとき無理に起こして連れ出していたら、こんなに元気な姿にはなっていなかっただろうと。だが、雷韋を回復させるには紫雲の協力が必要だった。陸王と雷韋の二人だけであったら、おそらく雷韋を無理矢理連れてきただろうからだ。いくら雷韋があとを追ってこられるとしても、とても一人にしてはおけない。だから腹立たしいが、紫雲の協力に感謝しなくてはならなかった。
本当に、どこまでも腹立たしいが。
そんな気持ちを抑えて、陸王は雷韋に声をかけた。
「雷韋、調子が良さそうだな」
「うん? うん、いいよ。すっげぇ寝たからな。でも、朝も昼も食わなかったから腹減ってるけど」
苦笑いで答える。
「宿で食ってこなかったお前が悪い。その分は干し肉で我慢するんだな」
「分かってる。でも、まだ先も長いのかも知んないから、節約しなきゃな」
半ば気軽に、半ば真剣に雷韋は言う。
「もう少し休んだら、この先へ行くぞ。いい加減、出会してもおかしかねぇんだ。だから俺は昼のうちに休んでおいた」
「なんだ。いつもみたいに夜は移動しないと思ってたのに、するんだ」
「寝る時間はちゃんとやる。その代わり、その前に少し捜索だ。夜中のこともあるしな」
陸王の言に、雷韋は頷いた。
それぞれに食事を摂ってから移動することになったが、目的地のようなものはない。妖刀を探して、森の中を東に移動するだけだ。今夜は月と星が出ているので、木々の切れ目にそれを確認しながら進む。陸王には月の出方で、方角や時間が分かるからだ。
打って変わって、雷韋と紫雲には方角も時間も分からない。それでも二人は黙ってあとをついてきた。
だが結局、今夜も妖刀とも魔族とも出会すことはなかった。
陸王は月が中天をすぎた頃になって、足を止めた。時間にして、夜半課(午前零時)に近い。闇が深くなればなるほど魔族も動くかと思ったが、それがいいことか悪いことかは分からなかったが、魔族どころか魔物でさえ今夜は現れなかった。




