第二八話 夢の場所
「大丈夫か?」
雷韋の身体が小刻みに震えているのを抑え込むように、陸王はその肩に手を置いた。
「雷韋」
落ち着かせるように、静かに名を呼ぶ。
名前を呼ばれ、雷韋の瞳が陸王の方へと向いた。その瞳は怯えきっている。またよくない夢を見たのだと知れた。
それを宥めるように声をかける。
「怖くねぇ。大丈夫だ」
「でも……」
「今、お前は宿にいるんだ。それとも、ここで何か起こる夢を見たのか?」
「違う。外だった。でも、町の中とかじゃなくて、森の中みたいだった。そこに魔族が……」
震える声で告げられたとき、陸王は心臓を鷲掴みにされたような気分になった。
雷韋は今、確かに『魔族』と言ったのだ。
まさかと思う。遂に自分の正体を知られてしまう夢でも見たのだろうかと。
陸王は一拍置いて問い返した。
「魔族がどうした」
「頭が異様に大きくて、真っ赤な目をした小男が、俺をにやにや笑いながら見下ろしてたんだ。魔族の紅い目が怖くて、それに魔物もいた。でも、身体が上手く動かなくて、どうすることも出来なくて。人もいた。沢山だ。みんな怪我してて、呻いてた」
半分泣きそうな声音でそこまで言うと、雷韋はぎゅっと目を閉じた。
それを聞いて、やはりこれは雷韋の予知夢だと思った。夢の内容が日を追うごとにはっきりしていっている。今夜は場所まで分かっているのだ。
町の外。
森の中。
怪我をしたほかの人々。
だが、それにしてもどうして今夜も夢を見た? 昨夜は何事もなかったというのに。何かこの町で起こるとでも言うのだろうか? 魔物がいたというなら、魔族が魔物を操って、町の人間ごと雷韋を攫うのか?
陸王にははっきりとは分からないが、その可能性は捨てられない。雷韋が夢で見た中に自分の姿がなかったとしたら、雷韋を一人にするべきではないと思った。明日一日挟んで、その翌日はまた護衛の仕事に就く。魔族が雷韋ごと人々を攫うとするなら、道中かも知れない。
魔族が襲ってきたとき、陸王は雷韋を護れるだろうかと思った。いや、護れるか、ではない。護らなければならないのだ。
雷韋は陸王にとって、大切な魂の半身なのだから。
陸王は雷韋の寝台に腰を下ろし、固く目を閉じている雷韋の上体を起こして、片腕で少年を抱きしめた。そうすると、丁度、陸王の胸に雷韋の額が当たる。ただそれだけのことだったが、陸王の中からも雷韋の中からも、不安も焦燥も、何もかもがゆっくりと薄れていくのを感じた。
寄り添ったことで、魂が共鳴を始めたのだ。
そのせいか、小刻みに震えていた雷韋の身体の震えが急速に収まっていく。
陸王もそのことにほっとした。落ち着いてきた証拠だ。
雷韋の身体の震えが完全に収まるまで、陸王は雷韋を抱きしめていたが、それも完全に失せてから陸王は雷韋に声をかけた。
「もう大丈夫だな?」
「うん。怖いのがなくなった」
「眠れそうか?」
「寝るのはちょっと怖い。さっきの続き見ちゃいそうで」
「だが、横にはなっておいた方がいい。それだけで感じる疲れも随分と違うからな」
「ん」
陸王が雷韋の身体を離すと、雷韋はぽてっと横になった。その上に上掛けを掛けてやる。
「なぁ、陸王」
「ん?」
雷韋は天井を見ていて陸王を見ていなかったが、言葉だけは続いた。
「あれって、どこだったんだろう?」
「何がだ」
「森みたいなところ。森は多分、森なんだろうけど、開けてたんだ。でさ、辺りに人が沢山倒れてて」
「もう余計なことは考えるな。俺がお前を護ってやる。安心しとけ」
「うん、分かってる。でもさ、これはきっと予感だ。予感の時に感じる嫌な感じがする。俺の予感はよく当たるから。ほんとは、当たってなんか欲しくないけど」
「なら、お前も予知夢だって言いてぇのか?」
「『お前も』って、陸王はそう思ってたのか?」
「まぁ、そんな気がしていただけだが」
「そっか」
そこまで言って、目を閉じる。
「当たってなんか、欲しくない。魔族になんか、遭いたくないよ」
ぽつりと言う雷韋の頭を、陸王はぽんぽんと撫で叩いてやった。
「護ってやると言っているだろう。心配するな」
そう言われて、雷韋は陸王を見た。瞳には、僅かばかりの不安とそれを上回る安堵があった。
「うん」
力強く、はっきりと頷く。
それでも眠るのが怖いという雷韋を相手に、陸王は思いつくまま、適当な話を振ってやった。夢とはなんの関わりもない話だ。しかも、思いつくままだから内容がない。あとで振り返って思い直せば、つまらないことばかり話したと、半ば後悔するような話ばかりだった。それを明け方まで、雷韋と二人でつらつらと話し続けた。
空が白み始める頃には、雷韋は半分夢の中の状態だった。
眠りたくはないが、眠かったのだろう。雷韋がうつらうつらし始める頃には、陸王一人がまるで独り言のようにぽつぽつと言葉を発していた。雷韋もそのまま撃沈したかと陸王が話すのをやめると、ふと目を開けるのだ。声が聞こえなくなったと言って。
「俺は子供を寝かしつける母親じゃねぇぞ」
そう文句を言えば、声が聞こえないと不安だからと駄々をこねる。だが陸王も喋り続けて、喉がからからだった。一晩中話していれば、そうなるのは当然だ。
「ちょっと待て。先に水を飲ませろ」
「ん、分かった」
寝惚けたように、舌が回りきらずの口調で答える。
それをよそに、陸王は荷物の中から水袋を取り出して喉を潤した。一口、二口飲めばいいかと思っていたら、存外喉が渇いていたようで、水袋に残っていた水の半分近くを飲んでいた。喉が渇いていたせいだと思うが、生ぬるい水でも甘く感じられるから不思議だった。
そうして喉を潤して雷韋のもとへ戻ると、今度こそ雷韋は撃沈していた。安穏とした健やかな寝息を立てている。
窓の外を見ると、もう夜が明け始めていた。小鳥の囀りも聞こえてくる。空の明け方からも、暫くすれば一時課(午前六時)の鐘が鳴り始めるだろう。
これまでの雷韋の悪夢の見方からして、短時間なら眠っても問題ないような気がした。大概、深夜、夜半課(午前零時)をすぎた頃にうなされ始めている気がする。一時課の鐘が鳴るには、あと一刻|(約二時間)か、少なければ半時|(約一時間)ほどありそうだ。それくらいなら大丈夫と踏んだ。だから陸王も、ほんの少しだけ眠っておくことにした。
やがて一時課(午前六時)の鐘が鳴り、その音で陸王は目を醒ました。そしてすぐに雷韋も起こす。始めはぐずっていたが、頭を引っ叩くまでもなく起き上がった。夜中、悪夢を見たせいか顔色は悪い。それでも幾許かでも眠ったせいか、悪夢を見た直後よりはずっとましな顔だったが。
起きてから、雷韋は調子はさほどよくないなりに身仕度をして、早めに食事にしようと言った。
「どうした、一体。そんなに腹が減ってるのか」
「ん~、食欲ははっきし言って、あんましないんだけど、行ってみたいところがあるんだ」
「どこへだ」
「あんたはきっと興味ないと思うけど」
「興味がない? ……あの男のところか」
「違う。会いに行きたいけど、紫雲じゃない」
「なら、どこだ」
雷韋はそこで少しだけ考える素振りを見せた。それから陸王を見遣って、覚悟を決めたように口を開く。
「東門」
それを聞いて、陸王は怪訝な表情をした。
「なんだってそんなところに」
「魔剣のこと」
ぼそっと雷韋が零すと、陸王は渋面を作る。
「まだ気にしてるのか。一昨日行ったとき、何もおかしな様子はなかっただろう」
「だって枝道が沢山あったし、あの町じゃなくて、ほかの街か村から来る人に話聞きたいなって」
「しつこいぞ、お前。妖刀とはかかわらないという対価に耳飾りを買ってやったろう」
「だって、やっぱ気になるんだもんさ。陸王が知らないで触っちゃったらって思うと、怖い。呪われた剣なんだ。危ないだろ?」
陸王はそこで呆れたように長嘆息をついた。
「正体の知れねぇもんに、なんでもかんでも触りゃしねぇよ。言っただろう。お前とは違うと」
「そうかも知んないけど……。それでもあんたのことが心配なんだ」
「だったらこうしよう。吉宗以外の刀には触れねぇと約束する。どうだ?」
それを聞いて、雷韋は再び考え込んだ。そして腕を組み、片手を顎に当てる。
「そんなら、まぁ」
覇気のない声で言う。寝不足で、元々覇気のない声音なのだ。その口調は、まさに意気消沈したという風だった。
「だったら決まりだ。明日に備えて、今日は宿で休む。水も保存食もここで手に入るんだしな。外に出る必要はない」
「でもさ、ちょっとだけ。ほんのちょっとだけでいいんだ。出掛けてもいいだろ?」
「まだしつこく東門に行くつもりか」
「すぐ戻ってくるってば。ほんの少しだから。だから、ほんのちょっとくらい出掛けてもいいだろ?」
「何をしに」
「ん~……、東門だけどさ。そのな、紫雲がいるんじゃないかって思って」
陸王はそれを聞いて、雷韋から視線を逸らして溜息をついた。
「あいつに会ってどうする」
「いや、さ。もう、手伝えないからって。せめてそれくらい言わせろよ」
「ってことは、前に手伝ってたってわけか」
強い口調で言われて、雷韋はしゅんと項垂れた。そして上目遣いで陸王を窺い見てくる。
しかし陸王は、変わらず雷韋から目を逸らしたままだった。




