第四六話 緊張の糸が切れたとき
「雷韋」
思わず陸王が呟くと、雷韋は寝惚け眼で辺りをきょろきょろと見回した。
「どうした。朝まで随分と間があるぞ」
「ん~、なんとなく目が醒めた」
「疲れすぎて却って目が冴えたか?」
「分かんね。……紫雲、寝てるのか?」
「あぁ」
「じゃあ、陸王が見張り?」
「そうだ」
静かに答えると、雷韋はこくりと頷いた。
「分かったら、寝ろ。朝になったら起こしてやる」
それを聞いて、雷韋はころりと横になった。
「また殴るんだろ」
まだどこかぼうっとした調子で、それでも悪態をつく。
「嫌だったら自力で起きるんだな」
「無茶言うなよ~。疲れてんだ」
「疲れていようがいまいが、朝に自力で起きたことねぇだろう」
苦笑して言う。
「ちゃんとした宿で寝たいなぁ」
相手が陸王だからか、雷韋は本音をぼそぼそと漏らす。それに陸王が返した。
「もう少しの辛抱だ」
そう言ってから、陸王はすまなそうに眉根を寄せて続けた。
「すまんな。俺のせいで」
「なんで陸王が謝んだ?」
「俺が魔族に狙わなければ、こんな無茶な旅をすることもなかった」
「それは魔族の都合で、あんたのせいじゃないよ。でも、なんで狙われてんだろ」
雷韋が寝惚けた調子でも不思議そうに言う。陸王はそれに対して、分からないという風に無言で首を振った。そんな陸王を見て、雷韋は言う。
「とにかく、さ。明日も頑張ろうぜ」
また眠気が兆してきたのか、雷韋の呂律は少し怪しかった。
それに気付いて、陸王は言う。
「寝ろ。明日も早いぞ」
「うん」
大人しく頷いて、雷韋は目を閉じた。すると、すぐに雷韋から小さな寝息が上がり始める。暖色の明かりに照らされているのに、顔色が酷く悪い。目の下には隈ができていた。
雷韋の衰弱ぶりに、陸王は思わず溜息をついた。それと同時に、明日はなんとか人のいる場所まで出たいと思う。魔族のことがあるため宿泊することは出来ないが、雷韋には何か普通のものを食べさせてやりたかった。栄養が偏っているから、疲れも溜まりやすくなるのだ。
特に雷韋には常に精霊を探らせて、無理をさせているから余計だ。これまでの間、精霊を探りやすいところもあれば、探りにくいところもあっただろう。だから本当に、少し休ませてやりたいと思った。
その夜も紫雲と交代するまでに怪しい気配はなく、紫雲と歩哨を代わったあとも何事も起こらなかった。
朝がきて、雷韋を無理矢理に起こすと、ほぼすぐに出発した。
雷韋が紫雲から受け取った干し肉は、歩きながら囓ることになった。この際、行儀が悪いだとかなんとか、そんなくだらないことはなしだ。一刻も早く、人のいる場所に辿り着きたかった。
その日の雷韋の顔色は、今までで一番悪かった。土気色なのではなく、白いのだ。それはまさに血の気が引いたという感じだった。
「あ~、今日はいつもと違って楽だなぁ。川沿いに沿って歩けばいいだけだから、精霊の気配も読まなくていいし」
雷韋がそう言いだしたのは、残り一枚の干し肉を囓り終わった頃だった。そうして、久しぶりに雷韋は鼻歌を歌い出した。今では紫雲もそれが精霊の唄なのだということを知っている。
「機嫌がいいですね、雷韋君」
陸王の隣を歩いている雷韋に声をかけると、少年は頭の後ろで手を組んで紫雲を振り返った。
「そりゃあ、これまで大変だったもんさ。水の精霊の気配を見失わないようにって」
「そうですね。これで村かどこかに出られれば、ひとまず安心と言ったところでしょうか」
「ん。人里には泊まれないけど、保存食とか買えるし、まともな飯も食える。そんくらいの時間はいいだろ?」
最後に雷韋は、隣を歩く陸王に問うた。
「まぁ、それくらいの時間なら大丈夫だろう。昼間でもあるしな」
それを聞いて雷韋は両手を握りしめ、「やったぁ」と小さく喝采を上げる。
「よかったですね、雷韋君」
「うん、ほんとよかった」
そう答えて、雷韋は再び鼻歌を歌い出した。その様子は『満たされている』という感じだ。この辺りの精霊力が力強いのか、雷韋の鼻歌も力強い。
その鼻歌を聴きながら川沿いに歩いていると、太陽が中天にかかる頃、急に雷韋は鼻歌をやめて辺りをきょろきょろと見回し始めた。
「どうした、雷韋」
陸王が問うと、雷韋は更に辺りをきょろきょろと見回す。
「この辺りに人が来るって、精霊がそう言ってる」
「どっちの方向からだ」
「向こうだ!」
大声で言ったかと思うと、雷韋はその場から駆け出した。
「待て、雷韋」
「雷韋君!」
雷韋が走り去った方向へ、即座に陸王と紫雲も走り出した。
雷韋の姿は途中で見失ったが、雷韋の向かった方角へと向かうと林が突然切れた。
そこに雷韋が突っ立っていたのだ。
目の前は畑のようだった。麦のものと覚しき若芽が顔を出して、まるで群れのように風にそよいでいる。遠目には、家がぽつぽつと建っているのも見えた。
「雷韋」
突っ立っている雷韋に陸王が声をかけると、雷韋は長嘆息をついたかと思えば、その場にしゃがみ込むように倒れた。
「おい!」
慌てて陸王が、膝から崩れるように倒れる雷韋を抱き留める。陸王が抱き留めると、紫雲が雷韋の顔を覗き込んできた。
「雷韋君」
声をかけながら、二、三度頬を軽く叩いてみてもなんの反応もない。
陸王は溜息をついて、雷韋の荷物を体から外すと、それを紫雲の方に突き出す。
「雷韋の荷物を持って行け。俺はこいつを運ぶ」
「分かりました。それにしても、いきなり倒れるなんて」
「人がいることにほっとして、気が抜けたんだろう」
言いながら陸王は、雷韋を肩に担ぎ上げる。
「大丈夫ですか?」
「こいつは軽い。平気だ」
そう言って、陸王は歩き出した。紫雲もそのあとに続くが、
「どこに行くんですか」
問うと、陸王は面白くなさげに答える。
「宿くらいあるだろう。まずはこいつを休ませる。大部屋になるだろうがしかたねぇ」
「今日はここまでですか?」
「いや。なるべくならこいつが目覚め次第、ここを出て行きたい。一応は飯を食わせてからな」
憂慮を含ませて陸王は言う。
紫雲はそれに、眉根を寄せた。
「雷韋君はこれまで頑張ってきたんです。今夜一晩くらいゆっくり休ませてあげられませんか?」
陸王は畑に沿って歩きながら、小さく首を振る。
「それは出来ん相談だ。出来るなら夜までにはここを離れたい」
「ですが、雷韋君が目覚めなかったらどうするんですか」
「叩き起こすしかあるまい」
陸王は平坦に言った。そこにはさっきまでの憂慮の欠片もない。
「それはあまりにもあまりです。ここまで雷韋君が一番頑張ってきたんじゃありませんか。無理を通してここまできた。その結果、倒れるに至ったんですよ。せめて今夜だけでもゆっくりと休ませてあげなければ」
「んな事ぁ手前ぇに言われなくても分かってる」
「だったら、どうしてそんなに粗末に扱うんですか。雷韋君は貴方の対でしょう?」
紫雲は陸王の雷韋への扱いに納得がいかず、詰った。だが、それを陸王が冷めた目で見遣る。
「こいつに何かあれば、俺にもかかわってくる。別にぞんざいに扱おうってわけじゃねぇ。ここにいる人間達を巻き込まないためだ。雷韋だってそれくらいは分かる。だからもう暫くは我慢して貰うしかねぇんだよ」
「こんな子供にまだ無茶をさせると?」
「俺と出会う前、こいつはこいつなりに一人でやってきている。形はガキでも、半人前扱いするな」
そう冷たく言い放って、陸王は先に行ってしまう。
紫雲は立ち止まって、苦しげな溜息をついた。
陸王の考え方について行けないのだ。
どうにも紫雲には、雷韋を一人前だからと言って無茶をさせるというのは理解が及ばない。
雷韋が倒れてしまえば、この先妖刀が現れたときも魔族が現れたときにも困ることになるからだ。そこに考えが及ばないとは考えにくい。それでなくとも種族的に、対魔族戦には雷韋の力を借りられないかも知れないのだ。今、万全にしておかなければ、先々、単に足を引っ張られるだけだ。
紫雲には陸王の考えが全く分からなかった。




