第四九話 陸王と気配の匂い
動物のように匂いを嗅ぐようにしている雷韋へ、紫雲は声をかけた。
「何をしているんです?」
「陸王の気配の匂いを探してんの」
「気配の匂いとは?」
不思議そうな顔で問うも、当の雷韋は真剣だった。
「言葉の通りだよ。気配が匂うんだ」
そう言われても、紫雲にはぴんとこない。言っている雷韋にだって、わけが分からないのだから、それは最早分かりようも説明しようもなかった。
とにかく、匂いがあるのだ。そうとしか言えない。
その気配の匂いを空気中に求めて、雷韋は宙を探し回る。
と、かなり薄くはあるが、知っている匂いがあった。
匂いと言うよりも感覚といった方がいいのだろうが。
「紫雲。陸王のいる方角がなんとなく分かったぞ」
「本当に?」
「間違いない。これは陸王の気配の匂いだ。すんごく遠くにいるみたいだけど、なんとか追っかけるしかない」
「君に陸王さんの居場所が分かるのなら、案内してください。彼は私にはどこへ行くともなんとも言っていなかったので」
「ん。こっち」
言って、雷韋は方角としては北東の方向へ向かったが、間に畑があるので畑を避けるようにして進んでいった。
畑が終わると、その先には林が待っている。
林がいつの間にか森に変じた。
雷韋は森に入ると、時折立ち止まっては空間の匂いを嗅ぎながら進んで行った。
その途中で紫雲は雷韋に尋ねる。
「本当に陸王さんはこっちに?」
「うん、間違いねぇよ。この先からずっと陸王の気配が匂ってきてる」
「その『気配が匂う』というのがよく分からないんですが」
「ん~、感覚だよ。それ以上は俺にもよく分かんね。とにかくさ、気配が匂ってるんだ」
「はぁ」
雷韋にもよく分からないことが紫雲に分かるはずもなく、とにかく二人は歩き続けた。正確には雷韋が陸王の気配を辿って進むのに、紫雲がついて行っているという感じだが。
**********
もう陽も暮れようかという頃だ。
木々の合間から覗く空は真っ赤に燃えている。それに比して森の中は暗くなっていた。
ついさっきまで休んでいた場所を振り返りながら、陸王は根源魔法の光の球を顕す。
陸王は昼下がり辺りからついさっきまで、浅い眠りの中にいた。魔族が動くとすれば、夜が相応しいからだ。
別に魔族が昼間を苦手としているわけではないが、やはり月が昇っている方が身体は動きやすい。
月は魔族を支配しているものだからだ。
だから陸王も気を抜けば、魔族の本能を月の下に晒してしまいそうになる。一番現れ易いのはやはり紅い瞳だろう。
常には濃い血の黒い瞳だが、それが鮮血の色になりそうになる。
上弦の月と満月は、その可能性を僅かながら上げてしまうものだ。ただ、陸王の場合は高位故に、簡単には魔族の性を現したりしないが。それでも夜は、昼間に比べれば動きやすくはある。こればかりは生物としての本性だからどうしようもなかった。
そんなことをつらつらと頭に思い浮かべながら、先を急ごうとした。
と、そこではっとする。人の声が聞こえた気がしたのだ
暗くなって行くばかりの森の中に光は目立つ。陸王はそれを握り潰した。
途端、声変わりもすんでいない少年の声が聞こえた気がした。雷韋か? と思うも、似た別の誰かかも知れないと緊張が走る。近くに人の住んでいそうな気配はなかったが、森を抜けたら村があるのかも知れない。
雷韋を置いてきたあの村のように。
と、また微かに声が聞こえてきた。その声は、どうやらこちらに近づいてきているようだった。声の聞こえた方向を見てみると、木々の合間に灯りが見える。
その光はまだ遠くに小さいが、根源魔法の光の球のようにはっきりと明るい。少なくとも、松明の明かりでないことは確かだった。
雷韋と紫雲が追いついてきたのかと、足を進めてみる。ただし、こちらは明かりはつけない。うっかり人違いであったらまずいからだ。昨夜のこともある。魔族と出会したりなどあれば、巻き込んでしまう。
今のところ、互いに誰とも知れない。陸王としては、遠くから姿を確認出来ればそれでいい。それが他人であろうが、雷韋達であろうが。後者ならば、堂々と出て行けるのだし。
その前に、相手があの二人であったなら、夜目の利く雷韋に見つかるかも知れなかった。
それならそれでいいと思う。
陸王は気配を殺し、木の陰から光のもとへ少しずつ近づいていった。遠目に、二人の人物が捉えられる。
片方は随分と背丈が小さい。もう片方は陸王と同じくらいか。
それはよくよく目をこらして見ると、雷韋と紫雲だった。
「この近くにいるはずなんだけどなぁ。陸王~?」
「雷韋君、魔族もいるかも知れません。あまり声を大きくするのはよくないですよ」
「いや、陸王が近くにいるんだよ。気配が強くなってる」
「ですが……」
そんな会話が時に大きく、時に小さく聞こえてきて、隠れているのが馬鹿らしくなってきた。だから、こちらも光の球を顕す。
向こうからも見えやすいように。
それに気付いたのか、雷韋の声が大きくなる。
「あ、あの光! さっき消えたやつか? おーい、そこにいるの陸王かぁ?」
なんとも間抜けな問いかけに、陸王は姿を現した。
呆れ顔をしていると、雷韋の方から駆け寄ってきた。
紫雲もそれに続いてくる。
「やっぱ陸王だったんだな。取り敢えずは追いつけてよかったぁ」
心底ほっとしたように言うが、紫雲は驚き半分の顔をしていた。
「この広い森の中で、本当に陸王さんを捜し当てるなんて」
「だから分かるって散々言ったじゃんかよ。気配の匂いを追いかければ、絶対に陸王を見つけられるってさぁ」
雷韋は、信じてなかったのかよ、と言った風に紫雲を見上げている。その琥珀の瞳にあるのは不満だった。
陸王はそれを見て、さもあらんという具合だ。陸王だって驚いているのだ、雷韋のこの能力に。だが、確かに雷韋には陸王のいる場所が分かる。陸王にも不可解なことだが、それは雷韋も同じなのだからしょうがない。事実を事実として認める以外にないのだ。
陸王は嘆息をついてから、二人に問うた。
「ここに来るまで、魔族には遭わなかったか?」
「いえ、ここに来るまで、誰にも出会いませんでした。やっと出会ったと思ったら、それは貴方で。驚き半分という感じですよ」
肩を竦めながら紫雲が答える。
「ま、そいつに限っては雷韋にもよくわからんらしいから、言ってもしゃあねぇ。だが、ほかに異常はなかったんだな」
「えぇ」
「なら、こっちの話をするか。昨日の夜、魔族三匹と出会した。下等な魔族だったんで、言葉も碌に話せない奴らだったが、おそらくは俺の持っている核に引かれてやってきたんだろう」
「三匹? 全部、貴方一人で始末したんですか?」
慌てたような口調に、陸王は笑う息を吐き出した。
「そんなもん、まさかだ。ただ、中の一匹だけ動きの鈍いのがいたから、そいつの核を壊そうとしたが、肉体を爆発させた隙に逃げられた。ほかの二匹もその時にな」
「逃げた? ほかの二匹もほぼ何もせずに逃げたんですか?」
「まぁ、そうだな」
内心で、陸王はしまったと思った。
魔族が碌々手も出さずに逃げたのは、陸王の放つ魔気の方が強かったからだ。つまり、強い魔気に気圧されて逃げ出したのだ。陸王が人族であればあり得ないことだ。三匹もの魔族が碌々手も出さなかったお陰で、陸王は擦り傷一つ負っていない。またそれも、人族でなら妙な話だ。
どんなに弱々しい魔族でも、ほかの種族に対して害する本能を持っている。結果、逃げたとしても、その前には必ずしつこい襲撃があるはずなのだ。その際、怪我を負うことが多いのに、陸王は五体満足だ。
紫雲が内心で持っただろう疑念を払拭するように、陸王は言葉を続けた。
「そこそこ暴れていったが、幸いにも怪我はしなかった」
「それは、本当に幸いなことでしたね」
口では幸いと言うが、紫雲はどこか納得しかねている風に頷く。
陸王の言葉に肯定感を表したのは雷韋だった。
「陸王はずっと前にも戦場で湧いた魔族を殺してる。全部陸王だけでってわけじゃなさそうだけど、それでも最後に一人だけ生き残ったって。それだけ陸王が強いんだよ」
頭の後ろで手を組んで、うんうんと頷きながらの言葉。
それを聞いて、陸王は苦笑した。
「あのときは心身共にぼろぼろになったが、なんとか生き残ったな。振り返れば七日七晩、魔族を殺しまくった。それでも下の下の核のないものだったから、なんとかなったが、核のあるのが出てきていたら流石にどうにかされただろう。結局、全て斬り伏せたと気付いたのは、襲撃から八日目の朝だったっけな」
昨日、陸王自身からも聞かされてはいたが、そこまで激しく戦ったのかと、その信じられない出来事に紫雲は驚きを隠せずにいた。
その様子に、雷韋も頷いている。
「俺もその話聞いたときは信じらんなかったけど、実際、陸王は生きてこうしてるし、信じるしかないよな」
「ですが、魔族が人族の前から逃げてしまうものでしょうか」
「実際に逃げてんだから、どうしようもないだろ? でも核になった魔族は陸王から逃げられなかった。そこんとこは見てたよな?」
雷韋が呆れるように紫雲に問うと、紫雲はそれに頷きを返した。実際、陸王が魔族を捕らえているのを見たし、その上で神聖魔法で縛めてから核を取り出したのだ。
それらのことから紫雲の中で、陸王の技量がとてつもなく高く想定される。
陸王は多少暴れたと言っていたが、それもどの程度なのか分からない。ここは襲われた場所ではないのだろうから。
紫雲はじっと沈思した。
その紫雲に、不思議そうな雷韋の声がかけられた。
「紫雲? 何考えてんだ?」
「あ、いえ。陸王さんは魔族が『そこそこ暴れ回った』と言っていたのが気になって。どの程度の暴れようだったのか知りたかったな、と」
「そっかぁ。でも、陸王は怪我の一つもしちゃいないみたいだし、暴れたって言ってもたかが知れてるんじゃないか? な、陸王」
雷韋にそう簡単に振られて、陸王は皮肉げに笑って肩を竦める。




