第二一話 悪夢の再来と紫雲との再会
その夜、またしても陸王は雷韋の苦しげな声音に目を醒ました。雷韋は苦しげに顔を歪めて、必死に陸王の名を呼び続けている。
一体どんな夢を見ているのかは知れないが、陸王はすぐに雷韋の元へ行き、頬を張ったり、肩を揺さぶったりして無理に目を醒まさせた。
「陸王……」
目覚めたばかりの雷韋の声は呆然としながらも震えて、息も上がっている。
「大丈夫か? またうなされて、今夜は俺の名を呼んでいたぞ」
「陸王、よかった。無事だ」
震える声で言って、息を吸い込むときまるでしゃくり上げるような息遣いになっていた。
「なんだ。泣いてるのか?」
そう問えば、
「泣いてないよ」
半泣きのような声が返ってくる。月明かりの中で見ても雷韋は涙の一粒も零していなかったが、声だけは泣いていた。
「どうした。酷い夢だったのか?」
雷韋を落ち着かせるように宥めて問うが、雷韋は世界を遮断でもするかのように目を瞑ってしまう。仕方なく陸王は雷韋の寝台に腰をかけ、そんな少年の頭を優しく撫でてやった。すると、雷韋は瞑っていた瞼を上げて、陸王を見つめてくる。
「陸王、だよな?」
「ほかの誰かに見えるか?」
「いや……。でも、夢にあんたが出てきたんだ。血塗れで立ってた」
「俺がか」
怪訝そうに問う。
「うん。でも、それが凄く辛くて、なのに安心して」
「俺が血塗れなのに、安心したのか」
陸王は少し揶揄い気味に言ってやった。すると雷韋は、こくりと頷く。
「痛々しいんだけど、あんたがいてくれて、凄く安心するんだ。なんだかよく分かんないけど、そんな夢を見た」
そう言って雷韋は陸王から天井に視線を移し、なのに自分の頭を撫でる陸王の手を左手で握ってきた。
「あんたはここにいるんだ。いてくれるんだ」
まだ僅かに震える声で言うが、頭に手が乗っていることで、雷韋の中の不安な波は凪いできたようだった。それを確かに感じて、陸王は軽く笑いながら言った。
「それにしても酷ぇ夢だな。俺が血塗れとかな」
「夢。夢だから。……でも、変な夢見た」
言うと、吐息を落とす。
「夢なんざ、どれも変なもんだろう。夢ばかりは思い通りにいかんからな」
「うん」
再び陸王に視線をやって、小さく頷いた。
そこで少し間が開き、雷韋が問うてくる。
「なぁ、このまま眠ってもいいか? なんか、まだ変な感じがするんだ」
「それで眠れるなら、眠れ。ついててやる」
雷韋は陸王の言葉を聞いて破顔した。
「よかった。断られたらどうしようと思った」
「今は余計なことを考えるな。……眠れ」
柔らかく言ってやると、雷韋は安心したように頷いた。
「ん」
短く返事をして、大人しく目を閉じる。
そのまま様子を見ていると、やがて眠りに落ちたようだった。陸王の手を握っていた手から力が抜け落ちる。陸王はその手を腹の上に置いてやると、自分の寝台に戻った。
そのあとも少しばかり様子を窺っていたが、もう悪い夢は見ずにすんでいるらしく、呼吸も深いものになっている。
それを確認して、陸王も寝台に潜り込んだ。
**********
翌日、予定通り二人は斡旋所に向かった。そこで新たな仕事を探し、商人の護衛の仕事を請けた。今度は途中、村を一つ抜けて次の街までゆくというので、銀貨一枚の仕事になった。今度は四日後、つまり弥の明後日の三時課(午前九時)前に斡旋所に着けばいいという。これならば明日、明後日を東町との往来に使っても、中一日休むことが出来る。この仕事を請ける際、雷韋は忘れず書類を確認した。東にはなるべく近づきたくないと思ったからだ。何もないと分かっていても、やはり気になる。書類を確認をすると、次に向かうのは南西の街だった。
そうして仕事を請けて、その帰りに雷韋は市が立つというのを聞いて、昼までには宿に戻るからと陸王とは途中で別れて大広場へと向かった。
大広場では、教会の周辺を避けるようにして、色々な露店が並んでいた。細工物の入れ物が並んだ店、毛皮を並べた店、食べるものを売っている店、様々だ。中には、靴を売り歩いている行商人もいた。あちこち店だらけで、その分、客となる人々も多い。雷韋は内心、鴨が沢山いるとは思ったものの、仕事を請けて金を稼ぐ手前、掏摸を働いたりすればまた陸王に何を言われるか分からないと流石に弁えた。
色々な店を覗いて歩いて目を楽しませていたが、ふと、町の東に目が向いた。街のあちこちに商館が建ち、その近辺には商人達が集まる宿も多くなる。当然、街の東側にも商館は建ち、商人達が集まる宿があるだろう。なんとなし、それが雷韋には気になった。
宿か商館の方へ行ってみようかと思う。今日も新たにやって来た商人達がいるはずだ。何か新しい情報が入っていればと思ったのだ。
陸王と妖刀のことにはかかわらないと昨日約束したばかりだというのに、どうしても気になった。
一軒目の宿では、妖刀の噂を聞いた者はいなかった。二軒目、三軒目と回ってみたが、妖刀の『よ』の字も聞いた者がいない。だが四軒目で事態は変わった。
「さっき、『妖刀というのを知らないか』と、坊主と同じことを聞いていた人がいたよ」
「え? それってどんな人?」
「あの格好は修行僧だね。腰にも鉤爪を提げていたから間違いない」
「その人、どこ行った?」
「さてねぇ。みんなに聞き回って、誰も知らなかったのか、出て行った」
「あんがと、おっさん!」
雷韋は宿から飛び出した。妖刀のことを聞いて回っていた修行僧は紫雲だ。だが、飛び出した通りには紫雲の姿はない。市が開かれているからか、この通りには通行人の姿も少なかった。もし紫雲がいれば、一目で分かるはずだ。
雷韋は目につく宿を片っ端から覗いていった。けれど、どこにも紫雲の姿はない。
どこにいるのかとやきもきしながら入った宿で、目的の人影を見つけた。胴着に栗茶色の長い髪を背中の半ばで結った人影。
紫雲だった。
「紫雲!」
雷韋は大声で呼ばわった。と、それまで椅子にかけていた商人らしき人物と話をしていた人影が振り向く。
「これは、雷韋君じゃありませんか」
紫雲の言葉と同時に、雷韋は駆け寄った。
「魔剣のこと、調べてたのか?」
「魔剣? あぁ、妖刀の。えぇ、そうですが、君は何故こんなところに?」
不可思議げに問いかけてくる。
「俺も魔剣のこと、聞いて回ってたんだ。そしたら、あんたらしい人が同じことを聞いてきたって言われて、そんで捜してた」
「そうでしたか。それで、何か聞くことは出来ましたか?」
「いや、全然だよ」
雷韋は首を振ってみせる。
「陸王さんはどうしているんです?」
「宿にいるよ。俺がこうして聞き回ってるのは知らない。内緒なんだ」
その言葉に、紫雲は僅かに眉根を寄せた。
「そうですか。彼は信じてはいないようですからね」
「う~ん、信じてないって言うか、この町目指してるとは思ってないってのが正確なところかな」
そうして話をしていると、紫雲が声をかけていた商人風の男が不機嫌そうに割って入ってきた。
「おいおい。何を話してるのか知らないが、妖刀ってなんだい?」
「知んなきゃそれでいいんだ。紫雲、ちょっと外出て話そうぜ」
雷韋の言葉に、ぽかんと間の抜けた顔をした男を残して、雷韋は紫雲の胴着の袖を引っ張った。それに対して、紫雲も頷いて返してくる。
二人して宿を出たところで、すぐに雷韋は話し始めた。
「紫雲、収穫はゼロなんだよな?」
「今のところ、そうですね。雷韋君も何も聞けなかったということは、まだこちらの方にまで噂が回ってきていないようですね。朝から商館も当たってみましたが、何も聞き出せませんでした」
それを聞いて、雷韋は頭を掻いた。
「う~ん、ってことはもっと東の方に行かなきゃ駄目ってことかなぁ? 噂の一つも出てこないんじゃ、そういうことだと思う」
「そうですね」
そこで紫雲は何かを考え込むように宙の一点を睨む。そうして暫く考え込んでから、ふと雷韋に目を向けた。
「雷韋君、奇妙なことを聞くと思いますが、教えて欲しいことがあるんです」
その言葉に対して、雷韋は小首を傾げた。
「なんだ?」
「あの……、陸王さんについてなんですが」
それを聞いて、雷韋は思い出したという顔になった。それも半ば不機嫌に。
「言っとくけど、俺と陸王はなんでもないかんな! ただ単に対ってだけだ。変なこと想像すんのやめてくれよな」
その言葉に、紫雲はばつの悪い顔を見せた。
「いえ、あれはそんな変な意味で言ったわけではないんです」
「じゃあ、なんであんなこと言ったんだよ」
思い切り臍を曲げたという風に文句を言う。
紫雲は思わず苦笑を漏らした。
「そんな意味ではなく、なんと言うか、勘でしかないんですが、陸王さんは君に依存しているような気がしたんです。それに、君も陸王さんの庇護のもと、子供扱いされているような。それで、単刀直入に聞いてみただけです。言い方が悪かったのは認めます」
「なんだよ、それ。例えにしたって酷すぎる。それに陸王は逆のこと言ってたぞ。あんたが俺の傍にいると、俺が半人前になるって」
それを聞いて、紫雲は怪訝な顔をする。
「て言うかさ、俺が格好いいのは分かるけど、取り合いすんな!」
言って、雷韋は紫雲に指を突きつけた。だが、その顔は半ば笑っている。
そんな顔を見て、紫雲も小さく笑った。雷韋が最後に言ったのが、開き直った冗談だと分かったからだ。
「君の場合、格好いいと言うより、まだまだ可愛さの方が勝っていますね。小さな子供のように」
言うと、雷韋は「ちぇっ」と舌を鳴らした。が、すぐに真面目な顔になる。
「そんで、陸王がどうかしたか?」
「えぇ。これまで、陸王さんの目を見て、おかしいと感じたことはありませんか?」
「陸王の目?」
雷韋は困惑げに首を傾げた。
「初めて彼と目を合わせたときから思っていたことなんですが、何か普通の人の目とは違うように思えて」
「目ぇ? 目、ねぇ。う~ん、特に何も感じたことないけどなぁ。今までにも喧嘩みたいになったりして睨み合うなんてこと普通にあったけど、何も感じなかったけど? 目は目じゃね?」
雷韋は腕組みをして、片手を顎に当てながら答える。実に不思議そうにして。
「そうですか。雷韋君は特に何も感じたことがないんですね」
「うん。ない。全然。でも、なんでそんなことに気にすんだ? 陸王の目のどこが変なのさ」
「いえ、それは私にもはっきりしたことは言えないんですが。ただ、違和感のようなものを感じて」
「違和感」
ぽつりと雷韋が言う。
それに対して、紫雲は頷いた。
「昨日も彼の目を見て、何か他の人と違うと感じたんです。どこがどうとは、はっきりと言えませんが」
「ふぅん」
雷韋がどこか納得いかなそうに鼻を鳴らすと、正午の鐘が響いてきた。それを耳にして、雷韋は「あ!」と大きな声を出す。
「雷韋君?」
「ごめん、紫雲。昼には帰るって陸王に言ってあるんだ。もう帰らないと」
その場で足踏みをし出す。その拍子に涙型の耳飾りが揺れた。
「そう言えば、雷韋君。その耳飾り、昨日はしていましたか?」
「え? あ、うん。この件にかかわるなって、陸王が買ってくれたんだ。対価だって」
紫雲はそれを聞いて、複雑そうな顔になる。
それでも雷韋は構わず、ただ「いいだろ? 鳩の血なんだぜ」と、そう嬉しそうに言うだけだった。
紫雲はその深紅の耳飾りを見て何か考え込む風だったが、結局は何も言わなかった。
それを不可思議げに見ていた雷韋だったが、言うことは言ってしまおうと口を開く。
「あのさ、今日ここで聞き込みしてたってのは陸王には内緒な」
紫雲はそれを聞いて、小さく笑った。
「もとよりそのつもりですよ。第一、私は君に会ってもならないそうですから」
「それはほっとけばいいんだよ。俺とあんたはもう友達だろ?」
「雷韋君がそう思ってくれるのなら」
紫雲が優しく微笑むと、雷韋も破顔した。
「うん! 友達! 陸王には文句言わせねぇから。んじゃ、俺もう行くな」
そう言って駆け出し、途中で止まる。
「明日から仕事なんだ。帰って来んの、明後日。その次の日は休みだから、また遊びに行ってもいいか?」
少し離れた場所から大声を投げかけてくる。
「えぇ、勿論です。気をつけて」
紫雲も少し声を張って返した。すると、雷韋は嬉しそうに笑んで手を振ると、再び駆け出していってしまった。
その後ろ姿が消えてなくなるまで、紫雲はその場から見送っていた。
明日も18:42に投稿予定です。
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