第二〇話 鳩の血(ピジョンブラッド)
雷韋はあれから真っ直ぐ宿へと駆け戻ってきた。教会からずっと走り通しで息が上がっていたが、とにかく寝台の中にでも潜り込みたいという一心で扉に手をかけたが、把手を回しても扉が開かない。
陸王と出かけるとき、鍵は彼が持って行ってしまったのだという思いと共に、なら自力で開けるという思いが重なった。腰に下げた荷物袋の中から鍵開け道具を取りだして、走り疲れて震える手で鍵開けをした。最初のうちは手が思うとおりに動かずに失敗したが、四回、五回と回数を重ねるうちに身体が疲労を回復してきて、なんとか解錠することが出来た。
鍵を開けると雷韋は部屋へ飛び込み、すぐに寝台の中へ潜り込んだ。枕は使わず、頭から上掛けを被ってぎゅっと丸くなる。靴も脱がずに。そうして口の中で「嫌いだ、嫌いだ」と何度も呪文のように呟いていた。
口にする呪文めいた拒絶感が、うとうとと眠気に攫われるまで。
そうして目が醒めたときには、部屋に人の気配を感じた。
それが誰かなど、確かめなくとも分かる。
陸王だ。
雷韋は顔も見たくないと思いつつも、そっと上掛けから顔を出した。それに気付いたのか、声がかけられる。
「起きたのか」
それに対して雷韋は答えなかった。むすっとした顔をして、陸王には背中を向けている。
そんな様子には気にも留めないといった風に、陸王は更に声をかけてきた。
「鍵がなかったから鍵を開けて入ってきたんだな。道具が使いっぱなしで放り出されていたぞ。卓の上に置いておいたが」
それを聞いて、え? と思った。帰ってきて寝台に潜り込んだのははっきり覚えているが、鍵開け道具はどうだったろうかと記憶を探ってみても何も覚えていなかった。放り出されていたということは、雷韋が使いっぱなしで放り投げたのだろう。
とにかく寝台の中に潜り込みたいという一心で。
そっと陸王の方へ肩越しに視線を向けてみると、彼はヤスリで爪の手入れをしているところのようだった。
だが、陸王はヤスリを常に持ち歩いているわけではない。宿で借りたものだろう。それを黙々と動かし、爪を少しずつ削っていっている。
雷韋はその様子を見て、密かに唾を飲み込んだ。どうしてももう一度確認したいことがあって、口の中を湿らせたのだ。
「なぁ」
「ん?」
陸王はヤスリを使い続けるままに返答を寄越した。
なんの問題もなかったように。
「どうして紫雲に会っちゃ駄目なのさ。魔剣のことを俺が気にしすぎるからか?」
「そうだ」
「だったらもう遅いよ。もう、聞いちゃったんだからさ。ほかの人達に被害が出るのも怖いし、あんたにも何かあるかもって思うと怖い。気をつけた方がいいだろ、やっぱ」
陸王はそこで、使っていたヤスリを脇に置いた。
「妖刀のこともそうだが、お前はお前なりに一人前だ」
「え? どういうことさ」
陸王は雷韋の言葉に視線を上げると、僅かに眉を寄せた。
「俺と出会う前は一人でやってきただろう。そういう意味では一人前だ。ガキだ、ガキだとは言ってもな」
雷韋は陸王が何を言わんとしているのか、さっぱり分からなかった。見当もつかない。だから、陸王の言葉を聞くのに徹した。
「だが、あいつと関わることで、お前が半人前になっちまう気がしてな。お前から聞かされた話の中身で、俺はそう判断した。あいつはお前にとって、ある意味、毒だ」
「そんな」
雷韋は陸王の言葉に、二の句が継げなかった。紫雲のどこをどう取ったら雷韋が半人前になるというのか? 雷韋は雷韋だ。精霊使いで盗賊。それ以上でもそれ以下でもない。どこをどうしたら変わる? どう考えても、変わりようなどないはずなのに。
陸王の言っていることの意味が分からなくて、雷韋は起き上がった。と、枕元に濃い赤色をした天鵞絨の小袋が置かれているのに気付いた。
「え? 何、これ?」
だが、陸王は何も言わない。言わずに、再びヤスリを持って爪の手入れを始めた。
雷韋が小袋を手に取ってみると、中に何かが入っている感触があった。袋の口を開けて逆さに振ってみると、そこからは雷韋が宝飾品店で見ていた紅玉の耳飾りが出てきた。涙型に整えられたそれは、ただの紅玉ではなかった。紅玉の中でも『鳩の血』と呼ばれる、深紅の紅玉だったのだ。値は恐ろしく高い。普通は金剛石同様、手に入れることさえ出来ないものだ。
雷韋は慌てたように陸王を見た。
「陸王、これって!」
「欲しがっていただろう」
なんのこともなさげに返してくる。
「でも、俺が欲しがったからって、こんな高いもの……」
「お前が見ていたのがそれと同じ形だったからな。俺はそういうものに詳しくないから、店主と話して決めた」
事もなげに言い置いて、陸王はヤスリをかけていた方の手にふっと息を吹きかける。
雷韋はそこで少し考えてから口を開いた。
「こ、こんなもんで買収は出来ないぞ。こんな……」
「貰えるもんは貰っておけ。お前を面倒に巻き込んだわびだからな」
言いながらも、爪の状態から目を離さない。
陸王の言葉に、小首を傾げて雷韋が問う。
「面倒って、紫雲とのこと? あんた達が言い争ってたことか?」
「あの坊主がくだらんことを言うから、お前は嫌な思いをしただろう」
「嫌なって、もしかして、番がどうのって話か?」
「やっぱりそこから既に聞いてたんだな」
「うん、ごめん。立ち聞きする気はなかったけど、あんたのあとを追っていったら教会に着いたから、門番に適当言って中に入って、ほとんど初めから聞いてた」
少ししょんぼりと俯きがちになり、あぐらを掻く風に改めて座ると、雷韋は自分の足首を握って答えた。
「普通に家庭を持ちたいお前からすると、気分のいいもんじゃなかっただろう。俺にとってもぞっとしない話だがな」
「そりゃ、いい気はしなかったよ。紫雲のあの言い方はない。どういうつもりで言ったんだか知んないけど、やっぱ、ないよ」
「それと、雷韋」
「何?」
陸王はそこで視線を上げた。
「妖刀の話は忘れろ。耳飾りはその対価でもある」
「忘れろって……そんな!」
「何も起きはしねぇ。だから忘れろ」
「それ、なんか根拠でもあんのかよ?」
雷韋は寝台の上で身を乗り出した。とても真剣な顔で。
「商人が騒いでいないってことは、近場で何もないからだ。何か問題の糸口でもあれば、すぐ噂になる。ここは商人達が噂を持ち寄る町なんだからな。戻る途中、商館にも行ってみた。だが、そんな話は聞かねぇとよ」
「じゃあ、まだこっちの方にまではその話は来てないのか」
乗り出していた身を引きながら言う。
「第一、妖刀の目的も何も分かってないんだ。西に移動しているってこと以外はな。だから、必要以上に恐れる事ぁねぇ」
「……うん」
答えて、雷韋は窓の外を見た。窓の外はもう真っ赤に燃えている。あと幾許もしないうちに晩課(午後六時の鐘)が鳴り、夜の帳が下りるだろう。
「じゃあ、この町は危険じゃない? 東の町も」
「仕事に差し障りはねぇだろうな」
淡々とした口調で答える。
「だったら、少しは安心出来るけど」
言いつつ、雷韋は耳飾りを手元で弄んだ。それを見た陸王は、
「なんだ。気に入らんか?」
そう声をかける。
「え? あ! そんなことない! 凄く綺麗だ」
慌てて言いながら、窓の方へ耳飾りを翳すと深紅の石が内側から赤く発光するように光る。それを確かめるように眺めて、雷韋は耳に飾り付けた。そうして耳元で揺れる感触を確かめてから陸王に問うた。
「似合うか?」
「さて。どうだろうかな」
陸王はちらと雷韋を見遣って、苦笑気味に返してきた。そんな言葉を聞きつつも、雷韋は腰に着けっぱなしだった荷物袋を外して、中から手鏡を取り出す。いつも目尻に紅を差すときに使っている手鏡だ。それで確認する。手鏡を使って、色々と角度を変えて耳元と顔の色とを見比べて、雷韋は自分では似合っていると思った。そうして確認している様は、ご満悦といった風だった。
その様を、陸王は柔らかい眼差しで見ていた。
「へへ……。似合ってんじゃん」
買収はされないと言いつつも、しっかり買収されていることに雷韋は気付かず鏡を覗き込んでいる。
「よかったな」
「うん。これ、大事にするから。あんがとな、陸王」
「いや」
裏も表もない素直な笑みを見ると、陸王はどことなく面映ゆい心持ちになった。
雷韋の子供の笑顔など見慣れているはずなのに。
そうしてご満悦の表情で鏡を見ていた雷韋だったが、ふと真顔になって陸王を見た。
「なぁ、明日さぁ、一日まだ空いてるじゃん。明日はどうすんだ?」
急に話が切り替わったにもかかわらず、陸王は淀みなく答える。
「明日は次の仕事の予定を入れるのに、午前中は斡旋所に行くつもりだ。午後の予定は考えてねぇ」
雷韋はそれを聞いて、両手を頭の後ろで組むと、そっかぁと呟く。
「午後はなんにも用事考えてないなら、俺、町のあちこち見てこようかな?」
「変な連中に攫われるなよ」
陸王の冗談口に、雷韋も笑った。
「もうねぇよ。攫われそうになったときは俺、まだ魔術が使えない、もっとガキの頃だったんだ。あんときは抵抗のしようもなかったもんなぁ。それでも必死になって走って逃げたけど」
「危ねぇな。本当に攫われるなんて馬鹿なことになるなよ」
陸王はそれを聞いて、少し真剣な口調になる。
けれど、雷韋はあっけらかんとしていた。
「今は大丈夫。なんだかんだ言って、魔術が使えるからな」
「ならいいが」
嘆息と共に吐き出した言葉が最後になり、一旦、そこで会話が途切れた。陸王は再び爪の手入れを始めたし、雷韋は窓から日が沈んでいく様子を眺める。
それから少しして、閉門の合図である晩課(午後六時の鐘)が鳴り始めた。




