夢の顕現 五
その魔物は、雷韋が夢の中で見たものそのものだった。頭が豹で、身体は犬、背中から尻尾にかけてが蛇だ。しかも尾の先端は蛇の頭になっている。
それが魔族の腕の下に開いた黒い空間から何頭も現れた。その魔物達は人を襲う害のある魔物だ。なのに、魔族の言うことは聞くらしい。魔族が「囲め」と言うと、素直にその言葉に従って雷韋を取り囲んだからだ。
この光景も夢で見ている。彼らは雷韋を喉を鳴らしながら見下ろしてくるのだ。それが役割だから。
それに、今なら分かる。魔物に囲まれてもほとんど動けなかったわけが。
負った傷があまりにも小さいのだ。そのせいで、濁った血が思うように身体から排出されない。そのほとんどが身体に溜まったままだから、思うように動かないのだ。今動くには、負った傷を大きくするか、さもなくば、大きな傷を作るしかない。
果たして、雷韋が動いても魔物は動かずにいてくれるか?
魔物がいる前で逃げ出すような真似はしない。それなら焼いてしまった方が早いからだ。しかし、魔族を目の前にすれば、あの紅い瞳が怖くて動けない。恐怖に竦んで、精霊を動かすことすらも躊躇われてしまう。だが、魔物は別だ。一気に焼いて、灰にしてしまえる。けれど、その前にしなければならないことがあった。
濁った血をもっと外に出すことだ。今のままではまともに動けない。魔物を灰にしてしまっても、動けなければ、次は何をされるか分からないのだ。最後に取っておくとは言っていたが、魔族に襲われる可能性もある。
それに人間達。
彼らを殺させるわけにはいかない。そうなればやることはただ一つだ。新たに大きな傷を作り、濁った血液を大量に吐き出してしまうこと。そうすれば雷韋は動けるようになる。
人間達を護る事も出来る。
だが、その為に動くことを魔物達が許してくれるかどうかだ。なんと言っても見張りなのだから。
それでも一か八かやってみようと思う。今、魔族は魔物に雷韋を任せて背を向けている。これから辺りにいる人間達を喰らおうというのだろう。
雷韋は左手に火を現した。けれど、その火は大きくはない。最小限に絞った。それで充分だったからだ。別に炎を魔物に嗾けるつもりではない。
雷韋は火影を召喚したのだ。
雷韋の出身地であるセネイ島の火の神殿で見つけた、火の精霊が凝った武器。赤い石を細く削ったようになっている柄の両翼から、赤い刃が伸びている。刃は伸縮自在、斬るも斬らぬも雷韋の意思次第だ。小規模な爆破も起こせる。それが雷韋の武器だ。だが、火影を形作っている火の精霊と契約したわけではない。火の精霊達は、雷韋が火影を見つけた瞬間から、望んで雷韋に従ったのだ。
陸王が吉宗に選ばれたように、雷韋も火影に使い手として選ばれたのだ。
それを今、精霊界から雷韋は召喚した。雷韋の手に突然火が熾ったため、魔物は瞬間的に身構えたが、火はすぐに消えて、刃を短くした火影に姿を変えた。火だった余韻で、柄に巻かれている組紐が宙に舞い上がったが、それだけだった。
雷韋は召喚した火影の刃を寝そべったまま、腿の方へ向けて一気に伸ばした。途端、深く切り裂かれた傷口から真っ黒な血が噴き出し、その強い匂いに魔族が振り返る。
「お、おめぇ、勿体ねぇ事するんじゃねぇ。おめぇの血の一滴だって無駄にすることは出来ねぇんだぁ」
慌てふためくように魔族が叫ぶ。けれど、そんな言葉の次に起こったことは、魔族の目を剥くことだった。
五、六頭いた魔物が、一瞬にして灰と化してしまったからだ。
「は? なんだとぉ?」
その声を背に、雷韋は撥条のように起き上がる。けれど、振り向く勇気はなかった。魔族に火を嗾けようとしても、相手を見ずに魔術は使えない。標的がしっかり視野に入っていてこそ、行使出来るのだ。そう言う意味では、魔術は決して万能ではなかった。
「おめぇ、よくもおでの魔物を消し炭にしてくれたなぁ。折角、餌付けしてあったのによぉ」
雷韋はその声を聞いているだけでも恐ろしくなってきた。悔しげに言うそいつの瞳は紅。血を滴らせた紅だ。それを想像するだけでも怖かった。
今、きっとその紅い瞳は自分の背中を睨み付けているはずだ。殺意をもって。それがひしひしと感じられる。背中に殺気がびりびりと伝わってくるのだ。
「おめぇ、なんでこっちを向かない。……ん? もしかして、おめぇ、おでが怖いのか? そうか、怖いんだな。だったらそのまま後ろ向いてろ、今、殺してやるからよぉ」
最後の方は笑い交じりだった。どうしてくれようか、こうしてくれようかと言った風に。その声音は実に楽しげだった。そしてぼそぼそと呟く。再び「来い」と。
次の瞬間、魔物の気配を感じた。さっきのと同じ気配だ。魔物を餌付けしていたというなら、まだほかにも餌付けされている魔物がいたのだ。
さっきので終わりではない。
「押さえつけろぃ!」
魔族が大音声で叫んだ瞬間、背に物凄い圧迫感を感じた。魔物が狙っていると気付き、雷韋は振り向きざまに火影を眼前に翳した。途端、魔物は次々に灰と化す。
が、数が思っていた以上に多すぎた。今この瞬間にも、まだ精霊が取り憑いていない魔物が二十頭ほどもいる。飛び掛かってくる数が多すぎて、魔族の姿が見えないほどだ。
ほとんど『魔物の壁』と言っていい。それを一気に焼き払うも、その後ろからも更に襲いかかってくる。魔物を灰に帰すのは火影を形作る火の精霊達に任せたが、一頭だけ網の目を掻い潜るようにして雷韋の右肩に食らい付いてきた。それも瞬時に灰となったが、肩に深い傷が出来て、そこから濁った黒い血が噴き出してくる。
だが、怪我自体はいいのだ。身体から悪い血液を排出する手段になる。血液自体は身体がどんどん作り出すから問題ない。
しかし悪いのは、大量出血することで、魔族が興奮してしまうことだ。
大量の魔物はあっという間に灰と化し、目の前には魔族が一匹。雷韋は腿と肩に深い傷を負って、痛みのために足下がぶれた。その時、逸らしていたはずの魔族の目と目が合ってしまう。
魔族は雷韋の血に興奮したせいか、目を血走らせ、瞳を紅く燃え立たせていた。
その瞳にぞっとする。全身が一気に粟立った。ぶわっと身体中から冷や汗が吹き出してくる。掌にかいた汗で、火影を取り落としそうになるほどだ。
やはり魔族を灰にすることは出来ないと思った。あの瞳を見ると、精神統一が出来なくなる。精霊を支配出来ないのだ。
精霊に命を下せない。
最悪だった。目を合わすまいとしていたのに、ちょっとした拍子で目を合わせてしまった。だが、あんな目付きを見て何も感じない方がおかしいというものだろう。今にも食い付かれんばかりだ。
雷韋が戦々恐々としていると、魔族が雷韋を睨むように見つめて、一歩を踏み出した。その足下が、何故かおぼつかない。まるで酔っ払いのように千鳥足なのだ。しかも、涎まで垂らして。
その様は異様としか言えなかった。もう魔物を呼び出す気配はない。代わりに魔族の動きは、まるで酔っ払いそのものだった。
いや、本当に酔っているのだ。雷韋の血の匂いに魅せられて、酔っ払ってしまっているのだ。
「おめぇの血の匂いはいい匂いすぎるなぁ。なんだってこんなにいい匂いなんだぁ? 脳味噌が痺れるくらいいい匂いしてるぞ。その血を啜らせろよぉ、肉を喰わせろよぉ」
口を開くたびに、涎がこぼれ落ちてくる。
千鳥足は一歩一歩と確実に雷韋に近づいた。
明日も18:42頃に投稿予定です。
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