7.金の髪飾り
ラシールは深く息を吸った。
「落ち着いて」
声に出して言い、自分に言い聞かせる。
まずは、母を探そう。
瓦礫の下敷きになっている母を助け出さねば。
それから――。
――警吏も……。
一歩、部屋から出て、唖然とした。
そこは前見たときとなにも変わらない。
突風が吹き荒れて、めちゃくちゃになったのはラシールの部屋だけであったのだ。
ラシールが家の外に出ると、そこには爆音を聞いて集まってきた人がちらほらいた。
「どうしたんだい、ラシール」
隣の家に住むハンスが近づいてきた。
「――ちょっと……スレナが爆発させちゃったみたいで――」
心の中で妹に謝りながら取り繕う。
瓦礫の下から助けを呼ぶ声はない。人の気配もない。
意識を失っているのか――。
――死んでしまっているかもしれない。
ラシールは身体全体の力が抜けていくのを感じた。辛うじて足を踏ん張ってもちこたえる。
「――母が瓦礫の下にいるはずなんです」
助けてください、とラシールは集まってきた野次馬に呼びかけた。
ラシールは瓦礫の下を見て回った。
野次馬の多くが一緒になって母を探してくれる。
たった一部屋分の瓦礫であったが、すさまじい量だった。
散らばっている煉瓦はえぐれた壁の一面分、それに天井だけで、それほどの量ではないのだが、本や衣類、それに、がらくたになった家具の木片があたり一面に散らばっていた。
生まれてから二十五年――意識したことはなかったが、これほど物が増えていたとは――。
瓦礫の下にいるのは意識のない人間だから、下手に瓦礫の上を歩くこともできない。
赤ん坊の大きさの人形が転がっていた。
金髪に青い目のその人形は、風の刃にずたずたに引き裂かれていた。
いつだったか――ラシールがスレナよりも小さいころ、母が買ってくれたものだった。
「いたぞ!」
男が叫んだ。
ラシールはそちらへと駆けていく。
手が見えた――男の手だ。
「生きていますか?」
ラシールは声を張り上げる。
男が瓦礫から突き出した手の脈を調べた。
「生きてる」
ラシールは安堵した。
人殺しにならずに済んだ。すでに父は殺しているが。
「――警吏か? かわいそうに、巻き込まれちまったんだろう」
ハンスが男の制服を見て言う。
男たちが四、五人がかりで警吏の上に乗っている瓦礫や煉瓦をどかしはじめた。ハンスもそれに加わる。
ラシールはそれに加勢しないことにした。これだけ男手があるのだから、ラシールがいてもいなくても同じだ。
なにより母がまだ見つかっていない。
ラシールは瓦礫の下を探し続けた。
母の代わりに、お気に入りの髪飾りを見つけた。
これは父が買ってくれたものだった。
名も知らぬ金の花が散りばめられている飾りだった。
気に入ってはいたが、ほとんどつけたことはなかった。――一度もつけたことがないかもしれない。
ラシールは髪飾りを拾い上げた。
見た目は重そうに見える髪飾りだが、実はとても軽い。
木彫りを金箔で覆ったものだろう。
ラシールはそれをポケットに入れた。
――人が集まっていなければ……。
風で瓦礫を吹き飛ばせる。そして、瓦礫の山の下にいる母を見つけることができるのに……。
いや、まだラシールはうまく風を操れない。
瓦礫と一緒に、また母を吹き飛ばしてしまうかもしれない。
ラシールは余計なことは考えないことにした。
下手に意識を集中させて考えると、また風を操ってしまうかもしれない。
騒ぎを聞きつけたか、だれかが通報したのか、警吏がふたりやってきた。
ラシールは警戒した。
母を探しながらも、ちらちらと様子をうかがう。
ふたりは野次馬のひとりから状況を聞き、人が埋まっていることを知ると、捜索の手伝いをしはじめた。
埋まっているかもしれない人間を助けるのが先だと思ったのか、ラシールがこの家の住人だと知っても、なにも質問をしてはこなかった。
本当に、ただ加勢にきてくれただけのようだ。アーダン・スコッドの大王殺しなどという類のことは一言も口にしない。
さらに家に来訪した警吏らへのラシールの懐疑心が深まった。
「――おお、気がついたぞ」
ハンスの声が言った。
助け出されようとしている警吏が目覚めたらしかった。
やばい、とラシールは思った。
警吏の意識がこんなに早く戻るとは慮外である。
すぐさま警吏のいるほうへと向かう。
警吏顔はラシールのいる場所からは見えなかったが、まだ彼の半身以上はまだ瓦礫の下であった。だが、あと少しすれば瓦礫の下から引っ張り出せるようだ。
助け出されたら、彼はラシールを捕まえるだろう。
彼にはまだ瓦礫の下にいてもらわなくてはならない。
少なくとも、ラシールが母を見つけて、スレナを連れて、三人で逃げるまで――。
警吏が呻いた。
「――なんか言ってる」
ハンスが屈んで警吏と向き合った。
「――女……を捕まえろ」
警吏が言った。ラシールにもしっかり聞こえた。
「女? 女ってだれだ?」
「これを……した女だ」
ハンスが困った顔をして問う。
「――つまり、スレナちゃんのことかい?」
警吏は答えなかった。
おそらく、ラシールやスレナの名前を知らないか、覚えてはいなかったのだろう。
「スレナちゃんも気の毒に――わざとではないだろうに……」
ハンスが眉尻を下にさげた。彼はその哀れんだ目を、ハンスはラシールに向けた。
「ラシール、スレナちゃんはどこいった?」
ラシールは首を横に振った。本当に知らない。
いまは、とにかく時間を稼がなければ――。
「この人を助けるまえに――先に医者を呼んだ方がいいのではないですか」
ラシールは思いつきで言った。
「医者?」
近所の男が怪訝そうに首を傾げる。
「怪我人を無理に動かすと不随にさせてしまうことがあるでしょう。この人を引っ張り出すまえに医者を呼んで――」
「この女だ!」
警吏の声がラシールの声を遮った。
「この女がやったんだ……こいつを捕まえろ」
警吏が呻き混じりに言う。
回りにいる男たちは困惑したようにラシールに目を向ける。
ラシールは一歩退いた。
だが、ラシールのほうへ近づいてくる者はなかった。
「だが、警吏さん、これはスレナちゃんがやったんだろ。ラシールは水使いだから、こんなたいそうなことできないよ」
ハンスがラシールを庇う。
「やったのは姉の方だ。その女は父親を殺して、力を得て、逮捕しに来た我々を襲ったのだ!」
警吏の叫びに全員の視線がラシールに注がれた。
真っ先に動いたのは加勢に来てくれていたふたりの警吏だった。
瓦礫の下の同僚の言葉を聞くなり、ラシールのほうへと突進してきた。
ラシールは警吏が来る方向とは逆向きに走り出した。
逃げるしかない。
母はとりあえずは残していくしかない。
スレナは――どこにいるのだろう。
――風よ、味方して!
ラシールは風に念じつつ、全力で走った。
次回から、サフィアス視点に戻ります!
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