第5章 レモンパイと身の上話 2
(やっぱり、そうか)
エデイラは無言でドアの前にいた中年の使用人と目を見かわした。二人とも小さくうなずいて意思を伝えあう。そこは、メイド同士の阿吽の呼吸だった。
そうしておいてから改めて、エデイラはディクテに向かい合った。
「先日の夜会の時から、そうじゃないかなとは思ってたんですよ。今はっきりしました。あなた、ドレスがお嫌いなんでしょう」
「嫌いなわけじゃないわ」
「でも着るのは気が進まないんでしょう? どうしてなんですか?」
ディクテは唇を引き結んで視線を落としている。
エデイラは切り分けられたレモンパイをひとくち口に運んだ。濃いめのレモンクリームの酸味に釣り合うはっきりとした甘さが美味しい。パイ生地もさくさくとして、塩気がきいている。
ディクテが手をつけようとしないのでエデイラは続けた。
「普通女の人は美しいドレスにあこがれるものでしょう? 立場柄着すぎて飽きたんですか?」
「違うわ」
「コルセットが嫌なんですか? ゆるめましょうか? 私でよければすぐやりますよ」
「そうじゃないわ。……わたくし、背が高いでしょう」
思ってもいなかった発言が飛び出て、エデイラは一瞬きょとんとした。
「そうですね」
確かにディクテは当時の女性にしては背が高いほうだった。エデイラもそう低いほうではないが、そのエデイラとならんでも、目線がさらに高い。
ディクテは視線を落としたまま続ける。
「子どもの頃から高かったの。大人用のドレスを着たのは十一歳の時よ」
「それは……早いですね」
普通十六歳くらいにならないと大人のドレスは着ないものだし、また周囲も着させないものなのだ。どうしてなのだろうと思いながらエデイラが聞いていると、ディクテはぽつりぽつりと続けた。
「わたくしは第三王女だったから、もちろんまわりは大人のドレスをよく似合ってるとほめたたえたけれど、──そのうち、なんだかおかしいと思う瞬間が増えたのよ」
「おかしい、というと」
「あからさまな皮肉などはなかったけれど、ちょっとした沈黙や、目線のそらしかたなどで……なにかおかしい、でもなんだろうって。考えたけれどわからなかったの。……いえ、今もわかっていないのかもしれないわね」
「──続けて」
「その、すぐ後だったのよ。わたくしが謀反を企てたと噂をされて、見覚えのない証拠を次々出されて、なにをどう言っても逆効果で、周囲の空気がそれとわかるほどひんやりし始めて、その年のうちにわたくしは王宮から追放されたの」
ディクテはお茶にもお菓子にもまったく手をつけていない。膝の上で両手を組み合わせるように握って、エデイラと視線を合わせて不器用に笑った。
「それ以来、ドレスを着るのが少し嫌なの。つまらない話でしょう」
「つまらないとは私は思いませんけど」
ぬるくなり始めたお茶を半分ほど一気に飲んで、エデイラは思いいたった。
アンダルトン修学園では、皆、揃いの黒か白の上着を着ている。あの上着は体の線をそんなに拾わない。あの場所でディクテが自然体でいられたのは、あの服のせいもあるのかもしれないと。
まだ十一歳の少女に与えるには、それは重すぎる悩みだと思いながら再びエデイラは口をひらく。
「そういうの、トラウマになったって言うんだと思いますよ」
ディクテが絶句した。彼女がなにか言うのを待たずにエデイラはさくさく続ける。
「いかにもドレスっていうシルエットでなければ平気ですか? 体の線は出ていないほうがいいですか? 色や素材で避けたいものはありますか? 言っておきますけど下手にこれ以上遠慮とか隠しごととかしたらあとでめんどくさい説教が待っていますからそのおつもりで」
「えっ、あの」
エデイラはドアのそばの使用人にも十分聞こえる声量を出して言う。
「デコルテが出ているデザインがことのほか苦手なように見えましたけど、それで間違いないですよね? コルセットは本当に苦しくないですか? ハイヒールはどうですか? 腕を出すのは平気ですか? レースやリボンに抵抗感は? お化粧は? 香水は? 赤は嫌いではないですか?」
ひととおりヒアリングを終えてしまうと、エデイラはドアのところの使用人と無言でうなずき合った。使用人は踵を返して部屋を出ていく。
ふたりきりになってしまうと、エデイラはカップに残った紅茶を飲み干した。
「レモンパイもおいしいですよ。食べないんですか?」
「……」
「あのカタイのお店でパリパリのリッチェを三本食べたあなたには、これ、結構好みの味だと思うんですけど」
「いただくわよ。そんな、人をくいしんぼみたいに」
ディクテがパイに手をつけたのを見て、エデイラは続けた。
「確かにあなたは背が高くてスタイルもいいので、あでやかなドレスがお似合いです。貧乳の私と違って胸も大きいですから、デコルテのあいたドレスが見栄えもします。それはご自分でもわかっていますよね?」
胸は大きいよりも小さい方が知的に見えるし、とかなんとか、ディクテは小さい声でつぶやいた。
自分にはないものがよく見える典型例ですね、と思いながらエデイラは言う。
「主がなにも言わなければ、主がもっとも引き立って見える装いを選ぶのは、メイドとして当然の流れです。でも、それよりもなによりも、メイドが一番嬉しいことは、主が喜んでくださることなんですよ」
「……もっと、自分の要望を口に出して言えと?」
「そうなさっていいと思いますよ」
ディクテはレモンパイをまた一口食べ、そして紅茶を一口飲んだ。美味しいと声に出して言う。
「……本当は、子どもの頃からドレスを着るのは嫌だったの。あいた胸元ばかり見られていた気がするし」
「なるほど、私は王宮のえろおやじを全員暗殺すればいいんですね」
「暗殺……」
エデイラがしごく真顔で言ったのでディクテはおうむ返しに繰り返した。
「ええ、得意分野です」
「あなたって、時々、驚くようなこと言う……」
「そうですか?」
エデイラはしれっとしたものだ。
そしてふと立って人を呼ぶと、なにごとか指示して大きめのブランケットを持ってこさせると、それをディクテの肩からふわりとかけた。
「とりあえず、これを羽織っていたらどうでしょうか。保証してもいいですが、明日にはあなたが着ても嫌でないドレスが縫い上がってくるはずですから」
「あ、ありがとう」
ブランケットで胸元を隠したディクテは、先ほどまでよりもほっとしているように見えた。切れ長の瞳がうるおいを増している。
そうか、と彼女の様子を見てエデイラは思うところがあった。
この人はあまり感情が顔に出にくい人なのかもしれない。そして、黙っているとひどく大人っぽく見えるから、誤解されやすい人なのかもしれないと。
「大人っぽいと言えば……先日の夜会でお会いしたあの少年も、見た目より大人っぽい振る舞いをなさっていましたね」
「少年って……あの、マリアカルラの弟さんのこと?」
エデイラの気持ちを考えて、犬のことは言わずにおいたディクテだった。エデイラはうなずく。
「私、思うんですけど。あの子はもうずっと不眠がちなんじゃないでしょうか。アーロ家は薬を扱うカルテルのひとつなのに、あの子をあのままにして、なにをやっているんでしょう」
ディクテがぱちぱちとまばたきをする。
「多分、身体が弱い子なんだと思いますよ。生まれつきそうなんでしょう。そういう子特有の肌の薄い感じがありますし、声の出し方で気管支が弱そうだなとも思いました。でも複数の症状が出ている時、もっとも重症な症状から潰していくというのは患者を見るときの基本です。私でしたらまずよく眠れるよう、軽い睡眠薬を処方しますね。くせになりにくく、体に負担のかからない薬剤が何種類か試せますから。そうやって体力を担保しておいてから、弱い部分を気長に治していけばいいんですよ。アーロ家の当主はなぜそうしないんでしょうか」
「あ、あの、エデイラ」
「マリアカルラにはああいう線の細い感じはないのに、なぜあの子は違うんでしょう。そこも気になりますし」
「待って、あなたって、お医者様だったの?」
いいえ違いますよとエデイラはきょとんとした。
「ただ、私、タルヴィス家で八歳の頃から育っていますから。毎日のように薬品を摘んだり、育てたり、配合したり、村の人たちにお薬を渡したりしていれば、自然と身につくものもあります」
タルヴィス、アーロ、ヴァージデル。この三つの家はそれぞれに特徴があり、アーロが身分でヴァージデルが富、そしてタルヴィスが際立っているのが知識だった。これまでは、三つの家がそれぞれ得意分野を持ち寄って、高品質の薬品を安定して供給してきたのだとエデイラは説明した。
「私ですら、ちょっと見ただけでわかることを、バシレウス・アーロはなぜやらないのか……」
あの子の様子からして、大切にされていないわけではないでしょうに、とぶつぶつ言うエデイラの前で、ディクテは背筋を伸ばして座り直した。




